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剣人  作者: はむ星
青年篇
106/113

69

遅くなりました。

あと1話か2話で完結します。

 無想の太刀。

 それは武における極北であり、お師さんほどの武人にして一生を懸けて追い求めたもの。

 曰く、すべての雑念を捨て心を澄み渡らせる悟りの境地。

 曰く、自然と一体化して自我を取り払う埋没の精神。

 いずれも己という存在から発せられる欲、考え、感情、すべてを捨て去る必要がある。

 そんな境地に簡単に至ることができないことは言うまでもない。


 ただ、想う。


 こと、剣における無念無想とはそれらとは少しだけ異なるのではないか、と。

 何故ならば、無念無想の剣であろうとも相手を倒す・・・・・ことに変わりは無いからだ。

 無念であり無想であり、なおかつそれでも敵を倒すための一刀は、読めず、受けることも出来ない無双の剣であるだろう。


「……」


 上段に構えたまま相対する。

 もはや新良木の目に侮りの光は見えず、油断無く僕を見据えている。

 お師さんであればどうやって己を殺しただろうか。

 それとも別の方法で無想へと至るのだろうか。

 さっきまで気になっていなかった、一刀さんたちと砂城の剣戟の音がやけに大きく聞こえる。

 早く決着をつけてあちらに戻らなければならないのに。


(駄目だ、こんなことでは)


 雑念だらけだ。

 これでは無想の太刀など叶うべくもない。

 さっきは漠然とだが出来ると感じたのだ。

 その感じを思い出せ。


『迷いがあるな』


 何を思ったのか、新良木がそうつぶやいた。

 そう看破したのなら一気呵成に攻めてくれば良いものを、どういうつもりだろうか。


『平蔵が無想の太刀を追っていたのは知っていた。だが私はそれは夢追人の語る与太話と一笑に付した。そして今でもそう思っておる』


 紅仁散を使って若返った人物に対して下す評価ではないと思うが、新良木はリアリストなのだろう。

 無想などという不確かなものは追わず、ただ修練によって得られる実力のみを追い求めた。

 ゆえにこそ、今代の三日月と互角以上に戦えるほどの力を手に入れることが叶った。

 だから今、こうして話し出したのは奇妙に思えた。


『だが……平蔵ならばあるいは、と思ったことも否めぬ。それが実在するならばこの目で見たいという欲求もまた、この身の内に在る』


 飽くなき鍛錬の果てにすら、たどり着くことの無いやもしれぬ遙か遠い境地。

 夢物語と一笑に付しながらも、どこかでその実在を願っていたのだろう。

 新良木もまた剣士ということか。

 八相に構えた新良木から、これまでに無いほど強い圧が発せられる。


『見せてみよ。しからずんば、死、あるのみ』


 ずいと前に出てくる新良木。

 その姿に迷いは微塵も無く、その殺気は僕の命を直接刈り取りに来ているかのようだ。

 今の新良木を相手に、半端な対応は命取り。


(落ち着け……)


 ともすれば早くなる息を強引に調える。

 呼吸と精神は密接に連動しているとお師さんは言っていた。

 息を調えれば、完璧ではなくとも心も落ち着くのだと。


(良く見ろ)


 何は無くとも、まずは相手を良く見て呼吸を読む。

 お師さんに叩き込まれた基本。

 新良木ほどの達人にもなると、その呼吸は非常に読みづらい。

 けれど、だからこそよく注視する必要がある。

 それは視覚だけの話ではない。

 音、空気の動き、いわゆる気配と呼ばれるものすべて、己の五感を総動員して感じ取る。


 かつてお師さんは言った。

 呼吸によってすべてを見透すことが可能であるからこそ、武芸者は己の呼吸を隠す。

 だが、その隠された呼吸ですら一定の条件を満たせば、読むことが可能なのだと。

 それは経験。

 その相手と何度も戦ったのであれば、その呼吸を読むことは不可能ではない。

 人は知らずその呼吸に固有の癖を持つ。

 動き出すタイミング、一度動いてから次に行動を起こすタイミング、それらはその呼吸の癖によって一定のリズムを持つ。

 これを意識してずらすことは可能だが、それは余計なことに己のリソースを割くということでもある。

 よって、乾坤一擲の技を放つ際にはそのようなことをしている暇は無いということだ。

 そして新良木との戦いはこれで二度目となる。

 経験として十分な回数とは言えないが、ぎりぎりまで追い込み、追い込まれ、質としては十二分に高いという自負がある。


 僕はこのとき気づいていなかった。

 己の集中がかつてないほどに高まっていることに。

 やはりお師さんの教えが僕の原点なのだろう。

 それを反芻しているうちに、そんなことにも気づかないほどに深く、深く、剣の理合へと潜っていく。

 今や僕の世界には、新良木と自分の二人しかいなかった。


 そしてそこに達したとき、新良木はすでに僕の目の前。

 八相から一ミリの狂いもなく、僕の肩口へと袈裟斬りに刃を振るって来る。

 上段に構えた僕にそれを受けることは出来ず、絶体絶命と言って良い状況に、それでも僕の心は地に根を生やしたかのように落ち着き払っていた。


『かあああああっ!!』


 お師さんの言葉が脳裏に蘇る。

 僕ほどに視えているのであれば、安仁屋さんほどの人の動きであろうが読めるはずだと。

 そう、僕には今、新良木の動きが読めていた。

 こう動くであろう揺らぎが予め見え、そしてその動きは僕の玉響の力によってスローモーションのようにゆっくりとなっていた。

 僕は上段に構えたまま桜花の柄頭を捻るようにして新良木の刃の腹を叩き、わずかにそれを逸らしながら右足を左に半円を描かせながら引く。

 そうすることによって刃を躱しつつ、無防備な新良木の頭が目の前へと現れた。

 それに何かを思うことはなかった。

 そうしなければならない。

 ただ、必然それだけがそこに在った。


『甘いわ!!』


 振り下ろした刃を地面にそのまま当て、反動で切り戻してきた新良木が、それを迎撃せんと斬り上げる。

 それは想定外の新良木の技。

 躱された場合すらも想定し、次へと繋げるために磨いてきた牙だ。

 けれど、それすらも今の僕には関係無い。

 ただ、刃を振り下ろすのみ。


 軽い動作で振り下ろしたそれは、新良木の体を刃ごと両断していた。

 ゆっくりと崩れ落ちていく新良木。


『まさ、か。これが、無想の太刀、か。防ぐことすらできん、とは……』


 両断された新良木は、どうやって喋っているのかは分からないがまだ意識があるようだった。

 僕はと言えば、まるで我に返ったような感じだ。

 さっきまでの僕が僕じゃなかったかのように感じる。

 もう一度さっきの境地に至れと言われても、どうすれば良いのか見当もつかない。

 それほどに得難い境地だったのだのだろう。

 ともかく、僕はこの難敵に打ち勝ったのだ。

 喜びはあるが、今は疲労が両肩にのしかかって来るのが分かった。

 倒れた新良木へと目を落とす。


『見事。太刀筋を読むことすら、出来なんだ』

「二度目が出来る気は全くしないけどね。そっちの最後の技は?」

『全力を出しながらも、後のフォローが出来るよう、私が考案した。名を『蝉返せみがえし』と付けた』


 刀は傷むがな、と自嘲するように笑う新良木。

 確かに全力で刀を振り下ろし、その勢いを利用して地面に当てて跳ね返すのは、刀は傷むだろう。

 けれど、理には適っている。


「そう。じゃあ、あなたからはそれを貰うよ。迷惑料として」


 正直いらないちょっかいばかり掛けられたのだ。

 技の一つくらいは盗ませてもらおうと思う。

 桜花ならこの技にも耐えられるだろうし。

 そう思ったのだが、新良木にはそれは意外だったようだ。


『私の技を……おまえが継ぐというのか』

「僕は対鬼流伝承者。あなたの剣は継がないけど、優れた技は取り入れたいからね』

『そうか……。遠慮なく、持っていくが、いい。勝者の権利だ』


 異形となった新良木は、普通の鬼人よりも風化が激しいようだった。

 急速に触手の先から塵と化して行く。


『ここまで、か。まあ、おまえが、他の男のものに、なるのを、見るのは……』


 ざあ、と鳴った風が続く新良木の言葉を掻き消し、その塵となった体を吹き払って行った。


『平蔵……』


 最後にそうつぶやいたような気がした。

 それにしても強敵だった。

 本来、僕が勝てるような相手ではなかった。

 いくつかの幸運と、積み上げてきた鍛錬、そして真也たちとの絆があってこそ、勝利できた。

 その絆のひとつを、今から取り戻さなければならない。

 倒れ込んで意識を失いたくなる誘惑に必死に抗いながら、後ろで激しく響いている剣戟の発生源へと振り返る。


 そこで僕の意識は暗転した。


*   *   *


[やあ]


 見覚え(?)のある、何も見えない、何も感じない空間で馴染みのある声が響いた。

 ハチ、なんでまた、今?


[うん? だって今、君困ってるだろ]


 相変わらず口調が軽くて威厳も何もあったものじゃないけれど、どうやら僕を助けてくれるつもりらしいことは分かった。

 確かに、困ってる。

 この体を紅仁散の影響下にある砂城に好きにさせる覚悟はあっても、砂城がそれで助かるとは限らない。

 なにせ紅仁散を飲ませる前に受けた傷は致命傷なのだ。

 体力が持つかどうかはそれこそ賭けになる。


[それと、君がこの勝負に勝利したことで、剣人と鬼人の在り方が僕の理想へと近づくことになった。それに対してお礼もしたいからね]


 まあ、それは連華と鬼神次第でもあるんだけれど。

 道のりは険しくとも道筋だけはついた、といったところだろうか。

 いずれにしても助けてくれるなら有り難い。


[それでも僕に出来ることは限られている。出来るとしたら、君が助けたいと願う彼を、安全に鬼人にすることくらいだけれど]


 うん、それでいい。

 出来れば鬼人にならない方が良かったけれど、死んでしまうよりはよっぽど良い。

 何もかもを望むのは贅沢というものだし。


[分かった。それと、鬼神に伝えて欲しい]


 こんな直接的なことをハチが頼んでくるなんて珍しいこともあったものだ。

 分かった。

 連華が鬼神に会わせてくれることがあれば、伝えておく。


[ありがとう。伝えて欲しいのは――]


 そうして、僕の意識は白い光に包まれた。


*   *   *


「おい、伊織! しっかりしろ!」


 気付くと、真也に抱きかかえられて揺さぶられていた。


「う……あ、砂城先輩は?」

「目を覚ましたか。砂城はなんか前のおまえみたいに動かなくなってる。おまえ、何かしたか?」

「僕が何かしたわけじゃないけど……」


 真也の手を借りて立ち上がる。

 見ると、刀を手に手持ち無沙汰そうな一刀さんの前で、砂城がやはり刀を手に動き出す気配もなく突っ立ったままだ。


「一刀さん、もう大丈夫だと思う」

「うん? 何かしたのかよ、伊織」


 だから僕が何かしたわけじゃないんだけど。

 この場にいる人たちにはハチのことがバレているので、説明をする。


「ハチなぁ。そういう真似が出来たんやね」


 名前を聞くのも嫌なのか、連華が不快そうに鼻に皺を寄せる。


「まあええわ。ハチはともかく、あんたはんが勝ちよったのは事実やさかい、うちはあんたはんの提案にのりまひょ」

「ありがとう」


 連華は約束を守ってくれるつもりのようだ。

 心底ほっとして、息を吐く。


「ただ、そうなったことをあん娘に伝えなならんよって、あんたはんにも一緒に来てもらうえ?」

「へ、どこに?」

「うちの娘……鬼神のとこにやね。もちろん、あんたはんひとりで、や」


 これは罠かもしれないけれど、渡りに船とも言える。

 まあ、普通に考えて罠ではないだろう。

 罠に掛けるまでもなく、連華が今、僕に襲いかかれば簡単に排除できるわけだし。


「分かった」

「待て黒峰」


 あれ、この声。

 振り返ると、眉を釣り上げた砂城がそこにいた。


「ひとりで相手の本拠地に乗り込む奴があるか。最低でも俺を連れて行け」

「えっと、状況は分かってる?」

「もちろん。ハチに聞いた」


 どうやらハチは砂城の前にも姿(?)を現したようだ。

 何を話したのかは知らないが、今の状況は分かっているようだった。


「えーっと」


 この件について僕には決定権は無いので連華を見ると、彼女は優雅に肩を竦めた。


「仕方あらへんねえ。まあ、ええやろ。ひよっこがひとり付いてきたくらいなら、逆に好都合とも言えるわけやし」


 連華は鬼神を守ることに己の重きを置いている。

 あの娘、というところを見ると女性なのだろうが、その彼女を守るために、その前に連れていく者は最小限に絞っているようだ。

 そこに僕を連れていくというのは連華としてはかなり思い切った決断だと思われるのだが、そこに砂城がついてくるというのは、彼女にとっては逆に助かることなのだろう。

 僕だけを連れていけば、僕から鬼神を守る必要があるが、そこに砂城がいれば砂城を押さえることで僕の動きが掣肘出来るというのが、今回のこれで分かっているからだ。


 いずれにせよ、転生した僕の、やるべきことの終わりが見えてきたようだった。

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