夢見る都(14)
ステンドグラスから淡い光が聖堂内に差し込む。
美しき薔薇の庭園に囲まれた聖堂の中で、ひとりの女性が祈りを捧げていた。
この者の名はアリア。明後日に婚姻式を控えた女性だ。
光差し込むステンドグラスに描かれた聖母に跪き、アリアは両手を組んで静かに目を閉じていた。
この辺りを治める領主の息子に愛慕われ、縁談の話が強引に進められてしまい、アリアの心は深く傷ついていた。
婚姻相手の名はメサイ。決して悪い人ではないとアリアは思っている。だが、アリアには意中の男性が他にいた。
アリアの恋い焦がれる男性の名はフロドドロウ侯爵配下の近衛魔導士団に所属する魔導士であり、蒼玉戦争で没落した貴族の家に生まれ、家名再興のために魔導士としての名を成そうとしている。
静寂の聖堂に呟きが響く。
「明後日と迫った婚姻式――やはりわたくしはメサイ様を愛することができません」
目を開きステンドグラスの聖母を見上げる。
「なぜ神は、わたくしとフロド様の仲を引き裂こうとするのでしょうか……。なぜ、わたくしはフロド様と一緒になってはいけないのでしょうか?」
アリアの頬に光の筋が走り、それは地面に零れ落ち、四方に弾け飛んだ。
「なぜ、なぜ、なぜ、神はわたくしに試練を課すのですか? わたくしはなぜ苦しまなければならないのですか?」
冷たい床に両手をつき、下を向いたアリアの顔から雫がぽたぽたと地面に零れた。
「わたくしの声が届いておいでなら、答えてください! わたくしに答えを……ううっ……くっ……」
唇を噛み締め悲しみを抑えるアリア。彼女に救いの手を差し伸べる者はいないのか?
肩を震わせ嗚咽しながらも、自分の内に秘める感情を抑え込もうとしている。
アリアは涙を拭いて、もう一度ステンドグラス描かれた聖母を見た。
涙は止め処なく流れている。
「わたくしは、わたくしは人の決めた道を歩むなどできません。わたくしは、わたくしで決めた道を生きたい。愛してもいないひととなど結婚なんてできません!」
再び咽び泣き、顔を下げるアリア。
「自分の感情に嘘をつくことはこれ以上できません。わたくしはフロド様だけに愛されて生きたい。そして、フロド様と……」
目を瞑っても涙が溢れて来る。胸を抑えても苦しみは消えず、震えは止まらずに身体が押し潰されそうな感覚に陥り、心臓が砕けそうになる。
静かな聖堂に自分の泣く声と心臓の鼓動だけが鳴り響く。
「フロド様と結ばれぬのならば、死んだ方がましだというのに、わたくしには死ぬ勇気もないのです。そんな自分が惨めで、結局は何もできない人間なのです」
咽び泣く声とは別に、相手を気遣うような静かな足音が聴こえた。
アリアの耳にも足音は届いていたが、顔を上げることができず、相手を確認することができなかった。
「また、ここで祈りを捧げていたのですね」
アリアの背中に優しい言葉をかけたのは、アリアの侍女であった。
言葉をかけてもアリアは振り向こうとはしなかった。いや、振り向けなかったのだ。
侍女は何も言わずアリアを見守っていた。そして、やがてアリアが顔を上げ、侍女の方を振り向いた。
「わたくしが泣いていたなどメサイ様には決して言わないでください」
「承知しております」
ゆっくりと立ち上がったアリアは侍女に崩れるように抱きついた。
「あなたの顔を見たら、また涙が溢れて来てしまいましたわ」
「アリア様、貴女がお嘆きなられたら、わたくしまで悲しくなってしまいます。どうか涙をお拭きになって、泣くのをお止めになってください」
侍女はアリアの肩を掴んでしっかりと相手を立たせた後に、白いレースのハンカチでアリアの顔についた悲しみを拭き取った。
「ごめんなさい、あなたまで悲しい思いをさせてしまって、わたくしのために涙を流してくれる友人はあなたしかいないわ」
侍女の目からも涙が溢れ出ていた。それをアリアは自分のハンカチで拭き取ってあげると、微笑を浮かべた。
微笑をもらった侍女は胸が苦しくなった。
「アリア様の笑顔はこの世で一番素敵でございます。貴女様にお使いできて、わたくしは大変嬉しゅうございます」
「わたくしもあなたのようなひとが近くにいてくれて、とても心強いわ。わたくしが何度あなたに助けられたことか、あなたはいつもわたくしを支えてくださった。いつでもあなただけがわたくし味方でした。感謝の言葉を何度言おうとも、決して足りませんわ」
アリアの言葉を心で真摯に聞き入りうなずく侍女。彼女はアリアの一番の理解者であり親友であった。
「アリア様、貴女様が命じてさえくれれば、明後日の式を力ずくでも破談させてしまう覚悟はできております」
「いけませんわ、わたくしのためにそんなこと……」
「いいえ、わたくしはアリア様のためならば、この命捧げる覚悟でございます」
侍女は服の上から自分の心臓を鷲掴みしてアリアに訴えた。
「アリア様はフロド様とご一緒になるべきなのです」
「ありがとう、昨日もあなたはそんなことを言っていましたね。でも、いいのですよ、わたくしの運命はもう決まっているのです」
「そんな……アリア様……」
「わたくしなら平気です。これからもあなたが傍にいてくださるのですもの」
「……アリア様」
「お行きなさい。わたくしはもう少しここにいますから」
言葉に詰まった侍女は何も言わず、頭だけを下げて足早に立ち去ってしまった。
再び独りになるアリア。彼女は床に跪き目を閉じた。
しばらくして、また足音が聴こえた。今度の足音は歩幅の広い人の足音だ。
アリアは足音の持ち主の顔を見た。そして、はっとした。
「フロド様!?」
「ここに来れば貴女に逢えるような気がした。しかし、いざ出逢ってみると逢ってはいけなかったのだと胸が痛む」
「わたくしも貴方様に出逢ってはいけなかったと思いますわ。貴方様と出逢ったことにより、わたくしの心は掻き乱され、苦しみが込み上げてきます」
うつむいたアリアはフロドと視線を合わせないようにした。声を聴くだけでも苦しいのに、そのひとを見ていてはもっと苦しみが増してしまう。だが、フロドが傍にいるのを感じ、胸に熱いものが込み上げて来るのがわかる。
「なぜ、わたくしたちは引き離される運命なのでしょうか……?」
「私は貴女を手放しはしない。メサイの手から貴女を取り戻してみせる!」
「いけませんわ、いけません。そのようなことを成されては、貴方の名に傷が付いてしまいますわ」
「いいのだ、貴女さえいてくれれば」
「家名再興を成し遂げるのではなかったのですか? お忘れではないでしょう、メサイ様の父君は貴方が使えていらっしゃるお方でもあるのですよ」
フロドはドロウ侯爵配下の近衛魔導士団に所属する魔導士だ。ドロウ侯爵の息子であるメサイからアリアを奪い返すなど、許されることではないのは誰もがわかっていた。
「だが、しかし! 私は貴女のことを……こんなにも想っているというのに!」
片手を大きく振り乱し、フロドは感情を爆発させた。
「私は貴女を愛している。そして、貴女も私のことを――」
「言わないで! 言わないでくださいそれ以上。わたくしはメサイ様の妻となる身なのですよ。わたくしを困らせないでください――胸が、胸が苦しくなって、涙が……」
目に涙を滲ませるアリアにフロドは近づき、彼女を抱きしめようと腕を伸ばした、その瞬間だった。
「触らないで!」
フロドはアリアによって突き飛ばされた。
「わたくしの身体に触れないでください。わたくしに優しくしないでください。わたくしを苦しめないで……」
突き飛ばされた時に床に座り込む体制になってしまったフロドは、立ち上がることもできずに黙り込んでしまった。
沈黙が流れる。そして、フロドは床に座りながら言った。
「すまない、私が悪かった。だが、わかってくれ、苦しいのは貴女だけではないということを……私とて胸が張り裂けそうなくらい苦しくて堪らないのだ」
「フロド様……」
アリアは何かを言おうとして首を振った。
「いいえ、これは運命なのです。わたくしたちには逆らえない運命なのです」
「何が運命だ! これが運命と言うのならば、この世には神はいない――いるのは悪魔だけだ!」
「フロド様は神を愚弄なさるのですか!? 神はおりますわ、いつもわたくしたちを見守ってくださっています」
「ではなぜ私たちはこのような運命を歩まねばならんのだ? これは神が私たちに与えた試練だとでも言うのか!?」
「……それは」
「答えられぬではないか、神はやはりいないのだ。私たちの運命は悪魔によって弄ばれているのだ」
フロドに激しく罵られ、アリアは返す言葉が何もなくなってしまった。
打ち震えるアリア。激しい憤りを感じ、この行き場のない感情をどうしていいのかわからない。
そして、ついにアリアの感情はフロドにぶつけられることになった。
気丈とした態度でアリアは命じた。
「早くここから出て行ってください。わたくしと貴方は逢ってはいけないのです!」
アリアの言葉を受けたフロドはゆっくりと身体を起こし、服についた埃を振り払って哀しい表情をした。
「わかった……貴女がそう言うのであれば仕方あるまい。さらばだ……あ……よ」
小さな声でフロドは呟き、マントを翻してこの場を後にした。だが、最後の呟きが耳に
届いてしまったアリアは叫ばずにいられなかった。
「お待ちになってフロド様!」
声がした後もフロドは歩いていたが、やはり止まらずにいられなかった。だが、振り向くことはできない。決して振り向いてはいけない。
フロドに駆け寄るアリア。彼女は堪えられずフロドの背中に抱きつき、そして泣いてしまった。
「フロド様、行かないで……行かないでください」
「触るなと言ったのは貴女だぞ」
「いいのです……わたくしは、貴方を愛しているのですから」
「私もアリア」
ついに振り向いたフロドは、自分の顔をアリアの顔にそっと重ねた。
どこかで鐘の鳴る音がする。この鐘は廃滅の序曲なのか……それとも?
アリアとメサイの婚姻式が行われる前日、フロドはまた薔薇の聖堂を訪れていた。だが、今日は誰もいない。
静かな聖堂――明日ここで二人の婚姻式が行われるとフロドの耳には入っていた。
「私は何をすればよいのだ。いや、その答えは考えなくとも出ている。だが、後のことはどうする? 現実は甘いものではないのだ」
フロドはステンドグラスに描かれた聖母を見上げた。
「貴女ならば神が本当にいるのかご存知でしょう、神はいらっしゃるのですか?」
答えはなかった。フロドは鼻で笑った。
「先日は神がいないと自分で言い、今は神に頼ろうとしている。なんと都合のよい男であろうか私は」
拳を強く握りフロドは目を閉じた。
「だが、今は誰かにすがりたい――神の助けが欲しいのだ。こんな都合のよい男でも想いを寄せてくれるひとがいるのだ。私は目の前にいる大切なひとを手放したくはない、この腕で抱きしめていたいのだ」
想い人を頭に描き、フロドは己の身体を強く抱きしめた。
「漆黒の闇に魂を貫かれる気分だ。悲しみは海より深く、苦しみは空より高い、私の魂を癒してくれるのはあのひとしかおらぬ」
失意の底に打ちのめされたフロドは、床に両手をついてこう叫んだ。
「ふざけるな、こんな運命など受け入れてたまるものか!」
床を力いっぱい殴りつけた。それも一度ではなく、何度も何度も激しく殴りつけた。
フロドの拳から紅い血が滲み出して来た。
「この右手が真っ赤な血で穢れようと、私はアリアを奪い返してみせるぞ!」
血に染まる右手を眺めながら、フロドは決意を固めた。
立ち上がったフロドはマントを翻して歩き出そうとした。しかし、聖堂の中に入って来るフロドと同じ法衣を身に纏う人物を確認して足を止めた。
聖堂に入って来たのはフロドの友人の女性であるティータであった。
ティータはフロドと同じく、ドロウ侯爵配下の近衛魔導士団に所属する魔導士でひとりである。
「探しましたよフロド。ドロウ侯爵殿がお呼びになっていますよ」
「ありがとうティータ。だが、侯爵様のもとへは行かなぬ」
「どうしてですか……まさか!?」
ティータはフロドとアリアに仲を知っている。そして、フロドとは長い付き合いだ。だからすぐに気がついてしまった。
「まさか、あなたは侯爵様のことを裏切る気なのか!? そうなのかフロド、答えるのだフロド!」
ややあってフロドは深くうなずいた。
「わかってくれティータ。侯爵殿を裏切るのは本意ではないが、しかし、そうせねばならぬのだ」
「アリアだな、あの女のせいだな!」
「あの女などと呼ぶな……あのひとは私の大切なひとだ」
言葉よりも目で激しく訴えるフロドを見て、ティータは落ち着きを取り戻した。
「すまなかったフロド。しかし、明日の式の邪魔でもしようものなら、あなたは殺されてしまうのですよ」
「覚悟のうえだ」
「……そうですか。では、私もあなたに協力しましょう」
「それは本当かティータ!?」
相手の目を見据えてティータはうなずいた。
「あなたと私は男女を超越した親友です。あなたが死を覚悟するのならば、私もこの命を架けましょう」
真剣な眼差しのティータの目を見つめながら、フロドは首をゆっくりと横に振った。
「気持ちだけで十分だ。ティータまで巻き込むわけにはいかない。君は将来有望な魔導士だ……君の輝かしい誉れ高き未来を潰すわけにはいかない」
「それはフロドとて同じではないか!? フロドは私なのよりも未来のある者だ!」
「私の未来は君が思う場所とは違う場所にあるのだよ」
――遠い眼差し。フロドは未来に何を見ているのか?
「フロド……やはり駄目だ。今からでは遅くはない、考え直してくれぬのか?」
「それはできない。私はアリアをこの手で奪い返すと決めたのだ」
「どうしてだ、どうしてできぬのだ! 輝かしい未来を捨てて、なぜ彼女を得ようとするか私には理解できない」
「すまない、私の我が侭でしかない。だが、未来を決めるのは私自信だ」
その先の未来がどうなろうと、自分の未来は自分で決める。だが、ティータには理解に苦しむことだった。
フロドは人一倍努力をして、仲間たちからも慕われ、将来を有望視されていた。それをなぜ全て捨ててまで愛する女性を得ようとするのか? そこまでしてあの女性は得る価値のあるものなのか。いろいろな想いが交差するティータは唇を噛み締めた。
「なぜだ、なぜ侯爵殿を裏切る!」
「それ以上言うなティータ。命を架けてくれると言ったのは嘘だったのか?」
「嘘ではない! でも、違うのだ、何もかも違うのだ……」
押し黙るティータ。フロドはマントを翻した。
「私は行く」
「待てフロド!」
「止めるなティータ」
ティータに背を向けこの場を立ち去ろうとしたフロドの腹が真っ赤に染まった。
「く……くはっ!」
フロドの腹から突き出る輝くナイフ。フロドの背中にくっ付くようにティータが立っている。その手にはしっかりとナイフが握り締められていた。
血に染まる自分の腹を見てフロドは叫んだ。
「謀ったのかのティータ!」
ナイフが抜かれ、フロドは床に膝をついた。
哀しい瞳でティータはフロドを見下ろしていた。
「済まないフロド、私はドロウ侯爵殿には逆らえんのだ。侯爵殿のご子息を敵に回した君は多くの者から命を狙われている。ならば、せめて私の手で……」
「最も信頼していた友人に裏切られるとは……はははっ、何たることだ。やはり神はおらぬな」
自分の腹を押さえたフロドは、その手にべっとりとついた血を眺めた。
「くっ、ははは……涙が出て来る。『せめて私の手で……』か……」
フロドは腹を抱えながらゆっくりと立ち上がり、そして歩きはじめた。
「待てフロド!」
「私はもう誰にも止められぬ。私は私の道を行かせてもらう」
フロドの手から魔導で作り出したエネルギーの塊が放たれ、ティータの身体を大きく後方に吹き飛ばした。
「すまないなティータ」
消え行くフロドに手を伸ばすティータ。だが、その手は届かない。
「ま、待て……フロド……くっ」
床に倒れたままティータはフロドを追うことができなかった。
しばらくして自らの力で立ち上がったティータ。そんな彼女の前にある人物が姿を現した。
「フロドはどうなったのだ?」
ティータの前に現れたのはメサイだった。
「申し訳ございません、しくじりました」
「そうか、フロドは逃げたのだな……」
メサイは床に残る血の跡を見た。
「これはあ奴の血か?」
「左様でございます」
「なるほど、これだけの血……重症だな」
「左様でございます」
ティータの手にはまだ血のついたナイフが握られていた。
「そのナイフには毒は盛ってあったのか?」
「いいえ」
バシン! という音がしてティータは頬を押さえながらよろめいた。
「毒でも盛ってあれば褒美でもくれてやろうと思ったが、この役立たずが!」
「申し訳ございません」
メサイと視線を合わせず、ティータは抑揚のない声で言った。その態度がメサイの怒りを逆なでする。
「何だその態度は? 私に反抗でもするつもりなのか?」
次の瞬間、ティータは二度に渡って平手打ちを受けた。だが、ティータは何も言わず歯を食いしばり、なおもメサイと視線を合わそうとしなかった。
メサイは再びティータを打とうと構えたが、その手は天高く上げられたところで止まった。
「何も言わず打たれるだけの者を打っても何の面白みもない。少しはやり返して来てはどうなのだ!」
「…………」
「クソッ……つまらぬ」
メサイはそれ以上何も言わず聖堂を立ち去ってしまった。
友裏切り独りとなったティータの目からは涙が溢れていた。
「やはり、私にはできなかった。フロドを一思いに殺すことができなかった。フロドの肉をこの短剣で突き刺す瞬間、その瞬間に私の心に迷いが生じた。だが、今は迷いなど存在しない……済まない友人よ」
ティータは一思いに自らの喉元を短剣で刺した。
崩れ落ちるティータ。床が紅く染まっていった。
友人の裏切りにあったフロドは失意の底から這い上がれぬまま、婚姻式当日に薔薇の聖堂に向かった。
薔薇の聖堂にいたのは、アリアとメサイだけだった。他の者はどうしたのか、婚姻式はどうしたのか?
「待っていたぞフロド!」
「婚姻式はどうしたのだ、ここで行われるはずではなかったのか!?」
「婚姻式は明日に延期だ。今日ここで貴様との決着をつけるためにな!」
「何っ!?」
今日ここで婚姻式が行われるという情報はティータから聞いたものだった。そう、全てはメサイの罠だったのだ。
「またしても私はティータに謀られただな」
ティータという名を聞いてメサイの口元が歪んだ。
「貴様は知らぬかもしれんが、あのティータという女は昨日自害したぞ」
「何だと!? ティータが、そんなはずがない! ティータが死ぬなど!」
信じられぬことだった。まさか、あのティータが自害しようとは。フロドの心はより失意の底に沈んでしまった。
「死んだ友人を想うのか……貴様を裏切った友人を!」
「彼女には彼女の生き方があったのだ。私を刺したとしても、彼女は永遠に私の友人だった」
「刺されても友人だと? 戯言をぬかすな、あの女にそのような価値はない」
はっきりと言い切ったメサイをフロドは鋭い目つきで睨みつけた。
「ティータを愚弄するつもりか!」
「あの女には愚弄する価値もない」
「貴様!」
今にもメサイに飛び掛かりそうなフロドを悲痛な叫び声が止める
「お止めになってフロド様、メサイ様もですわ。もう止してくださいませ」
メサイはアリアの腕を引き、自分の後ろへ強引に移動させた。
「これは私とあ奴の問題だ」
「いいえ、違いますわ。わたくしの問題でもあります」
前へ出ようとするアリアを再び自分の後ろに押し込めるメサイ。アリアには運命を選ぶ権利はないのだ。
「これは私とあ奴の問題だと言うているだろ、おまえは下がっていろ!」
「わたくしは人形ではないのですよ、私には魂があるのです!」
「うるさい黙っていろ!」
「……なっ!?」
アリアの身体が動かない。上半身は動くのに、足だけが上がらないのだ。
「私とあ奴の話が付くまで、おまえの足は石と化した。そこで全てを見届けておれ」
メサイは何かを考えながらフロドの前を行ったり来たりした。
「私とフロド……どう決着を付けるべきか」
「魔導力を競おうではないか!」
「いや、アリアに近くで決着を見届けてもらいたい。魔導で私らが戦えばアリアに危険が及ぶだろう。それにこの聖堂で明日婚姻式をするのでな、建物を壊されては困る」
「では、こうしよう」
どこからか輝く剣を取り出したフロド。彼は剣による決闘を申し込んだ。
「昔ながらの剣による決闘を申し込む。アカデミーでの貴公の魔導剣士として腕前は聞いていた。いつか手合わせを願いたかったが、アカデミーでは叶わなかった。そこで、ここでお手合わせ願いたい」
「面白い」
メサイの手にも輝く剣が握られた。
「実に面白い、私も貴様の名は聞いていた。魔導の腕も剣の腕も随一だと言われていたのを覚えている」
二人の男は愛するものために剣を取った。その二人の男性を見つめるアリア。
「お止めになって、わたくしはお二人が争うのを見たくありません」
アリアの言葉は二人に届くことはなかった。
剣を構えた二人は互いを見据え、目を離すことなくある程度の間合いを取りながら攻撃の機会を窺っている。
先に仕掛けたのはメサイだった。
「うおりゃーっ!」
地面を蹴り上げ切っ先を天高く振り上げるメサイ。そして、剣は光を放ちながら大きく振り下げられた。
相手の剣戟を受け止め、フロドは相手を睨みつけた。
交わる剣と剣を挟み、互いの闘志が燃え上がる。
素早い動きでメサイの足が振り上げられた。不意を突かれたフロドは相手の蹴りを受け止めることができず、腹に蹴りを受けて床に転がった。
この機会をメサイは見逃さない。
剣は床を激しく叩き砕き破片がフロドの顔にかかる。振り下ろされた剣を辛うじて避けていなければフロドは即死していたに違いない。
狂喜の形相で迫り来るメサイの剣を、フロドは己の剣を下から掬い上げるようにして弾いた。メサイの剣が宙を回転しながら舞う。
床に落ちる剣。フロドは一刀を放つべくメサイに襲い掛かる。
だが、メサイの手が煌きを放った瞬間。メサイの剣が糸で引っ張られたように手元に戻ったではないか!?
フロドの剣戟を不敵な笑みで受けるメサイ。彼は魔導を使ったのだ。
「使わぬとは言っていない」
「なるほど、ならば私はアリアに危害が及ばぬよう、それだけを考えて戦おう」
二人は同時に相手の剣を突き放し後ろに飛び退いて間合いを取った。
メサイが風を巻きながら走る。そして、剣を横に振る。
しゃがんだフロドの頭上を剣が掠め、フロドはそのまま回し蹴りを放った。
足を取られて転ぶかと思われたメサイだが、彼はバク宙を決めつつフロドと間合いを取った。
メサイは剣の切っ先をフロドの顔に向けて、声高らかに叫んだ。
「貴様は生まれながらのエリートだ。私は貴様の幻影ばかりを追って生きて来た。貴様は優秀で私は出来損ない――だから私は貴様に嫉妬した!」
「私は天才ではない。私は家族を崩壊させた者どもを怨んだ――怨念が私の力」
「怨念か――では、私は憎悪の力だ」
なんと!? メサイは剣を捨てた。
「やはり、魔導で戦おう、古の血を引きし魔導士よ!」
「望むところだ」
フロドもまた剣を捨てた。
二人の間に煌きが放たれ床に落ちた。二人が手を動かすたびに一筋の閃光が走り、そして、消える。
フロドがメサイとの距離を縮めて手を横に振るった。メサイの真横を光の筋が通り抜けた。
次の瞬間、メサイの姿が一瞬にしてフロドの視界から消えた。
殺気を感じた時には遅かった。
フロドは背中を激しく蹴られ、地面に手を付きながら倒れてしまった。
床に落ちていた剣を拾い上げたメサイはフロドに止めを刺すべく、剣を突き刺そうとした。だが、その時だった。
「止めてっ!」
床に倒れるフロドに覆い被さるようにアリアが!
剣はアリアの身体を通り抜け、そして、引き戻された。
「な、なぜだ……なぜこ奴を庇った……!?」
メサイの手から剣が滑り落ちた。
起き上がりつつフロドはメサイの落とした剣を拾い、大きく剣を振り上げた。
「なぜだーっ!」
叫びをあげたメサイは、ゆっくりと背中から床に倒れて動かなくなった。――フロドが勝利を治めたのだ。だが、アリアは……。
フロドは床に倒れたアリアを抱き起こし、涙を流した
「どうして……どうしてだ……」
「フロド様……やはりわたくしと貴方様は……引き裂かれる運命なのですね」
アリアの声はか細く息も荒い。もう、助からない。
「何を言うておるのだ。私とアリアは永遠に一緒だ」
「貴方の言うとおり……神はいませんでした……ありがとうフロド……」
アリアの身体から力が抜け、フロドは叫び声をあげた。
「アリアーっ!」
愛するひとの亡骸を抱きかかえ、フロドは泣いた。これまでで最も激しく泣いた。
「はははっ……神はいないか……ならば悪魔に魂を売ろうではないか!」
辺りが急に暗くなり、外では雷鳴が轟いた。
フロドはアリアの亡骸を床に丁重に寝かせ、大きく手を広げた。
狂気の形相をするフロドは何かに取り憑かれたように、ぶつぶつと小声で何かを言いはじめた。
「……アズ……我は時の……契約……者……悠久……を経て……禁じられた契約……署名…開か……魔……扉!」
呪文を唱え終わると同時に雷鳴が再び轟いた。
床に横たわるアリアの顔と自分の顔を重ね合わせ、ゆっくりと顔を離したフロドはアリアを抱きかかえた。
ゆっくりと目を開けるアリア。だが、その瞳は虚ろだった。
「ふろ……ど……サマ」
無表情なままアリアはぎこちなくそう言った。
「そうだ、私はフロドだ。貴女は私によって永久を与えられた」
アリアは何の反応も示さず、宙を虚ろな目をして見ている。いや、宙に顔を向けているだけだ。今の彼女には感情が全く感じられない。
「アリア、貴女は夢の中で私と生きるのだ。……永遠に一緒にいよう、アリア」
フロドはアリアを地面に立たせ、彼女の手を取りワルツを踊りはじめた。
ぎこちない人形のように踊らされるアリア。無表情なその瞳からは大粒の涙が零れ落ちる。
無表情なアリアを見て笑いかけるフロド。彼の瞳には以前のアリアが映っている。
薔薇の聖堂で踊り続ける二人の男女――。
ワルツを踊る二人は、覚めることのない夢を見る。――ここは二人の夢見る都。