狂い咲く奈落花(4)
5時間目になっても愁斗は教室に戻ってこず、放課後になっても姿を見せなかった。
ひとり下校する翔子。前を歩くクラスメイト2人が、一瞬振り返って足早に姿を消した。その二人がイジメの犯人であることを翔子は知らない。
少し考えれば犯人を特定することはもうできたはずだ。報復を受けた生徒と仲のよかった二人のことは知っている。ただ、それを考える余裕が今はなかった。
あんな別れ方をするなんて。
イジメが切っ掛けになってしまったのか?
それともはじめからうまくいかない運命だったのか?
帰路の景色は目に入っていなかった。心はここにない。
急に躰を後ろに引っ張られ翔子はハッとした。
目の前を通り過ぎる車。横断歩道の先の信号は赤だった。
「ぼーっとして危にゃいよ!」
翔子の服を引っ張って助けたのは撫子だった。
その顔を見た瞬間、ダムが決壊したように翔子は泣きじゃくった。
翔子に抱きつかれて焦る撫子。
「ど、そうしたの!?」
「う……ひっく……愁斗くんに……」
「にゃにかされたの!?」
「違うの……でも、別れようって」
「えっ!?」
驚きながらも、すぐに撫子は珍しく難しい顔をして頷いた。
二人の事情をある程度把握している撫子は、キライになって別れが切り出されたわけではないとすぐに察した。
撫子自身も楽しい学園生活が本来自分がいる場所ではないため、同じような身の愁斗がただの少女だった翔子とうまくいくのか、結末はなんとなく予想していた。
しかし、だからといってその結末を望んでいたわけではない。
「翔子ちゃん元気出して、カップルにはよくあることだよ、うん。しばらくすればきっと寄りが戻るから」
「……本当?」
「えっ……うん、だいじょぶだいじょぶ、愛のキューピット撫子ちゃんがついてるから!」
一瞬戸惑いながらも満面の笑みで返した。
ふっと翔子は笑顔になった。
「ありがと」
その言葉を残して急に撫子の視界から翔子が消えた。代わりにそこにあったのは、伸された腕。
撫子は理解できずに眼を丸くした。
目の前に立っている女子生徒。翔子をイジメていたひとりだ。
なにが起きた!?
「キャーッ!」
翔子の悲鳴。
すぐさま撫子は振り向いた。
アスファルトに尻をついて倒れている翔子に迫る自動車。
理解よりも先に撫子は地面を蹴り上げる。
急ブレーキの悲鳴。
アスファルトが焦げる。
翔子を抱きかかえながら撫子は道路を転がった。
対向車線からも車が迫っていた。
瞬時の判断で撫子は翔子を抱えたまま迫ってくる車を飛び越そうとした。
人間の身体能力を越えた跳躍。
撫子の足下を車が風を切りながら通り過ぎた。
しかし、後ろにはもう一台の車が!
撫子は宙で躰を反転させた。
鈍い音と共に撫子は背中をフロントガラスに打ちつけた。
「うっ」
自分がクッションになり翔子を庇ったのだ。
あっという間に辺りは騒然となり、交通は麻痺して、通行人たちも足を止めた。
少女二人が空から降ってきて、フロントガラスを割られた運転手が車から降りてきた。
「だ……だいじょうぶですか?」
声を震わせる若い主婦。チャイルドシートの赤ん坊が泣いている。
二人とも意識はあったが、翔子は苦痛を浮かべ上半身を起こしながらも、立てずに足を庇っていて、撫子は立ち上がっているが片腕がだらんと地面に伸びていた。
「腕折れたわ、コレ。翔子ちゃんだいじょぶ?」
「ダメみたい。足を動かそうとするとすごく痛くて動かないの」
二人とも骨折していた。重症だが、あれだけ派手に自動車にはねられて、これだけに済んだのは撫子のお陰だ。
撫子は辺りを見回した。
「あの顔見覚えあるんだけど、翔子ちゃんも見たよね、あの女!」
「……うん」
重い表情で頷いた。
「わたしあの子たちにイジメられてるの。でも、まさかこんなことまでされるなんて」
殺されかけた。
「はぁ!? イジメってにゃに? 殺人未遂じゃんコレ、原因はにゃに?」
「…………」
翔子は答えなかった。
全容は見えないが、撫子はこの件と別れ話が繋がっているとおぼろげに悟った。
顔を蒼白にしている主婦が尋ねてきた。
「救急車呼んだ方がいいですよね?」
撫子は手のひらを突き出してNOを示した。
「爆やめてください。ケーサツも呼んじゃダメだから」
撫子の立場上、病院も警察もあまりお世話になりたくない。とは言っても大きな事故になってしまった。
「とりま上司に報告して……にゃーっ! ポッケに入れてたスマホのディスプレが砕けてる!」
「わたしが掛ける。大きな怪我をしたり、事件に巻き込まれたりしたら、愁斗くんの知り合いに電話するように言われてたから」
愁斗には別れを告げられたが、この状況ではその知り合いに助けを求めるほかない。
ケータイが繋がり相手の声がした。
《伊瀬ですが、何用でしょうか?》
傀儡師である愁斗の正体を知る数少ない一般人。大財閥の令嬢である亜季菜の秘書の伊瀬が通話に出た。
事情を説明すると5分もせずに普通の救急車が現場に到着した。
二人を乗せて走り出す救急車。
サイレンの音を背にしながら、その影は笑いながらその場をあとにした。