狂い咲く奈落花(5)
そこは表向きは普通の病院だった。
姫野グループの傘下であり、亜季菜の意向で特殊な患者を診ることも匿うこともできる。
病院の廊下を医師と歩く亜季菜。
「今までいろんな患者を診てきましたが、はじめて見た魔導技術です」
「躰は生身なんでしょう?」
「はい、生体機能は心臓以外通常の人間と変わりません」
「足はただの骨折?」
「はい、ただ自然治癒能力は今のところ不明なので、回復までにどの程度の時間を要するかは」
とある病室の前で二人は足を止めた。中からは3人の話し声が聞こえる。不審な顔で亜季菜はドアを開けた。
楽しそうに談笑している翔子と撫子と、車椅子の女。
振り向いた車椅子の女は微笑んだ。
「ごきげんよう」
「お姉ちゃんなんでいるかしら?」
顔を合わせた姉妹。そっくりな顔をしているが、醸し出す雰囲気はまったく違う。亜季菜の姉である悠香[ユウカ]は凜とした気を纏い、瞳の奥は静けさと鋭さを秘めている。それが姫野グループ総帥、姫野悠香である。
「アタシの病院にアタシがいて可笑しなことがあって?」
「そーゆーこと言ってんじゃないわよ。二人に関わりのないお姉ちゃんが、なんでこの病室にいるかを聞いてるの」
「知り合いの知り合いは知り合いだから問題ないわ」
「目的は?」
強い口調で亜季菜は姉に詰め寄った。
車椅子から妹の顔を見上げる悠香は涼しげな顔だ。
「そちらのお嬢ちゃんは、D∴C∴なんでしょう?」
「にゃ!?」
いきなり飛んできた球に当てられて撫子は椅子から飛び上がった。
亜季菜はさらに姉に詰め寄る。
「伊瀬から聞いたの?」
「いいえ、独自の情報網。じつはね、アタシもD∴C∴のこと調べているのよ。正確にはその首領についてだけれど」
悠香は撫子に向かって微笑みかけた。
「教えてくれるわよね?」
「ただの女子中学生がダークにゃんちゃらにゃんて知ってるわけにゃいですよぉ、にゃはは」
「この病院はね、魔導の研究のために造らせた施設なの。もちろん生体実験もしてるのよ」
不気味に微笑んだ悠香の顔を見て撫子は後退りをした。
「末端の構成員にゃんで、本部のことはよくわかんにゃいってゆーか、首領の顔も声も知らにゃいってゆーか」
その答えに納得したかわからないが、悠香は次にベッドの翔子に顔を向けた。
「こちらのお嬢ちゃんは、じつをいうと知り合いの知り合いの知り合いなのよねぇ」
すかさず亜季菜がつっこむ。
「知り合いを伏せ字みたいに使わないで、ハッキリ言ったらどう?」
「アタシの幼なじみの息子の彼女なんでしょう?」
この解答に翔子はいくつかの意味で眼を丸くした。
何食わぬ顔で悠香は電動車椅子を走らせ亜季菜の横を通り過ぎる。
「その彼氏クンには伊瀬を通して連絡しておいたから」
そのまま悠香は病室を出た。
しばらく廊下を進んでいると、愁斗とすれ違った。先を急ぐ愁斗は悠香のことなど眼中にないようすだ。。
微笑む悠香。
不思議な気配を感じて愁斗は振り返る。
しかし、そこにもう車椅子の女の影はなかった。
病室の前までやってきた愁斗はそこから先に進めなかった。
中からは話し声が聞こえる。翔子の声も聞こえた。
その場を静かにあとにする愁斗の前に伊瀬が現れた。
「翔子さんに会わなくていいんですか?」
「今は会えません。これからも……」
「差し出がましいようですが、お力になれることがあればなんなりと」
「なにも……いや、撫子をロビーに呼んでもらえませんか?」
「かしこまりました」
二人が事故にあったとしか聞いていなかった。周りを取り巻く環境のせいで、ただの事故ではないとすぐに勘ぐってしまう。たしかにこの事故は、事故ではなく事件で、殺人未遂だった。
そのことをロビーに呼びだした撫子に愁斗は聞くことになる。
ロビーの長椅子で患者たちに混ざって待っていると、ギブスのついた片腕を包帯で首から吊り下げている撫子が現れた。
「お姫様が待ってるから早く病室に行ってあげなよ」
「なにがあった?」
冷酷な怒りに満ちた声音だった。
尋ねているのではなく、答えろという命令だった。
殺気に当てられた撫子は真面目な顔をして話しはじめる。
「詳しくは話してくれにゃいんですけど、翔子ちゃんイジメられてたらしくって、それがエスカレートしたみたいで、赤信号の道路に突き飛ばされたところを美少女のアタシが華麗に救ったというか」
診察を待っていた老婆が急に悲鳴をあげた。
小さな子供が嗤いだす。
そして、意識不明で運ばれてきた患者が、急に起きて半狂乱で暴れ出したのだ。
ロビーに吹き荒む風。
撫子は背筋を凍らせ恐怖した。
鬼気を纏いながら病院をあとにする愁斗を止めることができなかった。
空は急に曇りはじめ、遠くから雷鳴が聞こえてきた。
愁斗は怒りを抑えられなかった。
3人とも病院送りにしてやればよかった。
翔子を突き飛ばして殺そうとしたのは残りのどちらか?
そんなことどうでもよかった。
復讐だ。
心の声が復讐しろと叫んでいる。
そして、復讐が終わればすべて丸く収まる?
愁斗は立ち止まった。
それで自分と翔子はうまくいくのだろうか?
他人のせいでこうなかったのか?
すべてを周りのせいにしてしまえば楽だった。
しかし、愁斗は気付いている。
だから翔子に別れを告げたのだ。
それなのに、未練が残っているのはなぜだ?
「僕がすべてをだめにしたんだ」
翔子の歩む道を共に生きたかった。
なのに結果は自分の道に翔子を引きずり込んでしまった。
後悔。
呪われた自分の運命への憤り。
渦巻く怒り。
幼いころに母と死別して以来、過酷な道を歩んできた。父と共に拉致され組織によって飼育された幼少期。どうにか組織から逃げ出すも、親がいない、頼る者もいない世界で、幼い子が生きるのは過酷だった。生きるために傀儡師としての力で手を赤く染めた。亜季菜に拾われるまでは本当に最悪の人生だった。
亜季菜は愁斗に新たな道を与えたが、その先に光は見えず、依然として闇の中を歩き続けてきた。
光が欲しかった。
闇の中に灯る光は愁斗にとって希望だったのだ。
愁斗は胸を抑えた。
ここにはまだ大切なひとからもらった光が残っている。
翔子は決して復讐なんか望んでいない。
そんなことはわかり切っている。
なのに復讐しろと震える手が猛っている。
翔子をイジメている相手を目の前にしたら、今なら確実に八つ裂きにしてしまう。
「クソッ……どうしたんだ僕は……」
明らかに可笑しい。
まるで自分が自分で無くなっていくような。
闇に呑まれていく。
朝から空を覆っていた雲は黒くなり、雷が鳴り響くとほぼ同時に豪雨が降ってきた。
「あああああああっ!」
急に腕を抑えながらしゃがみ込んだ愁斗。
まるで漆黒の蛇に巻き付かれたように、両手の指先から〈闇〉に侵蝕されていく。
心の異変。
そして、躰に起きた異変。
使役していた〈闇〉に喰われる。
手が焼けるように痛い。
手が凍るように痛い。
〈闇〉に喰われたくなければ、べつのモノを生け贄に喰わせればいい。耳元でそう囁かれている。力の暴走は、その力を解放して放出してやればいい。
復讐だ、復讐だ、復讐だ!
頭の中で木霊する叫び声。
豪雨と雷鳴しか聞こえない灰色の世界。
――愁斗は発狂した。
目の前に二人の女子生徒が現れた。翔子をいじめていた二人だ。
なぜ、どうして、ここに?
血眼の二人が急に襲ってきた。
嗤う愁斗。
二人の首が飛び、胴が腰からずり落ちた。
水溜まりが朱く染まる。
愁斗の世界が暗転して眩暈を覚えた。
目を瞑り開けると、地面には男の屍体が2体あった。
ただの男たちではない。躰が爬虫類のような鱗で覆われていた。
再び目を瞑り開けると、そこには少女たちの屍体があった。
なにが現実でなにが幻か?
死の雨が降る灰色の世界を愁斗は歩きはじめた。