余話其の壱
ご感想ありがとうございます。
さすがに同じことはしたくなかったのかと思います。
まあ、殺してれば相手にとっては変わらないようなものでしょうけれども。
私、水野麻衣には幼馴染みと呼べる人が二人いる。
ひとりは同性で同い年の黒峰伊織。
彼女はとても強く、美人で、それでいて気立てが良い。
本人はそう思っていないことを知っているけれど、私からすればそれこそスーパーマンのような人だと言える。
私の命の恩人であり、一方的な恋敵でもあった。
そして今でも良き友人でもある。
もうひとりは異性で年上の今里悟志。
何も見ていないようでいて実は注意深く、がさつなように見せていて繊細なくらいに気配りをする。
悟志お兄ちゃんと呼んでいた頃の昔から、ずっと好きな人。
今では幸せなことに、恋人と言える関係になっている。
ただ、距離が近くなった分、そんな彼は私の異常にはすぐに気づいてしまう。
「どうしたんだ、麻衣」
今もまた、大学の食堂でお昼ご飯を一緒に食べていたときにそう言って顔を覗き込んできた。
問いかけではあるものの、確信を持っている目が私を見る。
「何でも無い……って言っても納得しない、よね?」
「当たり前だろ。何回ため息ついたんだよ、今日」
「あはは……」
こっそりと見えないところでついてたつもりだったんだけど、お見通しだったらしい。
そうは言っても、これを悟志おにい……悟志に伝えていいものか。
いつもなら迷わず伝えて彼の判断を仰ぐんだけれど、今回のこれは普通とは言い難い。
他の人が相手なら、そもそも口にした時点で正気を疑われてしまうだろう。
「えっとね……」
それでも私は口を開いた。
私ひとりで抱え込んでいても悟志を心配させるだけで益が無い。
それよりも、信じ難い出来事でも悟志と共有して、どう思うかを聞きたかった。
「私と同じ学年の、硲悠理って人、知ってる?」
「ああ、居合サークルの奴の彼女だったっけ」
聞いといてなんだけど、なぜ知ってるんだろうか。
大学にはかなりの人がいるから、違う学部や学年の子なんて知らない方が普通だ。
「割と有名人なんだよ、彼氏の方が。よく鴻野の奴が話してる」
疑問が顔に出ていたのか、悟志が頬を掻きながらそうフォローする。
「いつも彼女自慢しているから、それに付き合うのが鴻野くらいしかいないらしくてな……」
なかなかに恥ずかしい人のようだけど、悟志も少しはそういうことをしてくれてもいいのに。
まあ、確かに鴻野先輩なら清奈という素敵な彼女がいるから、惚気られても問題無いかもしれない。
「俺が知っているのはそのせいだけど、逆になんで麻衣が知ってんだ? 学年違うだろ」
悠理さんは大学二年生で、悟志からすれば後輩だけど、私からすれば先輩にあたる。
違う学年なんだから、私とも接点は普通はない。
サークルは私と悟志は同じ剣道なんだから、そこが接点ならそもそも知っているかなんて聞いたりしないし。
「うん、知り合ったのはたまたまなんだけど」
私がひとりで買い物をしていて、たまたましつこいナンパに絡まれた時に助けてくれたのが悠理さんだった。
そう言うと悟志は少し不機嫌そうになった。
「すぐ俺を呼べよ。伊織とかとは違うぞ」
「うん、分かってるよ、悟志」
その様子に、私の方は少し嬉しくなる。
ちなみに伊織と違う、というのは彼女はつい最近まで携帯電話とかをまったく持っていなくて、連絡を取ろうにも取れなかったからだ。
悟志と私は高校からは携帯電話を持って、お互いに番号は交換済みである。
実家の三隅村では相変わらず電波は入らないけれど、二人とも今はこちらでひとり暮らしをしているから問題は無い。
「そうしようと思ったんだけど、それより先に悠理さんの方が来てくれて。殴りかかってきた男とかあっさりいなしちゃって凄かったのよ。でも武道はやってないんだって」
「へえ?」
私だって剣道をやっているから、ある程度は心得がある。
悟志だったら彼女と同じことが出来るだろうけど、あのときの悠理さんの動きは、私では力が足りなくて無理だ。
「そこから仲良くなって、一緒にお買い物行ったりとか、お茶したりとかしてたの。彼氏の惚気話もよく聞かされたけど」
でも実はそれはお互い様だったりするので問題はない。
ちなみに彼氏の名前が阿多野守という先輩だということはその時に聞いた。
いつも彼女自慢していることは知らなかったけど。
「そっか。それで?」
「えっと、悠理さん、最近は大学に来なくなってたんだけど、昨日、姿を見かけたの」
「大学に来なくなってた?」
「うん。心配だったからアパートにも行ってみたんだけど、留守で。それで昨日見かけたときに声を掛けようと思って後をついて行ったのね。そしたら、今度は彼女自身がナンパされてたんだけど……」
声を潜めて悟志に顔を近づける。
食堂は喧噪に包まれているからあまり他の人に聞かれる心配はないけれど、万が一を考えると大きな声で話すわけにもいかない。
「別に普通のナンパだったのに、彼女、その男たちを手酷く叩きのめしちゃって。慌てて声を掛けたら私を見て逃げちゃったの。そんなことする人じゃなかったのに」
「それだけなら、麻衣もそんなに深刻にならねえだろ。他に何があった?」
やはり悟志は色々とお見通しだ。
「うん。その時の彼女の様子が少しおかしくて。叩きのめしている間、ずっと笑顔を浮かべてたわ。それに……」
「それに?」
「見間違いかもしれないけど、彼女、片手で男の人を振り回してたように見えたの」
それは、どう見ても普通の女性の骨格しか持たない悠理さんに可能な芸当ではない。
「ふうん……」
顔を離して腕を組み、真面目な顔で考え込む悟志だったが、真面目な顔は一秒後に崩れてしまった。
「よう今里、食堂でいちゃこらすんんじゃねーぞこら!」
悟志の後ろから後頭部をどついてきたのは、同じ剣道サークルの、悟志と同級の先輩だった。
「いちゃこらとかしてねえわド阿呆! 真面目な話してんだよ!」
「麻衣ちゃんと真面目な話……そうか、おまえとうとう」
「よし、てめえ表出ろ」
「おお、おっかねえ」
逃げていく友人を椅子から立ち上がった状態で、憤懣やるかたない様子で見送った悟志は、どっかりと座り込んで頭を掻いた。
「麻衣、おまえそれにはもう関わるな」
そう言って顔を上げた悟志は真剣な表情をしていた。
彼がこの顔で言うってことは、本当にそうした方が良いと思ってるってことだ。
「でも……」
友人を放ってはおけない。
そう言おうとした私を制するように、悟志は手で私を押しとどめた。
「分かってる。幸い、明日、あいつが来るだろ」
「あ……!」
「まあ、何でもあいつに負担掛けるのもどうかとは思うけど、相談しない方が怒られそうだしな」
「でも、なんで伊織に? 頼りになるのは分かってるけど」
もうひとりの幼馴染み、黒峰伊織はずっと忙しそうで、大学に入学してからはほとんど姿を見ていない。
その彼女が明日、大学に出てくるという連絡を、私も悟志も受けていた。
「まあ、それについては俺も確証があるわけじゃねえし、あいつに突っ込んで聞くべきことでもねえよ」
伊織にはどこか、私たちとは別の世界で生きているような雰囲気がある。
浮世離れしている彼女だし、基本的に剣術バカなので元々そういう空気は纏っているんだけど。
私にはおぼろげな感覚だけれど、悟志はもっと直接的にそれを感じているんだと思う。
その悟志がこれを彼女に相談すべきだと思うなら、私はその直感を尊重するだけだ。
「ん、悟志がそう言うなら」
「悪ィな。心配だろうに」
「ううん。心配してくれてありがと」
「おう」
赤くなって視線を合わせない悟志に思わず抱きつきたくなったが、ここは食堂、公衆の面前なのでさすがに思いとどまる。
「それにしても、伊織と会うのも久しぶりな気がするね」
「そうだな。あいつ高校一年の夏からこっち、ずっと忙しそうだしな……」
それはさっきのことが理由であることは簡単に推測できる。
でも、伊織はなぜ忙しいのか、私たちに一言も話してくれたことがない。
それは私たちには言わない方が良いことだと、彼女が考えている表れに他ならない。
「何にせよ明日だ。それまで慎重に行くぞ、麻衣」
「うん!」
* * *
と悟志と約束したはずなんだけど、今、私は悠理さんと一緒に必死に走っていた。
「なんでついて来たのよ! あいつらの狙いは私だから、あなたが一緒にくる必要なかったのよ、麻衣!」
「だって、ほっといたらあの人たち、悠理さんを……!」
そもそも追いかけてきている人たちがヤバい。
赤いコートの男、白い帽子の男、そして黒いジャケットの男の計三人。
数はまだいいとして、今はどこかに仕舞い込んでいるようだけど、さっきまで日本刀を持っていたのだ。
伊織に何回か間近で見せてもらったから分かるけど、あれは全部本物だと思う。
「だからマズいんじゃない! 何わざわざ巻き込まれに来てるわけ!?」
「一緒にいたら、少しは躊躇するかなぁ、って……」
「そんな生易しい相手じゃないわよ!」
「ですよねー!」
後ろからはいわゆる殺気というものが感じられる。
なんでそんなものが分かるかというと、伊織との剣の稽古に依るところが大きい。
いつまで経っても試合の場に慣れず、あがってしまっては実力を発揮できずに負けていた私に業を煮やした悟志が、彼女に稽古の依頼をしたのだ。
私の人生であれほど恐ろしい目に遭ったのは、幼い頃に熊に襲われた時以来二度目で、恐らく一生忘れることはないだろう。
それ以来結構度胸がついたし、人の気配にも敏感になった。
その時に伊織の発していた気配に比べればまだしもマシではあるが、より深刻なのは彼女と違って今度の相手は本気だろうと思われることだ。
捕まれば命の無い鬼ごっこは人生二度目だが、一度目は助けてくれる人がいた。
今回はいないんだから本気で逃げるしかない。
「こっち!」
なぜか裏路地ばかり走ろうとする悠理さんの腕をつかんで大通りに出る。
このあたりは商店街だったはず。
狙い通り人がたくさんいる道に出た途端、追っ手の姿が見えなくなる。
やはり人がいる場所で事には及びにくいのだろう。
「あいつら、別にいなくなったりしてないわよ。単にここじゃ襲ってこないだけ。今のうちに私から離れて」
不機嫌そうではあるが、こうして見ると悠理さんはいつもの悠理さんだ。
「もう関係者認定されたと思うわ」
「だからついてくるなって言ったのに」
私の言葉にますます不機嫌になる悠理さん。
でも、私だってここで引っ込むくらいなら最初から関わってない。
「それより、どうしてこんなことになってるの?」
「……」
そう聞いた途端に、悠理さんは顔を暗くして口をつぐむ。
「もう、関わらないで。こうなったのも自業自得なんだし」
「……ナンパした人たちに暴力を振るったこと?」
「まあ、ね」
それがすべてではないようで、私から目を逸らす悠理さん。
彼女が口にしようとしないそれは、伊織が私たちに決して言わないことと同じなんだろう。
なら、それに関してこれ以上聞いても答えは返ってこない。
だから別のことを聞くことにした。
「阿多野先輩は知ってるの?」
途端に顔色を変える悠理さんに、私はすぐに答えを悟った。
「知らないのね」
「……彼に言ったら、あなたでも許さないわよ、麻衣」
低い声に鋭い眼光。
でも声が震えている。
それはきっと。
「彼に知られたくない?」
悠理さんを取り巻く状況は、思っていたよりも複雑なようだ。
今まで聞いた話から思い浮かぶ阿多野先輩像なら、悠理さんが何を言おうと、お構いなしに彼女を救おうと関わってくるだろうと思われる。
でもそれよりも悠理さんは、そうなることによって彼に今の自分を知られることをこそ恐れている。
そんな気がした。
「……あなた、何を知っているの」
殺気すらも混じった声に怖じ気づかずに済んだのは。
「何も知らないわ。知ってるのは、悠理さんが困ってることと、私がそれを放っておけないってこと。それと」
親友の顔を思い浮かべる。
彼女がここにいれば、きっと悠理さんをも救うことが出来るだろう。
「何とか出来そうな人に心当たりがあるの。とにかく、人通りの多いところから離れないようにして連絡を……」
生憎、伊織の携帯番号は知らない。
最近持ったとかで、今日教えて貰う予定だったのだ。
携帯の悟志直通の短縮ボタンを押したときに、私の身体が宙に浮いた。
「え」
「麻衣っ!」
なぜかアクセス数が上がっててびっくりしました。
読んで頂いてありがとうございます。
あと2話か3話ほど余話が続きます。
お付き合いのほど、よろしくお願いします。