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傀儡師紫苑  作者: 秋月瑛
狂い咲く奈落花
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狂い咲く奈落花(1)

 静かな季節だ。

 まだまだ寒さが残り、春の訪れが待ち遠しくもあるが、それは別れの季節でもある。

 3学期も残すところあとわずかだった。

 卒業する先輩たちへのはなむけに、演劇部の公演が行なわれた。

 もともと部員の少なかった演劇部は、文化祭での事件以降、廃部の危機に陥ったが、新部長になった翔子や部員たちの尽力で、どうにか今日という日までこぎ着けた。

 けれども大盛況にはほど遠く、空き教室で行なわれた質素な公演だった。

 観客は愁斗目当ての女子と、部員の友達と先生たちだけだったが、拍手はとても大きなものだった。

 客席を立ち、満面の笑みで二人の先輩は惜しみない拍手を贈った。

「よかったわ、本当に役が乗り移ったみたいだったもの」

 麻耶の言葉を受けて、翔子は緊縛が解かれたように、深い息を吐いて肩の力を抜いた。

「ありがとうございます」

 部長としての役目をひとつ終えることができた。

 それは元部長も同じだ。

「僕らが卒業しても大丈夫そうだね。新入生が入部してくれたら、もっといい演劇ができそうだ」

 隼人は愁斗の肩を叩いた。

「今は男ひとりで肩身が狭いと思うけど、もうちょっとの辛抱だから。あとは本当に男子生徒させ入部してくれればなぁ」

 後半はぼやくようだった。

 元々いた男子部員はあの事件でいなくなってしまった。

 被害者となった1年生の須藤拓郎。そして加害者の雪村麗慈。

 もうひとりの傀儡師麗慈の出現によって、歯車は大きく廻りはじめた。

 世間一般では事件の真相は明るみなってはいないが、闇の中でも歯車は廻り続け、小さな歯車はやがて世界を動かす。

 傀儡師によって紡がれる糸。

 愁斗が背負っている運命の車輪に巻き込まれた人々。沙織もそのひとりだが、記憶は改竄され平凡な日常を送っている。

「男子がいなくても宝塚みたいにしちゃえばいいと思いますぅ!」

 本気の目をキラキラ輝かせている沙織を、眼鏡の奥から呆れた視線を送る麻衣子。

「発想が単純なんだから。秋葉先輩はどうするのよ?」

 横にいた久美がうなずく。

「そうそう、秋葉先輩が舞台に立たないとお客さん減りますよ」

 麻衣子と久美も記憶を書き換えられ、愁斗はただの秋葉愁斗先輩でしかなかった。

 同じ世界にいながら、違う世界から景色を眺めている感覚。

 愁斗の瞳は愁いを帯びていた。部員たちを眺め、ふと視線を止めた先にいる翔子の姿。彼女を引き込んだのは愁斗だ。翔子が見ている景色も常人のそれとは違うはずなのに、彼女は今も日常の中を生きようとしている。

「どうした?」

 声をかけられたことに気付くのに少しかかり、それが隼人だと気付いて愁斗は無言で振り向いた。隼人は心配そうな表情をしている。

「まだ役が抜けきってないのか? 病に倒れ、闇に心を蝕まれていく様は迫真の演技だったけど、あんまり役を引きずっちゃダメだぞ」

「はい、大丈夫です」

 淡々と答えながら愁斗は震える拳をさりげなく腰の後ろに隠して押さえた。

 このごろ何かが可笑しい。それは自分だけの異変なのか、それとも身近なもの、もしくは世界全体の異変か?

 世界は魔導を認知した。

 あれは冬休みの最中だった。D∴C∴の過激派が起こした大事件。首謀者ゾーラによって、龍神が東京湾に現れた。

 あのニュースは世間を騒がし、憶測や噂が飛び交い、総理大臣すら知らなかった秘密を、政府特殊機関の陰陽師が総理に打ち明け、国家は総力をあげて隠蔽に努めた。それでも実際に起きて、目にしてしまった人々を欺くのは難しく、デモや新興宗教、頭の可笑しいニセモノたちが日本全国なのみなら、世界にまで波及する結果になった。

 しかし、大多数の人間たちは今も昔と変わらぬ生活を送っている。

 信じる信じないに関係なく、彼らの生活にまだなにも関わり合いがないからだ。

 空を見上げれば魔女が飛んでいるわけでもなく、魔法で料理洗濯掃除が楽になったわけでもない。ニュースの向こう側の世界のどこか遠い国で戦争をやっていても、それを身近に肌で感じることができようか?

 業を煮やした表情で麻耶が隼人の脇腹を小突いた。理解できずにきょとんとした隼人の耳を引っ張り、麻耶はこう囁いた。

「送別会」

「あーそうそう、今日はファミレスで僕のおごりで」

 隼人の発言に撫子が瞳を輝かせる。

「マジすかっ、部長のおごりっすかぁ!」

「うん、まあ人数も少ないから……大丈夫だと思うけど。あと部長じゃなくて、元部長ね」

「2次会はカラオケでケッテー!」

「……2次会の費用は自腹で」

 パーティー気分の部員たちはさっそく学校を後にしようと、片付けを済ませて部室を出ることにした。真っ先に部室を飛び出したのは撫子だ。

 末端とはいえ撫子もD∴C∴の団員である。任務は愁斗の監視だが、学校は遊び半分で来ているし、学校外の時間は完全に遊んでいる。ただの女子中学生を演じているのではなく、任務を忘れて事件さえなければ、ただの女子中学生として日常を楽しんでいた。

 部室に差し込む夕日。最後に残った翔子が、窓辺に立っている。不思議に思った麻耶が廊下から教室を覗き込みながら声をかける。

「どうしたの?」

「いえ、なにも……」

 無理につくったような笑みで振り返った翔子。その手には紙がもたれ、そのままポケットに入れられ握りつぶされた。麻耶は翔子の表情に気付いたが、紙のことまでは気付かなかった。

 遅れて翔子と麻耶が下駄箱に行くと、隼人が近づいてきた。

「みんな校門で待ってるよ」

 隼人と麻耶はふたりで3年生の下駄箱へ、翔子は2年生の下駄箱へとやってくると、そこで愁斗は静かに立っていた。

「愁斗くん待っててくれたんだ」

 少しはにかむ翔子。反応が薄い愁斗は小さく頷くだけだった。

 先輩ふたりの楽しそうなおしゃべりが下駄箱から遠ざかっていく。それに触発された翔子は考えなしに口を開く。

「愁斗くん!」

「なに?」

「……えと……麻耶先輩と隼人先輩って、お似合いだよね?」

「そうだね」

 そっけない愁斗。それはいつものことで、愁斗が撫子と違ってテンションも高くなく、おしゃべりでもないことを翔子は十分に承知している。でも翔子はもっと愁斗とおしゃべりがしたいと思っている。自分のことを話したいし、愁斗のことも話して欲しい。

 しかし、愁斗は未だに影を背負っている。

 ひとを近づけない雰囲気。昔に比べれば近い知り合い、同じ部員たちとの距離は遠くはないし、翔子との距離は近い。クリスマスのあの日、愁斗に連れて行ってもらった愁斗の母のお墓。あのときにあった出来事、あのとき距離はぐっと近づいた。

 はずだったが、いつの間にか距離は少し離れてしまった。

 近づこうとすると愁斗が逃げるように引いてしまう。

 愁斗のことが知りたい。聞きたい。けれど愁斗の大部分は暗い闇に包まれている。

 ――僕の母は殺されたんだ。それも僕の目の前で……。

 それ以上の話を愁斗は未だ翔子にしていない。

 愁斗のことを尋ねるということは、魔物が蠢く闇の中に手を突っ込むのと同じ事。それはとても勇気のいることだった。

 いつかは話して欲しい。

 そのいつかが本当に来るのだろうか……。

 愁斗と顔を合わせないようにして、翔子は重い息を吐きながら下駄箱を開け、靴を履き替えようとした。

 靴の中につま先まで入れた瞬間。

「いたっ!」

 急に声をあげた翔子。

 愁斗が鋭い表情になった。

「どうしたの?」

「なにか……ん? だいじょうぶ、心配しないで小さいトゲが入ってたみたい」

 靴を傾けるとなにかが転がって落ちてきて、翔子はそれをさっと軽く握って隠し、ポケットの中に入れた。

 心配そうな表情に代わってた愁斗を見て、翔子は優しい笑みをした。

「みんなが待ちくたびれちゃうから、早く行こう」

 その笑顔に愁斗は一瞬騙されかけた。

 しかし、愁斗にはすべてわかってしまう。

 歩き出した翔子の足運びがぎこちなく、傷を庇って歩いていることが手に取るようにわかる。不可視の糸が教えてくれる。

 傀儡師の糸を翔子に巻き付けておけば、いつどこでなにをしているのか、おおよそのことはわかってしまう。愁斗の置かれている立場の危険性を考えれば、真っ先に危害が及びそうな翔子を監視することは、彼女を守ることになるのだが、あまり翔子にたいして糸を使うことを愁斗は良しとしていなかった。

 自由を奪い束縛することになりかねないからだ。

 傀儡師の本分とは、すべてのモノを思いのまま操ること。

 愁斗は翔子に巻き付いていた糸を解いた。

 そして、何事もなかったように歩き出した。

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