余話其の四
ご感想ありがとうございます。
励みになります。
そして済みません、あと一話では終わりませんでした。
もう一話続きます。
黒峰にも頼めればなお良いんだが、さすがに初対面の相手に何か頼めるほど俺の神経は図太くない。
「ただ他の奴らにゃ聞かれたくねえんでな。場所を移していいか?」
そこまでは良かったが、場所を移そうとして俺はぎょっと目を剥いた。
どこへ行こうとしても、ぞろぞろとついて来る奴らが想定より遙かに多かったのだ。
というか、想定を三割としたら実際ついてきたのは九割ほど。
暇か、暇なのか。
どうしたものかと考えていたら、黒峰が小声で鴻野に話しかけるのが聞こえた。
「真也、撒いてくるから先に真昼の月亭に行っといて」
真昼の月亭とは裏門から出て細い路地を少し入ったところにある、あまり大学生が入らない喫茶店だ。
オムライスが美味い知る人ぞ知る名店だ。
俺もたまに利用しているのだが、さらっとその名前が出てくるところを見ると、黒峰も結構利用しているのかもしれない。
「大丈夫か?」
「ま、砂城先輩も一緒だし」
「だから大丈夫か?」
「おい鴻野、どういう意味だそれは」
「さっきもちゃっかり近寄ろうとしていただろ」
「ぬう」
言い合いは砂城の負けのようだったが、それよりも問題はこのついてくる大人数だ。
黒峰と俺たちが別れれば当然黒峰の方についていくだろうが、どうやってこれを撒く気だろうか。
「それじゃ、後で」
さらっとそう言った彼女が正門から出て行くと、まるでハーメルンの笛吹き男かなにかのように、その後ろをぞろぞろと男どもが付いて出て行った。
実にシュールな光景だ。
「よし、今のうちだな。行くぞ、阿多野」
「あ、ああ」
黒峰たちとは反対の方角へと大学の敷地内を横断し、裏門から出て真昼の月亭へと向かう。
「ずいぶんと肝が据わってんだな、おまえの幼馴染み」
「ああ。小さい頃から何一つ敵わない相手だよ」
「剣はおろか家事でも料理でもまだ勝てたことないですしね……」
たまに鴻野が茨木お手製の弁当を持ってくる。
それを見て周囲が血の涙を流しているのを余所に味見させて貰ったところ、実に美味く出来ていて感心したのだが、どうやら黒峰の方が上らしい。
というかそれはいわゆる完璧超人という奴ではなかろうか。
「でもしっかりしてますけど、その割にほっとけないんですよね」
「ああ、それは分かる。いつも何かトラブル抱えてるし」
「でもそのトラブルでまた一歩先に進んじゃいますし……」
「うかうかしているととんでもなく先に行くしなぁ、あいつ」
距離が縮まったと感じたことはあっても、追いつけたと思ったことは一度も無い、と高スペックカップルがため息をつきながら口を揃えて言う。
どんだけスペック高いんだよ。
「まあ俺が用があるのは茨木だから、彼女たちがいなくても別に問題は……」
黄色い扉を開くと、ドアベルがからんと音を鳴らす。
「こっちこっち」
思わず二度見した。
さっき正門から出て行ったはずの黒峰と砂城が、そろってテーブルに着いていたからだ。
その異常な光景に動揺すら見せず、鴻野が軽く声を掛ける。
「早かったな」
「ま、まあな……手加減抜きで俺は死ぬかと思ったが……」
激しく息を切らせてテーブルに突っ伏している砂城とは対照的に、黒峰はけろりとした顔だ。
さすがに三メートル離れるのはこういう場所では難しいのか、対面に腰掛けることで代用している様子だ。
彼女の隣には茨木が座り、俺と鴻野は砂城の隣に座る。
「まさか走ってきた……とか?」
「うん」
あっさりと頷かれた。
いやいや待て待て、俺たちは走っては来なかったとは言え、最短距離で校内を突っ切って来た訳で。
正門から出て行った以上、決して狭いとは言えない大学敷地をフェンス沿いに大回りしてくる必要があったはずだが……。
「まあ、伊織は馬鹿みたいに足が速いからな。小学校の頃から山道を十五キロ以上走って登下校していたらしい」
「そ、そうか……」
つまりは正門から出て行った後、ついてくる奴らを速度でぶっちぎってここに来たということのようだ。
力業すぎる。
「それじゃ、話を聞こうか」
席についておのおの好きなものを注文した後で、鴻野がそう切り出した。
もちろん否やがあるはずもない。
「話ってのは他でもない。俺の彼女についてなんだが」
「確か変わった名前だったよな、おまえの彼女」
「硲悠理って名前だ。いい名前だろ?」
「ああ、本当にべったりだね」
たちまちやに下がった俺に、チョコレートパフェをつつきながら黒峰が納得したように頷いていた。
男どもはコーヒーだけだが、茨木の前にはケーキが鎮座ましましている。
そういえば悠理も甘いものには目が無く、こういう場所に来たらほぼ確実にチーズケーキを頼んでいた。
やはり女は甘味に弱いということだろうか。
いや、そんなことよりも話を続けなければ。
「ごほん、それはともかく、その彼女が最近様子がおかしいんだよ。えらく避けられてる」
「単に嫌われたのではないのか?」
縁起でも無いことを言う砂城。
おまえに言われたくねえ。
「そいつはねえよ。悠理は嫌なことは嫌ってはっきり言う女だ。俺が嫌いになったならこんな回りくどいことしないでばっさりやってる」
「ふむ、なるほど」
「なんで僕の方見るのかな。はっきり言った方がいい?」
「冗談だ。頼むからやめてくれ」
ただ、言葉こそキツいものの、見た感じ黒峰は砂城をそう嫌っている印象ではない。
やはりさっき密かに喜んでいた奴らの冥福を祈った方が良さそうだ。
「んでもって変な噂も流れてんだ」
「変な噂?」
「ああ。悠理が男を病院送りにしたって噂だ」
「強いの? その悠理さん」
黒峰の疑問に俺は首を横に振る。
「気は強ぇし力は結構あるけどな。男を病院送りにできるような腕は持っちゃいねえ」
「ふうん……」
少し何か考え込んだ黒峰だったが、すぐに顔を上げた。
「それで、清奈に何をやって欲しいの?」
「出来れば少し様子を見て欲しい。男に頼む気にはなんねえし、かと言ってそのへんの女の子に頼むのもちょっとマズい気がすんだよ」
「成る程な。確かにちょっときな臭い」
鴻野が頷く。
別の男が自分の彼女に危険かもしれないことを頼もうとしているんだから多少は怒ってもいいとは思うんだが、暢気なのかよほど彼女のことを信頼しているのか。
「じゃあ僕が清奈と一緒に見てみるよ」
「伊織さん?」
そう言い出した黒峰に、茨木が訝しげな声を上げる。
俺としちゃ願っても無い話だが、確かになぜ黒峰が自分からそう言い出したのか。
「ちょっと気になることがあって」
「黒峰が気になる、か」
何か心当たりでもあるのか、砂城が顎に手を当てて少し考え込む。
そういう仕草がいちいち様になっているあたり女にモテそうな奴だが、いかんせん本命にはまったく通じていないところに悲哀を感じる。
「あと、今日誰か悟志と麻衣見た?」
「いや、そう言えば見ていないな。おまえがいることは知ってるはずだが……変だな」
黒峰が口にした名前には聞き覚えがあった。
「悟志って……剣道サークルの今里のことか?」
「ああ。あれも伊織の幼馴染みなんだ」
「ほー。そう言えば水野の彼氏なわけだし、そういう繋がりか」
「二人とも僕の一番最初の友達だよ。剣のライバルは真也が一番最初だけど」
成る程、評判の三美人は三人とも幼馴染みというわけか。
そりゃあ仲が良いはずだ。
「んー、学校にはそれなりの時間いたのに、二人とも顔見せてないのが気になるんだよね」
首を傾げる黒峰に、鴻野が同意するように頷いた。
「ああ。今里の奴がおまえが来ているのに来ないはずがない。何かあったのかもしれないな」
「そういえば……」
何気なく、思い浮かんだことを口にする。
「悠理のやつ、水野と知り合いのようなこと言ってたな」
「……」
俺以外の奴が一斉に水を打ったように静まり返った。
思わぬ反応に、思わず俺の方が挙動不審になる。
「懸念が当たったかもしれんな」
砂城の言葉が終わらないうちに、黒峰が席から勢いよく立ち上がる。
「先に行く。悟志か麻衣を見かけたら連絡お願い」
そう言うなり袴の裾を手早く絡げる黒峰。
真っ白なふくらはぎが露わになって思わず凝視しそうになったが、砂城方面から殺気が吹き付けてきたのでどうにか目を逸らす。
いやあ、心に決めた相手がいるってのに、我ながら男ってのはつくづくアホである。
凄い勢いで店を出て行く黒峰を見送ってから、鴻野たちも立ち上がった。
「よし、俺たちも行こう」
「……追わなくていいのか?」
普通、こういうときは黒峰を追っていくものだと思ったが。
特に砂城はそうするだろうと思ったのだが、どこか諦念を浮かべた顔で伝票を手にしている。
「本気出した伊織さんには追いつけませんから」
やはり諦めたような顔の茨木。
確かにここに先回りしていたことを考えると、尋常な足の速さではないだろうとは思うのだが。
「でもさっき砂城はついて来てたんじゃ?」
「紅矢でも伊織が本気出したらあっさり置いて行かれるぞ」
「つまりここに先回りしたときは手加減抜きではあっても本気じゃなかった?」
「そういうことだ」
会計を済ませながら深く頷く砂城。
実際に見ていないから何とも言えないが、話だけ聞いていると人間の話をしている気がしない。
「だが、無論放っておく気はない。急ぎ学舎に戻るぞ、鴻野」
「ああ」
* * *
「いない……!」
今日は学舎にいるはずだと息を切らせて戻ってきたのだが、とにかく目立つはずの幼馴染みはなかなか見つからなかった。
きょろきょろしていると、背後から軽い声が掛けられた。
「よう水野さん。どったの?」
先ほどまでは掛けられる声をほとんど無視して走っていたのだが、今は情報が欲しい。
振り返ると見知った顔だったので、これ幸いと質問を投げかける。
「水科くん、伊織を見なかった?」
水科裕二は伊織の高校の頃のクラスメイトで、彼女と一緒にいた私をナンパしたこともあるちょっと面白い人だ。
もちろん、ナンパの結果は私が誰を好きか知っている伊織に一刀両断にされて終わりだったけれど。
「黒峰? 確かに今日来てるって話だったけど、さっき学内からは出てったって話だよ。久しぶりにご尊顔を拝したかったんだけどなー。まあ今水野さんと会えたからいっか」
「ありがとう!」
「あ、ちょっと!?」
悪いけれど呼び止める水科くんは無視して走り出す。
多分、学内だと人だかりでゆっくり話せないから学外に出たんだろう。
なら、行く場所は真昼の月亭だと思われる。
私たちと会うときにも、伊織がよく使っている場所だからだ。
息はとっくに上がっているけれど、体はまだ動く。
悟志と少しでも一緒にいたいという不純な動機だったけれど、こういう時は剣道で鍛えていたことに感謝する。
裏門に向かってひた走る。
と、向かう先からまさに殺到とでも言うべき勢いで、桜色の何かが急速に近づいてくるのが目に入った。
鬼気迫る形相と常識外れの速度のその人物は、周囲の驚く顔を余所にあっという間に私の前に到達した。
「伊織……!」
「麻衣、何があったの!?」
伊織は私たちを探していたようだった。
滅多にしない裾絡げをしているところを見ると、随分と急いできたみたいだ。
なぜそうしたのかは分からないが、今はただありがたい。
「悟志が……!」
息が上がっていてなかなか言葉が続かない。
けれど、頼もしい幼馴染みはそれだけで私の言いたいことを理解してくれた。
「どっち!?」
その質問に言葉はいらなかった。
私が来た方向を指さすと、伊織は一つ頷いて私を軽々と抱え上げる。
普通の女性よりも力があることは知っていたけれど、昔より随分と力強くなっているんじゃないだろうか。
「急ぐよ。道案内お願い!」
周囲に人もいる状態でお姫様抱っこで抱えられるのは、普段なら気恥ずかしいものがあるが、今はそれどころではない。
私にも焦りがあるが、事情を話してもいないのに、伊織の顔にも滅多に見せない焦りが浮かんでいる。
今起こっている事態は、私たちの知らない伊織にとっての事情なのかもしれない。
走り出した伊織から振り落とされないよう、しがみつく腕に力を込める。
「次の角を、左」
「分かった!」
決して軽くはない(重いつもりもないけれど)人間一人を抱えた伊織だが、それでも私には信じられないほどの速度で周囲の景色が流れていく。
「それで、何があったの? やっぱり硲さん絡み?」
私を抱えてそれだけの速さで走りながらも、大して息も切らさずに質問してくる伊織。
悠理さんの名前が出てきたということは、やっぱり何かを知っているようだ。
「うん。悠理さんを三人の男が襲ってきて、それを放っておけなくて。悟志に伊織を呼んで貰おうと思ったんだけど、その暇が無くて」
「……そっちか」
何かを悟ったようで、苦虫を噛み潰したような顔になる伊織。
彼女がそんな顔をするのはとても珍しい。
「それで、どうにか呼べた悟志と硲さんが三人を食い止めてるってことで、あってる?」
「うん。あ、そこを右」
まるきり速度を落とさずに路地を曲がる伊織。
誰かがいたら衝突は免れないが、気配に聡い彼女のことだから曲がった先に誰かいるかどうか、あらかじめ分かっているのかもしれない。
悟志たちと別れた場所まであと少しとなったときに、気配を感じたのか伊織の速度がさらに一段と上がった。
もはや私の道案内も必要とせずに、迷い無く雑木林へと駆け込んでいく。
今度こそあと一話です。