未完成の城(6)
愁斗と亜季菜が出て行ってしばらくして、翔子のケータイに電話がかかって来た。
ケータイのディスプレイには『秋葉愁斗』と表示されている。
《瀬名さん、ごめん。ちょっと急用ができて出かけて来るけど、だいぶ遅くなるかもしれないから、帰ってもいいよ》
翔子は相手には見えないがとても寂しい顔をした。せっかく愁斗の家に来たのに、という気持ちかが翔子の心の中に蓄積された。
「帰ってもいいよって、鍵は?」
《あのね――》
「あ、いいよ、留守番してる」
《だから、遅くなると思うよ》
せっかく愁斗の家に来たのに帰ってしまってはもったいない。それに翔子はお泊りの準備も実は万端だ。
「ううん、一日でも二日でも待ってるよ」
《そう……冷蔵庫の中にあるものとか勝手に使っていいから、あとお風呂も。鍵はテーブルの上にあるんだけど、わかるかな?》
翔子は空き缶の横にあった小さなカゴに入っていた鍵をつまみ上げた。
「たぶん、見つけた。これだと思う」
《出かける時はそれで鍵閉めてね》
「うん、わかった。……でも、早く帰って来てくれたら、嬉しい……かな」
《なるべく早く帰るよ。じゃあ切るね》
「うん」
電話が切れた。まるで新婚家庭の一風景のような会話だった。
留守番を引き受けたが翔子はすることがなくて困ってしまった。
「あ、そうだ!」
翔子は名案を思いついた。撫子の家に遊びに行こうと考えたのだ。
さっそく、翔子は先ほど見つけた鍵で戸締りをして、隣の部屋のインターフォンを押した。
《誰っ?》
いきなりキツイ口調の撫子の声がした。
「あの、私、翔子だけど……」
《翔子!? ごめ〜ん、ビビッた? 悪気があったわけじゃにゃいから、うんと、にゃんつーか、忙しかったから》
撫子は組織の仕事を自宅でやっていた真っ最中だったのだ。
「ごめん、忙しいなら帰るね」
《えっ、何しに来たの? いいよ別に、ヒマヒマだから、上がっていきにゃよ》
「でも、今忙しいって言ったじゃん」
《いいよ、いいよ、別にぃ〜、翔子ちゃんは特別だからね。ちょっと待ってて》
チェーンロックのジャラジャラという音がした後、ガチャとドアが開かれ撫子の顔が覗いた。
「撫子ちゃんのお城へようこそーっ! どうぞ上がっちゃっておくんにゃまし」
「ごめん、いきなり押しかけて」
翔子は靴を脱いで家の中に上がった。
前に翔子が訪れた時にも家具が少なかったが、今でも少ない。だが、前回よりは人が住んでいる雰囲気がする。家具がちょっと増えたせいだろう。
「もしかして家具増えた?」
聞くまでもなかった。前に来た時になかったこたつがある。
「翔子ちゃんチェキだね。こたつが増えたし、料理もはじめたから食器とかも増えたよ」
「料理はじめたんだ、すご〜い」
「エッヘン! なかなか上手なもんだよ」
撫子は長い間、組織で育てられて来たので、ものを覚えることが得意だった。どんな環境にも順応できるように教育されて来たのだ。
翔子は料理が全くできないので心から撫子を尊敬した。
「私も料理とかできたらなぁ〜、って思うだけど。いいなぁ〜料理できるって」
「翔子も料理覚えたら、結構楽しいよ」
「遠慮しとく、私は食べる専門でいいや」
「じゃあ、夕飯食べてく? 翔子の両親旅行中でしょ?」
「……う〜ん、愁斗くんが帰って来なかったら食べてく」
「愁斗くん?」
撫子の頭の上にはてなマーク飛んだ。
翔子はちょっと恥ずかしそうな顔をして、小さな声で撫子に説明した。
「実はね今日、愁斗くんのうちに遊びに来てたんだけどぉ、愁斗くんが急用で出かけちゃって、留守番中なんだよね」
「ふふふ、愁斗クンの家についに行ったの? よかったじゃん、でも留守番かぁ〜、そりゃーついてにゃいね。まあまあ、そこいらに座って、飲み物持って来るから」
翔子はこたつの中に入ったが電源が入っていなかったようだ。
こたつの電源を翔子が入れている間に、撫子が軽快なステップで台所に駆けて行って大急ぎで戻って来た。
「にゃに飲むか聞いてにゃかった」
「おっちょこちょいだね撫子は」
「にゃはは〜っ。ええっとメニューは、牛乳とミルクとホットミルクとイチゴミルクとバナナミルク、それと新メニューのチョコミルク。どれチョイスする?」
全部牛乳関係だが、前回もそうだった。
「じゃあ、今日はバナナミルク」
「オッケー、うんじゃ待ってておくんにゃましまし」
風のように台所に走って行った撫子は風のように戻って来た。手にはバナナミルクとチョコミルクを持っている。
「お待ちどーっ! バナナミルクお持ちしましたよ〜ん」
翔子にバナナミルクを手渡した撫子はこたつの中に入った。
二人は飲み物に口を付けて少しの間だけ沈黙が訪れる。
グビグビっとチョコミルクを飲んだ撫子はコップをこたつの上に置いた。
「ぷはぁ〜、うまい!」
撫子の口の周りにはチョコレートらしきものが付いている。それを撫子は猫がするように舌でぺろりと舐め取った。それを見ていた翔子は、撫子はやっぱり猫だと思った。
実は撫子は猫の遺伝子を埋め込まれた人間で、翔子もそのことを知っているが、それ以前に翔子は撫子を猫みたいだと思っている。
「撫子のそういうとこ好き」
「えっ? どこらへんが?」
「別にぃ〜」
翔子はわざととぼけた。すると撫子はじゃれ合うように翔子に襲い掛かって来た。
「教えにゃいと、お仕置きしちゃうぞ〜!」
翔子に飛び掛った撫子は相手のことをくすぐりはじめた。
「あ、ダメっ、あはは、あん、ズルイよ、ははっ」
撫子が一瞬手を止める。
「じゃあ、白状する?」
「撫子のこういう無邪気なところが好きだよ。スゴク可愛いと思うもん」
「そんにゃ〜、照れるにゃ〜」
照れ笑いを浮かべながら撫子は翔子の身体から離れた。
急に撫子のケータイが鳴った。今流行の洋楽のメロディーだ。
「はい――」
さっきまでふざけていた撫子の顔がケータイに出た途端に真剣なものになった。
「はい、わかりました。すぐ行きます」
ケータイを切った撫子は渋い表情をした。
「どうかした撫子?」
「うん、ちょっと急用ができたから、帰ってくれるかにゃ?」
「う、うん、わかった帰る」
翔子の飲み干したコップを撫子は受け取り、そのままコップを持ちながら翔子を玄関まで送った。
「翔子ちゃん、またのご来店、お待ちしてるにゃん!」
「あ、うん、じゃあね」
玄関の外に出た翔子は思った。最後に見た撫子の表情はいつもの笑顔だったが、電話で話している時の表情は普段見せない真剣なものだった。いったい、どんな内容の電話だったのか、誰からの電話だったのだろうか?
翔子は愁斗の部屋に戻りながら考えたがすぐに止めた。人のプライバシーを詮索するのはよくないことだと考えたからだ。
またすることがなくなってしまった翔子はダイニングのソファーに座って、テーブルの上に置いてあったテレビのリモコンを取って電源を入れた。
最初に画面に映ったのはローカルテレビ局のニュース番組だった。それも翔子の知っている場所が映っているではないか。
たまたま他の取材で来ていたところで事件に遭遇したらしい。つまりスクープというやつだ。
画面に映し出されているLIVE映像は、翔子のよく知っているアーケード街の映像だった。それも今日行ったばかりの場所だ。
どうやらワルドナルドの地下から煙が上がったらしい。地下にはたまたま誰もいなかったらしく怪我人はいないと思われたのだが、客席が荒らされていて、現場には血痕も残っていた。それなのに人がいなかったのだ。
「うっそ〜、今日お店の横通ったじゃん」
などと言ってテレビに見入っていたら、コマーシャルになってしまって熱が冷めてしまった。
「つまんないのぉ〜」
テレビの電源を落とした翔子はソファーの上で寝転がった。
時間の流れがすごくゆっくりに感じられる。退屈で退屈でたまらない。
「ヒマっ!」
辺りを見渡す翔子の目にいろいろな部屋に続くドアが映し出される。
他人の家を勝手にあさるのもよくないなぁ〜と思いつつ、翔子は愁斗の部屋に興味を持ってしまった。どこかにある愁斗の部屋を見てみたい。そういう衝動に駆られてしまった翔子は立ち上がって部屋の中を歩きはじめた。
翔子の冒険気分の散策がはじまる。
このマンションの部屋は広くて部屋数も多い。翔子はここだというところに目星を付けてドアを開けた。
ドアを開けた瞬間に香水の匂いが流れ出て来た。亜季菜の香水と同じ匂いだ。
「ここじゃないなかぁ〜」
と言いつつも部屋の中を見渡してみる。
華やかな色調のものが多く置いてある。だが、散らかっていて汚い。この部屋から性格が窺えるような気がする。
「愁斗くんはこんなズボラじゃないもんね」
ドアを閉めたところで翔子は思った。意外にカッコイイ人ってズボラだったり、どこか抜けてたりするかもと思ったのだ。だが、今の部屋は亜季菜の部屋だろうと思って次の部屋に移動した。
次のドアを開けた瞬間、ここだと翔子は思った。
無駄な物が一切なく、綺麗に片づけが行き届いた部屋。物が少ないせいか寂しい印象を受ける部屋は、間違いなく愁斗の部屋だった。
部屋の中に入った翔子は大きく深呼吸をした。それをやっている自分に気づいた翔子は恥ずかしくなった。
「なにやってんだろ、自分」
翔子が部屋を見渡しているとクローゼットを発見した。翔子は愁斗がどんな服を持っているのか興味を惹かれて扉を開けてしまった。
「きゃーっ!」
恐怖に叫び声をあげてしまった翔子。彼女はいったい何を見てしまったのか?
翔子はそれを死体だと思った。
大きめのクローゼットに座るよう置かれているナイトドレスを着た人間の形をしているもの。それは愁斗の傀儡だった。
見た目は人間と全く変わりない。だが、翔子はそれが傀儡であることに気づけた。
「眠っているみたい」
銀色の長い髪をした美しい女性の傀儡――翔子は魅入られてしまった。
翔子の手が傀儡の頬に触れた。それは人間の頬の感触と同じだった。だが、氷のように冷たい肌だった。
まるで安らかな眠りに落ちた姫のような傀儡。口元に耳を当てると寝息を聞こえて来そうだ。
大きくカットされたドレスの胸元に翔子の視線が移動した。
「何か模様がある」
胸の中心辺りに何か模様があるようだが、ドレスで隠れていて一部しか確認することができなかった。
ドレスから覗く模様が翔子は気になって仕方がなかった。そして、次の瞬間にはドレスに手をかけて脱がせていた。
露になった形の美しい乳房と乳房の中心にその模様はあった。目を奪われてしまう奇怪な紋様。それは翔子の胸にある紋様と全く同じものだった。
唖然とした。翔子にはショックだった。傀儡と同じ紋様が自分の胸にもある。
いつか翔子が死にかけた時、愁斗にその命を蘇らせてもらったことがある。
――いいや、君死んだ。……そして、僕の傀儡になった。
目を覚ました翔子に愁斗はそう言った。
傀儡になった翔子に愁斗いろいろと説明をした。自分が傀儡師であり、妖糸と呼ばれる特殊な糸を操っていろいろなことができること、そして、翔子を蘇らせたこと。
いろいろ説明したと言っても、完結に言うと上で説明したことだけである。
翔子は蘇ったことを聞かされたが、傀儡については何も聞かされてない。愁斗の操る傀儡とはどんなものなのか全く聞かされていなかった。
翔子は目の前にいる傀儡を見て悲しくなった。自分には感情があり、人間らしく今も生きている。だが、自分も傀儡なのだと悲しくなった。同じ紋様があることがショックだったのだ。
胸に刻まれた印が目の前にいるモノと自分が同じものだといっている。
クローゼットをゆっくりと閉めた翔子は何も見なかったことにした。
愁斗の部屋を出た翔子はダイニングに戻りソファーの上に寝転んだ。そして、眠ることにした。




