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「ぎゃああああああああああ!!」
凄まじい悲鳴が上がって池田が地面に倒れる。
右腕はどうやら折れたようで妙な角度に曲がっていた。
他の部位も折れてないとしても、痛みで動かすどころではないだろう。
「きっ、貴様ら、貴様ら……!」
「ぎゃはははは、どうだ池田ァ。見下してる奴に見下されるのはよぉ」
一斉に嘲笑う不良たち。
嘲笑われた池田はそれどころではないようで、必死にそこから逃げようと這いずっていた。
その姿を見ている不良たちの目に、箍の外れた光が宿っているのが見えた。
不味い。
悟志が間に合わないようなら素手で出るしかないかと覚悟を固める。
そのときさすがに放っておけないと思ったのか、体育教師が不良たちの前に出てきた。
「おまえたち、何をやっているんだ!」
「うるせえよ。すっこんでろ」
出てきたまでは良かったが、最初から不良たちの雰囲気に及び腰で、鉄パイプを目の前に振り下ろされてしまい退散してしまった。
が、それは貴重な時間を稼いでくれた。
「待たせた。伊織、鴻野!」
息を切らせて戻ってきた悟志が持っていたのは、二本の木刀と一本の竹刀。
間に合った。
「ありがと。悟志は池田主将の確保をお願い。いい?」
僕は木刀を受け取って言う。
悟志は木刀で手加減できるほどじゃないし、木刀の一撃を耐えたあの相手に、竹刀じゃたぶんダメージが行かないだろう。
もう一本の木刀は真也が受け取った。
「分かってるよ。自分の身の程は弁えてるし、あいつを放っとくのも有り得ねえ」
悟志のこれは同年代の男子と違って、本当に弁えていることを僕は知っている。
ただ、弁えているのと無茶をしないのはイコールではないのだが。
「伊織さん、私は?」
「今回は僕と真也に任せといて。麻衣をお願い」
清奈は悟志よりかなり強いが、女の子だし不良の相手をさせるのは忍びない。
それに、相手が少々不気味だ。
不満を表情に表しながらも頷いた清奈にごめんねと手を合わせてから、僕は真也と悟志の方を見た。
「それじゃ、行こう。あれは殺す気だよ」
二人に声を掛けるなり、僕は窓の外に飛び出して加減抜きで走り出す。
「くそ、速ぇんだよ……!」
「ち……!」
何か聞こえたけど気にしない。
不良たちが反応する前に、と思ったけれどすでにこっちに反応している。
やっぱり反射神経が良いようだ。
「なんだぁ、女ァ?」
「痛い目見たくなけりゃすっこんでろよ、さっきの先公みたいによぉ!」
「それとも相手して欲しいのかァ?」
相手の台詞は全部無視。
こっちに気づいていてもこれじゃ意味がない。
そのまま間合いを詰めて金属バットを持った男の左足を撃つ。
前足をストッパーとして止まりつつ、自らは重心を崩さずに剣を振ることで、走ってきた勢いと腕の力、そして体重がすべて刀に乗る。
なかなか完璧にとは行かないが、自分の丹田を体の中心と考えて腕もその延長と考えること、何より毎日それを意識して素振りをすることが習得のコツだ。
そして、相手を真剣で斬り伏せるつもりで振る。
この心の置き方の次第で、斬撃の威力は数段違う。
悪いけれど僕には威力を手加減するつもりは微塵もなかった。
「ぎぃっ!?」
骨の折れる嫌な感覚が木刀を通して伝わって、金属バットの男の足が曲がってはいけない方向に曲がった。
倒れ込む金属バットの男に足をつかまれたり攻撃されたりしないよう再加速して走り抜け、向きを変えて事前に確認していた位置から鎖の男が移動していないのを再確認して突きを繰り出す。
木刀による突きは容易に相手を死に至らしめるが、突き抜かなければこの不良たちには問題ないと判断した。
頚窩を突かれて呼吸を遮断され、前のめりに倒れ込む鎖の男。
ここまで不意打ち成功。
二人を倒した僕に、ようやく事態を把握した鉄パイプの男が激昂して殴りかかってきた。
「このアマァ!?」
太刀筋は完全に素人。
だが侮れない速度で鉄パイプが振り下ろされる。
(却ってやりにくいな)
太刀筋が完全に素人、ということは理に適った動きをしない、ということだ。
呼吸を隠すということも知らないので動きを読むことは簡単だが、その上でこちらも最小の動きで躱す、などと言ったことができないことを意味する。
そして普通の素人なら速度も相応に遅いのだが、この相手は速度だけならば超一流と言っていい。
(ん? これってつまり……)
余計なことに思考が行きかけたのが悪かったのか、それとも鉄パイプの男の反応速度と力が予測の遥か上だったのか。
振り下ろされた鉄パイプをいなした直後、それが直角に軌道を変えて横殴りに僕に襲い掛かってきた。
かろうじてそれを木刀で受ける。
「ナメんなぁっ!!」
男が叫ぶと同時に、木刀に凄まじい力が加わるのを感じた。
このままだと木刀が折れる。
とっさの判断で後ろに跳ぶが、体を持っていかれた。
二年前のあの時ほどではないが、それに近い感覚。
(この気配、あれだ……!)
喉に刺さった小骨のように引っかかっていた疑問が、その瞬間に氷解した。
僕がその一撃を貰ったように見えたのか、周囲から悲鳴が、追いついてきた二人の男子からも声があがった。
「「伊織っ!?」」
真也と悟志に無事であることを示すように、僕は宙で一回転してそのまま膝を曲げた状態で着地する。
「大丈夫。けど、ちょっと変だ。悟志、絶対に手を出さないで。主将を守ることに専念して」
「あ、ああ」
「真也」
相手を見据えたまま真也を呼ぶ。
「どうした」
(鬼人を相手にするつもりで)
近寄ってきた真也に囁いた。
目を見開く真也。
二年前、僕が鬼人と始めて戦ったときに剣人と鬼人についてお師さんに話してもらった。
そしてその中に、春樹さんが剣人であるという話があった。
もちろん僕がそれを知ったことは春樹さんに伝えられたのだが、そこから春樹さんは真也と清奈、そして神奈が剣人見習いであることを僕に教えたのだ。
どういうつもりなのかは分からない。
ただ、もはや鬼人と無関係には生きていけない僕への心遣いのような気はしている。
真也たち三人にもそのことは伝えられ、僕が鬼人と戦ったことも知られた。
不可抗力だったのに、なぜかとても怒られたのが理不尽だった。
「………」
囁き声とは言ってもあまり口に出せる内容じゃない。
聞きたいことはあったようだったけれど、真也は無言で頷いて表情を引き締め、視線を前に戻す。
僕がこの結論にたどり着いたのには理由があった。
二年前に戦った鬼人は動きそのものはもっと洗練されていたけれど、武術家の動きはしていなかった。
戦い慣れはしていたものの身体スペック頼りの戦い方で、それで僕はどうにか命を拾ったと言っても良い。
そしてこの不良たちは僕の接近にすぐさま気づくほどの反応速度、木刀で殴られても平気なほどのタフネス、動きに対応して急に攻撃の軌道を変えても僕を吹き飛ばせるほどの膂力を持っている。
先程金属バットの不良の片足を叩き折ったときも、僕の出せるほぼ最大威力で叩いたにも関わらず結構ギリギリな感触だった。
鬼人に比べるほどの力ではないけれど、その戦い方には鬼人と共通するものを感じたのだ。
状況証拠としてはそんなところだが、何より間近で感じたその気配が鬼人に近かったことが大きい。
そのこともあって、真也には鬼人を相手するつもりで、と言ったのだ。
「もともとそんなに強いわけじゃないよね?」
鉄パイプ男に話しかける。
池田主将を確保しようとしている悟志から意識を逸らすための会話で、返答を期待していたわけじゃなかったけれど、彼には隠す気はなかったらしい。
「知らねえのか?『デモン』をよ」
「デモン?」
男はポケットに手を入れると、何かの薬のようなものを取り出した。
赤い錠剤というのはあまり見ないが、男はそれを一錠つまんで自分の舌の上に乗せた。
それをごくりと音を立てて飲み込んだ男は、血走った目でこちらを睨めつけた。
「こいつさえ飲めば痛みに強くなり、力も速さも上がる。池田をぶっ殺すのを邪魔するってんなら、てめえらも殺す……!」
紛う事なき殺気が吹き付ける。
「真也はもうひとりを。あいつは僕が」
力と速さは実際に常人離れしているので、確かに薬の効果はあるんだろう。
でも、そんな強力な薬に何の副作用もないなんて美味い話があるものだろうか。
「それ、体に悪いんじゃない?」
「知らねえよ。どうでもいい」
視界の隅で真也がもうひとりの木刀の男と対峙し、フリーになった悟志が池田を引きずって下がるのが見えた。
あとは、目の前の鉄パイプの男をどうにかすればいいだけだ。
簡単ではないけれど、決して不可能ではない!
「おおおおお! 死ねやぁ!」
男の速度がさらに上がった。
滅茶苦茶に振り下ろしてくる鉄パイプを躱し、木刀で逸らしていく。
いくつかは隙を見つけて小手を叩いたのだが、常人なら骨折するほどの強さで叩いたにも関わらず、骨が折れないどころか鉄パイプを取り落としもせず、痛がるそぶりすらも見せない。
骨まで頑丈になっているようだ。
さらに振り下ろしの威力も明らかに上がっていて、地面に当たった鉄パイプがその土を大きく抉っていた。
「くそ、くそ、何で当たんねえ!?」
「稽古不足」
ばっさりと、しかし本心から切り捨てると男の表情が歪んだ。
「馬鹿にすんなァ!!」
馬鹿にした覚えはないんだけど相手はそう受け取ったようだった。
振り下ろしにさらに力を込めようとしたのか大きく振りかぶる。
それは僕の待っていた一撃だった。
振り下ろされた鉄パイプを一度木刀で斜めに受け、そのまま相手の力に逆らわずに振り下ろさせる。
木刀を鉄パイプに沿わせるように捌いて体を左に開きながら持ち手を捻る。
鉄パイプの力を受けて折れんばかりにしなった木刀はその瞬間に飛び出して弧を描き、狙い通りに男の鉄パイプを持つ右手の親指へと命中した。
二年前にこの目に焼き付けた、相手の力を利用する技『岩颪』。
「ぐぁぁっ!?」
あのときのお師さんほどの切れ味はないけれど、確かにモノにした技だ。
どれほど痛みに強くても、完全に骨が砕ければそこは動かない。
特に指は繊細な作りをしている上に、物を持つという動作において必要不可欠だ。
さっき池田主将がやった指への攻撃をえげつないとか評したけど、このくらいしないと駄目な相手だったわけだ。
思わず、と言った様子で右手を鉄パイプから離した隙を逃さず、僕は今度は渾身の力で鉄パイプそのものを叩いた。
狙いは違わず、それで鉄パイプは地面へと落ちる。
すかさず男の手の届かない場所へと鉄パイプを蹴り飛ばす。
他を見ると、真也は木刀の男の両脛を折って戦意喪失させて勝ったようで、池田は悟志によって先生たちのところへ保護されていた。
とりあえず急場は脱したようだった。
「なんでだよ……デモンがありゃ、勝てるんじゃなかったのかよ……」
先ほどまでの気迫はどこへやら、まるでその体までもがしぼんだかのように男ががっくりとつぶやく。
「薬だけで勝てるほど世の中甘くないってことだけど、池田主将には勝ったって言えるんじゃないかな」
「……ち]
舌打ちする男。
「殺すのは見逃せないから介入したけど、このへんで満足した方がいいんじゃない?」
「……そうだな。少しは溜飲も下がった」
右腕を折られた痛みで泣きわめいている池田を見て、憑き物が落ちたような顔になった男は、独り言のようにつぶやいて僕の方を見た。
「おまえ、名前は?」
「黒峰伊織だけど」
「そうか……強ぇな、おまえ」
「そう? ありがとう」
もちろん僕の強さはまだまだ足りない。
けれど他の人から強いと評されるくらいには、力が上がったんだなと思うと自然と笑顔が浮かんだ。
「………」
「なに?」
何故か顔をじっと見られたので見返す。
「な、なんでもねえ」
目にも止まらないほど素早く顔を逸らされてしまった。
……今の戦いで顔に泥でも付いたんだろうか。
後で顔を洗わないと。
* * *
「へえー、あれ見た? 凄いよね」
どうやって侵入したのか、校舎の屋上からその戦いを見ていたのは、不良たちにアントと呼ばれていた青年と、ひとりのスーツ姿の女性だった。
「あの娘、剣人じゃないんでしょ? それなのに真剣も使わないでデモン服用者を倒すって、どれだけ修行積んでるんだろうねぇ」
「それよりも安人様。デモンの回収はしなくてもよろしいので?」
「ああ、うん。別に知られても問題ないしね」
あくまでも安人の口調は軽い。
「ではあの被験者たちの処分はいかがいたしますか」
「そっちも放っておいていいよ」
「ご命令があれば速やかに処分いたしますが……」
「いいっていいって。面倒だし。あ、ただあの鉄パイプくんは監視しといてね。重ね掛けしたみたいだから。場合によっては確保」
「承知いたしました」
恭しく頭を下げる女性に笑いかけて、安人は校庭の方に視線を戻す。
「先代三日月の愛弟子に一期一振の息子。それに茨木家の姉妹もいる学校かぁ。なかなか面白そうな場所だよね。そう思わないかい、観沙」
「御意」
「何かに使えそうだな。ま、そのうちね」
そのやり取りの後屋上から人影は消え失せたが、その日校内で部外者を見た生徒は存在しなかった。