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剣人  作者: はむ星
青年篇
104/113

67

 僕の方へと手を伸ばしたまま腹部を貫かれ、口から血を溢れさせて砂城が地面へと崩れ落ちていく。

 まるでスローモーションのようにそれを目に捉えたまま、思考だけが巡る。

 なぜ僕が気付かず、砂城は気付いたのか。

 その答えを、砂城の血煙の向こうに見える、新良木の浮かべた邪悪な笑いによって悟る。


 奴は僕には悟らせぬよう、だが砂城にはわざと見えるようにして、足の触手を地面に潜らせたのだ。

 砂城が僕を庇って攻撃を受けると確信して。

 そうならなかったとして僕が攻撃を受けたとしても、剣鬼である僕には致命傷にはならない上にまた僕が戦力外になり、どちらに転んでも新良木の損にはならない。

 そんなものに気づけなかった自分に腹が立つ。

 間髪を入れずに追撃してくるかと思えた新良木だったが、にやにやと嫌な笑みを浮かべ、すべての触手を見えるように上に上げた状態で下がる。


「私は慈悲深い。最後・・に別れを惜しむくらいは許してやろう」

「な……!」


 新良木だけなら約束を信じることなど出来はしないが、この場には一刀さんもいる。

 約束を破った段階で一刀さんの介入する理由が出来てしまう以上、新良木もそれはしないだろう。

 だが、そんなことを考えるよりも早く、僕と真也は倒れた砂城へと駆け寄る。

 もし罠であったならばひとたまりも無かっただろうが、新良木は一応口約束を守るつもりがあったようで何もしては来なかった。


「砂城先輩……っ!」

「紅矢っ!」


 傷を見て、その深さに息を呑む。

 鬼人であればともかく、普通の人としての体しか持たない剣人では、これは。


「無事、か、黒峰……」

「お陰様で無事だよ。喋らないで」


 急いで血止めをしようとして、布が無いことに気づく。

 前に清奈にしたように、上着を破ろうと思った時に目の前にサラシが差し出された。


 いつの間にか僕たちの前に来ていた一刀さんが、差し出してくれたのだ。


「ありがとう、一刀さん」

「このくらいはな」


 思考停止したまま、清潔なサラシで砂城の血止めをする。

 だが腹部の傷の血が止まる様子はなく、白い布はどんどん赤く染まっていく。

 とにかく、血を止めなければ。


「また、艶姿を見られるかと思ったのだが、な……」

「喋るなって言ってる」

「助かるなら、黙ってもいる。だが……」


 砂城から命の砂がこぼれていく。

 それは以前の僕が死ぬ様を思い起こさせた。

 知らず、顔が強張っていく。


「紅矢……」

「そんな顔を、するな、鴻野。待つ者がいる、おまえがやるより……良かったはずだ」


 そう言うと砂城は血止めを続ける僕を見上げた。


「黒峰、もういい。それより」

「もういいって何!? そもそもなんで僕を庇ったんだ!」


 いきなり叫んだ僕に、真也と一刀さんが驚いた顔をする。

 僕自身、いきなり爆発した感情に戸惑っていたが、怒りはその戸惑いを上回った。


「僕なら傷ついても死ぬことはなかった! なんで、なんで!」

「伊織……」


 叫ぶ僕を落ち着かせようとしたのか、真也が肩に手を置くが、それを振り払って砂城を睨む。

 だが砂城は、死相の色濃いその顔に笑みを浮かべていた。


「惚れた女を守るのは、当たり前だ」

「馬っ……!」


 馬鹿か、と怒鳴ろうとして声が詰まる。

 気づいたら頬を涙が伝って、砂城へと降り注ぐ。

 ああ、そうか。

 出会いは最悪な奴だったけれど、今はその気持ちに応えられもしないけれど、失いたくないと思うほどには彼のことが大切になっていたのだと。

 そう、気づいた。


「泣かせるのは、本意では、無かったんだが、な……」


 困ったように見上げる砂城が急に咳き込んで血を吐く。

 慌てて抱き抱えて背中をさすると楽にはなったようで咳は止んだが、目の焦点はもはや合っておらず、もう長くないのは明らかだった。

 助ける方法は何か無いのか。

 ここから回復するには、それこそ鬼人の回復力でもないと……。


(鬼人の、回復力?)

「気づいたようやね?」


 いつの間にか、一刀さんの横に連華が並び、僕を見下ろしていた。


「どないしてもその坊やを助けたいんやったら、坊やを鬼人にするしか手ぇはないわあ」

「な……!」


 真也が驚愕の声を上げ、一刀さんは予想していたのか苦虫を噛み潰したように表情を歪める。


「ただな。紅仁散はまだあるんやけど、贄はおらへんよ。うちの手持ちはそこの小僧が食らい尽くしてもうたからなあ」


 新良木を示しながら連華は薄く微笑む。

 その真意は分からないが、贄とは鬼人になるための衝動を解放させるのに必要な生け贄のことだろう。

 それは殺人衝動であったり、欲望の発散であったりする。

 ただし、必ず殺人をする必要があるわけでもないことは、神奈の事例が証明している。

 ならば、簡単だ。

 腕の中の砂城の体温がどんどん下がってきている。

 迷っている暇はない。


「紅仁散を」

「伊織!?」


 連華に手を差し出した僕を、信じられないように真也が見る。


「ええんやね。うちは関知せえへんけど、剣人から見れば外法やよ?」

「構わない。贄には僕がなる」


 僕の返答に、連華が目を丸くする。


「へえ……その様子やと、自分がどうなるかは分かっとるようやね。そこまでして助けたいん? それでも助かる確率は高うは無いんやけど」

「うん。借りもあるし、何より失うくらいなら、そのくらい耐えてみせる。それにこのままじゃ、確率はゼロだ」

「思い切りよったなぁ。ほな、これや」


 一刻の猶予も無い。

 僕は手渡された紅仁散を口に含む。

 強い血の味が口腔内に広がった。

 それを自分の唾液で溶かしながら、意識の混濁しつつある砂城に口移しする。


 最初の出会いは本当に最悪だった。

 あのままの印象だったなら、ここまでして助けようなんて思いもしなかっただろう。

 でも短い期間ながら共に戦い、暮らす中で、自然とどういう人間なのかを理解してきた。

 砂城は惚れた弱みで僕に譲ることは多々あっても己を曲げることはなく、一度した約束は守り、少なくとも友人と認めた相手にはとても誠実。

 最初が最初だったこともあって、僕は彼にかなり邪険に接してきたが、それでも怯むこともなかった。

 転生してから色恋に無自覚だった僕だが、そんな鈍感な奴であっても砂城が本気だということは良く分かっていた。

 だがここに来て、僕は真也が好きだったことを自覚した。

 それは実ることのない想いだが、気付いてしまった以上、砂城の想いに応えることは出来ない。

 それでも先のことは分からない。

 そして、ここで死んでしまえば砂城には先がない。


 砂城の喉がこくりと鳴り、紅仁散を嚥下する。

 それを見届けてから僕は口を離した。


「一刀さん。僕が新良木を倒すまで、砂城先輩をお願い」

「おまえ、本当に厄介事抱え込むの好きなのな」


 呆れたように肩をすくめる一刀さん。

 紅仁散が力を発揮して砂城が暴れ始めたら、この場でそれを手加減して止められるのは一刀さんだけだ。


「ま、行ってこい。ちゃんと帰ってこねえと、こいつも死ぬぜ?」

「分かってる」


 その言葉に頷いて、僕は抱えていた砂城の体をそっと地面に下ろして立ち上がる。

 見下ろした砂城の顔は、紅仁散の影響か、かすかに朱が差しているようだった。


「伊織……」

「うん」


 僕がどうしたいのか分かっていたようで、複雑そうな顔をしながらも後ろに下がってくれた真也に頷く。


「僕ひとりで、勝つ」


 一対三でも苦戦していた相手に、ひとりで挑むのが無謀なことは分かっている。

 増してや、今の僕は負傷こそ癒えたものの、少なくない血を失っており本調子には遠い。

 果たして新良木は嘲りをその顔に浮かべた。


『確かにおまえは強い。が、ひとりで私に勝とうなど思い上がりが過ぎるようだな』

「御託はいいよ」


 新良木に勝つヒントは、さっきの真也と砂城がくれた。

 胸に充満している怒りを発散させるのではなく、エネルギーとして腹の底に静かに溜めながら桜花を構える。


「ここからは、剣人じゃなくて、剣鬼、黒峰伊織としての戦いだ」


 今まで僕が得たもの、すべてを遣う。


『良かろう。跳ねっ返りの高くなった鼻を叩き折ってくれる。おまえの矜恃、貞操、仲間の命。どれも守れると思うな』


 真也の空断によって叩き斬られた右腕は癒えたのか、再び刃状に整える新良木。


「言葉を返すよ。そのどれも、あなたなんかにはひとつたりとも渡さない」


 玉響をこれまでに無いほどに研ぎ澄ましてゆく。

 新良木の一挙手一投足を見逃さないよう、いかなる攻撃にも対応できるよう。


「言っとくけど、僕以外に手を出すなんて悠長な真似をしたら、即座に終わるよ」


 ひたりと構えた僕の発した言葉に、新良木の体がわずかに揺れる。

 今は玉響の範囲に地中も含めている。

 それによって知覚している地面に潜り込んでいた新良木の触手が、砂城の方へと向かおうとしたゆえの牽制だ。

 新良木の触手は全部で十一本あるが、それをすべて十全に操れるわけではないことは、先ほどからの戦いを見て分かっている。

 人が十本の指をすべて別々には動かせないように、新良木の触手も精密に動かせるのはせいぜい同時に三本まで。

 その多いとは言えないリソースを僕以外に割くというのであれば、その隙は徹底的に突かせてもらう。

 それを理解したのか、新良木は秘やかに伸ばそうとしていた触手を引っ込め、改めて僕へと向き直る。


『玉響か。対鬼流の厄介なことよ。平蔵にも散々に煮え湯を呑まされたわ』


 苦々しげに、それでも多少は懐かしむようにこぼす新良木。

 お師さんに複雑な感情を持っているからこそ、ここまで僕に執着するのだろう。


 対峙する僕と新良木。

 沈黙を破ったのは新良木の方だった。


『シィッ!』


 放射状に広げた触手を僕に叩きつけるように振るい、自身は刃と為した右腕を構えて突進してくる。

 成る程、精密に動かそうとすれば数が限られるが、これは構えた場所から一点へと叩きつける単純な動作。

 だからこそ残りすべての触手を使えるわけだが、単純ではあっても僕の逃げ場を潰すという点において効果が大きい。

 左右に加えて上下も塞がれているし、かといって後ろに下がれば隙を生じ、突進してくる新良木の刃の餌食だ。

 僕は正眼に構えたまま、前に出る。

 神経はかつて無いほどに冴え渡っている。

 今なら針が落ちる音すら捉えられそうだ。


『被弾覚悟か? 甘いわ!』


 想定よりも早く間合いを潰された新良木は、突進の利を活かすべくそのまま突きを繰り出す。

 以前であればそれは捉えることすら出来なかったはずだが、今の僕には何故か新良木の姿が二重に映り、先にそのように動く新良木が見えていた。

 確かに被弾は覚悟の上、だが本命は見えている。

 新良木の突きを正眼に構えた桜花の鎬で受け、さらに霞の構えに移行するような形で流す。


『な……!?』


 そうすることによって新良木はわずかに体勢を崩し、そして僕にはそのまま突きの体勢が整う。

 最強と名高い鬼人、安仁屋修二がお師さんを倒すために編み出した技『落月』。

 目撃したのはたったの二度であっても、その技と、洗練された安仁屋さんの動きは鮮烈なまでに目に焼き付いている。

 それを自分なりに剣技に応用した技がこれだ。

 喉元を狙って繰り出した刃は、新良木が無理矢理に体を捻ったことで僅かに逸れて、それでもその首筋を大きく切り裂く。

 直後に僕の体を振るわれた触手が叩くが、打点がずれているため、ダメージにはなっても致命傷ではない。


『き、貴様、今のは……!?』


 普通は首筋を切り裂かれれば勝負有りだが、鬼人である新良木はその程度では行動不能にはなり得ない。

 それでも今の攻防は僕の勝ちだ。


「僕のすべてを出し切って、完膚なきまでにあなたから勝利を奪う」


 離脱して体勢を建て直そうとする新良木に、低い跳躍で追いすがる。


『むうっ!?』


 追いつきざまに浴びせかけた一撃は防がれたが、着地と同時に今度は地面すれすれを飛んで新良木へと襲いかかる。

 以前に神奈にやられた戦法の応用だ。

 防ぎ切れなかった新良木の足の触手を一本切断。


『舐めるな!』


 新良木はそれに怯まず、着地した僕目掛けて右腕の刃で切り込んで来る。

 だが、それを先読みして新良木の顔の軌道上に桜花の鋒を置く。

 慌てて急停止する新良木に、踏み込んだ僕の刀が左腕の触手を斬り飛ばす。


『……なぜだ』


 新良木の疑問は当然だ。

 さっきまで一対三でも互角以上に戦っていたはずなのに、僕ひとりに苦戦しているのだから。

 なぜかは僕にも分からない。

 けれど、さっきから新良木の動きが読める。

 二重に映る影のようなものが、新良木の動きを教えてくれるのだ。

 そう、まるでお師さんが言っていた、お師さんの玉響のように。

 ひょっとしたら僕は、未だに玉響を十全に扱えていなかったのではないだろうか。

 これまでに無いほどに研ぎ澄まされた集中力、抱え込み、力へと変えたかつてないほどの怒り、僕を救ってくれ、そして救わねばならない友人たちへの想い、そして、これまでに積み上げてきた修練。

 それらの結晶が、今、僕に宿った。

 確信を込めて、言葉を放つ。


「僕が勝つ。覚悟しろ、新良木賢造」

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