狂い咲く奈落花(序)
かつて戦いに敗れた者がいた。
地位を奪われ、名を奪われ、肉体を奪われた。
そこはいつしか禁断の地と呼ばれ、近づくことさえ禁忌とされ、静寂を刻んでいた。
しかし今、この地に怨念が吹き荒む。
湿った黒土の臭い。
亡者どもが起こした冷たい風が薬草の匂いを運び、赤い飛沫が鉄の臭いを散まいた。
「わたしの愛しい貴方……復活の刻は目前」
まるでそのシルエットは何匹もの蛇が狂い踊っているようだった。それは振り乱された女の髪だ。漆黒の薄衣を身に纏った魔女が、取り憑かれたように魔法陣を描きながら踊っていた。
「キャハハハハハ!」
裂けんばかりに嗤う真っ赤な唇。
瘴気を纏った魔女の躰がうねり狂い踊り続ける。
神殿の奥深く。
まるでそこは墓地のような場所。
人間が存在する以前から、この遺跡は存在していた。
かつて栄えたであろうモノたちの時代から、ここは神殿であり、神の憑代が祭られていた場所であった。いつしかそのモノたちの文明は衰退し、猿どもの子孫が地上を支配したが、この地は神殿としてあり続けた。なぜなら、それは夢想や概念でなく、存在していたからだ――神と呼ばれる〈モノ〉が。
まるで墓標のように聳え立つ門。それはヒトのための門ではない。あまりの大きさにそれが門とはわからず、巨大な岩山にしか見えないほどだ。
門は空間を隔てるために存在する。
微かに、悲鳴が、鳴き声が、呻き声が、あの門の〈向う側〉から聞こえる。
ある者たちにとって、門[ゲート]は特別な意味を持つ。
それは異世界への扉。
〈向う側〉に通ずる門が、この地にあったからこそ、支配者が代わり、文明が代わり、幾星霜の刻を経ても神殿としてあり続けたのだ。
しかしヒトの時代になり信仰は衰え、今やこの地を知る者は魔導結社のごく限られた上位階級の魔導士のみとなった。
魔導結社D∴C∴[ダークネスクライ]は、この地に総本山を建てた。
それも昔の話となった。
今ここに存在している神殿は廃墟である。
すべては過去の話。
敗れ去った者は忘れられる。記憶からではなく歴史からだ。
かつてその女もD∴C∴の幹部であった。
蛇のような髪を振り乱す冷血な魔女メディッサ。
瞳を閉じながら呪術を唱え、一心不乱に門の前で踊り続ける。
微かに、悲鳴が、鳴き声が、呻き声が、あの門の〈向う側〉から聞こえる。
魔女が踊る死の輪舞曲[ロンド]。
踊りながら地面に立てられていた蝋燭に火を灯す。
魔女の濡れた唇から漏れる吐息。
「嗚呼……」
屍体の山。
殺された魔導士たちの輪の中でメディッサは踊っていたのだ。
呪術の合わせて血にまみれた屍体がぬっと起き上がり、不気味に輪舞曲を踊り出す。
仄暗い世界から、手招きされる。
さあ、踊りましょう。
宴の招待状は生者へ送られる。
屍体から伸びた操り糸は異形の手に握られていた。
赤黒く硬質な肌から伸びた6本の指には鳥のような鉤爪が生えていた。
「還ってきたぜ……テメェに復讐するためにな」
メディッサがその名を囁く。
「麗慈、あなたの力が必要よ」
〈闇〉が絶叫が木霊し終焉の幕が上がった。