未完成の城(19)
物陰に隠れて愁斗を見守る翔子の背後から誰かが近づいて来た。翔子は全く気がついていない。
「にゃば〜ん! 翔子ちゅあ〜ん!」
「はあぁっ!?」
翔子は変な声をあげて驚き、後ろを振り向いた。そこに立っていたのは撫子だった。
「翔子奇遇だねぇ〜、こんにゃ世界で出逢うにゃんて運命ビリビリ感じちゃうよねぇ」
「……何で撫子がいるの?」
「ちょっくら仕事に来たんだけど、まさか翔子プラスアルファに出会うとは思ってもみにゃかったよ」
プラスアルファとは愁斗と麗慈のことである。
撫子の任務の中には麗慈を捕まえることも含まれているが、できれば相手にしたくない。ここは愁斗に任せようと撫子は考えた。
「あの、撫子どうにかしてよ」
翔子は戦いをはじめている二人を指差して言った。だが、そんなことを言われても撫子は困るだけだ。はっきり言って撫子の力では二人をどうすることもできない。
「ムリムリィ、アタシはか弱い女の子だもん。それに仕事もあるしぃ〜。どうする翔子?」
「どうするって何が?」
「ここにいてもきっと巻き添え喰うと思うしぃ、見たくないものまで見ることになるかもしれないよ」
途中から撫子の口調は真剣なものに変わっていたのを翔子は気づいただろうか?
『見たくないもの』とはいったい何なのであろうかと翔子は考えた。今の自分が知るべきではないものなのか。
「見たくないものって何?」
「それはひ・み・つ。知らにゃい方が翔子のためだよ〜ん。だから、アタシと一緒にここを離れるか、それともここに残るか」
「う〜ん」
見てはいけないと言われると恐いも見たさで見たくなる。
「早く決めてよ、アタシここにいるの嫌だから。今でも吐きそうにゃくらいツライ」
「でも……」
「アタシに付いて来ても危険な目に合うようにゃ気がするけど、ここよりはマシだと思うよ。決めるのは翔子だよ」
選択肢はいくつかあった。この場に残るか、撫子と行くか、それとも自分ひとりでどこかに行くか。
翔子は決めた。
「撫子と行く。だって、聞いた話だと撫子も結構強いんでしょ? 私のこと守ってね」
「大丈夫、翔子はアタシが命に代えても守るから」
撫子は翔子の手を掴んでこの場から急いで逃げた。
走り出してすぐに電気が身体を走るような感覚を撫子が感じた。
「翔子耳塞いで!」
わけもわからず翔子は撫子に言われて耳を塞いだ。この時、〈闇〉がこの世に呼ばれていた。
撫子は耳を塞いでいるのにも関わらず身体がビリビリした。
耳を塞ぎながらだいぶ走ったところで、やっと撫子が耳から手を外したのを見て、翔子も耳から手を離した。
「どうして耳を塞いだの?」
「この世のものじゃにゃい声が聴こえるから……ぶるぶるぅ〜」
撫子が〈闇〉を見たことがあるのは一度だけだが、その恐怖は今でも鮮明に忘れることのできない記憶として身体に染み付いている。身体に巻きついた〈闇〉の感触は忘れることができなかった。
二人は走るのを止めて歩くことにした。撫子は体力が有り余っているが、翔子は息が上がってしまっている。
「翔子死ぬ間際の表情してるよ、体力ナサナサ〜」
「だって撫子に合わせて走るのに全速力で走ったから、息が切れるのも当たり前でしょ」
「あれでも低速で走ったんだけどにゃ〜」
「十分私の全速力だった」
息を落ち着いてきたところで翔子は改めて辺りを見回した。
人々やきぐるみと思われる動物たちが、無邪気な子供のように歩いたり乗り物に乗ったりしている。多くのきぐるみが歩いている時点で不自然な感じがするが、それよりも空気を伝わって来る何が可笑しい。
「撫子、いったいここは何なの?」
「異世界って感じかにゃ、見たまんまの世界だよ。小学六年生の芳賀雪夜クンが創り出した世界としか今のところ知らにゃいけど」
「沙織ちゃんたちがいるのは知らないの?」
撫子はいったん歩くのを止めて翔子の顔を思いっきり見た。
「にゃに〜っ!?」
「麗慈くんが、沙織ちゃんたちがいるって言ってから」
「オーマイゴッド! にゃんでどういう経緯で!?」
「私に聞かれても知らないって……沙織ちゃんの友達が二人って言ってから、たぶん久美ちゃんと麻衣子ちゃんもいるんだと思う。それも、どうやら沙織ちゃんはその芳賀くんって子に好かれてるみたいで、ここに連れて来られたみたい」
「……はぁ、助けにゃきゃね」
撫子は頭を抱える動作をして『う〜』と唸った。翔子と愁斗に出会っただけでも予定外の出来事だったのだが、そこに加えて女子三人組までもがいるとは、撫子は困り果てた。
赤の他人であれば撫子は冷たく見捨て、平気で殺すこともできる。だが、それが知り合いとなると撫子はどうにかしなければと使命感に燃えてしまう。撫子は友達とか友情と言う言葉に弱かった。
うな垂れる撫子に翔子はガッツポーズをした。
「撫子ファイト!」
「……あのさぁ〜、芳賀クンに連れて来られたってことはさぁ、今回の事件のど真ん中にいるってことだよねぇ」
余計に撫子はうな垂れた。
しばらく歩いていて翔子はどこに向かっているのか気になった。
「あのさ、私たちってどこに向かって歩いてるの? 適当ってことはないよね?」
「あれ」
撫子は遠くに見える城を指差した。
二つの世界のテーマパークが混ざり合っても、あの城がこの世界の象徴であった。そして、あの城は雪夜の象徴でもある。
城を眺めた翔子は小さく呟いた。
「寂しい感じのする城だね。周りは全部明るくて楽しそうなのに、あの城だけが周りから隔離されてる感じ」
「あの城ににゃにかあるって報告受けてるんだけど、できれば行きたくにゃい」
「どうして?」
「翔子はわからにゃいかもしれにゃいけど、城に近づくに連れて身体がビリビリするんだよ」
「嫌な感じがするってこと?」
「それはわからにゃいけど、大きな力があそこに溜まってるのはたしかだね」
だいぶ城に近づいて来たところにあった観覧車乗り場を翔子はふと見て叫んだ。
「久美ちゃんと麻衣子ちゃんだ!」
「ドコドコ!?」
「観覧車乗り場から出て来た」
「行くよ翔子!」
撫子は翔子を置いて全速力で走った。
久美と麻衣子がちょうどベンチで休もうとした時に撫子は二人の前に到着した。
「二人とも久しぶりぃ〜!」
撫子に気がついた二人は少し驚いた顔をしながらも嬉しそうな顔をした。
「撫子先輩こんにちは」
麻衣子が丁重にお辞儀をしながら挨拶をするのに対して、久美はちょっと頭を下げて挨拶をした。
「お久しぶり」
この場に翔子が息を切らせながらやっと到着した。
「二人とも……こんにちは……」
両膝に手を置いて肩で息をする翔子を心配してすぐに麻衣子が駆け寄って来た。
「大丈夫でしょうか?」
「うん、私なら平気。それよりも二人とも私たちと一緒にこの世界から出ましょう」
にこやかだった麻衣子と久美の表情が急に冷たくなった。
「出るのでしたら勝手に翔子先輩だけで出てください」
冷たい口調で麻衣子が言い、それに続いて久美も冷たい口調で言った。
「私たち、ずっとこの世界で遊びながら暮らすって決めたんです」
二人はこの世界にすでに魅了されていたのだ。今の状態では自らの意思でこの世界を出たいとも思わない。
翔子は心配そうな表情で二人を見つめた。
「二人とも帰ろうよ」
麻衣子と久美は翔子の言葉を無視して歩き出してしまった。それを追おうとした翔子の腕を撫子が掴んだ。
「追いかけても無駄だよ」
「何で!?」
「今の彼女たちはこの世界に魅了されてる。何を言っても無駄にゃんだよ。だから、まずはこの世界のもとをどうにかしにゃきゃいけにゃい」
「……うん、わかった」
そう口では言いながらも翔子は去って行ってしまった二人の背中を見つめていた。近くにいるのに何もできない歯がゆさを翔子は感じてしまった。
「翔子、いつもでも見てにゃいで行くよ!」
撫子は強引に翔子の腕を引っ張って歩き出した。
突然、翔子は愁斗のことを想ってしまった。自分が困った時、頼りにしているひとのことを思い出したのだ。
「愁斗くん、平気かな……そうだよ、勝手に撫子について来ちゃったけど、愁斗くん心配してるかも」
「愁斗クンのことだったら問題にゃいって。心配はしてるかもしれにゃいけど、他は大丈夫、翔子の彼氏にゃんだから」
「その彼氏って言い方、何かいいね。そうだよね、愁斗くんって私の彼氏なんだよね」
こんな状況で翔子はラヴラヴな気持ちに浸った。愁斗のことを想うだけで勇気が湧いて来る。
想いを馳せて上の空になっている翔子は見て撫子は少し羨ましくなった。
「彼氏彼氏彼氏彼氏彼氏彼氏彼氏彼氏、愁斗クンは翔子の彼氏」
「それってからかってるの?」
「もちろんそうだよ。にゃんか嫉妬」
撫子は顔を膨らませてそっぽを向いた。
「どうして嫉妬何てするのよ」
「だって、だってアタシの翔子ちゃんが愁斗クンに盗られちゃったんだもん」
「……あっそ」
翔子は撫子の言葉を軽く受け流して早歩きをした。
「待ってよ翔子!」
撫子は慌てて翔子を追いかけるが、翔子は背中を向けたまま怒っている。
「撫子さ、前も私のこと襲いたいとか言ったよね? やっぱりそういう趣味あるわけ?」
「それはどーかにゃ〜」
「絶交」
翔子は走り出したが、撫子はすぐに追いついてしまった。
「絶交にゃんて言わにゃいでよ。撫子、涙が出ちゃう、ウルウル」
口調はわざとらしいが撫子は本気で号泣していた。
「もぉ、泣くのってズルイよ。許すから、泣かないで」
「爆マジ?」
「うんうん、爆マジ」
すぐに撫子は泣くのを止めて満面の笑みになった。
「じゃあ、翔子のこと襲ってもいい?」
「それしたら絶交だからね」
「にゃんで〜、スキンシップだよぉ〜」
「とにかく絶交」
「う〜、しかたにゃいか……」
二人が自分たちの置かれている状況を忘れて会話をしていると、ついに城の目の前まで来てしまった。
「にゃんかスゴイ力を感じるんだけど……にゃにかが可笑しい」
撫子が城から感じる力は内から響いて来る力ではなかった。本来エネルギーソースは内にあるものなのだが、この城はまるで虚勢を張っているようだった。
城の入り口は真っ暗の闇で中が見えない。
「翔子、行くよ」
撫子が城の中に飛び込んで行ってすぐに翔子も中に入った。
二人は驚きの表情を浮かべてしまった。彪彦の時と全く同じで中身が空っぽだったのだ。ただ、今度は中に人がいた。
「センパイこんにちわぁ!」
「沙織さんの知り合いか」
中にいたのは沙織と雪夜であった。空っぽの中に二人がぽつんと立っていたのだ。
この場にいる四人のほかにも彼がいた。
「撫子さん、可及的速やかにわたくしを救出していただきたい」
「うっそ〜、爆マジ!? 彪彦さん捕まっちゃったのってゆうか、その格好にゃに?」
「その件に関してはお話できません。ここはひとつ相手をうまく丸め込んで示談で解決していただきたい」
鳥かごに入れられたブリキの鴉としゃべる撫子の服を引っ張りながら翔子は聞いた。
「オモチャと知り合いなの?」
「そにゃとこ」
沙織は小走りで翔子と撫子に近づくと、二人の腕に手を回して腕組みをした。
「センパイ二人もこれから沙織と遊びに行こう!」
翔子と撫子は同時に沙織の腕を外した。
「私たち遊びに来たんじゃないの」
「沙織と一緒に遊びましょうよぉ〜」
雪夜は翔子たちに駄々をこねる沙織の手を取って目の前にいる二人に話しかけた。
「お二人はここに遊びに来たんですか? それとも他の理由でこの城に?」
この世界に魅了された者たちは自らの意思ではこの城には入れないはずだった。
「アタシはとりあえず、そこのカゴに入った知り合いを助けることと、アナタとこの世界の処理」
「私はその付き添いです」
雪夜は二人の話を聞いて納得した。
「やはり、ボクの敵か」
沙織も撫子の言葉を聞いて怒り出した。
「雪夜くんとこの世界の処理ってどういうことですか撫子センパイ!」
「にゃんつーか、とりあえずこの世界は壊さにゃきゃいけにゃいかにゃ〜」
この世界が壊される。そこ言葉を聞いた瞬間、沙織の内に秘めたチカラが目覚めた。
「センパイ嫌いですぅ、この世界は沙織の世界だもん!」
大泣きをはじめた沙織の身体を中心に爆風が巻き起こった。近くにいた三人の身体が大きく吹き飛ばされた。
地面に尻から落ちた撫子はお尻を擦りながら起き上がった。
「にゃんで沙織ちゃんが!?」
魔導の力を沙織が持っていたとは撫子にとって完全な誤算であった。そんな力を内に秘めていたとは今まで気がつきもしなかった。
雪夜は哀しい顔をしていた。
「誰も邪魔さえしなければ、いつまでも楽しく暮らせたのに……。世界が崩れる……」
大地震にでも見舞われたように世界が激しく揺れた。
撫子の頭上に石の塊が落下して来た。
「にゃ〜っ!?」
揺れで自由に身動きができなかったが、撫子は辛うじて石を避けた。石は地面に激突して砕け飛んだ。このような現象が城のあちらこちらで起こっている。
沙織が激しく泣くとともに世界が振動する。沙織が肩を震わせるたびに世界が上下に揺れる。
揺れは激しさを増していき、立つことはおろか、座っていても身体が地面を滑る。
翔子は自分の方に転がって来る鳥かごをうまくキャッチすることに成功した。
「大丈夫ですか?」
翔子の問いに、鳥かごの中に入っている彪彦は目を回しながらも、しっかりとした口調で答えた。
「ええ、助けていただいてありがとうございます」
「あの、もしかして私たちどこかで会ってませんか?」
翔子の知り合いにブリキの人形などいなかったが、どこかで翔子は会っているような気がした。
「ええ、アーケード街で愁斗くんとあなたが一緒にいるところでお会いしましたよ。あの時は人間の姿でしたがね」
「ああっ、あの時の!?」
また世界が激しく揺れて翔子は掴んでいたはずの鳥かごを大きく投げ飛ばしてしまった。
鳥かごは地面に落ちた衝撃で扉が開き、ブリキの鴉は自ら外に出た。人形にされていても彪彦は自らの意思で身体を動かすことが可能だった。
空を羽ばたいた彪彦は揺れの影響を受けなかった。そして、彪彦は雪夜のもとに行った。
「雪夜さん、わたくしの身体を元に戻していただきたい」
「嫌だ」
「あの女の子の暴走を止めなくては大変なことになるのですよ」
「ボクはそれでもいいさ」
雪夜は上空を飛んでいた彪彦を素早く掴んで捕獲した。
「放しなさい!」
「それはできないね」
彪彦は必死の抵抗をするが所詮はブリキの人形だ。身動き一つすることはできなかった。
この城の外では世界は完全なる崩壊を迎えていた。
二つの世界が切り離され、沙織のイメージした世界が崩れていく。
楽しそうな顔をしながら動物たちが消えていく。アトラクションが崩れていく。空が落ち、地面が砕け飛んだ。
この世界に残ったものは、闇の中に浮かぶ壊れた城だけであった。