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剣人  作者: はむ星
余話
110/113

余話其の弐

 自分が誰かに抱え上げられたのだと理解したのは、悠理さんの姿が急速に遠ざかり始めてからだった。


『麻衣か? どうした?』


 手にした携帯から悟志の声が流れ出る。


「悟志、商店街で……!」

「黙れ」


 手から携帯がはたき落とされ、反射的にそれを拾おうと身をよじる。


「じっとしてろ!」


 苛立った男の声がしたかと思うと、私の鳩尾に強い衝撃が走る。

 肘による遠慮無しの一撃に、声どころか呼吸が出来ずに思わず身体をくの字に曲げる。

 それでもどうにか自分を抱えている男の顔を見ると、先ほど追ってきていた三人のうちの黒いジャケットの男だった。

 周囲でこちらの様子を窺っていたのは分かっていたけれど、まさかこんな強硬手段に出てくるなんて。


「おい、あまり手荒にするなよ。斬るにしても関係を聞いてからだ」

「チッ、分かってるよ」


 三人の男たちは私を抱えて裏路地へと駆け込む。

 商店街での出来事だけに目撃者は多いはずだが、振り切れば問題無いと思っているのか。

 そして男たちに対して人攫いとでも叫べば周囲を巻き込めるのに、悠理さんはなぜかそうせずに、ただ一人で追いかけて来ていた。


 悟志に連絡をつけて、学校に来ているはずの伊織を連れてきて貰えばどうにかなったのに、油断した自分が恨めしい。

 救いがあるとすれば、こちらに何らかの異常があったことと、その場所が悟志に伝わったことだろうか。


 黒ジャケットは私を抱えているにも関わらず、残りの二人に遅れずに走って行く。

 刀を遣うだけあって鍛えているのだろう。


「この辺でいいか」


 先頭を走っていた白帽子がそうつぶやいたのは、人気ひとけの無い雑木林の中だった。

 それまでにどうにか呼吸を整えて逃げる隙を窺っていた私は、荷物のように放り出された瞬間に走りだそうとしたのだが、一瞬で動けなくなった。


「余計なことは考えるな。手足を飛ばされたくなければじっとしてろ」


 黒ジャケットの低い怒気の籠もった声にも、そちらを向くことすら出来ない。

 またいつの間に取り出したのか、私の目の前に刀の鋒が突きつけられていた。

 その鈍い輝きは、それが偽物などではなく容易に人の命を奪う武器なのだと主張しているかのよう。


「その娘は関係ない。さっさと解放して!」


 追いついてきた悠理さんが、息を切らせながらもそう叫ぶ。


「そうは行かん。どんな関係かも分かっておらんし、それに」


 ぬたり、と黒ジャケットが醜い笑みを浮かべ、ことさらに私に突きつけた刀を強調するように振ってみせる。


これ・・は貴様には良く効きそうだ。動くなよ。死なせたくないのならな」


 黒ジャケットの言葉に悠理さんは、ギリ、と歯を鳴らしたが、動く気配はない。


「そおら!」


 前に進み出た赤コートが、手にした刀の鋒を悠理さんの右肩へと突き立てる。


「ぐうっ!」

「悠理さん!」


 思わず駆け寄ろうとした私の首筋に、黒ジャケットの刀が強く押しつけられる。

 薄く肌が切れ、血がうっすらとにじみ出るのを感じた。


「じっとしてろって言っただろう。手足の一本も飛ばされなきゃわかんねえか?」


 苛立った声を出す男は、私が次動けば言った通りにするだろう。

 何者であるにせよ、まともだとはとても思えない。


「大人しくしてて、麻衣」


 肩口から血を流し、痛みに脂汗を浮かべた悠理さんはそう言うが、それに従えるわけもない。


「何でこんなことをするの。悠理さんが何をしたっていうのよ!」

「きじんは滅ぼさねばならん」

「きじん?」


 耳慣れない単語におもわず鸚鵡返しする。

 それを遮るように、悠理さんが首を横に振る。


「麻衣は知らなくていいわ。私だって、お婆ちゃんから聞いたっきり忘れてた古いことよ。まさか、今になって……」

「ふん、この程度で息を切らせている貴様が完全なきじんとは限らんがな。まだ生成りと言ったところか?」

「だが未熟だろうが、きじんは滅ぼさねばならぬ」

「そう、一人残らずだ。新参者の村正などの言いなりにはならぬ」


 私には理解出来ないことを口々に言い、男たちは悠理さんへと視線を集中する。

 獲物をほぼ手中にした今、さっきまでは殺気だけだったそれには、異なるものが混じり込んでいる感じがした。


「抵抗はしないわ。だから、その娘は解放してあげて」

「ほーう?」


 赤コートがにやにや笑いながら何かを問いかけるように残る二人へと視線をやると、彼らもまた同じような嫌らしい笑みを浮かべて頷いた。


「ならそこで服を脱いでもらおうか」

「な……」


 あまりに予想外の要求に、悠理さんと、私も思わず絶句する。


「正義の行いというのも肩が凝るものでな。たまには気晴らしも必要だと思うのだよ」

「きじんなど如何様に扱ったところで問題無いからな。死ぬ前に楽しませてやろうという心遣いだぞ?」

「まあ、やらずとも一向に構わん。この娘、知り合いなのだろう? 貴様と同じく、きじんである可能性も除外できん」


 刀を突き付けたまま、黒ジャケットの男が私に体を寄せてくる。


「ならば取り調べる必要がある。そうだろう?」


 鈍い痛み。

 男の手が私の胸を乱暴に鷲掴みにしたと理解した瞬間に、刀を突き付けられている恐怖よりも怒りが上回った。


 黒ジャケットは左手で刀を持って私に突き付けながら、右手で胸を掴んでいる。

 両手で構えた刀を奪うのは無刀取りの達人でもないと不可能だろうけれど、片手で持っているのなら柄を捻ってやれば奪い取れる。

 刃が掠って傷が付くことなんかより、ただ一人のために磨いてきた体を無遠慮に触られる方が耐え難い。

 両手を伸ばす。

 その動きで頬に切り傷が出来たようだったが、頭に血がのぼっているせいか気にならない。

 無視して柄頭と鍔を掴んで捻る。


「てめえっ!?」


 まさか私が反撃するなんて思ってもいなかったのだろう。

 私だってするつもりなんて無かったんだけれど、もう止まれない。

 男の手から刀を奪い取った私は、その峰を返して男の顔面に叩き付けた。


「メェェェン!!」

「ぐあっ!?」


 手に重い衝撃。

 竹刀とは比べものにならない重さを持ち、そしてしならない真剣では峰打ちによる手首への負担は段違い。

 伊織に何度か真剣を持たされて分かっていたから刀を落としはしなかったけど、もう一度同じことをしたら刀を落としてしまうだろう。


「麻衣!?」


 歯を食いしばって痛みに耐えながら、悠理さんの方へと駆け寄る。

 振り返ると、白帽子と赤コートの男に笑われながらも、黒ジャケットの男がふらふらと立ち上がるところだった。


「油断が過ぎるんじゃないか? 素人に刀を奪われるなんて、けんじんの風上にも置けんな」

「うるぜえよ。ずこじ油断じただけだろ」


 鼻が潰れたのか、血が流れ出るそれを左手で押さえた黒ジャケットが、私を殺気混じりの目で睨む。


「おがじでごろじでやる……!」

「あんまり油断は出来んな。見たところこの女、少しはできるようだぞ」

「とはいえ、我らに比べれば所詮はままごとレベルだが」


 白帽子と赤コートがじりじりと私たちの方へと間合いを詰めてくる。


「……ごめん、麻衣。巻き込んで」


 もはや男たちが私を見逃す可能性が無くなったと見たのか、肩を落とした悠理さんがそんなことを言う。


「ううん。それに、私は諦めてない」


 諦めたのなら、刀なんて手にはしていない。

 私では勝てないだろう。

 でも、少しでも粘ってみせる。


「悠理さんも、諦めないで。好きな人を裏切らないために」


 はっとしたように悠理さんは私を見たが、すぐにうつむいてしまう。


「でも、私は、もう……」

「心が、裏切ったの?」


 油断せず、前を見ながら私は問う。


「もし、私はここでどんな目に遭ったとしても、何をしたとしても、心は裏切らない。だから、やれるだけのことをやるわ。悟志の前で胸を張るために」


 力及ぶ限りのことをして、それで例え届かなかったとしても、私は悟志のために限界まで戦ったのだと、そう言えるように。

 それを汲めないような男を好きになった覚えはない。


「だから、悠理さんも」

「……そうね」


 苦笑したらしい悠理さんは、ようやく顔をあげて私の横に並んでくれた。


「私はもう、守には会えないかもしれない」


 隠していることは、本当に阿多野先輩に知られたくないんだろう。

 だから、追われているときも一人で逃げ、私を助けようとしたときも一人でそうしようとした。


「でも、心を裏切るわけには行かないわね」

「無駄な足掻きだ」


 男たちがせせら笑いながら、私たちを逃すまいと取り囲む。


「悠理さん、黒ジャケットの男を!」

「分かったわ!」


 刀を持っていない悠理さんでは、白帽子と赤コートの相手は出来ない。

 必然的に刀を持たない黒ジャケットの相手をしてもらうことになる。


「ぐぞっ!」


 素手で悠理さんと組み合うのを嫌ったか、下がる黒ジャケットに合わせて私たちも押し込んでいく。


「おい、下がるな、逃げられるだろうが!」

「ばが言うな。ぎじんとずででだだがえるわげねえだろうが」

「ち、つくづく使えん……!」


 舌打ちした白帽子が急速に間合いを詰めてきて刀を振るう。

 あからさまに刀を落とす狙いのそれをどうにか受けるも、手首に鈍い痛みが走る。


「ははっ、さっきので手を痛めたか?」


 それを目敏く見て取ったのか、続けて赤コートがわざと衝撃を与えるように、峰を返してこちらの刀の物打ちへと叩き付けてきた。


「あうっ!?」


 何とか取り落とすまいと一度は耐えたが、続く二度目の衝撃に私の腕は耐えられなかった。

 手首から肘にまで電流のような痺れが走って、私はたまらず刀を取り落とす。


「終わりだな……!」


 勝ち誇る赤コート。

 でも、私の粘り勝ちだ。


「なっ!?」


 慌ててその場を飛び退く赤コート。

 直前まで男の居た場所の空気を、背後から何かが鋭く切り裂く。


「何が終わりなんだ?」

「悟志!」

「今里先輩……!?」


 練習に使う木刀を構えた悟志がそこに立っていた。

 新手の出現に、赤コートはもちろん白帽子も私への追撃をやめて向き直る。


「無事だな? 麻衣」

「うん……!」


 うん、信じてた。

 粘っていれば必ず助けに来てくれるって。

 商店街という場所しか伝えられなかったけれど、悟志ならきっとなんとかしてくれるって。


 ずっと走ってきたのだろう。

 乱れた息を整えながら、悟志は三人の男と睨み合う。


「ち……邪魔をするな!」

「何モンだよおまえら。その刀、模擬刀じゃねえよな?」


 その問いかけに、男たちは今度は悟志へと鋒を向ける。


「へえ、そうかい。そんなに後ろ暗いことしてるってわけだ」

「何を……! 我らの崇高なる信念を知りもしない奴が!」


 悟志の言葉に激昂した白帽子が叫ぶが、それは悟志に何の感銘も与えなかったようだった。


「崇高な信念? 言っとくがな、そこの麻衣はよっぽどのことが無い限り、人様に刀なんて向けねえ」


 木刀で自分の肩をとんとんと叩きながらそう言った悟志は、直後にその雰囲気をがらりと変えて男たちを睨む。


「てめえら、あいつに何をした……? その崇高な信念とやらで、罪も無い女に何をしようとしたんだよ……!」

「く……っ!?」


 悟志から噴き出す怒気に、男たちは気圧されたようだった。


「麻衣、あなた先輩を巻き込んだの!?」

「それは違うぜ、硲」


 私が答えるよりも早く、悟志が口を挟む。


「俺なら何とか出来ると思って呼んだんだ、麻衣は。だから何とかしてみせる」

「けんじんでもない奴が、我らに敵うはずがあるか!」


 不用意に斬りかかってきた白帽子の刀を受け流し、悟志は返す刀でがら空きになった肩口へと木刀をたたき込む。


「っらあっ!!」

「ぐわっ!?」


 古流剣術を遣う伊織の稽古を長年受けてきた悟志の動きは、普通の剣道家のそれとは少し異なる。

 試合でやることはないが、面、胴、小手以外でも有効だと思えば平気で狙うのだ。

 恐らく今の一撃で、白帽子の鎖骨は折れただろう。


「麻衣、伊織を呼んでこい! それまで持ち堪える!」

「うん!」


 踵を返して走り出す。


「行がぜるがよ!」


 手を広げて立ち塞がろうとした黒ジャケットは、悠理さんが殴りかかったことで慌てて跳び退る。


「行って麻衣! こっちは、私が!」

「ありがとう、悠理さん!」


 あの二人より悟志が弱いなんて思わない。

 けれど、二人いるというのはやはり負担が大きい。

 悟志が持ち堪えられているうちに伊織を探し出さないと。

 私は足に力を込めた。

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