夢見る都(1)
暗い暗い闇の中――。
傀儡師である彼の悪夢は覚めることを知らなかった。
彼は操ることができるからこそ、『その』心を知りたかった。
頭まですっぽりと覆い隠す茶色い襤褸布を身に纏い、その人影は壁に寄り掛かりながら深い眠りに堕ちていた。彼が見ている夢は悪夢。寝ても覚めても彼は悪夢を見ていた。
現実に起こる悪夢のようなできごとよりも、深い眠りの中で悪夢を見ていた方がいい。夢は所詮、夢に過ぎないのだから……。
青白い仮面の奥で瞼が微かに動き、紫苑は眠りから覚めた。眼が見開かれ、ゆっくりと腰を浮かせ立ち上がり、遠くを眺める。
廃工場の壊れた窓から陽の光が差し込む。その先の空よりも、さらに先にある向こう側のモノを紫苑は見つめていた。
ここは以前、鉄工所であった場所。買い手もつかず、取り壊しもされず、完全に放置されてしまった場所。
襤褸布をマントのように大きく舞い揺らしながら、青白い仮面を付けた紫苑が振り向いた。
足音も立てず姿を現した三人の影。闇に潜む黒衣に身を包んだ三人は、皆、殺気を凶器のように身に纏い、紫苑に敵意を剥き出しにしていることは間違いなかった。
黒い三つの影が風を切るように動いた。右、左、そして正面から敵が襲い掛かって来る。だが、青白い仮面は常に無表情のまま、紫苑は動こうともしない。
恐れで身体が動かないのではない。恐れなどないからこそ、そこを動かない。それは自信ではない、『絶対』であった。
紫苑の手と手の間に光り輝く一筋の線が走った刹那、腕を飛び、脚が飛び、首が宙を舞い、地面に鈍い音を立てながら落ちた。全ては一瞬の出来事であった。
バラバラに切断された刺客たちはパズルのようである。どのパーツが誰のものか、さっぱりわからない。
血生臭さが鼻を突く中で、無表情な仮面の奥にある口が小さく呟く。
「このような小者では召喚の必要もあるまい。組織は本気で私を捕らえる気がないようだな……。しかし、なぜ?」
地面に散らばるパーツを見下ろしていた紫苑は、しばらくして空を切るように手をすばやく動かした。手から放たれた煌くなにかが空間に一筋の傷をつくった。その傷は唸り声をあげ、空気を轟々と吸い込みながら広がり、空間に裂け目をつくったのだった。
闇色の裂け目から悲鳴が聴こえる。泣き声が聴こえる。呻き声が聴こえる。どれも苦痛に満ちている。
紫苑の指先が伸び、彼は声高らかに命じた。
「行け!」
裂けた空間から〈闇〉が叫びながら飛び出した。
腕を伸ばし紫苑が高らかに命じた。
〈闇〉が唸り声をあげると、地面に散乱していた肉塊は、一滴の血も残さず〈闇〉に呑み込まれ、〈闇〉は空間の裂け目に還っていった。
〈闇〉は音すらも呑み込んでしまったのか、辺りを静寂が包み込んだ。
夜も完全に明けてしまった。
紫苑は風に呼ばれるようにして、この場を後にして行ったのだった。
悪夢を見続ける者が、ここにもひとりいた。
暗闇の中に響き渡る男の壊れた嗤い声。
「ククククク……ククククク……」
ギィィィという金属扉を開く音の後、世界を包んでいた暗闇の中に、眩い光が流れ込んで来た。開かれた扉の先には黒い影立っている。
「獲物を狩りに行く気はあるか?」
影の言葉、それは『命令』だった。
金属でできた冷たい箱の中で、彼は手枷と足枷を嵌められ、壁の隅で蹲りながら嗤っていた。影の言葉など全く耳に入っていない様子だ。
「ククククク……白い手を差し伸べてくれ……そしたら俺は、俺は『巣食われる』……ククッ」
「おまえには新たな躰を与えてやる。そして、奴を消去して来い」
白い手袋を嵌めた手が差し伸べられ、鎖をジャラジャラと鳴らしながらミイラのような手が白い手を掴んだ。
「ククククク……契りを交わそう」
痙攣する手で咎人は悪魔との契約に署名をした。