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傀儡師紫苑  作者: 秋月瑛
狂い咲く奈落花
49/54

草稿

 灰色の世界。

 地面では黒い傘たちが廻り廻り踊っている。

 雫が落ちた。

 朱い朱い雫が跳ねた。

 灰色の世界を朱が彩る。

 跳ねる刎ねる。人々の首がはね飛ばされた。

 嗚呼、無音の絶叫。

 愁斗は口を押えて目を丸くした。

 世界に音と色が戻る。

 だれも死んでいなかった。

 夢だった。

 街を行き交う人々の首が次々と飛ぶ悪夢だった。

 現実ではない。

 両手を開いて愁斗は息を呑んだ。

 血塗れている。

 雨で滲みながらアスファルトに落ちていく。

 街を行き交う人々は生きている。

 この血は?

 思い出せ、しっかりと、虚夢ではなく現実を――。

 少女たちを殺した?

 激しく首を横に振った愁斗の髪から雨が飛び散る。

「違う!」

 異形の者を殺した?

 人々が振り返り愁斗を見た。

 鱗に覆われた顔、顔、顔。

 眼に映る人々の顔は爬虫類のようだった。

「ああああああっ!」

 叫び声をあげた愁斗の手が〈闇〉に呑まれる。

 放たれた妖糸。女の悲鳴。男の悲鳴。人々の悲鳴。

 愁斗は目を固く閉じ、ゆっくりと開く。すると、そこに異形などいなかった。平凡な人々が日常を奪われた光景が広がっていたのだ。

 うずくまる者、腕を押える者、脇腹から血を流す者、背中を切られ倒れた者。

 叫び声、泣き声、怒号。

 暴走した愁斗の妖糸が人を斬った。見ず知らずの、ただその場に居合わせた人々を傷つけたのだ。

 震える愁斗。

 見開かれた丸い瞳に二人の人影が映る。

「……なに……したの?」

 恐怖、怒り、入り乱れる感情で声は震えていた。

 その声の主を愁斗は、やっと理解できた。

 目の前に立っていたのは、隼人と――狂乱の形相を浮かべる麻耶だった。

「あんたなにやったの? あんたがやったんでしょッ!」

 叫びながら愁斗に飛びかかろうとした麻耶の腕を隼人がつかむ。

「待ちなよ!」

「だって! だってこいつが!」

 屋上で人を殺した。

 そして今、なにが起きたのかわからないが、愁斗の周りで人々が突然、なにかによって切り刻まれた。それが妖糸であることを麻耶は知る由もないが、ここで事件が起きた瞬間、愁斗と結びつけた。

「あんたが人殺しするの屋上で見たんだから!」

 半狂乱になりながら麻耶が叫ぶ。

 愁斗は身に覚えがなかったが、記憶が曖昧で自身に疑念を抱いてしまう。

 今は現実なのか?

 次の瞬間、愁斗の耳から音が消えた。

 隼人に押えられながら、麻耶が口を動かしている。なにかをしゃべっているが聞こえない。そして、世界の時間は急激に遅くなり、スローモーションになり、一瞬にして再生された。

「危ない!」

 叫んだのは隼人。視線は愁斗の後ろ。

 振り返った愁斗は本能で蒼炎を躱した。

 爆風が砂埃を起こし、アスファルト片が空から降ってきた。

 これは現実だ。

 虚ろな世界から覚醒した愁斗は身構えた。

 敵がいる。自分が狙われた。目的はなんだ?

 思考を巡らしながら愁斗は当たりを見回す。蒼炎が飛んできた方向は斜め上。ビルの窓に人影はない。逃げられたのか?

 後ろを振り返った愁斗は見てしまった。

 焼け焦げた臭いの先で青年が倒れている。そこに近づこうと、片脚を引きずりながら歩き、手を伸ばす麻耶の姿。そうだ、焼け焦げ倒れていたのは隼人だ。

「……はや……と」

 呼びかけに微かな反応があった。

「だいじょうぶ……生きてる。でも、目が開かない」

 光すら感じられない。瞼の先に光を感じられないのだ。

 悲惨な表情で麻耶は自らの顔を両手で覆った。指の隙間から見える痛々しい姿。

 髪が焼け焦げ禿げあがり、皮膚は赤くまだらに腫れ上がり、そこに隼人の面影はなかった。

 あのとき、蒼炎を本能的に躱してしまった愁斗。その先には麻耶と隼人がいた。隼人は麻耶を突き飛ばし、邪悪な炎の餌食になってしまったのだ。

 あたりはパニックだった。

 人々が斬られ、次に炎で焼かれた。

 理解はできないが、だれも危険を感じて蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。

 が、しかし。

 その場にあって動かぬ者たちがいた。彼らは愁斗を見ていた。囲まれていたのだ。

 風が鳴る。いや、それは鳴き声だ。まるで蛇のような鳴き声だった。

 爬虫類の顔をした刺客が愁斗に襲い掛かる。手に持つは鋭い短剣。

 大勢の人がいる。その中には知り合いがいる。こんな街中で戦うなどしてはならない。せめて紫苑さえここにあれば、なとど考えながらも愁斗はやるしかなかった。

 敵はこの場所で仕掛けてきた。

 奴らは世間に隠す気はないようだ。愁斗もその土俵に無理矢理上がらされた。

 宙を煌めく一筋の輝線。

 ずるりと爬虫類の首が落ちた。

 女が絶叫している。

 構わない。

 愁斗はさらに妖糸を放った。

 後ろから襲い掛かってきていた爬虫類人間の腕が斬られて飛んだ。

 次は横。

 脚を斬られた爬虫類人間が走ってきた勢いのまま前方に激しく転んだ。

 さらに反対方向から襲ってきた爬虫類人間の胴が落ち、妖糸はそのまま愁斗の後ろで血の噴き出る腕を押えていた爬虫類人間の顔を横に真っ二つにした。

 やつらの血も赤かった。

 雨で濡れたアスファルトに朱墨のように血が広がっていく。

 凄惨な世界に取り残された者たち。

 女の泣き叫ぶ声がきこえてくる。愁斗は無視した。目の前にはまだ敵がいる。

 木の杖を持ち、漆黒のローブを羽織り、フードから覗く顔は、白蛇だった。

「眼があのころと同じだ。幼いながらに恐ろしい眼をする子だった」

 怨みのこもった憎しみの眼で愁斗は相手を睨んでいた。

「組織か?」

「我らは正統なるD∴C∴の魔導士であり、母なる魔女メディッサ様の使徒」

「名前だけは聞いたことがある。階位は高くないが、実質的な権力は組織の2番目だった女の名前」

 組織に攫われ、そこで教育を受けた愁斗だったが、D∴C∴について深く知るようになったのは逃げ出したあとだ。メディッサの名も組織を追ううちに知った名だ。

 愁斗の目的は主に二つ。組織への復讐と父の行方を探すこと。今目の前にいる魔導士の目的は?

「僕を殺しにきたのか?」

「我々と来い。さすれば殺しはせぬ」

「組織の人間になれってことか?」

「いや、人質だ」

「なに?」

 傀儡師である愁斗は組織にとって戦力となる。だが、人質ということは目的は別にあるということだ。

「僕を人質にしてなにを企んでる?」

「我々と来れば教えてやろう」

 組織に戻るくらいなら、組織から逃げ出していない。

 母を目の前で殺され、父と組織に連れ去られた。組織の犬になるために教育された日々。生活とも呼べない世界から逃げ出せたのは、決死の覚悟で父が戦ってくれたお陰だ。共に逃げることは叶わず、父があのあとどうなったのか愁斗は知らない。

 だから組織に戻る気はない。

 輝線が宙を斬る。

 不意打ちとはならなかった。愁斗の抵抗など敵にとって予想の範囲である。

 妖糸は白蛇の魔導士の目の前で弾かれてしまった。透明な魔導壁だ。

 長く伸びた舌を舐り、白蛇は瞳を輝かせた。

 愁斗は身を強ばらせた。

 罠だ!

 魔導壁は妖糸を弾くためのものではなかった。

 少しの会話の間、罠は仕掛けられたいのだ。

 愁斗の四方を囲んだ魔導壁。地面を見ると呪文図形が描かれていた。

 白蛇の魔導士は杖の先を地面に激しく打ちつけた。

 呪文図形がまばゆく輝き、宙に浮かび上がった。図形だけではない、愁斗の体もだ。

 魔導壁は四方だけではなかった。六面体として愁斗を捕らえ、そのまま運ぼうというのだ。

 妖糸を放つがびくともしない。

 ただ斬るだけではだめだ。妖糸は物質を斬るでけではない。空間を斬ることもできる。それはすなわち結界をも斬ることができるということ。

 《闇》を喚ぶ。

 愁斗は妖糸を放った。

 火花が散った。

 さらに妖糸が放たれた。

 火花が散った。

「この結界は傀儡師にも切れない」

 とても冷たい白蛇の魔導士の言葉。

 愁斗と戦うにおいて、傀儡師対策をしていないはずがなかった。

 爬虫類人間の屍体が転がっている。その血が描く幾何学模様。

「我らが同胞の呪いにより、その障壁は力を得た。並大抵の力では破ることはできまい」

 妖糸のよって斬られた爬虫類人間たちは、死をもってして魔法陣を完成させたのだ。

 魔法や魔術といった類のものの中で、呪詛は強力なことが多い。その多くは代償を払うことで発動する。死を代償とした呪詛の効果は絶大だ。

 愁斗の妖糸で切れるぬのならば、別の力に頼るしかない。

 煌めく輝線。

 妖糸が描く奇怪な紋様。

 次元の裂け目から、〈それ〉の呻き声が聞こえた。

 四方を囲まれた小さな結界内で愁斗は召喚[コール]を行なうつもりだった。こんな密閉空間で召喚を行なえば愁斗の身がただではすまない。

 〈それ〉が身震いすると、地を這う百の足音が迫ってきた。

 闇色の稲妻が宙を駆け抜けた。

 身を翻した白蛇の魔導士の腕を稲妻が貫いた。地面に落ちた焼け焦げた腕が腐敗する。

 地面に手を付き、片膝を立てていた愁斗が顔を上げる。闇の稲妻は白蛇の魔導士の腕を斬り、さらに愁斗を閉じ込めていた結界を破壊し、さらに召喚の魔法陣も斬っていた。

 百の足音が〈向う側〉に還っていく。

 愁斗は見た。

「だれだ?」

 自分を助けたとしか思えない。

 風が吹き荒れる。

 ぞっとするような寒気が背筋をなでる。

 降り注いでいた雨も息を呑んで止んでいた。

 黒緋色の影が蜃気楼のように立っている。

 インバネスを纏ったその姿は傀儡紫苑に似ていたが、その者が放つ鬼気は心臓を抉るほど凶悪で、世界を震撼させる圧倒的な力をもっていた。

 白蛇の魔導士は蛆の湧く腕の傷口を短剣でさらに切り落とし、禍々しさに駆られた眼で黒緋の睨みつけた。

「あやつ……なのか?」

 無機質で無表情の白い仮面が、たしかに嗤った。

 赤緋のインバネス、無機質な白い仮面、6本の鉤爪を備えた黒光りする手。

 絶叫にも似た音を立てながら闇色の稲妻がその手から放たれた。

 愁斗はその稲妻の正体を見きった。妖糸だ。〈闇〉を纏った妖糸だった。

 傀儡師?

 麗慈なのか?

 邪悪な力を得て麗慈が還ってきたのか?

 闇色の妖糸が白蛇の魔導士の胴を貫いた瞬間、爆発が起きた。

 血肉が飛び散り、大量の蛆が飛散した。妖糸に触れた躰は内から闇蛆によって食い破られ、内蔵を食らった闇蛆の放出した毒ガスが充満して、最後は爆発を起こしたのだ。

 仮面の傀儡師は愁斗の近づきながら腕を振るう。

 物陰で爆発が起きた。ビルの屋上で爆発が起きた。短剣を振りかざし背後から襲ってきた爬虫類人間が爆発した。

 片膝をついたままの愁斗の横を仮面の傀儡師は素通りした。

 止まっていた愁斗の汗が滝のように流れ出す。

 圧倒的なプレッシャーの中で、愁斗は声を絞り出す。

「だれ……だ?」

 仮面の傀儡師は答えない。愁斗を無視して地面に転がっていた生首を拾い上げた。白蛇の魔導士は怨みのこもった眼で仮面の傀儡師を見ていた。生首になっても、まだ生きていたのだ。

 空気の抜けるような掠れた声で白蛇の魔導士がしゃべる。

「おま……え……から……姿を……みせ……るとは。やはり……息子がかわいいか?」

 まるで電撃が走ったような衝撃を愁斗は覚えた。糸で紡がれた答え。

「……父さん?」

 訝しげな顔で尋ねた声に仮面の傀儡師は背を向けたままだった。

「人間をやめた私に子などいない」

 老人のようにひどくしゃがれた声だったが、幼いころにきいた声の面影を残していた。

「父さんなんだろ! 今さらなんで、今までどうして、なにが……」

「目的はただひとつ」

 生首を持つ手に力がはいり、鱗に鉤爪が食い込む。

「タルタロスに続く〈門〉の〈鍵〉はどこだ?」

 その問いに白蛇は邪悪に嗤った。

「死ねッ!」

 白蛇の魔導士の眼が妖しく輝き、生首は灰と化して絶命した。

 最期の呪い。

 生首を持っていた手が石に変化して、石化は腕を登り侵蝕していく。

 輝線が石化した腕を落とした。噴き出た血は一瞬にして止まった。ためらうことなく仮面の傀儡師は自らの腕を切断して、瞬時に妖糸で止血したのだ。

 襲撃者たちは死んだ。

 一時の静寂。

 惨劇のこの場所から、多くの人々は逃げ去ったが、取り残された負傷者たちもいた。地面に仰向けになった隼人の手を握り、祈るようにして涙が流す麻耶の姿。

 立ち上がった愁斗は隼人たちに近づこうとしたが、その気配に気付いた麻耶に鋭い眼を向けられて足を止めざるを得なかった。

 瞳に恐怖など浮かんでいない。その瞳には憎しみしかない。

「あんたのせい」

 理由もわからず、状況もわからず、ただ巻き込まれた。

 だれが悪い?

 理不尽な仕打ちに、麻耶は目の前のものに怒りをぶつけるしかなかった。

「隼人が、隼人がこんなことになったのは、ぜんぶあんたが悪いのよ! どうしてこんな目に、あんたたちなんなの……隼人が死んじゃう」

 隼人の手を強く握った。もう意識はないのか、握りかえしてこない。体温も徐々に冷たくなっていくのが感じられた。

 愁斗は立ち尽くしたままなにもできなかった。

 すべて自分のせいだ。

 今回のことだけではない。これまで身の回りのひとたちを危険に巻き込んだ。きっとこれからも同じだ。そして、いつかもっとも大事なものを失う日がくるかもしれない。

 死に向かう隼人の姿を見つめながら、愁斗はそこに翔子を重ねた。

 恐怖。

 膝から崩れた愁斗は地面に両手をついた。その横を冷たい風が抜ける。黒緋のインバネスが揺れる。

「妖糸がから伝わる心音が消えかけている。その男はもうすぐ死ぬ」

 しゃがれた声は死の宣告をした。

 狂気の形相で声を荒げる麻耶。涙が飛散した。

「助けて! あたしの命なんてどうなっても構わないから、隼人を助けて――」

 そのまま俯き、消え入りそうな声でつぶやく。

「神様」

 白い仮面は無機質なままだった。

「悪魔でよければ」

 古来より悪魔はその代償を求め、人の子と契約をする。

 代償の多くは魂だ。

 6本の鉤爪で麻耶は頭部をつかまれた。

「なにっ!?」

 驚く麻耶はそのまま髪を引っ張られ無理矢理に立たされた。

 眼前で対峙する白い仮面。嗤っていた。

「魂をもらうぞ」

「ぐっ……ふ」

 口を開けたまま麻耶は眼を見開いた。

 鉤爪が麻耶の胸を貫いていた。血は出ていない。傷口もない。腕が通った胸の穴は漆黒で覆われて影になっていた。

 胸を貫き握られた鉤爪の中でなにかが輝いている。

 ずるりずるりと、ゆっくりと胸から腕が抜かれていく。

「もらう魂は半分だ」

 引き抜いた手を開くと、そこには輝く紅い宝石のようなものがあった。無機質なのような見た目でありながら、まるで心臓のように脈打ち動いている。

「ずいぶんと穢れ、疲弊しているが、想いが真物[ほんもの]ならば男を生かすこともできるだろう」

 激しい苦痛を浮かべながら胸を押えて倒れる麻耶に目もくれず、仮面の傀儡師は隼人の横で片膝をついた。

 鉤爪の指先が軽く弾くように動かされると、隼人の上着が斬られ上半身を裸にされた。

 妖糸が描く魔法陣。それは胸に描かれ、輝きを放った。

「分けた魂は相手の人格を狂わせる可能性もある」

 説明を口にしながら、妖糸で胸を縦に切り開いた。血は出ない。傷口は漆黒に覆われ、さきほど同様の影になっていた。

 紅い宝石が胸の中に埋め込まれる。

「二つに分けた魂は常にリンクしている。強い感情を抱けば、それは相手にも影響を及ぼす。死もまた同じだ。片割れが死ねば、もう片割れも死ぬことになる」

 胸が閉じられた。傷口は残っていない。

 閉じられていた隼人のまぶたが微かに痙攣して、指先が少し動かされた。

「隼人!」

 驚きと歓喜の声を上げながら麻耶は膝を付いて隼人の手を握った。

 冷たい。

 隼人の手を体温を失ったように冷たかった。

 蘇生に失敗したのか?

 麻耶の顔が蒼白に染まっていく。握っていた手は冷たいだけではなかった。白い鱗に覆われていたのだ。

 びくっと隼人の体は跳ねた。

 生命力を取り戻した隼人の体は、それと同時に症状を進行させたのだった。

 全身を覆い尽くしていく鱗。

 まるでその姿は白蛇の魔導士。

 隼人の眼がカッと開かれ輝いた。

 恐怖した麻耶は思わず握っていた手を離して後退った。

「隼人……なの?」

 返事はなかった。

 ふらつきながら立ち上がった隼人は頭を押え項垂れている。

「頭が……割れそうだ」

 姿は変わってしまったが、声と面影は隼人のままだ。それでも異質なものに変貌したことは変わりなく、恐ろしい姿の怪物がそこにいた。

 顔を上げた隼人と麻耶の目が合った。

「麻耶?」

 声をかけられた麻耶は息を呑んでから返した。

「隼人……なんだよね?」

「いったいなにが……よく覚えていないんだ。頭が痛くて」

「だいじょうぶだから」

 それは相手にかけた言葉なのか、それとも自分に言い聞かせた言葉なのか、麻耶は恐ろ恐る隼人に近づいた。

 その瞬間、鱗に覆われた手が麻耶を振り払って殴り飛ばした。

「きゃっ!」

 悲鳴をあげて倒れた麻耶が見たものは、輝く蛇眼だった。

「クククッ……」

 声は隼人。だが、中身は――?

「私を生き返らせてくれたことに感謝しよう」

 それは執念深い蛇の呪いだった。

 地面に落ちていた木の杖が宙を浮いて引き寄せられ、白蛇の隼人の手に握られた。

「蛇は何度でも転生する。近くに私の呪いに毒された躰があって助かった」

「隼人じゃないの?」

 おののき尋ねる麻耶を見ながら白蛇の隼人は舌舐りをした。

「私は隼人だ。おまえとの思い出も覚えてる。が、同時に過去の私たちの記憶も残っている、強くな」

 もはや麻耶は言葉すら発せず呆然としていた。

 赤緋のインバネスがはためく。

 闇色の稲妻が宙を翔る。

 一筋の輝線が煌めいた。

 仮面の傀儡師の放った妖糸は、白蛇の隼人の目の前で、別の妖糸によって切断された。

 身構えている愁斗。対峙するは仮面の傀儡師。

「殺そうとしたな?」

「やつはもう蛇だ」

「彼が死ねば、もう一人が死ぬとわかっていて、殺そうとしたな?」

「…………」

 仮面の傀儡師は答えなかった。

 少し前には命を助け、今は命を絶とうとした。

「本当に父さんなのか?」

 風が泣いた。

 仮面の傀儡師の妖糸によって空間が裂かれ、黒緋のインバネスは吸いこまれるようにして消えた。

 白蛇の隼人もこの場から消えようとしていた。

「この場はいったん引くとしよう。女はもらっていく」

 麻耶の腕をつかんで、もう片手にもっていた杖先で地面を叩く。

 爆風が巻き起こり、あたりは瞬く間に白い霧に包まれた。

 愁斗は妖糸を放ちあたりの様子を探った。

 この場で立っているのは愁斗のみ、あとは屍体だった。

 人の眼を気にしない敵の襲撃。

 父と思われし仮面の傀儡師の登場。

 白蛇の魔導士と化した隼人。

 そして、麻耶は攫われた。

 D∴C∴の目的は?

 仮面の傀儡師の目的は?

 タルタロスの門とはいったいなんなのか?

 その先になにがあるというのか?

 もつれ合う糸に愁斗は囚われていた。

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