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傀儡師紫苑  作者: 秋月瑛
夢見る都
19/54

夢見る都(完)

 塔の屋上は強風が吹き荒れ、その中で麗慈は形のいい唇をニヤリと崩しながら立っていた。

「思ったよりは早かったけど、それでも俺をイライラさせるだけの時間はかかったな。もう少しで人質を殺しちまうとこだった」

 麗慈の後ろには十字架に磔にされた翔子の姿があった。首が垂れ下がり、気を失っているらしいことが見て伺える。

「貴様のお遊びに付き合っていられるほど私は暇ではないのでな、一気に形を付けてやろう」

 妖糸が煌き空に魔方陣を描いた。

「させるか!」

 空に描かれた魔方陣に妖糸を放つ麗慈。してやったりと歪んだ笑みを浮かべた麗慈だったか、紫苑の仮面の奥からこんな声が聴こえて来た。

「囮だ」

「何だと!?」

 二つ目の魔方陣がいつの間にか地面に描かれているではないか!

 石畳に描かれた紋様に深奥で〈それ〉が呻き声をあげた。

 〈それ〉の呻き声によって、地震が起きたように地面が激しく揺れ、石巨人がこの世に創り出された。

 体長五メートルを超える石巨人の拳がブゥォンと横殴りに振られた。

 麗慈がしゃがみ込み攻撃をかわすと、石巨人はもう一方の拳で麗慈のことを叩き潰そうとした。

 後ろに飛び退き敵の攻撃をかわした麗慈の視線の先には、粉々に砕かれ穴の開いた石の床があった。

「ククク、攻撃力は大したもんだがな、そんな亀みてえなのろまヤロウの攻撃なんて喰らわねえんだよ!」

「では、私の攻撃はどうだ」

 前にいる石巨人に気を取られていた麗慈であったが、背後から迫る殺気に気がつきすぐさまそれをかわした。

 妖糸が麗慈の髪先を少し切断した。

「おまえの攻撃も簡単に避けられるぜ、ククク……。それに前に殺り合った時よか攻撃のスピードが落ちてるんじゃねか?」

「貴様を殺せればそれでいい」

「殺れるもんなら殺ってみな」

 石巨人の身体が麗慈の妖糸によって細切れにされ、バラバラと地面に落ちた。

 天高く飛び退きながら麗慈は妖糸を放った。紫苑の妖糸がそれを切断する。

 疾走する紫苑。麗慈の真後ろには霧に深い空が広がっている。足の踏み場がないということだ。

 互いの妖糸が煌き地面にはらりと舞い落ちた。

 一瞬のうちに麗慈は紫苑の右手をしっかりと掴んでいた。紫苑の左手は動かない。紫苑の妖糸は完全に封じられた。

「傀儡師が糸を使えなきゃ、ただの人間だ」

 紫苑の腕が大きく引っ張られ、遠心力によって宙に浮いた紫苑の身体は遥か底へと落ちていった。

 塔の底に落とされては紫苑とて生きてはいないだろう。

 つまらなそうな顔をする零慈の身体が少し振動した。

 麗慈が振り向いたその先にはあの石巨人が立っていた。

「何でまだ生きてやがるんだ!」

 横殴りに振られた石巨人の腕を妖糸が切断した。だが、地面に落ちた腕は磁石が引き寄せられるようにもとの位置に戻ってしまった。

「クソっ、不死身かこのバカ巨人は!」

 この石巨人には核があり、それを壊さなくては砂になろうとも復活する。

 妖糸の舞。鞭のようにしなり、槍のように突き、剣のように切り裂く。

「クククククククク……ククク……」

 嗤いながら麗慈は石巨人を細切れにしていく。

 床に散乱する石の破片の中に麗慈は妖しく輝く石を見つけ出した。

「み〜つけた……ククク、手間取らせやがって」

「その言葉を返してやろう」

 塔の下から舞い戻った紫苑は、そのまま天高く飛翔して麗慈の頭上向かって降下して来た。

「ククク、生きてたのか」

「外れた肩を戻すのに手間取った」

 二人の間に閃光は走り、血潮が床を彩った。

 斬られたのは麗慈だった。彼の右手首が地面に転がっている。

「クククククククク……この痛みは快感だな。ククク……俺の負けだ、さっさとヤッちゃってくれよ」

 麗慈は紫苑とは違い、右手からしか妖糸を出すことができない。つまり右手首を切断された麗慈は負けを認めるしかなかった。

 床に座り込んだ麗慈を見下ろす紫苑。仮面の奥で紫苑は何を思っているのか?

「早くヤれって言っんだろ、待たせるなよ俺様を!」

「貴様は私にとってもはや無害だ。殺す価値もない」

「ククククク……俺に慈悲なんてかけやがって、後で後悔するぞ」

 紫苑は何も言わず麗慈に背を向けて歩き出した。

 磔にされている翔子の前に立った紫苑は、彼女を解放しようと腕に巻かれている縄に手をかけようとしたその時だった。

「……だ、誰あなた!? えっ、ここ……?」

「名は紫苑だ、君を助けに来た」

 仮面の奥で聞こえる声には優しさが含まれていた。

「私、どうして……、あそこに倒れてるの麗慈くん!? あれ血なのもしかして!?」

 混乱する翔子は全く事情が呑み込めていなかった。それについて言葉少なげに紫苑が説明をする。

「あいつが君を攫えと撫子に命じた。それ以上は何も聞くな……君はこれからもと生活に戻るのだから、私たちのことには関わらない方がいい」

 紫苑は片方の手を解放して、もう片方の手に巻かれた縄を外そうとしていた時、翔子がこんなことを口にした。

「愁斗くんでしょ、愁斗くんだよねその声?」

「…………」

 無言のまま紫苑の動きが止まった。

「愁斗くんに決まってる、私が愁斗くんと他人の声を聞き間違えるなんてないもん!」

「…………」

 紫苑はやはり何も言わなかった。

「その仮面取って顔見せてよ!」

 何も答えず紫苑が再び縄を解こうとした時、後ろから殺気を感じ、それと同時に翔子が叫んでいた。

「避けて!」

 反射的に紫苑は避けた。だが、それが不幸を呼び、紫苑は悲劇を目の当たりにして動けなくなってしまった。

 翔子の腹が剣で突き刺され、剣の切っ先は十字の磔台を貫いていた。

 剣を持った男は人間ではなかった。タキシードで正装し、背中には巨大な蝙蝠の翼が生えていた。

 剣を翔子の腹から抜いた男は笑った。その唇の間からは異常に尖った犬歯は妖しく覗いていた。

「申し訳ありません、後ろにいたレディーを刺してしまった」

「……貴様」

 全身を打ち振るえさせ、紫苑は憎しみのこもった声でそう呟いた。

「貴様よくも……」

「だから謝ったじゃありませんか。それにレディーひとりを刺されたくらいでムキにならないでください。私はあなたに大切な研究施設を壊されたのですから、それに比べれば他愛もないことですよ」

「他愛ないだと……万死に値する、死して罪を償うがいい!」

 凄まじいスピードで妖糸が放たれた。が、しかし、妖糸は剣に糸も簡単に断ち切られてしまった。

「こんな弱い相手に私の研究施設が壊されたとは、ああ嘆かわしい」

「まだだ、貴様には地獄の苦しみを与えて殺さねば気が済まん」

「ほざくだけほざきなさい、悠久なる時を生きる高貴な貴族である私に殺され前に」

 次々と妖糸は剣に切断され、華麗なるまでの剣戯を前にして紫苑が一方的に押されている。

 紫苑は圧倒的に不利であった。この数日の間に起きた戦いによって傷つき、耐え難い苦痛の中で戦っていた。

 いつの間にか紫苑は妖糸を出すほんの僅かな時間も与えられずに、相手の剣を避けるのに精一杯になっていた。

 切っ先が紫苑の顔の横を突いた。

「避けてばかりでは、私は倒せませんよ」

「くっ」

 仮面の奥で紫苑は唇を噛み締めた。

 傀儡さえあれば少しはましな戦いができたかもしれないと紫苑は悔やんだ。

 自らだけの力では負けると悟った時、紫苑の目に床で倒れている麗慈が映った。

 麗慈に向かって走り出した紫苑を見て翼人はあざけ笑った。

「勝てないと悟って逃げる気ですか?」

 紫苑は相手の言葉を無視して麗慈の横に跪き、床に転がっていた手首を拾い上げた。

 床に寝そべっていた麗慈の目がゆっくりと開かれた。

「うるせえと思ったら誰かとヤリ合ってんのかよ」

「縫合する」

 麗慈の言葉など無視して紫苑は話を続ける。

「この手を傷口に押し付けていろ、縫合してやる」

 何も言わずに麗慈は受け取った手首を切断面に付けた。すると紫苑が目にも留まらぬ速さで縫合手術をした。もちろん普通の縫合手術ではなく魔導による手術である。

「ククク……恩を売る気か……売られてやろうじゃねえか!」

 麗慈の右腕を動き妖糸を放った。

 針と化し紫苑の顔を貫こうとする鋭い妖糸。紫苑は避けなかった。

 麗慈が不適に嗤う。

 妖糸は紫苑の顔を掠め、後ろにいた翼人の肩を貫いた。

 肩を押さえ顔を歪ませる翼人。

「麗慈、貴様は組織を裏切る気か!」

「ククッ、俺は最初から組織になんて忠義なんて誓ってねえよ。俺はあいつらの使い捨ての駒だからな」

 立ち上がった麗慈に紫苑は小さく耳打ちした。

「時間を稼げ、奴に地獄の苦しみを与える準備をする」

「ククク、それは楽しみだ」

 今度は麗慈が翼人の相手をする。

「ククッ、ヴァンパイアが相手なら不足はないな――血祭りにあげて殺るぜ」

「下等な人間風情がよく言う。血祭りになるのは裏切り者の貴様だ!」

 切っ先を麗慈に向けてヴァンパイアが突進して来た。

「天然記念物級の絶滅寸前ヤロウがよく言うな……ククッ」

「ほぜけ!」

 向かって来る切っ先を辛うじて避けた感じの麗慈はすぐに妖糸を放った。

 相手との距離は三〇センチもなかったが、それでも妖糸はかわされ、それどころか剣による猛襲を仕掛けて来た。

 麗慈の妖糸を放つスピードが遅い。それは仕方あるまい。魔導によって縫合されたとはいえ、完治したわけではないのだから。

 妖糸が煌きヴァンパイアの腕一本をどうにか切断することに成功した。

「クソっ、腕じゃ意味がねえ」

 麗慈の言葉どおり、腕では意味がないのだ。ヴァンパイアはその格や力にもよるが、腕くらいならすぐに再生できる。

「残念でしたね、我ら夜の眷属の伝説はあなたもご存知でしょう?」

 床に転がったヴァンパイアの腕は急速に干からびていき、塵と化してこの場に吹き荒れる強い風によって跡形もなく消えた。その代わりの腕がヴァンパイアの切断された傷から生えた。

「私の場合は他の仲間より再生能力が高い――科学の力というやつですね」

「首を刎ねられても再生するのか?」

「ええ、私の場合は、心臓を潰されない限りは不死身ですね。それからもうひとつ、十字架を嫌うというのは嘘ですよ、全てヴァンパイアの弱点がそれである筈がない。私は神など恐れていませんからね」

 最近の通説では十字架はヴァンパイアには無効であるとするものが多い。十字架を恐れるヴァンパイアは、元々敬虔なキリスト教の信者だった者などがヴァンパイアになり神を裏切ったことなどに後ろめたさを感じるからだという。

「じゃあ、おまえのハートを貫いてやるぜ!」

 麗慈の手から放たれた妖糸が一直線にヴァンパイアの胸を貫いた――そこは心臓があるべき場所だ。しかし、このヴァンパイアはわざと喰らって見せたのだ。

「また残念でしたね、私の心臓は身体の中を動き回っているのです」

 このヴァンパイアは自分の心臓を自由に体中に動かすことができるのだ。

 顔をしかめた麗慈は次々と妖糸を放つ。だが、ヴァンパイアは、もうわざと敵の攻撃を受けることはなかった。

 再び剣による猛襲が麗慈に襲い掛かる。

「弱い、弱すぎる――他の研究所はこんな実験生物などを造って遊んでいるとしか思えませんね。こんなものを造るのなら、もっと私のところに資金を回して欲しいものです」

 敵の猛襲に押され、麗慈は少しずつ後ろに後退していた。

「俺の力じゃ歯が立たねえ……ククク、このままじゃホントに殺られちまうな」

 後一歩でも下げれば地面に落ちてしまうところまで麗慈は追い詰められていた。

「ククッ、少しは足しになるか」

「くっ!?」

 ヴァンパイアが一瞬怯んだ。その後ろには撫子が鋭い爪を構えて立っていた。

「にゃば〜ん! みんにゃピンチに登場プリティ撫子姫だよ〜ん」

 ヴァンパイアの剣が撫子に向けて横に振られた。

「貴様も裏切る気か!」

「だってぇ〜……にゃんとにゃくぅ?」

「余所見してんなよクソヤロウがっ!」

 麗慈の妖糸が放たれたが、ヴァンパイアはそれをあっさりと切断した。

「雑魚が二人になろうと私は倒せない。こうも組織の者が裏切り行為をするとは組織の一掃改革が必要ですね、まずはこの二人を始末しましょう」

 目にも留まらぬ速さで剣が振られ、麗慈は避けたつもりだったが胸を少し斬られた。そして、撫子の着ていた特殊スーツまでもが少し切られていた。

「爆裂危ない! 微かだけど肌まで斬られたぁ。これ着てなかったら死んでたよぉ」

「黙ってヤレ撫子!」

「ほ〜いさ」

 二人掛かりで戦っているというのにヴァンパイアに攻撃を喰らわすことができない。それどころかヴァンパイは表情ひとつ崩さずに息も切らせていない。汗をかき、息を切らせているのは麗慈と撫子の方だ。

「ククク……役立たずのクソ女が」

「いにゃいよりはマシマシだよ!」

「俺の攻撃の邪魔になる」

「麗慈のばかぁ!」

 怒りの矛先をヴァンパイアに向けて、撫子の爪がヴァンパイアの肉を剥ぎ取ることに成功した。だが、それも空しい一撃でしかない。ヴァンパイアの傷はすぐに再生してしまった。

「戯れも終わりにしましょう。お死になさい二人とも!」

「ふざけんな、紫苑のクソはまだ終わんねえのか!」

 遠くで名を呼ばれた紫苑は呟いた。

「……今ならば呼べる」

 とてつもなく大きく奇怪な魔方陣が宙に描かれていた。

「傀儡師である私が成し得る最高の魔導――喰らわれるがいい!」

 召喚は傀儡師の体調や精神状態と密接に関係しており、いつでも呼び出せるものではない。それにもうひとつ、周りの環境などの条件と呼び出すものの相性が合わなくてはいけない。

 通常の傀儡師による召喚は〈それ〉を呼び出すことからはじまる。

 巨大な魔方陣が呻き声をあげると、皆、その場に立ち尽くしてしまった。

 呻き声は世にもおぞましくも美しく、この世のものではないことがすぐにわかる。

 振動する。全てモノが振動する。

 地面や空気や空間までもが振動する――いや、何かの圧倒的な力に無意識に震えているのだ。

 魔方陣の内から、悲鳴にも似た叫びが聴こえて来た。紫苑以外の全員が耳を反射的に塞いだ。

 腐臭にも似た臭いが辺りに立ち込め、魔方陣の内から粘液に包まれたべとべとの触手が蜿蜒と伸びて来た。

 巨大な眼が魔方陣の内から外を覗いた。その瞳を見てしまったヴァンパイアは心を打ち砕かれた。麗慈は本能的に目を伏せており、撫子はしゃがみ込み震えている。

 だが、紫苑の呼び出したいものは違う。

 悲鳴があがり、魔方陣の内から血飛沫が雨のように地面に降り注ぎ、外に出ていた触手が内に強引に引き戻された。

 力のある存在が呼ばれてもいないのに外に強引に出ようとして、その存在を大いなる力を持つものが内に引きずり込んだのだ。

 魔方陣からはいったい何が出て来ようとしているのか?

 紫苑は仮面の奥で唇を緩めた。

「魔方陣の内には無限の世界が存在し、〈それ〉という存在が棲んでいるのだ。私が召喚するものは〈それ〉の産物であり〈それ〉自身ではない。そして、〈それ〉は固有名詞ではない。私の呼び出す〈それ〉は闇に属する存在だ」

 紫苑の言葉に口を挟むものはいない。紫苑の言葉など誰の耳にも届いていないのだ。

「〈闇〉と〈光〉は魔導士の属性であるとともに存在でもある。〈闇〉と〈光〉は〈それ〉に仕えるものであり、管理者と言ってもいいだろう。〈闇〉などは召喚されたものたちが自ら元の世界に還らない時に強制的に還す役目を担っている。だが、こいつはどうかな……?」

 魔方陣が内から引き裂かれていく。何かが出ようとしている。

 〈それ〉が呻き声をあげた。

  紫苑は顔を下に向けた。麗慈も撫子も見ていない。決して見てはいけないことを知ったのだ。

 ヴァンパイアはすでに身を固まらせ、瞬きもできずにいる。そして、心臓も止まっているのだが、死ぬことができない。意識もしっかりとしていて恐怖に狂うこともできない。全ては〈それ〉のこの世ならぬ魅了する力。

 魔方陣は内から壊された。

 〈それ〉の片手と思わしきものが外に出た。思われるというのは、人間やこの世の生物の手には似ても似つかぬものだからだ。おそらくその用途から手と思われる。

 〈それ〉のもう片方の手が外に出て、外と内の間に指を引っ掛けて奇怪な音とともに空間を無理やりこじ開けた。

 何かを破る音に似ているが、悲鳴にも叫びにも似ている。その音を形容する言葉がこの世にはない。

 こじ開けられた空間から〈それ〉の一部が外に出たが、その部分が人間やほかの生物でいうどの部分に当たるのかがわからない。頭かもしれないし、足かもしれない、もしかしたら、これが手だったのかもしれない。

 ここが組織の創り出した異世界でなければ地球は滅びてしまっていただろう。それだけがはっきりしている事柄だ。

 〈それ〉はヴァンパイアを確認した。そして、笑ったように思える。いや、泣いていたのかもしれないし、怒っているのかもしれない。

 〈それ〉はヴァンパイアに向かって行き重なった。呑み込んだという表現が近いかもしれない。

 〈それ〉が還っていく。――全ては〈それ〉の気まぐれであったのかもしれない。

 全ての事柄は意味のあるものかもしれないし、意味のないことが繋がって世界が成り立っているのかもしれない。

 紫苑が顔を上げた。

 世界は空虚に満ち溢れていた。

 ゆっくりと歩き出した紫苑は磔にされている翔子の前に立った。

 紫苑の手がそっと翔子の頬に触れた。とても冷たく身体中の体温が失われているのがわかる。だが、微かに息がある。

 翔子がゆっくりと目を開けた。

「……スゴク、寒いよ……死ぬのかな……私」

 紫苑は身に纏っていた茶色い布を取り、仮面のゆっくりと外した。

「死にはしない、決して君は死なない」

「やっぱり……愁斗くん……じゃん」

 微笑んだ。死相を浮かべているのに、愁斗の顔を見て微笑んだ。

「僕は誰も失いたくない……もう、大切な人が死ぬのは嫌なんだ」

「……ごめん」

 小さく呟き、静かに静かに息を引き取った。

「ふふ……君のことを守るって約束したのに……くははは……なぜだ……全て僕のせいなのか?」

 震える手をゆっくりと上げ、紫苑は涙を流した。

 頬にもう一度触った愁斗は磔にされていた翔子の身体を開放して、地面の上に優しく下ろした。

「……禁じられた契約を交わそう」

 凍てついた床の上に横たわる翔子の横に跪く愁斗。

「これが正しいことなのか、それはわからない。けれど、あの時の僕にはできなかったけど、今の僕にはできる」

 愁斗の手が素早く動き妖糸を放った。

 翔子の胸に煌きが走り、鮮血が迸った。

 開かれた胸の中へ手を入れて愁斗は、その中で何かをした。

 造り変わる躰――翔子は愁斗の傀儡となろうとしている。

 鋼の頬に紅が差していく。

 永久に続く生命を与えられ、妖糸によって胸の傷が縫合された。

 そして、愁斗は翔子の胸の中心に契りを交わした証拠として印を残した。

 まだ、深い眠りについている傀儡を目覚めさせるため、愁斗は傀儡の柔らかな唇に自分の唇を重ね合わせた。

 覚醒めはじめる。

 愁斗が顔を離すと翔子のゆっくりと目が開けられた。

 汚れの無い黒く澄んだ瞳の奥に愁斗の顔が映る。そこに映るすべては許されるのだろうか?

「愁斗くん……? まだ、私、死んでなかったのかな?」

 この問いに愁斗はゆっくりと首を横に振った。

「いいや、君死んだ。……そして、僕の傀儡になった」

「傀儡?」

「……ここを出てからゆっくりと話そう。空間が壊れる音がする」

 空間が壊れる音など翔子の耳には聴こえなかった。それどころか世界は静寂に満ちている。

 翔子を両腕で抱きかかえ、愁斗は立ち上がった。愁斗の左腕は妖糸によって強引に動かされている。愁斗は翔子のことをしっかりと抱きしめたかった。

 この異世界は〈それ〉を呼び出したことにより狂いが生じていた。もうすぐ世界は硝子のように砕け散る。

 愁斗は呆然と立ち尽くしている麗慈と、しゃがみ込んで頭を抱えながらまだ震えている撫子に声をかけた。

「おまえたちも早く外に出た方がいい」

「クククククククク……傀儡にされちまったのか。いや、それよりもさっきのあれは何だ……ものスゴイ威圧感で俺を感じさせたのは?」

「真の傀儡師ではない貴様の知ることではない」

 世界に皹が入った。誰にでもわかる崩壊がはじまった。

 立ち上がろうとしない撫子を見て紫苑は呟いた。

「手が空いているのなら運んでやれ」

 これを言われた麗慈は苦笑した。


 廃工場の出口に戻ると撫子は地面に降ろされた。

 翔子が地面にゆっくりと降ろされる途中で麗慈は愁斗に背を向けた。

「俺は組織が来る前にさっさと逃げるぜ」

 愁斗は妖糸を麗慈の背中に振るったが、それはあっさりと切断された。麗慈入ってしまった。愁斗はそれ以上何もせずに麗慈を行かせた。

 頭をぶるぶると震わせて正気を取り戻した撫子は、ポケットからケータイに似せて作ってある通信機を取り出してどこかに連絡した。

「コード000は紫苑の暗殺に成功。愁斗の遺体は突如崩壊した異世界に閉じ込められて回収不能。麗慈は異世界から抜け出した後に逃亡――以上」

 撫子は通信機のスイッチを切って愁斗と翔子の顔をなんとも言えない表情で見つめて言った。

「……今の罠かもよ。これからアタシはアナタたちを裏切るかもしれにゃいしぃ、アタシを殺すにゃら今がチャンスかもねぇ。うんじゃ、アタシはフツーの学生さんに戻るから、さらばにゃ〜ん!」

 背を向けた撫子に妖糸を振るおうとした愁斗。だが、それを翔子が止めた。

「まだ、私たち親友だから……手を出さないで、お願い」

 ゆっくりと手を下げた愁斗は翔子を見つめた。

 愁斗に笑いかける翔子。そして、愁斗も笑った。


 夢見る都(完)

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