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不良たちの襲撃から一週間が経ち、いきなり波乱に満ちたスタートを切った僕たちの中学の初学期は、ようやく落ち着きを見せ始めていた。
「伊織はやっぱり部活はしないの?」
お昼休みに僕と麻衣と清奈の三人で一緒にお弁当をつついていたとき、麻衣がそう尋ねてきた。
念願の剣道部に入部した麻衣は毎日が楽しいようで、終始上機嫌だ。
池田主将があんなことになった剣道部は最初は雰囲気が暗かったそうだが、明るい麻衣のおかげで最近は持ち直している、と悟志が言っていた。
弊害として麻衣狙いの男子が増えたとのことだが、内情を知る僕としては彼らの冥福を祈るばかりだ。
「やってる暇ないからね」
卵焼きを頬張りつつ、麻衣の言葉に頷く。
この間の不良たちとの戦いで、僕の剣技はまだまだ鬼人に通じるレベルではないことが分かった。
彼らに手こずっているようでは、二年前のあの鬼人には遠く及ばない。
確かにあの後、なぜかやたらと運動系の部活に勧誘されたけど全部断っている。
僕は剣を頑張っているだけであって、別に運動神経が良いわけじゃないのだ。
「だよねー。まあうちの部の男子たちは伊織が怖いみたいだけど」
「あー……」
相手が頑丈だからって骨が逝くまで木刀を叩きつける系女子はそりゃあ怖いだろうな、とは思う。
へこむけど。
「悟志お兄ちゃんがここぞとばかりに『あいつは怖い女だ。オレは毎週叩きのめされてる』とかいうから……」
犯人はじっちゃんの名にかけて悟志だった。
あとでアイアンクローの刑に処すことを心に固く誓いながら、里芋の煮っ転がしを親の仇のように箸でぶっ刺す。
「伊織さんは本当に剣に対して熱心ですから」
清奈が苦笑しつつフォローを入れてくれた。
友情に感謝しつつ煮っ転がしを口に運ぶ。
あ、おいしくできてる。
「それで真也さんも、常々『伊織のせいで鴻野道場のレベルがおかしいことになってる』と言ってますね」
ブルータス、おまえもか。
「なんか聞いてると僕がゴリラかなんかみたいなんだけど」
「そんなことはないですよ。どっちかと言えば豹って感じですし」
「余計危険になってない!?」
「それか虎」
「肉食獣から離れようよ!」
こいつら示し合わせて僕を馬鹿にしてるんだろうか。
そんな疑心暗鬼に囚われていると、教室に女の子がひとり、息せき切って走り込んできた。
確か隣の席の吉岡さんだったかな、と思っていたら彼女は僕のところにやってきた。
「黒峰さん、水島先生が呼んでるわ」
「先生が?」
水島健二先生は僕たちの教室の担任だ。
中肉中背の四十歳、重度のヘビースモーカーで常に煙草の匂いを漂わせている上に目つきがあんまり良くない。
はっきり言って女子受けは良くないが、よくありがちな女子をイヤらしい目で見てくるとかいうのは、僕が見る限りではなかった。
なんだろう。
この間の先生がた総出のお説教は真也と二人で、もうそれこそ魂がはみ出るくらいたっぷり受けたので追加はないと思っていたんだけれど、ここの先生がたの情熱を甘く見ていただろうか。
確か前のお説教のときに、水島先生はいなかったような。
「一体なんでしょう?」
「伊織、また何かした?」
「麻衣は僕をなんだと思ってるの」
なんだかんだ言っても学生に先生の呼び出しを断る権利はない。
面倒ごとはさっさと済ませたい気質の僕は、お弁当箱をたたんで席を立つ。
「それじゃちょっと行ってくるね」
* * *
「来たか」
煙草の匂いを漂わせた水島先生は、いかにも面倒臭そうな態度で僕に椅子に座るよう促した。
職員室そのものは禁煙だが、すぐ近くに喫煙室がある。
今までそこで吸っていたんだろう。
あまり好きな匂いではない。
「おまえは面倒ごとばっかり持ってくるなァ、黒峰」
いきなりご挨拶だが、一体何があったんだろうか。
少なくとも僕から何かをした覚えはない。
先生もそれは分かっているのか、机に積んであった書類の中から一枚の写真を取り出した。
「こいつ、もちろん見覚えあるな」
そこに写っていたのはこの間の不良のひとりで、鉄パイプを持っていた男だった。
この写真ではあれほど荒んだ感じは受けない。
「名前は西木敏男。この間の事件で少年院への送致が決まってたんだが、昨日、警察から行方を眩ましたらしい」
水島先生は写真を指ではさんでひらひらと揺らしながら僕に視線を向けた。
「はっきり言っておまえ、自分のことに鈍いから言っておくがな、黒峰。こいつが逃げてどこにいくか、っていえばおまえのところに来る確率が一番高い」
またしても失礼なことを言われた気がするが、続く言葉に対する疑問が顔に出ていたのか、水島先生はため息をついた。
「あのなァ、おまえ、あいつを木刀で叩きのめした張本人だろうが。逆恨みした野郎がお礼参りに来るかもしれないとか、普通考えないか?」
確かにそういう考えがあるのは分かるけれど、あのときの西木の様子からすると、そういうことをするとは僕には考えにくかった。
まあ、それが個人的な感想であることも良く分かっている。
「ふん、どうせ『あのときの感じだとそんなことはしそうにない』とか考えてやがるんだろ、おまえ」
「エスパーですか先生」
思わず口に出してしまった。
「いいや。俺もそう思うってだけだ」
意外な言葉に目を瞬かせると、水島先生はやはり面倒臭そうに口を開いた。
「あのときのあいつは憑き物が落ちてたからな。だが俺はそんな自分の勘で仕事はせん。面倒だからな」
「あの、そういうの生徒に言うってどうなんですか」
「おまえは言っても大丈夫そうだから言ってるだけだ。教師ってもんに幻想抱いてないだろ」
生徒のことが良く見えてるのに情熱が足りないとかそんな感じなんだろうか、この先生。
「とにかく面倒ごとはお断りなんだよ、俺は。だからおまえ、気をつけとけよ。お礼参りじゃなくてもあいつがおまえのところに来る可能性はあるからな」
「お礼参りじゃなくても?」
「鏡見ろ、鏡。どうせ分からないんだろうが」
ポケットからコンパクトを取り出して(このくらいは僕だって常備しているのだ。ただし、中身はおしろいじゃなくて打ち身用の練り薬)鏡を見る。
いつも通りの顔がそこにあった。
意味がよく分からず首を傾げると、先生はまた特大のため息をついた。
* * *
その日の稽古では鴻野道場あげての勝ち抜き戦の打ち込み稽古があって、僕は溜まりに溜まったストレスをここぞとばかりに発散させることにした。
木刀で打ち込み稽古ができる者であれば年齢に関係なく対戦が組まれる、月一回の恒例稽古。
それは自分の腕が道場でどこまで通用するのかを知るのに絶好の場であり、皆が本気を出す場でもある。
「おおらぁあ!」
「せええっ!」
勝ち残った社会人の門人と、僕は剣閃を交わす。
相手は鴻野道場の古株のひとり、川久保さん。
地味ながら基本に忠実な剣を遣う強敵だ。
速度を活かした僕の撹乱にも乗ってくる様子はなく、これは真っ向勝負しかないと覚悟を決める。
「ひゅっ!」
相手が下段に構えたその瞬間、息を吐いて床を蹴る。
狙うは喉元への突き。
突きは最速の技であると同時に攻撃面積がもっとも小さい技でもあり、躱されやすいという側面がある。
さらに回避された場合に次の攻撃に移るには、伸び切った腕を一度戻さなければならない弱点を持つが、これをカバーするためのテクニックとして平突きというものがある。
単純に言えば通常真っ直ぐ突く刀を地面と水平に横に寝かせて突くのだ。
こうすることで突きを避けられた際に即座になぎ払いに移行できる。
この技を使用するときには、コツのようなものが二つある。
心持ち刃を向ける側の逆に突きをずらすことと、腕を完全には伸ばし切らないことだ。
腕を伸ばし切らないことで突きそのものは少々甘くなるが、突きを必殺として掛かるならばそもそも平突きにする必要がない。
こうすることで回避された場合に即座になぎ払いに移行できる。
そして突きをずらすことで、相手にとって無意識に避けやすいと感じる方向は水平になった刃の向いた方向になり、意識的に逆側に躱そうとするのであれば動きそのものがワンテンポ遅れる。
僕が使ったのはこの平突き。
真の狙いは平突きにすることによって躱すことが難しいと相手に思わせ、回避ではなく迎撃を選択するようにさせることだ。
果たして相手が選んだ応手は下段からの斬り上げ。
下段に構えたことと、僕が先手を取ったことで突きによる僕の突きへの反撃は間に合わない。
つまり、ここで僕を迎撃することを選んだ時点で詰んでいる。
掬い上げるように弧を描く斬り上げと、愚直にまっすぐの軌跡を刻む突き。
どちらが速いかは論を待たない。
軍配は突きに上がり、一瞬早く僕の鋒が相手の喉元の寸前で止まる。
「一本! 黒峰の勝ち!」
審判の春樹さんの声が響いた。
「ぬう、負けか。強くなったなぁ、伊織ちゃん」
「ありがとうございます」
鴻野道場の古参である川久保さんに褒められたのは素直に嬉しい。
二年前までは負けっぱなしで、勝ち越せるようになったのはつい最近なので尚更だ。
「よーし、勝ち残ったな、伊織」
ひとつ前の試合で清奈を下していた真也が決勝戦の相手だった。
しかしベストフォーまで残った社会人がひとりだけという事実を見ると、鴻野道場のレベルがおかしい、という話も頷けることなのかもしれない。
それが僕のせいだっていうのは断固として否定するけど。
五分の休憩の後、僕と真也は道場の中央で対峙する。
「負けるなよ真也ァ!」
「真也さん、頑張ってください!」
「真也兄、負けたら罰ゲーム」
なんでだろう、道場すべてが真也の味方のようだ。
……泣いていいかな。
「それでは、始め!」
春樹さんの合図と同時に真也は突っ込んできた。
短期決戦が狙いか。
「……!」
無言で、しかし気迫十分に右袈裟に斬りかかってくる真也。
正眼に構えたまま僕はするすると後ろに退がって間合いを外す。
すると真也は斬り下ろした刀を返し、位置はそのままにぐんと間合いを詰めてきた。
(氷鏡返し……? いや、これは龍落し!)
真也が間合いを詰める前に息を溜めたのが読めた。
下段を攻め、それが成功するしないに関わらず一呼吸で体ごと返して上段への斬撃を浴びせかける大技、大毅流『龍落し』。
その連続攻撃は知らなければ防御はほぼ不可能と言っても良い。
けれど、読み切った。
脛を狙ってきた木刀を払う。
「はっ!」
予想通り、真也は気合と共に体を一回転。
一拍の間で襲い掛かってくる頭上への斬り下ろしは見事の一言に尽きるが、読んでいた僕はこれを受け切る、が。
(……!?)
微妙な違和感。
確かに相応の威力はあったものの、真也の龍落しにしては軽すぎる。
それに、真也には余力を残した感じがあった。
つまり、これも布石。
「かあっ!!」
僕が感づいたことに気づいたのか、目に少し焦りを浮かべた真也がさらに気を吐いた。
先程とは逆方向に体を回転させて、上段から下段へと切り替える。
これは龍落としと対を成す技、虎落し。
龍落しは見せ技で、こっちが本命か!
「ちぃっ!!」
読み切れていなかった分、これは受けられない。
ただ、大技の二連発は真也にも相応の負担があるはずで単発ほどのキレはないはず。
そう判断した僕は、体を回転させている最中の真也に体当たりを強行する。
完全には間に合わなかったが、技を潰すのには間に合った。
「うわっ!?」
「ぐっ!?」
運悪く回転してきた真也の左の持ち手が僕の水月に入り、僕と真也はもつれ合ってバランスを崩す。
真也に巻き込まれるようになって仰向けに倒れた僕の胸に、重量物が叩きつけられる。
肺から空気が逃げ出して朦朧となりかけたのを、無理矢理空気を吸って頭を覚醒させる。
顔を起こすと、僕の胸の上に真也の頭があった。
「………」
「………」
ゆっくりと顔を起こす真也。
少し赤いその顔は、僕と視線を合わせた途端に引きつった。
無意識のうちに木刀を握りしめる。
かこーん!という澄んだ音と「いってえ!?」という青年の悲鳴が道場に響き渡った。
「真也……おまえはどこのラノベの主人公なんだ」
「見える。俺には見えるぞ。女難の相という四文字が」
「うらやま……いやなんでもない」
「通報しました」
「なんでもないって言ってんだろ!?」
その日の結果は一位、真也、二位、川久保さん、三位、清奈という結果に終わった。
僕はと言えば反則負けである。
どういう理由であれ木刀を相手に当てたなら、それが相手のせいでない限りランキング外となってしまうのだ。
なるべく怪我をさせないように、という配慮と共に刀を自らの手のように扱えるように、という指導の方針でもある。
今回は無意識のうちに木刀を振るってしまったので反則負けは仕方ない。
「済まない、伊織」
先ほどからやたら謝ってくる真也に、僕はひらひらと手を振った。
「ううん、僕こそごめん。それと、思わず木刀振り下ろしちゃったけど怪我してない?」
そう、男に触らせるとか考えると鳥肌が立つけれど、わざとじゃなければそんなに気にすることではないのだ。
そのはずだ。
さっきは反射的にやらかしちゃったけど。
「こっちは大丈夫だ」
真也がたんこぶ作っただけで、他に怪我がなかったのが何よりだ。
真也が凄いと僕が思うのは、一連の謝ってくる言葉の中に「わざとじゃないんだ」という言葉がなかったことだ。
別にそれを言ったからといってどうということはないんだけれど、真也の逃げる気のなさを示しているようで、素直に真也らしいとは思う。
「悪かった。これ以上は俺ももう言わない」
気にしていない様子の僕を見て、ほっとしたように真也は肩から力を抜いた。
「ん、じゃあお互い様ということで」
仲直りとばかりに手を差し出す。
久しぶりに握手をした真也の手は、剣ダコがあってゴツゴツとした男の手になっていた。
次はまた少しお時間頂きます。