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剣人  作者: はむ星
青年篇
103/113

66

遅れました。

もうちょっと。

頑張ります。

「伊織。起き上がれるか」

「うん」


 真也の問いかけにうなずいて、慎重に起き上がる。

 腹部の傷は大体において治ったようだ。

 我ながら鬼人の生命力というものは空恐ろしいものがある。

 ただ、それをもってしても切断された両腕はまだ繋がりきってはいない。

 表面上はくっついたものの、さすがに骨を修復するのにはいくらかの時間が必要なようで、今無理をすればまた取れてしまうだろう。

 そもそも繋がるというだけで凄いことであって、贅沢など言うつもりはないのだが。


「戦えるようになるまで一切手出しするな。あいつに捕まらないように下がってろ」

「……分かった」


 歯がゆいが、不完全な状態で戦っても二人の足を引っ張るだけだということは分かっている。

 鬼人の力で傷が治っていく感覚から推測して、満足に剣が振れる状態になるまであと五分ほど。

 戦いにおいてはとても、とても長い時間だ。

 元から三人揃った状態でようやく戦えていたのに、さらに未知数の相手となった新良木を相手に二人だけでは、凌ぐだけでも厳しいのは明らかだ。


「貴女が復帰するまでは凌いでみせよう。大船に乗ったつもりで、とは行かないのは残念だが、なに、勝算はある」


 僕が下がるのと入れ替わるようにして前に出る砂城。


『それが泥船でなければ良いがな……!』


 そのタイミングを見逃さず、両の手の触手を振り回すようにして、新良木が真也と砂城へと同時に攻撃を仕掛ける。

 それらを受け、避けていく二人だが、新良木の手数の多さの前に被弾を余儀無くされる。

 複数の触手をうまく操れているとは言えない新良木だが、やはり物理的な数の多さは脅威だ。


「ぐぅっ!」

『どうした。一人前なのは口だけか!』


 せせら笑いながら、異形はさらにその回転を増していく。

 打撃音が響くたびに、みるみるうちに真也と砂城の体に傷が増えていく。

 三十秒が経過した時点で、二人はすでに満身創痍となっていた。


『つまらぬ。二人掛かりでそれでは、黒峰伊織ひとりの方がよほど歯ごたえがある』

「そうかも知れないな。俺たちはまだ伊織に及ばない」


 もはや腕も足も、身体中で擦過傷と打撲が無い箇所がないほどに傷を負いながらも、真也の目から戦意は消えない。


「けどな、気付いているのか?」

『何をだ』


 全く折れる気配の無い二人に多少は怪訝に思ったのか、新良木が問い返す。

 それに答えたのは砂城だった。


「元の貴様であったなら、俺も鴻野もとっくの昔に命が無かったということだ」


 真也と同じく衰えることの無い戦意をその顔に漲らせた砂城は、新良木に鋒を向けながら断罪するような調子で言葉を発した。


「認めよう、貴様は優れた剣士だった。業腹だが今の俺では到底届かん。だが今の己の有様を振り返って見るがいい」


 その言葉にはっとしたように、新良木は己の体を見下ろす。

 異形と化した体は触手に覆われ、愛用の刀はそこには無い。

 それは鬼人とは言えるだろうが、剣鬼とは到底呼べない姿だ。


「手数は増えただろう。その体ゆえのトリッキーな動きも可能だろう。だが剣士としての技量は活かすべくもない。俺たちがまだ五体満足なことがその証だ」

『ぬ、う……』


 確かにそれは砂城の言う通りだった。

 身体能力の強さとしては今の新良木が確実に上なのだろう。

 しかし人からかけ離れたそれでは、これまで剣士として積み重ねてきた経験を十全には活かせない。

 鬼人が剣人に敗れるのは、その身体能力に頼って武を磨かないがゆえ。

 そして剣鬼が通常の鬼人よりも強いのは、鬼人の身体能力に加えて剣士としての技量を持つからだ。

 今までその利点を十二分に活かしてきた新良木が、ここに至ってそれを捨て去った形となってしまっているのは皮肉と言えた。


『だが、貴様らが不利であることに変わりはない。この体にもすぐに慣れてくれよう……!』


 その言葉通り、致命傷こそ受けていないものの、真也たちが新良木の攻撃を躱せていないのも確かだ。

 技量を発揮できないとは言ってもそれは極限での話であって、今の新良木の異形の姿であってもある程度の応用は利く。

 そして新良木は傷一つ負っていないという厳然たる事実。

 このまま事態が推移すれば、負けるのがどちらかは誰の目にも明らかだ。


「紅矢。まず一本だ」

「ああ」


 大上段に構える真也の前に出る砂城。

 その砂城よりも、後ろの真也の方に新良木は警戒の目を向けた。


『……『空断からだち』か」

「その通り。この間と違って、刀の差で負けるなんてことはない。おまえのその触手だろうが斬り落としてみせる」

『愚かな。もともとその技は実戦で遣うものではない。平蔵とて私にそれを見せたは一度きりよ』


 確かに『空断』は放つ前後に言語道断と言っても良いほどの隙を持つ技だ。

 本来はこれを繰り返すことによって基本の斬撃の威力を上げるために存在する奥義であり、実戦での使用を想定したものではない。

 そんな自爆にも等しい技を実戦で繰り出すというからには、遣い手には相応の覚悟が求められるのは言うまでもない。


「俺は黒峰平蔵じゃない、鴻野真也だ。黒峰平蔵の対鬼流は正統継承者たる伊織が継いだ。だから、俺は俺の対鬼流を極めてみせる。これはその一歩だ」

『小僧が大言壮語を』

「確かに俺は大層なことを言っているのだろう。だがな」


 気迫を漲らせる真也。

 まるでその気が溢れて陽炎を立ち昇らせているかのような錯覚さえ覚える。


「今、この程度のことを言えずして、これから先、伊織のライバルは名乗れない」

「俺も忘れてもらっては困るな」


 正眼にかまえている砂城は、呼吸を測っているようで喋りながらも慎重に間合いを探っている。

 己に有利な間合いを維持することに長けた鬼哭無双流きこくむそうりゅうの遣い手である砂城は、鬼留流きりゅうりゅうほどではないにせよ、間合いをシビアに捉える。


「俺は黒峰の横に並び立つ。そのためには鴻野に遅れを取るわけには行かん。俺も俺の鬼哭無双流を掴んでみせよう。貴様にはそのための踏み台となって貰うぞ、新良木」


 僕の魂が二人の言葉に震える。

 それは紛れも無く歓喜だった。

 新良木を倒し、鬼神との決着を付け、なおその先に待つ長い研鑽の時を共に歩む戦友の存在。

 例えこの先、どのように道が分かたれようとも、その絆は必ず再び道を交えるための灯火となるだろう。

 そんな未来を迎えるためには、ここで負けてはいられない。

 そして二人とも、そういう覚悟を込めてそれを口にしたのだ。


「今、俺は隙を補佐するために居る。だが貴様が鴻野の一撃で隙を見せてみろ。たちまちのうちにその喉笛食い破ってくれる」

『……良かろう』


 低い声で唸った新良木の右腕の触手が、ぐねりと螺旋を描くように絡み合って一本にまとまるや、ぎしぎしと音を立てて変形し、やがて刃のような形を取る。

 そんな真似も出来るのか。


『貴様等の忠告、受け取った。これにて我が剣を振るうことが能う。感謝しよう。あのまま三日月たちと当たれば私は手もなく負けていた』


 さっきまでの半端な状態である新良木であれば、確かに一刀さんは苦戦すらしなかっただろう。

 いかに力を得たとは言え、純粋に鬼人として争えば、連華には勝てるはずもなかっただろう。

 しかし新良木はここで冷静になり、原点へと立ち返った。

 左腕は触手のままであるところを見ると、それらで二人を牽制しつつ、右の刃を本命にするのが基本戦法か。

 その戦法もそうだが、何より冷静になられたのが厄介だ。

 しかし相対する二人に動揺は見られない。


「行けるか? 鴻野」

「問題無い。一本は一本だ」

「まとまった分、こちらとしては助かるか」

「そういうことだ」


 ぼろぼろの外見ながらも不敵な笑みを浮かべる二人と、対照的に無傷だが苛立たしげな表情を浮かべる新良木。


『貴様等小僧共では決して届かぬ高みを見せてやろう』


 そう言い放ち、右腕の変じた刃を霞の構えのように若干引いて顔の横に構える新良木。

 対鬼流『空断』は外せば後が無い分、その威力は強力無比。

 真正面から迎撃するのは今の新良木と言えども危険なはずだが、どうやらその道を選んだようだった。


 真也の呼吸を読ませないため、そして乱すための細工をさせないために前に出ている砂城だが、ひとつ誤れば逆に邪魔をしかねない。

 三人の緊張が圧縮されるかのように爆発的に高まっていく。


「……っ!」


 声も無く同時に真也と砂城が動く。

 砂城は新良木から見て左手へ動いて触手を牽制、そして真也は正面から。


「いえええええぃ!」


 満を持して繰り出された刃が銀色の美しい弧を描く。

 真也の力、速度、集中力、その渾身が込められた対鬼流『空断』。


『しぃいいいいいっ!』


 その究極とさえ言える一撃への新良木の答えは、振り下ろされる刀そのものへの突きだった。

 剃刀のように薄い日本刀の刃先に対し、コンマ一ミリでもずれれば成立すらしない技。

 己の技量に絶対の自信を持つ新良木が、正面から真也をねじ伏せるために選んだ一手。


「ぬうっ!」


 横で新良木の隙を窺っていた砂城が、思わず顔色を変えるほどの技の冴え。

 それは過たずに真也の持つ白霞の刃を捉える。

 己でも会心の出来だったのか、新良木の異形の顔が笑みを深くする。

 勢いが止まってしまえば、空断はその威力を発揮することはない。

 だがそれを余さず見ていたはずの真也の顔に焦りは微塵も無かった。


「おおおおおおおっ!!」

『な、に……?』


 さあ、と夜風が吹いた。

 雄叫びをあげた真也は刀を振り抜いた形で止まっており、そして新良木はそれを前にやはり固まっている。


「……今度は、俺の勝ちだ。得物の差だけどな」


 空断の隙から回復したらしい真也が、信じられないという顔で見ている新良木に宣言する。


『ぐ、があああっ!?』


 新良木が苦鳴を上げる。

 白霞は刃と化した新良木の右腕を断ち割っていた。

 新良木の突きと真也の斬り下ろしは正面からぶつかり合い、そして真也が勝利したのだ。


『馬鹿な……!』

「得物の差だって言ったろう。やっぱり業物は違うな」


 確かに真也の言う通り得物の差ではあるんだろう。

 けれど、新良木はそれを腕で埋められるつもりでいたはずだ。

 その思惑を上回ったのは真也の腕でもあるが、それ以上にその覚悟にあった。


『その若さで、なぜそこまで迷い無く振れるのだ……!』

「優秀な相棒と、身近な目標がいるからさ」

『ぐあっ!?』


 大きく回り込んでいた砂城が、新良木の負傷した右腕の側から斬りつけた。

 半ば呆然としていた新良木は反射的にそれを傷ついた右腕で受け、自ら傷を広げる結果となる。


『ぐぅ、認めん、こんな小僧どもにいいようにしてやられているなど、私は認めん!』


 ぎり、と歯軋りした新良木の足までもがばらりと解けて触手となる。

 今までは怒りを見せてもそれを押さえ、常に冷静さを保っていた新良木がこうまでも感情を露わにしている。

 それは小僧と侮った二人に手痛い傷を負わされたことが直接の原因であることは言うまでもないが、二度に渡って紅仁散を取り込んだことが影響してはいないだろうか。

 一度それを摂取したからこそ分かる。

 あれは本来、人の身で取り込んで良いものではない。


『いいだろう、もはや嬲るなどとは言わぬ。死ね』


 キシキシと音を立てて新良木のすべての触手の先が刃と化していく。

 先ほどまででも十分に人としての姿を捨てていたが、これはもうそんなレベルではない。

 人に対しても鬼人に対しても、冒涜と言って良いような、生理的な嫌悪感を掻き立てる醜悪さを感じさせた。


「そうはさせない」


 桜花を拾い上げ、僕は真也の隣へと並ぶ。

 新良木の変化を警戒したか、砂城もこちらへと戻ってきた。


「もういいのか、伊織」

「うん。ありがとう、格好良かったよ、真也。さすがは僕のライバルだね」

「黒峰、俺は」

「先輩は褒めると調子に乗りそうだから。でも、ありがとう」


 軽口を叩きつつ、軽く桜花を振る。

 うん、問題なさそうだ。


『復活したか……その前に小僧どもを始末しておきたかったが』

「二人を舐めてるからだよ」

『認めよう。我が敵となり得るのはおまえと三日月、そして連華の三人だけと思っていた。だがもはや驕らぬ』


 その新良木の立ち姿に違和感を覚える。

 何か、重大なものを見逃しているような……。


「黒峰!」


 横合いから突き飛ばされる。

 一瞬前まで僕がいた場所の地面が隆起し、刃と化した触手が飛び出す。

 それを見てようやく気付く。

 違和感は新良木の足の触手の数本が、地面に突き立っていたことに起因していたのだと。

 突き飛ばされた僕は宙で動けるはずもなく、スローモーションのようにその光景を見ているしかなく。

 その触手が貫いたのは、僕を突き飛ばした代償にそこに位置するしか無かった砂城だった。

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