第三章 6
第三章 6です
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次に目が覚めた時、太陽はもう真上まで昇ってきていた。
私は昨夜のことが嘘のような感じすらあった。兄貴に殺されかけた、と言うのに、もうその恐怖はきれいに消えていた。もちろん、感覚的な意味だ。
ベッドから立ち上がって私は寝不足の立ちくらみで一瞬視界がぼやけたが、すぐに治った。足取りを安定させて、台所に行き寝た時にかいた汗の水分を補給した。
いつも飲んでるはずの水なのに、今日は不思議に美味しく感じた。
頭では死の恐怖からの欲求は消えているのだが、体はその欲求を欲しがっていたのだとなんとなく分かる。
今日は確か学校だった気がする。それすらも覚えていない。どうでもよかったから。
もう一度部屋に戻った私は、ベッドで仰向きになった。
考えたことはこれからの自分のことだった。人のことをずっと言ってきたが、自分はどうだろうかと思い始めたから。
「私って、これからどうなるんだろ……」
頭の中がそのまま声に出て、静かに消えた。
兄貴のことを前の兄貴に戻そうとして、無理で、お母さんに私のしようとすることを支えてもらおうとしても、噛み合わず、私は結局何がしたかったのかすら分からなくなった。
私は思い立ったようにベッドから体を起こして、着替えてから帽子を目深く被って家を出た。
外は晴天ではあるものの、真冬だからプラスマイナスゼロの丁度いい気温になっている。
家から数十分のところ。
兄貴が倒れてたって路地裏に足を運んだ。そこは日の光が全然入らず、寒さが体を震わせた。クーラーの室外機や夜店の大型ゴミ箱が置かれているそこは、煙草の臭いと相まって鼻にくる異臭がした。
私は足をゆっくりと動かして、奥へと入っていった。
「ここで、兄貴が……」
奥にはフェンスに囲まれた広場があった。アスファルトの地面から砂と砂利の地面に変わった。人の気配は一切なかった。いかにも、不良の溜り場みたいなところだった。私は兄貴が倒れていた場所の真ん中あたりにしゃがみこんだ。
「あんた、そこで何してるんだ?」
後ろから不意に声を掛けられた。昨夜のことがフラッシュバックして、同じように尻餅をついて、動きが鈍くなったロボットのように背後に目をやった。
「あの……」
そこにいたのは、別に染めてはなさそうナチュラルな茶髪をフードで覆い、顎マスクをした中学生か高校生くらいの青年だった。
「わりー、驚かしちまったな。立てるか?」
彼は心配そうに声をかけ、手を差し伸べてくれた。
「あ、いえ。ありがとう、ございます」
私はその行為に甘えて手を取った。立ち上がってから、砂埃を払った。
「それであんたはなんでこんな所にいるんだ?」
埃を払い終えた私に彼は低くも高くもない声で尋ねてきた。
「えっと、ちょっと暇だったので、散歩にでも、と思って」
本当の目的を話しても仕方なかったので、私は適当に誤魔化した。少し無理な感じもする。
「ふーん、そうか。でも、ここは危ない輩がいる。早く帰った方がいい」
「そうなんですか。あの、失礼ですがあなたは?」
「あー、名乗るほどの者ではないよ」
昔の少年マンガのようなセリフを言う人だ。苦笑した彼の顔はどことなく誰かに、いや兄貴に似ていて、でも似つかなかった。
「それでは、私はここで」
「入口まで送るよ」
「は、はい。ありがとうございます」
「よくありがとうって言う奴だな」
微かに笑った彼は足取りを入口に向けた。
「感謝はちゃんと伝えないとって思って」
「そっか」
言われて自覚した。私ってそんなに感謝の言葉を口にするかな。彼の横に並んで、私も歩いていった。
「あの、どうして平日の昼間にここに?」
途中で私は彼に問うた。
「あー、そーだな。学校に行く気がしないって言うか、そんな感じだよ」
「は、はぁ……?」
「あんたも人のことは言えないだろ?」
「え、あ、そ、そうですね」
私は微笑んで応じた。
入口に着いた私たちはここで別れた。人通りは一気に増えた。平日でもこのあたりは人通りは多かったが、あの場では全然人声が聞えなかった。
「じゃーな」
彼はそう残して、私とは逆の方向に歩み去った。
「あの、ありがとうございました」
彼の背中に向けて頭を下げた。彼も右腕を上げて応対してくれた。
小腹も空いて、私は近くのコンビニに入った。
時刻は既に一時を回ったところだった。
手軽に採れるものがいいと思って、パンを二個と牛乳を買った。どことなく張り込みの刑事を連想させる組み合わせだった。
これらをコンビニの前でいただいて、ゴミをゴミ箱に捨てた。
そして、再度兄貴が倒れた場所に向かった。
その最中だった。
裏路地の入口にまでもう少しのところだった。
ガラの悪い連中五、六人が前から歩いてきた。私は絡まれないように目を逸らして端を歩いたのだが、自分の巻き込まれ体質がここでも例外なく発動した。
端の奴に目をつけられたのだ。
「おい、カノジョ、ちょっと、待ってよ〜」
手首を掴まれて、私は動けなくなった。その声と共に連中は私を一点に視線を注目させた。
「な、なんですか……」
私は目を合わせずに、小さく低い声で言った。
「キミ、今暇?ちょっと遊ぼーよ」
「いえ、私は……」
「てか、こいつ中学生じゃね?なんで真っ昼間にこんなとこに」
「サボりか?」
「いいねー、でも一人じゃ面白くないでしょ?俺らとどうよ?」
私の声をかき消して、そいつらは私に詰め寄った。
「嫌です、離してください!」
声を荒らげて私は掴まれてる手を払おうとしたが、男の力もあって容易には離さなかった。
「おー、いいねー。こんな娘もありだよー」
「いや!やめて!」
私は体を振り回して抵抗した。帽子がその拍子に取れた。纏められていた髪がふわっと広がる。首に毛先が触れた。手はなんとか離せたものの、周りはそいつらに囲まれてて逃げられなかった。
「やば、ばり可愛いじゃん!ね?いいじゃんかー、遊ぼーよ」
そいつらの間に見える人々と目が合うが、誰も見はするものの立ち止まって助けには来てくれない。それもそうだ。こんなガラの悪い奴らに喧嘩を売って、怪我なんてしたくはないだろう。
みんな自分が大切で、重要で、可愛いのだ。よく言われることだ。当たり前だ。
それだから、私はその人たちに助けは求めなかった。
「いや……」
「お?急に儚げなくなったね。可愛いー」
怖さのあまり、泣けてきた。こんな時に助けてくれる人は頭がおかしいとしか言えない。そんな頭のおかしな人はいないとそう思っていた。でも、それはあまり世間を知らない私のほんの一部分でしかなかった。
「おい、止めてやれよ、その娘嫌がってるだろ」
聞き覚えのある声が連中の後ろ側から聞こえた。みんながその声の聞こえる方に頭を捻った。
「あ?誰だ、てめぇ!」
「相手なら俺がしてやるよ」
「上等じゃねぇーか、ついて来いよ!」
「待ってろよ、お譲ちゃん、すぐにこいつぶっ倒して相手してやるよ」
連中の一人が私の顎に手を当てて、摩ってきた。鳥肌が立つほどに気持ちが悪かった。
けれど、すぐにその手は引かれた。彼によって。
「止めろって、言ってるだろ」
「いって!」
その彼は引きずりこかし、蹴りをいれた。
「てめぇ」
「早く相手になってやる」
彼はそう言って、相手の奴らに催促を求めた。その際に彼は私に小声でこう残した。
「落ち着いたらでいいからここから逃げるんだ」
そうして彼らはそのままあの裏路地に入っていった。
私はそれからしばらく動けずに立ち尽くしてした。もし私のせいで彼が。そう思ってしまったから。
結衣の過去編の次で最後です!




