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傀儡師紫苑  作者: 秋月瑛
狂い咲く奈落花
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狂い咲く奈落花(3)

 目が覚めて、カーテンを開けると晴だった。

 けれど翔子の心は曇り、気を少しでも抜けば雨が降ってしまいそうだった。

 翔子はごみ箱に目をやった。きのう捨てた紙くずがまだ残っている。今は丸められてわからないが、紙には文字が書かれていた。その内容を他人に話す気はなく、忘れてしまいたいと思っているが、それが無理なことを翔子は知っている。

 なぜなら、まだ続くからだ。

 どうしたらいいのかわからない。

 学校に行くのも憂鬱だが、周りに心配をかけたり、このことが気付かれるのも嫌だった。

 まるで何事もないような日常を演じる。

 自分以外の世界も日常を刻んでいる。母はいつものように朝食をつくり、笑顔で翔子を送り出す。登校中の景色もいつもと変わらず、学校だって外から見ればいつもと変わらない。

 下駄箱を開けるのに少し勇気が必要だった。

 息を呑んでゆっくり扉を開ける。

 上履きはいつもと変わらない。中にはなにも入っていなかったので、一安心して履いて教室へ向かった。だが、安心したのも束の間だった。

 ノートを机に入れようとしたのに入らない。なにかが詰まっている。ゴミだ、紙くずやトイレットペーパー、使用済の生理用品まで突っ込まれていた。

 クラスメイトの視線が翔子に集まる。横目でチラチラと見て見ぬ振りをして、だれも声をかけてくる者はいない。関わらないようにされていた。

 表面化した。

 今まで翔子はなにかをやられても、だれにも言わず自分だけで留めていた。それがこんな目に付くようなやり方をされ、隠し通すことができなくなってしまった。

 たとえ翔子が口にしなくても、この光景を見ればだれも同じ事を思う。

 ――イジメられている。

 被害者は翔子。

 加害者はわからないが、だれも関わりたくないと思っているし、近くにいると思って警戒しているだろう。イジメは対岸の火事ではないからだ。火の粉がいつ飛んできて燃え上がるかわからない。

 そっと近づいてきた愁斗が机のゴミに手を伸してきた。

「やめて! 秋葉くんは手伝わなくていいから」

 張り上げた声は教室に沈黙を落とした。

 翔子は教室で孤立した。

 無言のまま神妙な顔をする愁斗。

 新たな生徒が笑い話をしながら教室に入ってきたことで、沈黙は破られ日常の教室に戻った。

 ただその中で翔子は黙々と片付けをして、愁斗は席に戻って机の下で拳を握った。

 クラスメイトが理解したように、愁斗も理解し、気付かなかった自分への憤りと、犯人への怒りが込み上げてきた。

 風の音?

 窓は開いてない。廊下からでもない。よく聞くとそれは鳴き声だった、呻き声だった、叫び声だった。

 突風に似たモノがカーテンをはためかせ、黒板を爪で引っ掻くような音が響いた。

 生徒たちは躰をびくつかせ、何人かは耳を両手で塞いだ。

 愁斗の額から汗が机に落ちた。

 止んだ。

 風も音も去って行った。

 愁斗は視線に気づいて振り向くと、翔子が忌むような表情をしていたが、すぐに顔を背けられてしまった。

 イジメの犯人を許すことはできないが、その怒りに囚われてはいけない。妖糸で探れば犯人を見つけ出せるかもしれないが、今の状態ではクラスメイト全員の首を刎ねかねない。

 危うい力の暴走は日々強く抑制しなければならなくなっている。闇が迫っている。それも急速に。愁斗は予感していた。

 体調がすぐれないというより、躰の内側のなにかがすぐれない。早退するという選択肢もあったが、翔子のことが気になって仕方がない。

 1時間目は理科室で実験だ。授業中にも犯人がなにか仕掛けてくるのではないかと、愁斗は神経を尖らせていたが、それは気苦労に終わった。チャイムが鳴った瞬間に安堵して気が抜けた。

 それが愁斗の誤ちだった。

「キャーッ!」

 少女の悲鳴。

 翔子が身悶えながら背中に手を伸している。

 微かにクスクスという笑い声がした。

 愁斗は翔子と周辺を交互に注視したが犯人は見つからない。いったい翔子になにが起きたのかもわからない。

 じたばたする翔子の服の中から白いなにかが落ちた。生き物だ。それは素早く廊下を駆け抜けていった。

 堪らず愁斗は妖糸を放った。

 廊下の端でそれを捕らえた――瞬間、妖糸が暴走して血飛沫が廊下を彩った。

 その場まで追ってきた翔子が口元を押さえて絶句する。

 血みどろになったハツカネズミの死骸。

 振り返った翔子と眼があった愁斗。

 翔子はなにも言わないまま口元を押さえながら逃げるように走り去ったのだった。

 ハツカネズミを殺したのが愁斗であることは、翔子なら気付いたはずだ。そんなつもりはなかったのに、完全に裏目に出た。

 2時間目からずっと同じ教室で過ごすことになる。愁斗と翔子は互いに眼を合わせない。震える手を抑える愁斗。不安げな表情で瞳を潤ませている翔子。

 誰にも見られないように翔子は人差し指で軽く涙を拭った。

 4時間目の授業がはじまり、教科書を開いた翔子はメモが挟まっていることに気付いた。

 ――昼休みに校舎裏に来い。

 そう書かれたメモには地図も書かれており、×印にココと矢印で示されていた。

 1時間が長かった。昼休みまでの時間が刻々と迫ってくる。

 いったい昼休みになにが待ち受けているのか?

 イジメの犯人に面と向かってなにかされるのだろうか。それともからかわれただけで、待ちぼうけをくらうということもありえる。直接犯人に会えるならそれがいいと翔子は思った。そうなら少しは解決の糸口が見えてくる。

 顔の見えない犯人に為す術もなく精神的に傷つけられていく。それがもう耐えられなかった。

 チャイムが鳴った。

 授業が終わっても、しばらく翔子は席を立てなかった。

 行かないという選択肢は翔子にはなかったが、それでも足がすくんでしまうのだ。

 意を決して席を立った翔子。愁斗に顔を向けることはしなかった。

 一歩一歩踏みしめるようにして校舎裏に向かう。

 校舎を出て、しばらく歩き、そこを曲がれば校舎裏だ。

 誰が待っているのだろうか?

 犯人はクラスメイトだということは、ハツカネズミの件ではっきりしている。

 翔子はいつに校舎の角を曲がった。

 静かだった。

 誰もいなかったのだ。

 地図に書かれていた正確な場所に向かう。

 絶句する翔子。

 壁に貼られた紙に文字が書いてあった。

 ――別れろ!

 乱暴な赤い字で殴り書きされている。

 次の瞬間だった。

 脳天に冷たい衝撃を受けて思わずしゃがみ込んだ。

 髪と制服がびしょ濡れになってしまった。上から大量の水をかけられたのだ。

 翔子は寒気で自分を抱きしめた。

 輝線が宙を趨る。

 地上から校舎を這うように昇った輝線は開いている窓に飛び込み、走り去る女子生徒に迫った。

「ぎゃああああっ!」

 女子生徒の悲鳴が校舎裏の翔子の耳まで届いた。

「ひぃぃぃっ!」

 廊下で怯えた表情して顔を覆う女子生徒。その指の間から見える先で、友達の女生徒が首を押さえて地面をのたうち回っている光景を目の当たりにした。

 別の女性生徒が駆け寄ってくる。

「どうしたの!?」

 床に転がっているバケツ。

「あいつに水をぶっかけたあといきなり苦しみだして」

「ヤバイよ、だれかに見られたらマジヤバイから早く逃げよう!」

「美緖のことどうすんの!」

「わかんないけどここから離れないと!」

 首を押さえていた美緖が白眼を剥いた。

 そのとき別の場所で愁斗は廊下の壁を殴っていた。

「……はぁはぁ、もう少しで殺すところだった」

 額に汗が滲む。

 やはり翔子のことが気になった愁斗は後先考えずに妖糸で校舎裏まで追跡した。翔子が水を被ることは防げなかったが、すぐに犯人が上にいることを察して追撃してしまった。

 バケツの水をかけた実行犯。その近くにいた共犯者。駆けつけて来たのは見張り役。イジメの犯人は3人ともクラスメイトだ。

 そして、愁斗は自分が原因だったことを知って衝撃を受けた。

 この事件が起きる前から愁斗は思い悩んでいた。

 翔子に幸せをもたらすどころか、どんどん不幸にしているのではないか?

 出逢わなければよかった。

 これまで歩んできた血塗られた道。愁斗がこの道から抜け出せぬ以上、共に過ごす者は同じ道を歩まなくてはならない。

 傷心しながら教室に戻ってきた愁斗は席にもたれ掛かった。

 救急車の音が近づいてくる。そのことはすぐ騒ぎになって誰がどうしたと噂が飛び交う。

 しばらくして体操着姿の翔子が教室に戻ってくると、おしゃべりなクラスメイトがすぐに話しかけてきた。

「美緖ちゃんが救急車で運ばれたみたい」

「どうして?」

「よくわかんないんだけど急に廊下で倒れたんだって」

 話を聞いた翔子はずっと視線を向けなかった愁斗をチラリと見た。愁斗は髪をかき上げ片手で頭を抱えていた。その様子が可笑しいことはすぐにわかった。

 席に着いた翔子はケータイをいじり、席を立って教室を出た。

 すぐに愁斗のケータイがメールを着信した。

 席を立って教室を出た愁斗は屋上へ続く階段に向かった。閉鎖されている屋上に続く階段は、あまりひとが来ない場所だ。そこで翔子が待っていた。

 悲しげな表情しながら、瞳は愁斗の心を射貫くようだった。

「あなたがやったの?」

「…………」

 すぐに答えられなかったが、少し間を置いて頷いた。

 涙を振り撒きながら迫ってくる翔子が手を振り上げた。

 愁斗の頬を襲う衝撃。

 見つめ合うふたり。

 静かな廊下に寒々とした愁斗の声が静かに響く。

「僕たち別れよう」

 泣きながら去って行く翔子の後ろ姿を見ることはできなかった。

 愁斗は崩れるように壁に寄りかかって尻をついた。

 終わった。

 なんの責任も取れないまま。けれど、このままでは、さらに翔子を不幸にしてしまう。

「クソッ……クソッ……」

 肩を震わせながら愁斗は手のひらで瞼を拭った。

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