未完成の城(19)
翔子がないという事実に愁斗は動揺した。本当に行方がわからなくなってしまった。
普段ならば愁斗は念のために翔子に自分の妖糸を巻きつけていた。だが、麗慈との戦闘に全力で挑むためにその妖糸を切ってしまった。
翔子の居場所を探る方法はもうひとつあるのだが、その方法はこの世界では無効とされてしまっていた。
もうひとつの方法とは、愁斗が所有する全ての傀儡の身体に埋め込まれた魔導具の発する気を探ること。だが、この世界の中ではその気が完全に掻き消されていた。
「さらわれたのか、それとも自らの意思で……」
自らの意思でどこかに消えるとは考えにくかった。きっと誰かに連れ去られたのだろうと愁斗考えた。愁斗は撫子がこの世界にいることを知らなかった。
どこに翔子が行ってしまったのかと愁斗が考えた時、遥か遠くに微かだが城の一部が見えた。愁斗はその城に何かを感じた。
あの城に翔子がいるとは限らない。だが、何も手がかりがない以上は城に行ってみる価値はありそうだ。
愁斗は城に向かって走り出した。
走りながら愁斗は自分を責めた。翔子を守ると決めたのに、もし、翔子に何かあったら……。
大切なものを守りたい。愁斗は失うことを何よりも恐れた。愁斗はまだ悪夢から覚めていなかった。
愁斗の悪夢のはじまりは母が死んだところからはじまった。そこから全て狂いはじめた。
いつ悪夢から覚めるのだろうか?
翔子を守らなくてはいけない。そう愁斗は何でも自分に言い聴かせた。
しばらく愁斗が走っていると誰かに声をかけられた。
「愁斗先輩!」
それは麻衣子だった。すぐ横には久美もいる。
足を止めた愁斗に麻衣子が近づいて来た。
「愁斗先輩もここに遊びに来たんですか?」
「いや」
麻衣子の顔つきが変わった。
「私たちをもとの世界に帰す気ですか?」
「そうだ」
この言葉を聞いた久美が麻衣子の腕を引いて歩き出した。
「行くわよ麻衣子」
「ええ、行きましょう」
怒った様子の二人は愁斗から離れようとした。
愁斗は二人を追おうとはしなかった。今は一緒にいても足手まといになるだけだ。それよりも今は翔子を見つけて、この世界を創った者に会わなければならない。
愁斗は何かを感じた。何かが起こる。
世界が急に激しく揺れた。
この時ばかりはこの世界にいた者たちも慌てふためき出した。
笑顔で遊んでいた者たちの顔が怒りつき、創られた動物たちは自分たちが消えて、世界も消えることを知った。
揺れているのは地面だけではない。空気も空も地面も、全てが激しく泣いているように揺れる。
混ざり合っていた世界が切り離された。
次の瞬間、愁斗たちはもとの世界のテーマパークにいた。他の人々も帰って来ている。あの世界が崩壊する直前にもとの世界に戻されたのだ。
テーマパークは本来あるべき姿に戻り、帰って来た人々の記憶からはあの世界のことはなかったことにされた。
大きな物事の変動により、人々の記憶は大きく改ざんされた。
何事もなかったようにこのテーマパークを楽しむ人々。その中には愁斗たちも含まれていた。
「愁斗先輩、次何に乗りましょうか?」
麻衣子が愁斗に尋ねた。
今日は愁斗と麻衣子と久美の三人で新しくできたテーマパークに遊びに来た。
「そうだな、次はねえ……」
次に乗る乗り物を決めようとした時、愁斗は不思議な違和感を覚えた。本当にこの二人とこのテーマパークに来たのか?
愁斗は急に激しい頭痛と吐き気に襲われてよろめいた。
倒れそうになった愁斗の身体を素早く久美が支えた。
「大丈夫ですか愁斗先輩。気分でも悪くなりました?」
「あ、うん、ちょっと何だか気分が……」
愁斗は久美に支えられながら近くのベンチに座った。
二人に心配そうに見つめられて愁斗は苦笑いを浮かべた。
「そんなに心配しなくても平気だよ」
「ですけど、もし愁斗先輩にもしものことがあったら沙織さんが悲しみますから」
麻衣子は自分の言葉にはっとした。沙織とは誰のことだったか思い出せない。そんな知り合いはいないはずだ。
久美も沙織のことを忘れていた。
「沙織って誰だれのことよ、麻衣子の新しい友達?」
「いえ、そんな名前の知り合いはいないはずです。変ですね、どうしてそんな名前が出てきたんでしょうね」
その名前に聞き覚えは三人ともあったが誰だったのか思い出せない。
考え込んでしまった三人は黙り込んでしまった。
愁斗は先ほどから大切なものをどこかに置いて来てしまったような感覚に襲われていた。しかし、何をどこに?
「僕たち電車でここまで来たよね?」
馬鹿げた質問だと思いつつも愁斗は二人に聞いた。
「ええ、電車を使って三人で来ましたけど」
麻衣子は不思議な顔をしながら答えた。
久美も同じことを言う。
「駅で待ち合わせして来ましたよね?」
久美も自分の言っていることに違和感を覚えた。
三人とも記憶は駅で待ち合わせして電車に乗ってここまで来たと言っている。映像としては夢のように漠然としてしか思い出せないが、三人で来たのは確かなようだった。
では、なぜ違和感を感じるのだろう。
愁斗は三人で来た電車の風景を思い出そうとした。
最初は座れなかったが途中から並んで座った。そして、自分の名前を誰かが呼んだ。それが誰だったのか、愁斗は思い出そうとしたが急に頭痛に襲われた。
「あれは……誰……?」
愁斗の頭の中で誰かが『愁斗くん』と呼んでいる。自分は誰に呼ばれているのか。それはとても大切なひとだったような気がする。
――少しの間だけ、このままでいさせて……。
そう言った彼女はゆっくりと目をつぶって愁斗の肩に頭を乗せながら眠った。
自分の肩で眠るひとを愁斗は優しい眼差しで見守り続けた。
ベンチに座っていた愁斗が急に立ち上がった。
「どうして、どうして僕は大切なひとのことを忘れてしまったのだろうか……。僕が魔導に魅せられるとは……」
封じ込められていた愁斗の記憶が全て蘇った。
麻衣子は不思議な顔をして愁斗を見ている。
「愁斗先輩、どうしたのですか?」
愁斗の記憶を取り戻せたのは彼が魔導士であり傀儡師だったからだ。魔導の力を持っていない者は魔導によって封じられた記憶を取り戻すことはできない。
「僕は行くところがあるから、ごめん、また今度」
行こうとした愁斗の服を久美が引っ張った。
「待ってくださいよ、どうしたんですか?」
「急用ができたんだ」
「急用って何ですか? 私たちも連れて行ってくださいよ」
久美は愁斗の服を放さなかった。久美は自分でもなぜこのようなまねをしているのかわからなかった。ただ、愁斗ひとりで行かせたくなかった。
麻衣子も久美と同じ気持ちだった。
「愁斗先輩、どこに行くのでしたら私たちを連れて行ってください。なぜだかわからないのですが、私たちも行きたいんです。そして、誰かに会わなきゃいけないような……」
記憶が嘘をついていても、身体や心は覚えていた。
愁斗は迷った。自分の力を使えば二人の記憶を解き放つことができるだろう。だが、今ここでそれをする意味があるのか?
向こうの世界に行って問題を解決すればこの二人の記憶は自然に戻るだろう。わざわざ危険なところに二人を連れて行くべきではないと愁斗は考えた。
「僕ひとりで行きますから」
久美が愁斗の服をより一層力を込めて掴んだ。
「ひとりじゃ行かせないわ」
麻衣子が愁斗の腕を掴んだ。
「私たちも行きます」
「わかった、仕方ない」
愁斗は自分でもなぜそう言ったのかわからなかった。無理やり二人を突き放すこともできたはずだ。
「二人とも僕の目をしっかりと見るんだ」
言われるままに二人は愁斗の瞳を見た。
真っ黒で吸い込まれそうな瞳。瞳を見ているだけで不思議な術にかかってしまいそうだ。
急に久美と麻衣子が一瞬気を失って倒れそうになった。それを愁斗が同時に抱きかかえる。
「大丈夫?」
久美と麻衣子はうなずいた。二人の記憶は一瞬にして戻っていた。
「思い出したわ、こことは違う変なテーマパークにいたこと」
「沙織さんが少し変だったのですが、だんだんそんなことどうでもよくなって、いろんな乗り物などに乗って遊んでいたんです。でも、どうして愁斗先輩が?」
「二人はあの世界で不思議な体験をしたと思う、僕もそんなことができるのさ」
愁斗は近くを歩き回りながら『接点』を探した。
「ここか!」
愁斗の手が妖糸を放ち空間が煌いた。それは開かれた世界の扉。
二つの世界は繋がっている。それは距離や時間を超越し、そこにある。
開かれた扉の中へ愁斗は飛び込んだ。
二人も裂かれた空間の中に飛び込んだ。それを見ていた周りの人々は自分たちの目を疑った。