第一章 3
第一章 3です
3
俺がその女子生徒に見とれて動けずにいると、後ろにいる悠真から催促の言葉が飛んだ。
「どーした、あおぞら。早く入れよ」
「……あ、あー、悪い」
少し反応が遅れてしまった。俺が一歩教室の敷居をまたごうとした時、それと同時に椅子に座っていた彼女は本を机の上に置いて、すたりと立ち上がった。
俺に向けられていた視線は消え、後ろの扉から鍵を開けて教室をそそくさと後にした。
出て行く時にほんの一瞬だけ目が合った彼女からは、心なしか少し嬉しそうに見えた。
それを見届けた後、俺は黒板に目をやった。どうやら、黒板に席順が書かれている。
彼女が座っていた席の所に書かれた名前は‥‥“如月 葵”。その彼女の後ろが俺だ。一番いい席だ。
「なぁ、あおぞら。あれって、如月、だよな?」
後ろで顔を左に曲げて廊下を見ていた悠真が口にした。振り向いて悠真に訊いた。ただ、気になったから。
「悠真、知ってるのか?」
「ん?当たり前じゃんか」
「誰なんだ?」
俺は頭に疑問符を浮かべずにはいられなかった。
「本気で言ってんのか?如月葵じゃんか。学年一位の」
まるで一般常識を知らない奴を見る目で見られた。まー、その通りなんだけど。しかし、屈辱的過ぎて自分を殴りたい。
俺は我が最良の席まで歩いていって、机にカバンを置いた。悠真も同様に、ってお前俺の隣かよ。
椅子に座ってから、悠真に再度訊いた。
「一位か。なんで知ってるんだ?」
「逆に知らない奴の方が少ないだろ」
悠真は座りながら言ってきた。俺も椅子に深く腰掛けた。更に悠真は続けた。
「しかも、顔もスタイルもなかなかイケてるしさ。男子からの人気はすごいモノだよ。それを知らないのはかなりマズイぞ、男として」
「そこまでか」
「ああ、もちろん!俺が保証書を書いて提出してやるよ」
「いや、お前の保証書なら破り捨てるわ」
俺は即答する。
「えー!なんでだよ!」
激しく批判してきた。でも、確かに顔立ちは良かった。可愛さとキレイさをいい感じで混ぜたようだった。スタイルも出るところは出て、引っ込むところはちゃんと引っ込んでたな、と思い出していた。
って、何考えてんだよ、俺は!自分で自分にツッコミを入れた。
俺はとりあえず、開いていた窓を半分まで閉めた。
さてと、これからどうするか。俺はこの問題を悠真と共有すべく、
「悠真、これからどうする?みんなが戻ってくるまで待つか?それとも、体育館で始業式受けるか?」
正直、後者の選択は確実にないな、と思っている。
「えー、今から体育館とか入りづらいし、つまんねーよ。どーせ教師どもも体育館行ってるし、ちょうどいいじゃん。学校探検でもしようぜ!」
一部を除いて同意見だ。高校生にもなって学校探検はない。それに、さっきの如月だっけか、そいつについてもすこし考えたいしな。
そう思って悠真の意見に同調した。
「そーだな、そーするか」
そして、俺は席を立った。隣の悠真も立ち上がって背伸びを一つした。
しかし、なんだろうな。俺と悠真って赤い糸にでも繋がってんのかね。そんなことを考えていると、背中にとてつもない悪寒が走った。
席を立ったついでに、カーテンを括った。
ときに確か、朝のニュースで今日は春一番が吹くと言っていた気がする。だから、半分まで閉めていた窓を締めきった。
窓を閉め終わった俺は先程、如月が鍵を解除した教室の後ろの扉から廊下に出る。
校舎のどこに何があるかは、行ったことがなくとも大体は分かってるつもりでいる。迷子になることはないだろう。逆に迷子になったら、高校生としてどうだろうと思うけどな。
突然だがここで少しばかり俺の過去について話そうと思う。
俺はこの清澄高にエスカレーター式でそのまま入学した。その際、成績優秀者に贈られる学費免除を貰った。こう見えても中学の成績はいい方なのだ。
元々、俺は野球をしていた。大阪の野球名門高校の龍王高校にスカウトされていたが、あの状況では、スカウトの話はもちろん消えるのは火を見るより明かだ。野球はしたい。でも、野球のできる環境にはいれなかった。段々と自分の歯車が軋み始めるのに気付いた。
自分のやりたいことを我慢しなければならない。そんなことを俺は十五歳からしなければならなかった。なんで俺だけ、って思った。そんな時、追い打ちを掛けるかのように妹の彩華の事件が起きた。
いじめだ。その頃の俺はどうでもいいと思っていた。でも、唯一の妹の泣き顔を見た時、心の底からその自分を……殺した。
彩華を苦しめた奴らを俺はとことんまで潰した。病院送りにした。幸いにもそいつらはここでは有名な中学生不良として名が通っており、それがやられたことによって、いろんな奴がそいつを警戒し始めた。
その時に俺は初めて人を殴ることを覚えた。親父にも殴ったことはない。一応言っておくが、パクリではなく本当に文字通りの意味である。
それからはずっと喧嘩をする日々を費やしていった。
それが原因でスカウトが消えた。
そして、引っ越しをした理由は二つある
一つ目は前にも言ったと思うが、親父と住むのが息苦しかったから。
そして、二つ目はこれ以上彩華をあそこにいさせたくはなかったから。推薦が消えて以降の俺は学校に行こうとはしなかった。随分と理不尽な世界だと思った。
俺は今も正しいことをしたと心の底から思っている。それなのに‥‥‥‥
それからずっと喧嘩に明け暮れる日々を過ごしてきた。俺の見る世界は色を無くしていった。拳を握るたび、人を殴るたび、殴られるたびに、俺の色をじわじわと灰色く侵食していった。
灰色の世界。
何も感じない世界。
いや、感じられなくなっていった。
その時の俺は独りぼっちで生きていたのだ。そんな闇の中で苦しんでいた俺を救ったのは間違いなく、彩華と悠真だと確信を持てる。
「‥‥ぞら‥‥あ‥‥ぞら‥‥あおぞら!!」
「え‥‥?あ、悪い。考え事してた」
どうやら、悠真が先程から何度も呼びかけていたらしい。考え事をする時に外部の音を遮断するのはやめた方がいいな。
「大丈夫かよ?まさか、如月についていかがわしいことを……」
「それはねぇーから安心しろ」
よし、悠真はあの欄からは除外確定だな。
そう決めた時だった。体育館の方からざわざわした声が耳に届いた。始業式が終わったらしい。今、気付いたが俺たちはどうやら体育館の近くまで来ていたようだ。時刻も教室を出てから十数分経っていた。
「終わったっぽいな。悠真、教室に戻ろうぜ」
悠真にそう提案すると、
「あー、りょーかーい」
間延びのある声が隣から返ってきた。そうして、教室に帰ろうとした時だった。
「高坂ぁぁ!!柊ぃぃ!!」
後ろから俺たちの名前を甲高く通る綺麗な叫び声に、磁石棒の長いバージョンを片手にこちらに襲いかかろうとしている“先生”がもうダッシュで突進してきた。
やばい、あれは殺される!?
「「げっ!」」
俺たちは同様の声を漏らして、ほぼ同時に全力で逃げ始めた。
少し遅れましたが、いいものには仕上がっていると思います。
是非、よろしくお願いします。