未完成の城(7)
「さて、どういたしたものでしょうか?」
影山彪彦は後ろの二人を見て言った。
「お二人をまず殺すと選択肢もあるのですが……」
この言葉が冗談ではないことを悟った麻那と隼人は後退りをした。
麻那は強気な態度で出た。
「やれるもんなら、やってみなさいよ!」
彪彦の口元がつり上がった。
「やりませんから、ご心配なさらずに。最近は組織も丸くなりまして、昔なら手当たり次第に抹殺していましたがね。さて、わたくしたちはどこかに迷い込んでしまったわけですが、どうしますか、わたくしについて来ますか? そうしたらもとの世界に還れるかもしれませんよ?」
突然迷い込んでしまった異世界。そこはテーマパークのような場所だった。
この現実を麻那と隼人は受け入れなくてはいけない。ここに来る前にも彪彦を雪夜の戦いを目の当たりにしている。異世界の飛ばされたことも信じるしかない。
麻那は彪彦に詰め寄った。
「あんた本当にあたしたちをもとの世界に還してくれるの?」
「お二人で行動するより、わたくしと行動した方がいいと思いますが?」
この言葉に麻那はうなずき、後ろにいた隼人を見た。
「僕もその方がいいと思うよ」
彪彦はずれたサングラスを直しながら歩きはじめた。
「では、参りましょう」
「あんた、参りましょうってどこに行けばいいか知ってるの?」
「いいえ、勘です。ですが、あちらに何かがあるのは確かです」
遥か遠くにある城を彪彦は指差していた。
城は大部分が欠けていて、それが城だというのは辛うじて雰囲気からわかる程度だ。どうやら、城はまだ建設中のような感じが見受けられる。
テーマパークに先ほどから流れている音楽が急に軽快な旋律に変わり、何かが現れそうな感じがした。
現れたのはピエロだった。手にはナイフを持ち、今にもジャグリングを披露してくれそうな雰囲気だった。
「夢と冒険の世界、ネバーランドへようこそ!」
四本のナイフをお手玉のように回しながらピエロは大きな口で笑みを浮かべている。
すでに彪彦は黒い鉤爪を構えて戦闘体制に入っている。
鋭いナイフが彪彦に目掛けて次々と飛んで来る。それも四本だけではなく、ピエロの手で回されているナイフの数は減ることなく次々と投げられて来るのだ。
彪彦の身体が揺らめき、残像を残しながらナイフを避けていく。
的を外れたナイフは地面に落ちた途端に消えてなくなる。
ピエロはナイフを全て投げ終えて、次に手を後ろに回して爆弾を取り出した。その爆弾というのが、まるでアニメに出てきそうな形をしている。黒くて丸い玉に導火線が付いているという形だ。
ピエロはどこからか取り出したマッチで導火線に火を付けて爆弾を投げた。綺麗な放物線を描いて爆弾は彪彦に向かって落ちて来る。その爆弾に彪彦は鉤爪を向けた。
くちばしのような鉤爪の口が開かれる。あの液体を呑み込んだ時と同じだ。だが、まさか爆弾を呑み込む気なのか!?
火のついた爆弾を鉤爪が呑み込んだ。次の瞬間、鉤爪が風船のように膨れ上がり爆発音がした。
元の形に戻った鉤爪の口から消炎が出ている。だが、鉤爪は無傷のようだ。
恐いほどの笑みを浮かべていたピエロの顔が焦りの表情を浮かべた。口元が少し引きつっているのが窺える。
彪彦が風となり地面を駆けた。
鉤爪が大きな口を開けてピエロの頭に喰らいついた。それを見ていた麻那は顔を伏せ、隼人は凝視してしまった。
ピエロの頭はもぎ取られ、身体が地面に背中から倒れた。血は一滴も出ず、その代わりにピエロの身体は縮んでいき、やがて小さな人形になった。
彪彦は地面に落ちたピエロの人形を拾い上げて呟いた。
「なるほど、これも彼のマジックですか」
テーマパーク内に流れていた音楽が別のものに変わった。今度はパレードの音楽のようだ。
しばらくすると巨大な何かのキャラクターを模った乗り物や、動物のきぐるみたちや妖精の格好をした者たちがぞくぞくと現れた。
道路をパレードに占拠されて我が物顔で進んでいく。
彪彦は興味深そうに自分の横を通り過ぎていくパレードを見物して、麻那と隼人は唖然としながらパレードを眺めていた。
パレードの参加者たちは彪彦たちに危害を加えるでもなく、ただパレードをしながら通り過ぎて行ってしまった。
しばらくしてパレードを追いかけるような感じのうさぎが現れた。
うさぎは水色のジャケットにシルクハット、それにステッキまで持って、耳まで入れるとだいたい一五〇センチほどの身長で、二本足でぴょんぴょん走っている。
鉤爪を鴉にすでに戻している彪彦はうさぎの耳を掴んで強引に捕まえた。
「人間の言葉をしゃべることができますか?」
「ボクが思うに、人間の言葉をしゃべれるかどうかということより、ボクは早くパレードに追いつかないといけないと思うんだ」
うさぎは流暢な日本語で先を急いでいること告げるが、彪彦はうさぎの耳を離そうとはしなかった。
「急いでいるのはわかりましたが、どうかわたくしの質問に答えていただきたいのです」
「つまり、それは質問に答えないと、あ、ちょっと待ってください」
うさぎはそう言うとジャケットのポケットからケータイを取り出した。とても不思議な取り合わせだ。
耳を掴まれながらうさぎは誰かと話をはじめた。
「こんにちは王子様、何の御用ですか?」
うさぎはうんうんと何かにうなずいてケータイを切った。
「耳を離してください、急用ができました」
「質問に答えたら放して差し上げます」
「すぐに済みますから放してください」
「仕方ありませんね」
彪彦に耳を放されたうさぎはぴょんぴょんと跳ねしながら麻那と隼人の前まで行った。麻那は身構え、隼人は物珍しそうにうさぎを観察している。
「なによ、なにかする気?」
警戒心を強める麻那の身体にうさぎはタッチして、すぐに隼人にもタッチした。すると、麻那と隼人の姿がパッと消えてしまったではないか!?
「急用は終わりました」
そう告げたうさぎはぴょんぴょん跳ねて彪彦の前に戻った。
「今のは何をしたのですか?」
「王子様の命令で無関係な人たちには還ってもらいました」
「その王子様とは芳賀雪夜のことですか?」
「さあ? 王子様といつも呼んでいるので本当の名前は知りません」
王子様が誰だろうとしても、彪彦の動きがどこからか監視されていることは間違いない。そうでなければ都合よく電話がかかって来るはずがない。
彪彦の手が素早く動き、再びうさぎの耳を掴んだ。
「最後の質問をします。あなたは先ほど二人をもとの世界に還しましたよね? といことはあなたはわたくしをもとの世界に還す能力があるはずです」
「さあ、どうでしょう? ボクを捕まえたら教えてあげます」
捕まえるも何もうさぎはすでに捕まっている。だが、うさぎの耳が彪彦の手からスルリと抜けて、うさぎはぴょんぴょん跳ねながら逃走した。
彪彦はうさぎを再び捕まえようとしたが、それは叶わなかった。うさぎのひと飛びは一〇メートル以上もの距離を跳躍し、すぐに姿を消してしまったのだ。
「不覚ですね、まさか逃げられるとは思ってもみませんでした」
ずれたサングラスを直しながら彪彦は口元をつり上げた。そして、肩に止まっている鴉を天に羽ばたかせた。
鴉は上空高く舞い上がり何かを見つけてそれの追跡をはじめた。彪彦はその鴉を追って走る。
彪彦の前方に水色のジャケットを着たうさぎを見えて来た。あのうさぎに間違いない。
「行け!」
彪彦の命令で鴉は急降下をはじめてうさぎ目掛けて飛んで行く。そして、鴉は急降下しながらくちばしを広げた。
鴉のくちばしが信じられないほどの大きさになった。そのくちばしはうさぎを丸呑みできそうなくらいに大きい。
うさぎが鴉の襲来に気がついて上を見上げた瞬間、うさぎは鴉に丸呑みにされた。鴉のくちばしはもとの大きさに戻り、その身体は巨大なうさぎを呑み込んだというのにぜんぜん膨れ上がっていない。鴉の腹はいったいどうなっているのだろうか?
地面で主人を待つ鴉に駆け寄った彪彦は『うさぎ』に話しかけた。
「捕まえましたので答えを聞かせていただきたい」
鴉が腹話術人形のようにパクパクと口を動かし、その内からうさぎの声が聞こえた。
「答えはできるけど、できない。もしキミを還したらボクが怒られるからね」
「それは殺されてもでしょうか?」
「それはそれで困るから、魂を消滅させられる前に人形に戻ろう」
何が起きたのか見た目ではわからないが、うさぎは鴉の内で人形に戻った。
「無駄足になってしまいましたね。いや、わざと城から遠ざけられたという可能性もありますね」
それがうさぎの狙いだったのかもしれない。うさぎが逃げたのは城の間逆だった。それを追った彪彦は城からだいぶ離れてしまった。
自分の前に現れた人物を見て彪彦は最高の笑みを浮かべた。
「こんなところで出逢えるとはおもいしろい、まさか麗慈くんがここにいようとは思ってもみませんでした」
「それはこっちのセリフだ、ククク……」
彪彦の前に現れたのは組織に追われている雪村麗慈だった。
麗慈は愁斗の抹殺に失敗して、組織を裏切って姿を暗ましたのだ。その麗慈がなぜここにいるのか?
「俺が何でここにいるか聞きたいか?」
「いや結構、組織に連れて帰ってから、その件についてはお話しましょう」
「ククク……そう言うなよ。俺は組織から身を隠させてもらうのと交換条件で、この世界のナイトをやってるのさ」
麗慈の手が煌き、彪彦の横に光が走った。そう、麗慈は愁斗と同じように妖糸を操ることができるのだ。
妖糸が鞭のようにしなり地面を砕いた。
「ククッ、外したか」
「当たり前のことは言わないように。あたながわたくしに敵うわけがないでしょう。大人しく保護されるなら今のうちですよ、麗慈くん?」
「俺が大人しくないのは知ってるだろ?」
「ええ、熟知しています」
彪彦から放たれた鴉は大剣と化して麗慈向かって飛んで行った。
黒い大剣をギリギリで交わした麗慈はすぐさま妖糸を放つ。
必殺の妖糸の舞が放たれた。妖糸が鞭のようにしなり、槍のように突き、剣のように切り裂く。
「クククククククク……ククク……」
嗤いながら麗慈は彪彦を細切れにしようとした。だが、麗慈の攻撃はことごとく軽やかにかわされていく。
「何で当たらねえんだよ!」
「それは、あなたが偽者に過ぎないからです。真物の魔導士であるわたくしには絶対に勝てませんよ」
「くっ、バックか!?」
麗慈が後ろを振り向いた時には大剣が振り下ろされる寸前だった。
「ぐぐっ……!」
大剣が麗慈の腕を斬った。だが、切り落とされるまでには至らなかった。それでも妖糸を扱う右手が負傷してしまっては分が悪い。
「クククク……ヤッてくれるじゃねえか」
「どういたしまして」
「だがな、俺様は悪あがきが好きでよ、ククク……」
煌きが放たれ空間に一筋の光が走った。それを目の当たりにした彪彦は驚愕した。
「まさか、君が……それを使えるのか!?」
空間に闇色の傷ができた。そして、それは周りの空気を吸い込みながら広がっていき、やがては大きな穴をつくった。
「ククク……愁斗が使うのを見て、俺も扱えるようになったぜ」
闇色の裂け目から悲鳴が聴こえる。泣き声が聴こえる。呻き声が聴こえる。どれも苦痛に満ちている。常人であれば耳を塞がずにはいられない。
麗慈の腕が彪彦に向けられた。
「喰らってやれ!」
裂けた空間から〈闇〉が叫びながら飛び出した。それは彪彦に襲い掛かった。
彪彦は瞬時に鉤爪を装着して〈闇〉を切り裂くが、〈闇〉の勢いには勝てなかった。
〈闇〉は彪彦の腕を掴み、足を掴み、胴までも掴み、身体中に絡みついた。
「く、なかなかやりますね」
彪彦は〈闇〉を振り払おうとするが、すでに腕は〈闇〉に呑み込まれていた。
「ククッ、いいザマだな。じゃあ、俺は逃げさせてもらうぜ」
麗慈は彪彦を残して姿を消してしまった。
〈闇〉は彪彦の顔を残して全てを包み込んだ。
「あの子は問題児ではありますが優秀ですね」
そう彪彦が言ったと同時に〈闇〉が何かに吸い込まれはじめた。いや、喰われはじめたのだ。
〈闇〉を喰らっていたのはあの鉤爪であった。
鉤爪は彪彦の身体に付いた〈闇〉を喰らっていった。だが、〈闇〉も負けてはいない。
空間の裂け目から〈闇〉が大量に出て来て彪彦に襲い掛かる。
「あの裂け目をどうにかしなくては……」
彪彦の腕が〈闇〉に掴まれ、彪彦の身体が空間の裂け目に向かって凄い勢いで引きずられた。
空間の裂け目の中に引きずり込まれる瞬間、彪彦の鉤爪が裂け目を喰らった。鉤爪は空間にできた傷までも喰らったのだ。
空間の傷が消えると〈闇〉はもう出て来ることができなかった。
この世界に残った微かな〈闇〉を鉤爪に喰わせて、彪彦はひと息ついた。
「麗慈はどのくらい真理に近づいているのか? 知らずして〈闇〉を扱っているようにも思えますがね」
彪彦は城を眺めた。
「おや?」
城が先ほどよりも遠くなっている。城が動いたのか、彪彦が動いたのか?
この世界が大きくなっているのだ。この世界は成長している。
彪彦は全速力で地面を駆けた。悠長にしていたらいつまで経っても城に辿り着けなくなる。
風のように走る彪彦は人間の身体能力を超越した走りを見せている。足は全く動いていないように見えるのにも関わらず、その移動速度は時速八〇キロメートルを超えている。城はすぐに近づいて来た。
城は建設中のようにも見えるが、建設機材などは全くなくて壊れているようにも見える。
城の中に足を踏み入れた彪彦は思わず笑ってしまった。
「何ですかこれは!?」
城は中身がなかった。空っぽの城。城は周りの外壁しかなく、天井からは空が見えた。
外壁が音を立てて崩れはじめた。いや、空間が崩れはじめた。
次の瞬間、彪彦はもとの世界にいた。
「さっぱりわかりませんね」
彪彦のいる場所は開園が明後日に迫ったテーマパークの敷地内だった。