13
「はーい注目! 君たちの欲しいもの、持ってきてあげたよ」
「おお、マジっすか、アントさん」
「あれさえありゃあ、あいつなんざ屁でもねえんじゃねえか?」
行き場のない者たちというのはいつの世でも、どんな年代でも存在する。
廃工場のような立ち入り禁止だが管理されていない敷地は、そういう者たちの憩いの場になることも多かった。
ごついシルバーアクセサリーで体を飾り立てた、刺々しい、だがまだどこか幼い雰囲気を漂わせる男たちがたむろしているそこは、空き缶や鉄パイプ、金属バットなどが乱雑に散らばっていた。
その彼らの前で、天使のような笑顔を浮かべた、まだ少年の顔立ちを色濃く残している青年が手を広げた。
顔立ちそのものは幼いものの、その雰囲気からすると男たちよりもそれなりに年上のようだった。
「昨日試用した感じはどうだったかな?」
アントと呼ばれた青年の問いに男たちは暗い笑顔を浮かべた。
「良かったぜ」
「ああ、力がバリバリ漲ってくる感じだったぜ。喧嘩がしたくてしょうがなくなる」
「人を殴るのがあんなに楽しいって知らなかったよ」
「そりゃあ良かった」
虫も殺さぬような笑顔のまま、アントは彼らの言葉を肯定した。
「それで、やりたい本命がいるんだよね?」
「ああ。手ぇ貸してくれるってのか?」
「手は貸さないよ。ただ、あれをプレゼントしよう」
「……いくつくれるんだ?」
「ひとり三錠はあるよ」
アントの返答に男たちがざわめく。
「大盤振る舞いだな。金はいいのかよ?」
「いいんだよ。こっちにも都合があってね。ただ、連続では飲まないこと。一回飲んだら最低一日は空けた方がいいかな。体に負担がかかるからね」
「ふうん、分かったぜ」
「へへ……ありがてえ」
男たちはどこか緩んだ、そして歪んだ笑みを浮かべた。
「そんじゃ、例の計画を実行に移すときがきたな」
「ああ。これがありゃ問題ねえ」
「ようやく……あいつを殺せるな」
よくある「殺す」という台詞とは違う響き。
鉄パイプを手にした青年の目は据わっていた。
「よし、そんじゃまあ、とにかく試してみようぜ」
「お楽しみってな」
赤い錠剤を一粒、音を立てて飲み込んだ男たちから暗い笑い声が上がる。
アントと呼ばれた青年は、それを変わらぬ笑みで眺めていた。
* * *
その日の鴻野道場の稽古で、剣道部主将に決闘を挑まれたことを真也と清奈に言うと、いかにも心当たりのありそうな表情が返ってきた。
「悪い、伊織。相手にするのも馬鹿らしいから放っておいたんだが……」
「伊織さんも放っておけば良かったのに。あの人、正義感強いくせに器が小さいから面倒なんですよね」
清奈がなかなかに辛辣だ。
「まあ、ちょっと腹に据えかねて……」
「伊織ちゃんなら大丈夫だと思うけど、感情に任せて相手に怪我をさせたりしないようにね」
「はい」
春樹さんの言葉には素直に頷く。
もともと池田に怪我をさせる気なんてないし、自分が怪我するつもりもなかった。
しかし春樹さん、決闘をするという教え子を止める気配もない。
「伊織があいつに負けるはずもないし、折角だから見物にでもいくか」
「それは池田さんのプライドがずたずたになりそうですね……別にいいですけど」
真也も清奈もナチュラルにひどいと思う。
何で僕が池田に同情する羽目になってるんだ?
「ま、その前に俺と勝負してもらおうか」
木刀を手に笑う真也。
打ち込み稽古はひとつ上のステージに入っていて、竹刀ではなく木刀を使うようになっていた。
もちろん当たれば骨折くらいは簡単にするため、当たりそうなときは寸止めするか、当たっても問題ない程度の勢いに殺す必要がある。
そうは言っても基本的には当てるつもりで行くので、技量の足りない者同士ではそれこそ骨がいくつあっても足りない。
双方に相応の技量が必要とされる稽古なのだ。
「よーし、今日は全勝する!」
「させるか!」
死力を尽くした戦いの末、その日の戦績は十戦七勝三敗で終わった。
事件が起こったのは次の日のことだった。
その日は朝からざわついていた。
廊下を行く生徒たちは不安の表情を、教師たちは厳しい表情を浮かべていた。
朝のホームルームで明らかにされたところによると、昨日の下校中に何人かの生徒が何者かに襲われ、怪我で入院したらしい。
今日は部活も中止して寄り道をせず、さらにひとりでは帰らないようにと注意があった。
「なんだろ。怖いよね……伊織、今日は一緒に帰ろ?」
「え。僕、今日も稽古あるんだけど」
「もー、すぐにこれだし! いいもん、悟志お兄ちゃんに守ってもらうから!」
「うん、悟志なら麻衣をちゃんと守れると思うよ」
「伊織は誰に守ってもらうのよ」
「え……お師さん?」
「あの人迎えに来ないでしょ!」
「あ、帰り? だったら春樹さんに送ってもらうから大丈夫だよ」
「先に言ってよそれ!?」
何故かコントのようになってしまった麻衣との会話は、いきなり響いてきた大声に遮られた。
「出てこい池田ァ!」
「ビビったのかよ。隠れてんじゃねえぞコラァ!」
校庭からの声のようだった。
何かと思ったら自ら全身全霊を以て不良と宣言しているような格好した四人ほどの男子が、木刀や鉄パイプ、金属バットに鎖と思い思いの武装をして、どうやら池田主将を呼び出しているようだった。
どうでもいいんだけど、何であそこまで得物が統一されてないんだろう。
「何あれ?」
「さあ?」
入学二日目の一年生には何が何だか分かるはずもない。
もちろん僕もさっぱりだったので、分かりそうな人のところへ清奈と麻衣と一緒に行くことにした。
休み時間は終わりかけていたが、さすがに授業どころではなくなっているようだ。
一階に降りると廊下はざわついていて、校庭に面した窓には人が鈴なりになっている。
出入り口には先生が立っていて、外に出ようとする生徒を押しとどめていた。
「悟志」
悟志を見つけた僕が声を掛ける。。
「おう。伊織と麻衣に、茨木か」
「これ、何なんです?」
すると悟志は苦い顔になった。
質問をした清奈に対する感情ではなさそうだった。
外ではまだ池田を呼び続ける声がしている。
「半年くらい前にな、校内暴力があったんだよ。暴れたのは今、外にいる奴ら。で、それを止めたのが池田なんだが……」
ここまで聞く限りでは、外の五人組の逆恨みと言えそうだが、何か続きがあるようだった。
「あいつの親、この町でも影響力のある会社の社長でさ。学校にあいつらが退学になるよう圧力掛けた上に、この町じゃ職に就けないように根回ししちまったんだよ」
「うわ……」
普通にどん引きだった。
清奈の『正義感強いくせに器が小さい』という表現にまさにぴったり。
そんなことをしたら本当に立ち行かなくなって、後は悪いことに手を染めるしかなくなるんじゃないだろうか。
校内暴力という手段に訴えた時点で非はもちろん彼らにあるけれど、まだ子供である彼らはそういう手段でしか表現ができなかったのだと思う。
少なくとも仕出かしたことに比して課せられるペナルティが大きすぎるのは問題だ。
正義というものを本当に体現したいなら、彼らを見えない場所に追いやって満足するのではなく、正しい道へと導くまでがワンセットのはずだ。
その復讐に来たというのなら、是非はともかくとして感情的には分からなくもない話だ。
「あのときもオレが止めるまで顔の形変わるくらい竹刀で殴ってたからな。オレから見たらあれ、自分に酔ってたと思うぜ」
何で彼が剣道部主将なのか疑問になってきたが、悟志によれば一度身内認定した相手に対してはとても親身になるタイプで、後輩とかの面倒見は非常に良いらしい。
剣道そのものにも熱心で、悟志と打ち合って五本に三本はあちらが取るのだと言う。
「あ、出てきた」
麻衣が指さした先に、木刀を持った池田主将がいた。
慌てて止めようとした先生をにこやかに制止して、校庭へと出てくる。
「今度は木刀かよ。相手を殺すつもりじゃねえだろうな……」
悟志が目を細めてその姿を見やる。
「あの顔じゃ、殺しても正当防衛になる、くらいは考えてそうだな」
僕たちが固まって見てるのに気づいたのか、真也がこちらに来て悟志の言葉に頷いた。
「こっち来んなよ」
「別に自由だろ?」
何かいがみ合っている男子組を放置して、女子組は窓際に移動する。
「来やがったな池田ァ」
男たちは興奮しているのか目は血走っているし、遠目にも筋肉がやたらと張っていた。
(ん……?)
彼らの雰囲気に何か違和感を覚えたが、それが何か良く分からない。
以前に一度、経験したもののような気がするけれど。
「今朝のホームルームのあれ、彼らがやったんでしょうか」
清奈の疑問は全校生徒が思っていることだろう。
そして、おそらくその通りなのだろうと思う。
問題は、曲がりなりにも半年間大人しかった彼らが、なぜ今になって行動を開始したのかだ。
「何しに来たのかな、君たち」
それを知ってか知らずか、池田主将は木刀を担ぐように持って不良たちに話しかけた。
その口調は随分と尊大で、彼らを下に見ていることが傍目からも良く分かった。
「決まってんだろ。てめえの命ァとりに来たんだよ」
ありふれた不良の脅し文句。
ただ、それを言った男の雰囲気は異様だった。
ぎらぎらした目つきはそのままに、満面の笑顔を浮かべて言い放ったのだ。
嬉しくてたまらない、楽しくて仕方がない、そんな笑みを。
さすがにその異質さは池田にも伝わったのか、彼の顔がわずかに引きつった。
「付き合ってられないな。今日は大事な用が控えているんだ。さっさと片付けさせてもらうよ」
「ツレねえこと言うなよ。地獄までつれてってやるからよぉ!」
叫んだ男がもう待てないとばかりに木刀で池田に殴りかかった。
技も何もない、大振りの一撃。
軽くステップしてそれを躱した池田は、男のこめかみに容赦なく木刀を叩きつけた。
鈍い音が響き、見ていた生徒たちから悲鳴が上がる。
「効かねえなあ」
大振りしたはずの木刀が、池田の木刀を間一髪、がっちりと受け止めていた。
当惑した池田の動きが一瞬止まる。
「おいおい動きが止まってるぜ池田くぅん?」
鉄パイプを持った男が反対側の手で池田の左腕をむんずとつかむ。
それほど強くつかんだようには見えなかったが、池田の顔が苦痛に歪んだ。
「離せ!」
池田が右手で鉄パイプ男を木刀で滅多打ちにするも、そのすべてを鉄パイプで受けられている。
見た感じでは、単純に攻撃を見てから防いでいるようだ。
その動きには術理や経験といったものは一切感じられなかった。
「あれ、随分と反射神経良くない?」
僕の感想に頷いたのは真也だった。
「ああ。最初の木刀の奴もそうだが、見てから攻撃を捌いてるようだ。あれじゃ池田に勝ち目はないだろう」
真也の言う通り、見てから攻撃を捌けるということは反射神経で完全に負けているということで、池田主将に何らかの技がない限り勝ち目はなさそうだった。
「悟志」
「ああ」
僕の呼びかけに頷いた悟志は走ってその場を離れる。
その間にも校庭では事態が推移していた。
「なめるなっ!」
一声吠えた池田は、木刀の柄頭を左手をつかんでいる鉄パイプ男の指に叩きつけた。
結構えげつない真似をする。
「ぐあっ!?」
さすがに効いたらしく、悲鳴をあげて腕を離す鉄パイプ男。
すかさず池田は木刀を両手持ちして、全力でその頭へと振り抜いた。
今度こそ木刀は鉄パイプ男の頭に命中して鈍い音を響かせた。
手加減も何もない、完全に相手の命への配慮がない一撃。
「やってくれるじゃねえか」
頭から流れ出た血で朱に染まった顔。
気絶はおろか、当たりどころが悪ければ死んでいてもおかしくない一撃を受けた男は、その流血以外何事もなかったかのように顔を上げた。
「な……っ」
あまりの出来事にまたしても池田の動きが止まる。
今度は不良たちはそれを見逃してはくれなかった。
鉄パイプが右腕へ。
木刀が左腕へ。
鎖が右足へ。
金属バットが左足へ。
それぞれ振り下ろされた。