夢見る都(11)
星稜祭前の三日間は授業がなく、星稜祭の準備が全校生徒総出で行われる。
文化部は部の出し物の準備をし、運動部でも屋台などをやったりし、クラスではクラスの出し物がある。
演劇部もこの日は朝早くから練習をすることになっていた。
舞台の上で他の部員を待っているのは二人――隼人と麻那だ。
「みんな来ませんねぇ〜」
呑気な口調で言う隼人を麻那は睨みつける。
もし、自分たち以外に誰も来なかったら、それは全部自分のせいだと麻那は思って、酷く取り乱すに違いない。
「来るわよ……たぶん」
麻那には自信がなかった。もしかしたら、自分たち以外は誰も来ないのではないかと内心では思っている。
不安で胸が苦しくなり、麻那はうつむいてしまった。昨日の夜もよく眠れなくて、朝起きたら目の下に隈ができていた。
麻那はポケット中に手を突っ込んで、そこに入れてあった物に気がついた。
「そうだ、さっき買ったんだった」
ここに来る前に買ったコーヒーと炭酸飲料。麻那は炭酸飲料を隼人に差し出した。
「はい、隼人PONTA好きでしょ?」
「あ、うん、ありがと」
二人は同時に缶を開け、飲み物を少し喉に通した。
「ぷはぁ〜っ、やっぱりPONTAはオレンジが一番だよね」
満足そうにジュースを飲む隼人を見て、麻那は微笑を浮かべた。その笑みはとても温かかい。
時間が流れていくが、誰も来る様子がない。もしかしたら、本当に誰も来ないのかもしれない。麻那の不安が募る。
「来ないのかな……みんな」
「大丈夫、きっとみんな来るさ。あんなことで水の泡なんて、せっかく練習して来たんだから」
隼人は麻那に微笑みかけるが、麻那の心配は解けない。
客席を駆け下りてくる音が聴こえた。
「にゃば〜ん! 遅れてゴメンにゃさ〜い」
「私まで遅れてごめんなさい」
舞台に上って来たのは撫子と翔子だった。
二人が来てくれたことにより、麻那の心は少し落ち着いた。
「よかった、翔子来てくれたんだ。翔子が一番来てくれないんじゃないかって心配だったのよね」
「私が練習サボると思ってたんですか? 今日遅れたのはこいつのせいですよ」
翔子は『こいつ』の腕を引っ張って、麻那の前に突きつけた。
「アタシが行けにゃいんですぅ。アタシが寝坊して翔子との待ち合わせに遅れたからぁ。アタシ、どんな罰でも受けますから翔子を責めにゃいでください。煮るにゃり焼くにゃり召し上がるにゃりしちゃってくださ〜い」
「許すから、そんな潤んだ目であたしのこと見ないでよ。それよりも許して欲しいのはあたしの方……翔子、こめん」
麻那は翔子に向かって勢いよく頭を下げた。
頭を下げられた翔子の方が戸惑う。麻那が人に頭を下げるなんて、翔子は信じられなかったからだ。
「あ、いいです、もう気にしてませんから、私の方こそ練習抜け出してごめんなさい。私が飛び出した後、練習ちゃんとできたか心配で……」
この言葉を聞いた麻那は頭が上げられなくなった。翔子が帰った後、より険悪なムードになって隼人を除く全員が帰ってしまったことを麻那は思い出した。
「麻那先輩、どうしたんですか? 頭上げてくださいよ」
翔子が心配そうに麻那に声をかけるが返事は返って来ない。
頭を上げない麻那を見て、隼人の表情が暗くなった。
「実はね、翔子さんが帰った後、みんな勝手に帰りはじめちゃってね。練習どころじゃなくなっちゃったんだよ」
頭を下げたままの麻那の顔から雫が地面に零れた。
「ごめん、あたしが全部悪いんだよね。みんなに当たり散らして……あたしが、あたしが全部悪いんだよね」
泣き出した麻那を目の当たりにして、翔子まで泣けて来た。
「違いますよ、悪いのは私です。私があの時、笑って済ませればよかったんです」
二人の女性が泣き出してしまい、隼人は困惑して何もできなかった。それに引き替え撫子は明るいものだ。
「二人とも爆ネガティブ。泣いてたってしょーがにゃいよ二人とも。泣いてにゃいで他の部員どもを連れて来るとかしたらどうにゃの?」
「私、行って来ます」
翔子は泣くのを止めて、残りの部員たちを探しに行こうとした。だが、その前に女子三人組が現れた。
最初に沙織が挨拶をする。
「おはよーございま〜す!」
次に麻衣子が挨拶をする。
「おはようございます。練習に遅れて申し訳ありませんでした」
最後に残った久美はふて腐れて何も言わなかった。そんな久美のわき腹に麻衣子の肘鉄が入る。
「ちゃんと挨拶しなさいよ」
久美は沙織と麻衣子に説得されて強引にここに連れて来られたのだ。
「痛いじゃない!」
それだけ言って久美は再び黙り込んでしまった。
すすり泣く声が聴こえた。それに気がついた沙織は思わず声をあげてしまった。
「ま、まさか麻那センパイが泣いてるんですかぁ〜!?」
麻那が泣いていると聞いて、久美もビックリして麻那を見つめた。
「ご、ごめんなさい……あたしが全部悪いの……」
涙をぽたぽた流しながら麻那が顔を上げた。それを見た三人娘は度肝を抜かれた。まさか麻那が本当に泣いてるなんて思わなかったし、ましてや謝るなど考えられなかったからだ。
泣いて謝る麻那を見て久美は慌てた。
「泣かないでください先輩、私怒ってるわけでもありませんし、先輩のこと責めてるわけでもありませんから」
本当はさっきまで怒っていたし責めてもいた。だが、泣きじゃくる麻那を前にしたら、本当のことなど言えなかった。
隼人は泣いている麻那の身体をそっと抱き支えて言った。
「誰も麻那のこと責めてないから、泣かないで。ほら、元気出してさ」
「ううっ……で、でも……麗慈が……うっ……」
麗慈が来てなかった。状況は最悪だった。麗慈が来るまで麻那は泣き止むことがないだろう。
「私、探してきます!」
翔子はそう言って走り出した。あんな麻那を目の前にしたら何かをせずにはいられなかった。
走り出した翔子の後をすぐに撫子が追って来た。
「アタシも行くよ〜ん」
「じゃあ、手分けして探そう」
「オーケー。じゃ、アタシはこっち行くから、翔子はあっちね」
「うん、わかった」
撫子と分かれ翔子は走った。
部活の練習には来ていないが、もしかしたら教室にはいるかもしれない。そう思った翔子は自分のクラスが割り当てられている教室に向かった。
向かう先は中学ではなく高校だった。翔子の通う学校は星稜大学付属・高等部・中等部となっていて高等部と中等部は隣同士に建っているために、毎年合同で文化祭を行っている。
合同で行われる星稜祭は高等部と共有施設のホールが会場となっている。
走りながら翔子は思っていた。麗慈は練習にも来てないんだから、きっと学校内にもいるはずないと。そう思いながらも、少しの希望に賭けて走っていた。
廊下を曲がろうとした時、急に曲がり角から出て来た三人組の男子生徒と鉢合わせとなり、翔子はそのうちのひとりとぶつかってしまった。
「きゃっ……ご、ごめんなさい」
すぐに頭を下げて謝るが、相手の三人は翔子を睨んでいる。
この学校は見た目から不良という生徒は少ないが、それでもいるにはいる。しかも翔子がぶつかったのは高等部の生徒だ。制服のデザインが異なるのですぐにわかる。
シルバーアッシュの髪色をした男子生徒が舌打ちをした。
「ごめんなさいで済むと思ってんのかよ!」
「だ、だから本当にごめんなさい」
翔子は後退りながら頭を下げるが、男子生徒たちは足踏みを揃えてじりじりと詰め寄って来る。
この男子生徒たちと翔子以外の生徒たちも周りにいるが、誰も翔子を助けようとしてくれない。皆、無視して見ないフリをしている。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
「だから、謝って済むと思ってんのかって聞いてんだよ!」
翔子はもう逃げるしかないと思って相手に背を向けて走ろうとした。だが、翔子の腕はガシッっと掴まれてしまった。
――もうダメだ、逃げられない。と翔子が思った時、救世主が現れた。
「そのひと俺の友達なんで、放してくれませんか?」
救世主はちょうどこの場を通りかかった雪村麗慈だった。
「聞こえませんでしたか先輩? そのひと放してください」
麗慈の言葉づかいは丁寧だが、口調は明らかに喧嘩を売る挑発的な態度だった。
「んだと、うるせえな! あっち行ってろよガキのクセして!」
この言葉を受けて麗慈は相手を睨み、口元を歪めて鼻で嗤った。
「ふ〜ん、この学校にもこういう頭の悪い奴らがいるんだ」
この言葉が相手らを逆上させた。
「クソガキが!」
いきなり殴りかかって来た男の腹に強烈な蹴りが入った。
「おまえら程度の相手に手は使わない、足だけで十分だ」
床に崩れる仲間を前にして二人目が麗慈に襲い掛かった。だが、麗慈の強烈な回し蹴りを喰らって噎せりながら床に崩れた。
翔子を掴んでいたシルバーアッシュの男が、翔子を掴んだまま逃走しようとした。しかし、男の足は動かなかった。
焦る男の前に立った麗慈は嗤った。
「俺さ、卑怯者だから約束守れないんだよな」
麗慈の拳が男の顔面に炸裂して、男は大きく吹っ飛び床に転がった。
真横にした翔子は唖然としてしまった。
「麗慈くん……ケンカ強いんだ」
「いちよう問題児だからな」
「……そう、なんだ」
周りにいた生徒たちも今の出来事は無視できず、呆然として眺めてしまった。
生徒たちは動きを止めて沈黙が流れる。
麗慈は翔子の手を取ると、周りの生徒たちにニッコリと笑顔を見せた。
「みんな、今見たことは黙っててよ。俺が後で呼び出し受けたら困るからさ」
誰も返事はしなかったが、誰も教師たちに言いつける人はいないだろう。やられた相手が不良だったこともあり、別に教師に報告するまでもないという気持ちと、それとは別に麗慈と関わるのはよくないと瞬時に判断したからだ。
歩き出して翔子はすぐに麗慈の手を振り払った。
「手握られるの嫌だった?」
「私たち、そういう関係じゃないし……」
「えっ!? そんなこと気にしてるの?」
悪気なく麗慈はやっているのか、すごく驚いた表情をした。それに対して翔子は丸い目をして声を荒げる。
「き、気にするよぉ!」
「ごめん、ごめん。気をつけるよ」
「それから……」
翔子は麗慈と視線を外しながら呟いた。
「もう、変なことしないで」
「変なこと?」
「キス……しようとしたり」
麗慈は翔子の顔をじっと見つめているが、翔子は決して目線を合わせようとはしなかった。
「ごめん、もしかして傷つけた?」
翔子は少し怒った顔をして麗慈を見た。
「あ、あんなことされた普通は怒るでしょ!?」
「そうなんだ……これからは気をつける」
遠く見つめる麗慈の横顔を見て翔子は思った。麗慈の顔も性格も雰囲気も、全部どこか浮世離れしている。具体的に何がと聞かれると答えはすぐに言えないが、どこかが変な気がする。
「麗慈くんって、やっぱり愁斗くんと似てるかもしれない」
「俺があいつと!? あいつと一緒にしないでくれよ」
「どうしてそんなこと言うの? 麗慈くん愁斗くんのことまだあんまりよく知らないでしょ。もしかして、愁斗くんのこと嫌いなの?」
「今はどうだか知らないけど、昔のあいつなら知ってる。俺はあいつが憎い」
『嫌い』ではなく――『憎い』と言った。麗慈の言葉からは翔子の胸が苦しくなるほどの憎しみがこもっていた。
「麗慈くんって愁斗くんともともと知り合いだったの?」
「昔々のお話さ」
翔子は恐くてこれ以上聞くことができなかった。二人の過去に何があったのか、知りたい。けれど、それを自分は知ってはいけないような気がした。