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剣人  作者: はむ星
青年篇
102/113

65

ぐああ、ご感想頂いたお礼を言っておりませんでした。

大変申し訳ありません。


ご感想ありがとうございます、励みにラストスパート、頑張りたいと思います。

 喉の奥に鉄の味が広がったかと思うと、それはすぐに暴力的なまでの勢いで口から噴出した。


「げぼ、ぐ、ぅえ……」


 灼けた火箸でも腹に突っ込まれているかのような感覚に、僕はたまらず血を吐きながら宙でのたうつ。

 見下ろせば、新良木の腕から伸びた触手が自分の腹部へと潜り込んでいるのが見えた。


「伊織ぃ!」

「新良木、貴様……!」


 足を止めて叫ぶ二人を前に、異形は邪悪な笑みを浮かべる。


『罰だと言っただろう。動くなよ。貴様等が動くたびに本数を増やす』


 もはや発音すらも怪しくなった新良木は、これ見よがしに青黒い触手を数本、蛇が鎌首をもたげるように持ち上げて僕へと絡みつかせる。

 そのうちの一本が襟元から道衣の中に潜り込んできた。

 ぬちゃりとしたその肌触りに肌が粟立つ。


『これはこれでなかなかに心地が良い。おまえたちが動いてくれれば遠慮無く堪能できるのだがな』


 突き刺さった触手が僕の体内をぐりぐりとほじくるかのように蠕動し、道衣に潜り込んだ触手が素肌を舐め回すかのように蠢く。

 まるで体内にやすりでも掛けられたかのような激痛、あるはずの無いものがお腹の中にある異物感、不快な肌触りが無遠慮に肌の上を這い回る嫌悪感が同時に僕を襲い、心がどうにかなりそうだった。


「が、ぎ、ああああ!!」

『相変わらず色気の無い悲鳴だ』


 嘲弄するような新良木の声も、今は耳に入らない。

 鬼人の生命力はこの傷でも致命傷とはしないが、このままでは先に痛みとおぞましさに気が狂ってしまいそうだ。


「やめろ、動いていないだろうが!」

『そうだったな。そのまま動くな』


 歯軋りしながらも動かない二人。

 駄目だ。

 このまま二人が動かずに新良木にやられても、何の意味も無い。

 それで僕が助かるわけじゃないし、何より勝たなければいけないのだ。


「僕は、いい。うご、い」

『余計な口を叩くな』


 冷酷な新良木の言葉と同時に、別の触手が翻った。

 ず、と別の触手が今度は脇腹へと潜り込む。


「ぎ、い……っ」

『ほう、悲鳴を噛み殺したか。どこまでそれが続けられるか』


 目の前で喜悦を浮かべているこんな奴のことはどうでもいい。

 焦りを浮かべる真也と砂城を見つめながら、どうにか言葉を絞り出す。


「がづ、ほう、が、だ、いじ」

『まだまだ元気なようだ』


 体内で触手が再び蠢く。

 うねるような二つの触手の動きは、僕に先ほどにも倍する激痛をもたらすが、歯を食いしばって悲鳴を押し殺す。


「ぐ、ぅ……」


 痛みに意識が遠くなっていく。

 だが、熊に噛みつかれたとき、新良木に肩を刺されて抉られたとき、そのときの経験が、僕の意識の糸をかろうじて繋ぎ止めていた。


『健気だな。涙目が実にそそる。是が非でも泣き叫ばせてやりたくなるぞ』


 異形と化していても分かるほどの嗜虐心に満ちた表情を浮かべる新良木。

 その姿を殺気の籠もった目で見ていた砂城は、やがて静かに僕を見つめて言葉を口にした。


「済まない、黒峰」


*   *   *


「おばはんよ。あれ、放置していいのか?」

「せやなぁ。どう見ても次はウチらを殺る気満々やねえ」


 異形と成った新良木が、伊織たちと決着を付けた後にそのまま大人しく退散するかどうか。

 伊織を捕らえた新良木は、猫がネズミをいたぶるかのように三人を嬲っている。

 老いてなお己の欲望に忠実に行動し、その果てに得た力を新良木がどう使うか、と考えればその答えはおのずと明らかと言えた。


「なら今のうちにやっちまった方がいいんじゃねえか」

「三日月の小僧とも思えん台詞やねぇ。まだあン娘らが真剣勝負の最中やろ。まだ参った言うてへんで?」

「んだよなぁ……」


 気持ちを納めるように頭をがしがしと掻く一刀。

 三人がギブアップしたわけでもなく、助力を請うているわけでもない以上は未だ彼女たちと新良木の戦いである。

 例え伊織たちがそれで死ぬのだとしても、一人前の剣人として認めるのであれば、手出しをすることは立会人として出来ない。


「ま、あン娘らの気持ちが折れたなら、ウチも手出ししまひょか。あれは厄介そうやし、ウチの子に手ぇ出しそうな気いするさかいな」


 そう言った連華の目は細く狭められ、針のような鋭く冷たい光を放っていた。


「ウチの子、ね」


 最初に現れた連華が怒り狂っていたこと、伊織がどうやら本当に八幡神の御遣いとやらであろうこと、紅仁散の存在。

 それらからその単語が何を指しているのか、一刀は大体の当たりを付けていたが、それを口にすることは避けて別のことを口にする。


「ま、そん時は俺も暴れさせてもらうぜ。妹弟子の仇ってことになるしな」

「好きにしいや。ただし、ウチはあン娘らの面倒は見いひんよ」

「分かってる。出来りゃあ、そうなんねえことを願うが、な」


 もはや剣人とも鬼人とも言えぬ姿と成り果てた新良木は、その体から無数に生えた触手を伊織の腹に突き刺し、それを蠢かすことで上がる彼女の悲鳴に天上の調べでも聞いているかのように悦に入った顔で耳を傾けていた。


(胸糞悪ぃぜ……いつまであの枯れ木爺の好きにさせてやがる。さっさと反撃しろよ、ひよっこども)


*   *   *


 僕への謝罪の言葉を口にした砂城は、まるで弓を引き絞るかのように刀を上段に構え、前傾姿勢を取った。


「鴻野。同時に掛かるぞ」

「分かった。タイミングは任せるぞ、紅矢」


 短いやり取りでも意図は通じているのか、真也もまたその場で、こちらは霞の構えに構える。


『ほう。黒峰伊織を見捨てて私を倒すか? それとも己が身を捨てて救うつもりか? いずれにせよ、無駄なことよ』


 ばらり、と解けるようにして新良木の左腕がついにすべて触手と化す。

 頭部だけはまだかろうじて人としての形を保っているものの、もはや人と呼ぶのは難しい。

 そのまだ人の形を残す顔に浮かべられた毒々しい嘲笑を無視し、砂城は叫んだ。


「行くぞ!」


 二人が同時に動く。

 砂城は僕の方へ。

 真也は新良木の方へ。


『浅薄。所詮は子供か』


 新良木の嘲笑のどぎつさが増す。

 霞の構えから顔面目掛けて繰り出される真也の刺突を躱すと、新良木は砂城へと盾にするように僕の体を差し出した。

 新良木は砂城が僕を吊り下げている触手を捨て身で狙っていると見抜き、それを遠ざけると同時に彼が救わんとしている僕を障害となるよう間に置いたのだ。

 砂城がそれに動揺した隙に仕留める心算だったのだろう。

 それは新良木の驕りか、それとも砂城の覚悟が上回っていたのか。


 動揺など毛筋の先ほどすら見せず閃いた砂城の刀は、僕の両腕・・・・を切断した。


『な……に!?』


 余りにも信じられなかったのか、新良木の動きが止まる。

 そのまま砂城は僕の体を受け止め、後ろに下がることで強引に僕に絡みついていた触手を引き剥がす。

 ずるりと腹の中から異物が抜ける感触がした。


「げぅ、が、はっ!」


 異物が抜けたことで溢れ出た血を吐き出す僕を、まるで自分が痛みを感じているかのように顔を歪めて砂城が見下ろしていた。


「済まない、黒峰。これしか思いつかなかった」


 かすかに首を横に振る。

 謝られるようなことじゃない。

 予測出来なかったことだとは言え、捕まった僕が間抜けなのだ。

 それを助けてくれた砂城に文句などあろうはずもない。

 僕が剣鬼だから取れた手段ではあるが、良く実行する気になったものだ。


「伊織。傷を塞ぐのに専念しろ」


 新良木の動揺した隙を突いたのか、真也は僕の両腕を取り返してきていた。

 あの一瞬で砂城の意図を読んで動いたようで、さすがにコンビで戦ってきただけのことはある。

 まるで壊れ物を扱うかのように僕を床に横たえた砂城が、その両腕を切断面に当ててくれた。


『小僧ども……やってくれたな』


 完全に裏を書かれた新良木が、地獄の底から響く怨嗟のように唸る。


「やってくれたな、はこちらの台詞だ」


 こちらは純粋な怒りの籠もった声で真也がつぶやき、その横に同じ怒りを瞳に湛えた砂城が並んだ。


「剣人をやめ鬼人すらもやめ、ただの化物に成り下がった貴様ごときが、俺の大事な人ほれたおんなをよくもこんな目に遭わせてくれたな……!」

『貴様ごとき雑魚とその女が本当に釣り合うと思っているのか?』


 吼える砂城に、嘲笑で応える新良木。

 ほとんど反射的に返された疑問であっただろうが、砂城はそれに対して意外にも真面目に考え込んだようだった。


「……釣り合っては、いないのだろうな」


 やがて発せられた言葉は、常に自信の塊のような態度を取る砂城からは考えられないものだった。


「剣の腕は出会ったときから黒峰の方が上だった。そしてこの短期間でその差は埋まるどころから開く一方。男のプライドに実に厳しい女だ」

「本当にな。ついて行ってるつもりが、ふと気付けば引き離されている」


 真也も苦笑しながら砂城に同意する。

 僕からすればそんなつもりは全然無いし、真也たちが追いついてくるのはいつも早いと思ってるんだけれど。


『ならば身を退けば良かろう』

「あら? あんたがそれ、言うん?」


 口を挟んだのは連華だ。


「先々代の三日月やったっけねぇ。自分より強うないと付き合えへん言うとったんは」


 それはお師さんが憎からず想っていた女性。

 お師さんが敵わないほどの強さを誇っていたが、卑怯な手段で鬼人に殺された人だ。


「あン娘が欲しい言うて何度も剣人の男どもが挑んどった聞いてたんやけど、あんたもそん中のひとりやったんちゃうん?」


 当時の剣人の憧れの的であり、お師さんだけでなく鹿島老も、そして新良木も彼女に惹かれていたと言う。

 そのことは本人の口からも聞いたことであり、それを覚えていたのか新良木が苦い顔になって黙る。


「ああ、俺も親父様から聞いたことがあるぜ、その話。親父様も挑んでけちょんけちょんに負けて諦めたらしいが」


 確かに慈斎さんも同じ年代だし、色恋に関してあの人が無関係でいるとも思えない。

 そもそも、お師さんとその話してたし。


「あんたも諦めたんだったよな?」

『……』


 軽い調子の一刀さんの確認に、沈黙で答える新良木。

 それが何よりの答えになっていた。


「あなたが手に入れたくても手に入れられなかった先々代の三日月の心と三日月の称号。それを手に入れたお師さんが妬ましかった。そう言っていたよね」

「伊織、無理をするな」


 言葉を発した僕を真也が気遣わしげに見る。

 腹の傷は表面は塞がったが、腕はまだ繋がっていない。

 何より血を大量に失ったので脱力感が酷いが、喋れるくらいには回復していた。


「話くらいは、大丈夫」

「なら、いいが……」

「成る程な。その仇を取りたくて黒峰に執着しているわけか」


 以前に本人から聞いた話では自分が得られなかったものを得たお師さんに嫉妬して、その後継者たる僕を蹂躙することで溜飲を下げようとしているということだったが、考えようによっては同じことなのかもしれない。

 その証拠のように、新良木は黙ったまま反論しようとしなかった。


「まあ、それはいい。俺が言いたいのは釣り合いが取れないからと、そんなものを理由に諦める気など毛頭無いということだ」


 砂城は力無く横たわっている僕を見て、隣に立つ真也を見て、そして最後に新良木を見た。


「諦める理由などいくつでもあった。自業自得で最初に黒峰には嫌われたし、鴻野の方が常に近い位置に居た。先ほども言ったようにこちらのプライドは常にへし折ってくれるし、着いていくのが命懸けになることも枚挙に暇が無い」


 割と酷いことを言われているような気がする。


「鴻野も黒峰には惹かれていたんだろう?」

「そのようだ。懺悔するが気付いたのはついさっき、伊織が俺のことを同志と言ってくれたときだが」


 そういえば新良木と戦う前に真也に着いてきて欲しいと言ったときに、何やら吹っ切れたような顔をしていたような覚えがある。


「あの時に、伊織に未練があるんだと初めて気づいた。まったく、清奈に応えると決めたっていうのにな。気付いたから、吹っ切った」


 にっと笑った真也の顔には、もはや未練も後悔も感じられない。

 ……ああ、僕も今やっと気付いた。


 その真也の顔を見ると、胸がちくりと痛むんだって。


 本当に、鈍感で剣術馬鹿な二人だ。


「俺は当時のことは知らん。だが貴様は男のプライドと女を天秤に掛けて、プライドを取ったのだろう。それを悪いと言うつもりもない。何を重視するかなど自分次第だからな」


 プライドというものは過剰であれば身を滅ぼす元にもなるが、最低限は無いと己の尊厳が保てない。

 それを守ろうとするのは、人としての本能であるとも言えるだろう。


「だが俺は俺のプライドよりも黒峰を取る。俺がそう決めたからだ。黒峰が自らの意志で俺の元を去らぬ限り、俺が諦めることはない。例え、貴様が相手でも、だ」

『雑魚が吠えよる』


 ずっと黙って聞いていた新良木が、軋むような声を上げた。


『だが吠えるだけなら駄犬でも出来ること。貴様等二人など相手になると思うてか。その手足をもいで、貴様等の目の前で黒峰伊織を嬲り尽くしてくれるわ』


 ばらりと新良木の右腕も解ける。

 左に五本、右に五本、そして元々傷口のあった胸から一本。

 合計十一本の触手が誰も逃がすまいという新良木の意志を体現するかのように、蜘蛛の巣状に広がった。

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