夢見る都(4)
舞台の照明が一気に明るくなった。
「ここでいったん止めましょう」
隼人の声が舞台に響いた。
すると緊張が解けたのか翔子が深く息を吐く音が舞台に響いた。
「ふう、衣装のお腹回りが少しキツイんだけど?」
アリア役を演じていた翔子はそう撫子に訴えた。アリアの衣装を作ったのは裁縫が得意だと自負した涼宮撫子だ。
「そんにゃハズにゃいよぉ〜、三週間前に翔子のウェスト測ったじゃん」
三週間に役者全員のサイズを測って撫子が全ての服飾を作ったのだ。そして、その服飾ができあがり、役者たちは今日はじめて衣装に袖を通したのだ。
「でも、キツイんだもん」
「それって、翔子が太ったんじゃにゃいの?」
「ひど〜い!」
「じゃあ、翔子以外にサイズがあってにゃいひと手上げてぇ〜」
撫子がそう聞くと手を上げたのは翔子だけで、他のみんな首を横に振った。
自分の採寸と裁縫技術が正しいことを確信した撫子は満足げな笑みを浮かべた。
「じゃあ、そういうことで翔子はダイエットってことで、よろしく♪」
「……う、うん」
翔子が不満げに押し黙ったところで、隼人は全員の気を引くために手を叩いた。
「はい、じゃあ、翔子さんはダイエットをするってことで一件落着ですね。え〜と、翔子さんが祈りを捧げるシーンで、侍女役の早見さんの出るのがちょっと遅かったかな。たしかにあそこは間が必要なんだけど、動きも会話もないシーンって観客に結構不安を与えるんだよね。だから、もうちょっとだけ早く出てみてください」
「はい、わかりました」
麻衣子が返事をしたのを確認した隼人は話を続ける。
「それで、秋葉くんはいつもよりよかったと思うよ……。雪村くんの演技がよかったせいかな?」
愁斗の演じるフロドの敵役であるメサイ役は、今日休んだ須藤が演じる役なのだが、今日はその代役を麗慈がした。
麗慈はひとりだけ制服で台本を片手に持って演技をしていたが、その演技は迫真の演技だったと言えた。本当に愁斗と麗慈は仲が悪いのではないかと思わせるほど、二人は役に入り込んでいたのだ。
新入部員の思わぬ活躍に撫子は麗慈をはやし立てた。
「烈すごかったよ麗慈クンの演技。麗慈クンってさあ、演劇とかやってたの?」
「まあな。それよりも、今の烈ってなに?」
「超に変わる新アレンジだよぉ」
撫子は常にテンションが高く、撫子語という特殊言語を操る。
みんなが集まる輪からひとり外れて立っていた愁斗に、麻那が近づいていって声をかけた。
「今日の愁斗、ちょっと変ね。何かあったの?」
「いいえ、何もないですよ」
返事には少し冷たい響きが含まれていた。
明らかにいつもと違う愁斗の雰囲気に、麻那は珍しいものを感じて微笑する。
「新入部員クンが気になるとか?」
「いいえ、違いますから、気にしないでください」
「いつもは優男クンなのに、今日はちょっとトゲがある感じじゃない? これが本性なのかしら?」
「……さあ、僕にもよくわからないんですよね」
惚けているわけもなく、翳のある表情をする愁斗に対して、麻那は素っ気無く言った。
「ふ〜ん、麗慈に嫉妬とかしてるんじゃないの?」
「どうして?」
「好きな女の子を取られそうでに決まってるじゃない」
悪戯にそう言う麻那の視線の先には、麗慈と楽しそうにおしゃべりをする女子生徒の姿が映っていた。
からかわれた愁斗は何の反応も示さずに、仮面のような無表情な顔をしていた。
相手の反応がなく、つまらなくなった麻那は隼人のもとへ向かった。
「隼人、今日の部活動はこれでお開きにしましょう」
この言葉を聞いた部員たちは少し驚いた顔をした。公演が近いのに早めに練習を切り上げるなんて、どういうことだろうと思ってしまった。
しかし、部長である隼人は麻那の要求をすんなりと呑み込んだ。
「じゃあ、今日の練習はこれでおしまい。ということで、涼宮さんが入部した時みたいに――」
隼人が言い終わる間に、それをされた本人である撫子がいち早く反応した。
「アタシの時みたいに、麗慈クンの爆歓迎会するんですよねっ!」
撫子の言葉に隼人はうなずき、それを見た撫子は隼人に手を差し出した。
「はい、部長」
「なに?」
撫子の手には何も乗っていない。つまり、何かをくれという意思表示だ。
「お菓子とか買って来ますから、お金くださいよぉ」
「いや、あのさ、ピザでも注文しようと思ったんだけど……」
「じゃあ、ピザも注文してください。アタシと翔子でお菓子とか飲みもの買って来ますから、ねっ?」
人懐っこい満面の笑みで、撫子は手のひらを隼人の腹に差し込んでグリグリした。笑いながら隼人を脅迫しているのだ。
「あはは、涼宮さんには負けましたね」
と言って、嫌な顔もせず隼人はポケットから財布を取り出し、千円札を二枚取り出して撫子に渡した。
「これで足りるでしょ?」
「二千円ですかぁ〜、ケチッ」
「ピザもあるから、そんなにいらないと思いますよ」
しぶしぶ撫子は納得して、素早い軽やかな身のこなしで動き、有無を言わせないままに翔子の腕を掴んだ。
「行くよぉ〜ん、翔子」
「本当に私も行くの」
「もちちだよ」
『もちち』とは、『もちろん』と言う意味である。
翔子の腕を強引に引っ張っていく撫子の背中に隼人が声を浴びせた。
「部室で歓迎会だからね」
「わかったにゃ〜ん♪」
まさに猫撫で声で撫子は翔子を引きつれ飛び出して行ってしまった。
翔子たちの通う星稜中学は昼食がお弁当で持参であり、朝の登校中に学校のすぐ近くにあるコンビニで、昼食を買ってくる生徒たちが多い。そこまではいいのだが、下校時にもコンビニに立ち寄る生徒が多いために、溜まり場となっていることが問題になっている。
コンビニに到着した二人は辺りを見回した。たまに教師たちが校外パトロールをしていることがあるからだ。
辺りを確認し終わった二人はコンビニの中に入った。
翔子が買い物カゴを持ち、撫子がその中にどんどんお菓子や飲み物を入れていく。
迷うことなく買い物を続けていた撫子の足が止まった。彼女の視線の先にはデザートがあった。
「どれをチョイスしようかにゃぁ〜」
「もしかして、自分用のデザートとか言わないよね?」
わざわざこうやって翔子が聞くのは、すでに撫子が自分専用のデザートを買うことを確信していて、『止めなさい』というニュアンスが含まれている。
「翔子はどれチョイスするぅ〜?」
「だから、勝手に自分の物買ったらマズイでしょ?」
「そうかにゃぁ〜、で、翔子はどれチョイスする?」
「だ〜か〜ら〜、もお!」
「ハイハイ、アタシだけプリングチョイスしちゃお」
カゴの中に撫子がプリンを入れたのを見て、翔子は露骨に嫌な顔をしたが、ため息をついて、もうそのことについては何も言わなかった。
レジで会計を済ませようとしたのだが、そこで思わぬことが起こった。合計金額が七九円オーバーしたのだ。
もらったお金よりも合計金額が超えたとたんに、撫子は仔猫のような瞳で翔子を見つめた。
「翔子ぉ〜、お金プリーズしてぇ〜」
「あなたが自分用のデザートなんて買うから――」
と少し怒りながらも、自分たちの後ろに客が並んでいることに気づいた翔子は、しぶしぶ自分の財布から一〇〇円玉を出して会計を済ませた。
コンビニの袋を受け取った翔子は、撫子の腕を強引に引っ張って、足早にコンビニの外に出た。
「今のお金は貸しだからね」
「えぇ〜、アタシたちの友情はウソだったの!?」
「そういう問題じゃないでしょ。お金にルーズなひとは生活もルーズなんだよ」
「いいよぉん、アタシはいつも緩みっぱにゃしだもん」
撫子はお金を返す気ゼロだった。
「もぉ!」
いくら翔子がこのことについて話しても、会話は平行線を辿るに違いない。だが、その前に二人の会話に割り込んできた人物がいた。
「あなたたち、コンビニでお買い物かしら?」
二人が振り向いた先に立っていたのは、森下麗子先生だった。この先生は演劇部の顧問でもある。
撫子はすぐにしまったという顔をして、翔子の後ろに隠れた。
「ビックリ麗子先生じゃにゃいですかぁ〜、こんなところで遭うにゃんてミラクルですねぇ、あははーっ」
「森下先先こんにちは」
翔子の顔もしまったという表情をしてしまっている。さすがにコンビニの袋を持った状態では、いい言い訳が思いつかない。
教員たちは文化祭が近いことから、校外パトロールをしていたのだ。そして、たまたま翔子たちは森下先生に見つかってしまった。
「コンビニでずいぶんとお買い物したみたいだけど、パーティーでもするのから?」
言い訳をするのも面倒だったので、翔子は正直に話した。正直に話すのは、この先生だったら見逃してくれる可能性があるからだ。
「実は、これから部室で新入部員の歓迎会をすることになりまして……」
「新入部員? また新しい子が入ったの?」
「はい、私と同じクラスの雪村麗慈くんが部活に入りました。後で先生のところに言いに行こうと思っていたのですが……」
「ふ〜ん、歓迎会じゃしかたないわね」
この言葉を聞いた撫子は翔子の後ろから急に飛び出してきた。
「麗子先生、話わかるぅ〜!」
「いいわよ、見逃してあげるわよ。でも、交換条件として――」
森下先生は翔子の持っていたコンビニ袋の中に手を入れてプリンを取り出した。
「これで黙っててあげるわ」
「あ、それアタシのプリン!」
「駄目なら交渉決裂よ。そもそも学校内で、しかも部室でお菓子食べてパーティーなんて本当は駄目なんだからね」
しゅんとした撫子はプリンをあきらめた。しかし、その目はうらめしそうだ。
このままだと撫子はずっとプリンを見ていそうなので、翔子は強引に撫子の腕を引っ張って歩き出した。
「森下先生、失礼しました」
「他の先生に見つからないように、気をつけなさいよ」
森下先生と別れて、すぐに撫子は元気になった。撫子は気持ちの切り替えがいつも早いのだ。
「プリンは食べたかったけど、人生山あり谷あり、波乱万丈だもんね」
「ちょっと大げさよ、それ」
「そうかにゃぁ〜、人生は苦難が多いと思うよ。例えば恋愛とか?」
恋愛という単語に翔子の耳がピクリと反応した。
「恋愛?」
「そうそう、恋愛。で、結局翔子はどっちチョイス?」
「どっちって何が?」
聞き返しながら、翔子は少し動揺していた。そして、撫子は悪戯な笑みを浮かべながら翔子をからかう。
「言葉に出しちゃって、いいのかにゃぁ〜」
「言ってみなさいよ」
「愁斗クン一筋だと思ってたのに、今日の翔子が麗慈クンを見る目……明らかに怪しかったにゃぁ〜」
「だから、何が言いたいのよ」
何が言いたいのか答えを聞かなくてわかっているし、翔子の顔はすでに桃色に染まっている。
「どっちの子が好きにゃのって聞いてるの」
「どっちって言われても……」
「もしかして二股ってのはダメだからね。翔子は好きな方を選んでいいよぉん、余り物をアタシがもらうから」
「二人を物扱いしないでよ!」
「じゃあ、どっちどっち?」
「……もぉ、聞かないでよ!」
「じゃあ、両方アタシがゲッチュだね」
「それはダメぇ〜っ!」
「だから、二股はダメだって、――あっ、翔子がハッキリしにゃいから学校ついちゃったよぉ」
学校内に入った二人はコンビニの袋を隠しながら、先生たちに会わないように部室に急いだ。
部室の中に入った二人がすぐに目にしたのは、不機嫌そうに腕組みをする麻那の姿だった。
「あんたたちおっそいわよ、パシリとして三流ね」
「アタシたちパシリじゃにゃいですよぉ。慈善活動で買い出しに行って来たんです」
「ハイハイ、慈善でもパシリでも、どっちでもいいから、買ってきたものを机の上に出しなさい」
いくつもの机を並べて大きなテーブル状になったその上に、ペットボトルのジュースやポテトチップス、そしてなぜかお酒のツマミまであった。
麻那はサラミを手に取り聞いた。
「何で酒のツマミまであるの?」
顔を向けられて聞かれたのは翔子であるが、カゴにどんどん入れていったのは撫子だった。
「私に聞かれても……、選んだの撫子ですから」
「だって、爆デリシャスじゃにゃいですかぁ」
撫子のいう『爆』とは、『烈』よりもスゴイ時に使う表現である。
「あっそ」
と呟いて麻那はサラミを遠くに放り投げて、ポテトチップスの袋を開けた。
翔子は買って来た紙コップをみんなに手渡している途中で、あることに気がついた。
「麗慈くんがいないみたいですけど?」
その問いに、みんなにお酌している隼人が答えた。
「雪村くんには学校からちょっと離れた通りでピザを待ってもらってます」
翔子は疑問を抱いた。麗慈のための歓迎会なのに、麗慈をお使いに出すなんて。
「あの部長、これって麗慈くんの歓迎会じゃないんですか?」
「ジャンケンで公平に決めろって、麻那が言うからさ」
歓迎会というのは表向きの理由で、実際はパーティーがしたいだけなのである。だから、誰をお使いに出そうと別にいいのである。そのことは翔子も承知の上だ。
「でも、新入部員をこき使うなんて、よくないですよ」
新入部員が部活に対して悪いイメージを抱くかもしれない――それが翔子には心配だった。せっかく部活に入ってくれたのに、辞められては困る。
だが、麻那はジュースを飲みながらさらりと言い放つ。
「弱肉強食よ――人生、強いやつが生き残っていくの。ジャンケンという勝負は学生時代には、ポピュラーな勝負方法よ。それに勝たなくてどうするの?」
「はい?」
翔子は思わず口をぽかんと空けてしまった。麻那の言っていることは、イマイチ理解できなかった。
撫子はお菓子の袋をひとつ持って、部室を飛び出そうとした。
「じゃあ、アタシは麗慈クンのところ行って来るにゃ〜ん」
部室を出て行く撫子の後ろ姿を見て、翔子ははっとした顔をした。だが、すぐに気持ちを切り替えて愁斗の方を振り向くが、愁斗の回りにはすでに三人組の女子がまとわり付いている。
その場に立ち尽くしてしまっている翔子に部長が声をかけた。
「ずっと立っていないで、座ったらどうですか?」
「あ、すいません」
声をかけられてはっとした翔子は近くにあった席に腰掛けた。
席についた翔子に隼人よりも先に麻那がジュースを注いだ。麻那がこんなことをするなんて、珍しいことだ。
「困ったことがあるなら、いつでも麻那お姉様に相談しなさい。相談料を弾んでくれればいい答えをあげるわよ」
「相談料取るんですか?」
「初回はタダにしてあげるわよ」
悪戯な笑みを浮かべる麻那。こんな人に相談なんてしたら、それを弱みに一生強請られそうだ。
しばらくしてMサイズのピザを三枚持って、麗慈と撫子が部室に戻って来た。
「お待ちぃ〜、ピッツァの到着だよ〜ん」
ピザが到着したことにより、パーティーに華ができた。
麗慈は翔子の横に座り、撫子は麗慈の横に座った。つまり、麗慈は翔子と撫子に挟まれる形となった。
一息ついた麗慈は、腕を伸ばしておつりを隼人に渡した。
「これ、おつりです」
「はい、どうも」
隼人そう言いながら撫子を見つめた。お菓子のおつりはどうしたの? という意思表示だが、撫子は知らん顔をしている。
撫子を見つめる隼人の意思を感じ取って翔子が弁解した。
「えっと、予算オーバーしちゃって私が少し出したので、おつりはないんです。ごめんなさい」
「あ、いや、別に謝らなくてもいいよ。こっちこそごめんね、翔子ちゃんにお金出させて」
「でも、部長だけにお金出させるなんて……」
「いちよう僕は年長者だし、それにお金を出し――痛いっ!」
急に隼人は声をあげて、横に座っていた麻那の顔を見た。もしかして、見えないところで麻那に足でも蹴られたのかもしれない。ということは、麻那もお金を出したのかもしれない。
部室の中に誰かが入って来た。部員たちは少し焦る。パーティーをしているのが部外者にバレるとマズイ。
だが、部室に入って来たのは顧問である森下麗子先生であった。
「あなたたち、盛り上がってるかしら?」
入って来たのが森下先生で、部員たちは一斉に息を吐いた。
森下先生は撫子を無理やり退かして、麗慈の横に座った。
「麗子先生、それは職権乱用ですよぉ〜」
「ハイハイ、顧問に口答えしない。私は新入部員に興味があるの」
紙コップを手に取った森下先生は、誰かに注げと目で訴えている。それに麗慈がすぐに反応する。
「なにを飲みますか?」
「お酒はないのかしら?」
「あるわけにゃいじゃん、爆横暴教師!」
撫子は森下先生の真後ろに立って、うらめしそうな顔をしてそう言った。だが、森下先生は完全に無視だった。
「じゃあ、お茶でいいわ」
お茶をコップに注ぐ麗慈を森下先生はうっとりした瞳で見つめていた。他に誰もこの場にいなかったら、食いつきそうな目でもある。
「いい男ね。演劇部に華が二輪も咲いちゃって……嵐が来なければいいけど」
嫌な含みを持たせる森下先生に麗慈は聞いた。
「嵐とはどういうことですか?」
「だって、いい男が二人もいたら、取り合いになって派閥でもできて、部活崩壊なんてこともありえるわよ。現にね」
森下先生は愁斗を中心に群がる女子三人組とこっち側を見て、再び口を開く。
「まあ、今日は一日目だから、今後の展開が楽しみね、ふふ」
悪戯ね笑みを浮かべる森下先生。それを見て翔子は少し不機嫌な顔をする。
「部活崩壊なんて言わないでください。せっかく、ここまでやって来たのに……」
演劇部は翔子が一年生に入った時から弱小部で、二年目の今年はいい雰囲気で来ているのだ。それを崩壊だなんて、ひどい。
少しの間、殺伐とした空気が流れたが、その後はどんどんパーティーは盛り上がっていった。