お墓参り
鎖が私の首を絞めた。
私は必死にそれを引きはがそうとするけれど、両掌はレンガの壁に楔で打ち付けれれていて動かない。
私は裸だ。まるで赤ん坊のように。生まれたままの姿で泣いていた。
螺旋。回るよ、回る。ぐるぐると回って、そして落ちていく。
永遠に続く螺旋の道のその途中に、私は裸で、鎖につながれて、楔を打ち付けられ、そして生まれた。
しゃららんらん、シリンダーが回る。
死にたい、死にたい。私は喚く。
バン、
私は死んだ。
永遠分の一人、私が死んだ。
そして私は一人、またこの世に生れ落ちる。永遠分の一の私。首には鎖。両手に楔。
生温かく生きる。
世界は進む。ゴールなんかない。だって永遠。ずっとずっと。
まさに決定論のスタンス?
いいや、違う。自由意思論のスタンス。
選ぶさ、選ぶ。私は自分の意志で選ぶ。何を? うん、死を。そうやって生きる。そうやって永遠分の一を生きる。そんな感じ。うん、そんなスタンス。
死ぬのなんか平気なのです。
私は百万回生きてしまうのだから、ね。
※※※
九月が始まった最初の日。先生の家を尋ねると珍しく先生は不在だった。
家の中ではドラキュラさんがひとりお酒を開けていた。
私はドラキュラさんに先生の行き先を尋ねると、ほろ酔い気分のドラキュラさんは快くそれを教えてくれた。
先生に会えるか会えないかという好奇心も働いた。確信はないけれども私はそちらのほうに足を進めた。散歩をする気持ちだった。私は心を弾ませ歩んだ。
私はドラキュラさんから教えられた墓地の手前の広い道を奥へ奥へと進んでいくとその端に見える喫茶店から先生らしい人がにゅっと出てきた。私は近く寄ってだしぬけに「先生」と言った。
先生は私の顔を見て、
「どうして……、どうして……」
と、同じ言葉を二回繰り返した。その言葉は森閑とした昼の内に異様な調子を持って繰り返された。私は急になんとも耐えられなくなった。
私は私がどうしてここへ来たかを先生に話した。
「誰の墓へ参りに行ったか、ドラキュラさんはその人の名を貴女に言いましたか」
「いいえ、そんなことは何も……」
「そうですか。……そう、それは言うはずもありませんね。貴女に言う必要がないんだから」
先生はようやく納得したような様子だった。しかし私にはその意味がまるで分からなかった。先生と私は通りへ出ようとして墓の間を抜けた。昨今流行の奇妙奇天烈な墓石もところどころにあった。先生はこれらの墓標が表すさまざまの様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めていないようだった。
「もう少しすると綺麗ですよ。この木がすっかり黄葉して、ここいらの地面は金色の落ち葉で埋まるようになります」
これからどこへ行くという目的もない私は、ただ先生の歩く方へ歩いて行った。先生はいつもより口数をきかなかった。それでも私はさほど窮屈を感じなかったので、ぶらぶら一緒に歩いて行った。
「おうちへ帰るのですか」
「ええ、別に寄るところもありませんし」
私には充分な言葉だった。
「先生の御宅の墓があそこにあるのですか」と私はまた口をききだした。
「いいえ」
「どなたのお墓があるのですか。ご親類ですか」
「いいえ」
先生はこれ以外に何も答えなかった。私はその話はそれきりにして切り上げた。
にぎやかな街並みの端。静かな通り。木々が私たちを見守る。そんな時、私たちの前を一組のカップルが通り過ぎた。彼らは仲良さそうに肩を寄せ合っていた。
仲が良さそうなこって、と私は視線を外した。
私たちは二人の男女を視点の外に置くような方角へ足を向けた。それから先生は私にこう訊いた。
「貴女は恋をしたことがありますか?」
私はその言葉に酷く狼狽した。そしてその狼狽した理由が自分自身に分からなかったということがさらに私を慌てさせた。
私は「ない」と答えた。
「恋をしたくはありませんか?」
セクハラですよ、先生。みたいなことを言ってみちゃったりなんかして。
私はとにかく何も答えなかった。
「したくないことはないでしょう」
「どうでしょう?」
「貴女は今あの男と女を見て心の中で冷やかしましたね」
「そんな風に見えましたか?」
「ええ、見えました」先生は言った。「しかし君、恋は罪悪ですよ。わかっていますね」
私にはなんとも返事が出来なかった。
※※※
「恋は罪悪ですか」私は突然訊いた。
「罪悪ですよ、たしかに」先生の言葉は強かった。
「何故ですか」
「何故だかいまにわかります。いまじゃない、もう分かっているはずです。貴女の心はもうとっくの昔から恋で動いているじゃありませんか」先生は一つ息を吸った。「しかし気を付けなければいけない。恋は罪悪なんだから。恋は猛毒なんだから。貴女を傷つけ、貴女を愛する人をも傷つけるのです」
先生が寝ているドラキュラさんに毛布を掛けた。ドラキュラさんは大きくいびきをかいている。
「先生、罪悪という言葉の意味を私に聞かせてはくださいませんか。私にその意味がはっきりと分かるまで」
私が言うと、先生は寂しそうに笑った。そうして悲しそうに瞳を落として、息を吐いた。
「いえ、悪いことをしました。私は貴女に真実を話しているような気がしていた。ところが私は貴女をじらしていたのだ。私は悪いことをした」
先生は遠くを眺めた。私はそんな先生の顔をじっと見た。私はそこから先生の言う真実を探そうとした。見つかりなんてしなかったけれど。
「貴女には私がどうしてあの墓地に埋まっている知り合いのもとに参るのか分かりますか?」
とても意地の悪い質問だと思った。私はしばらく答えなかった。答えられなかった。すると先生ははじめて気が付いたように言った。
「また悪いことを言った。説明しようとすればするほどその説明が貴女をじらしてしまう。どうも仕方がない。このやりとりはもうやめましょう。とにかく恋は罪悪ですよ。いいですか、そうして神聖なものですよ」
私には先生の話がまったく分からなかった。しかし、それきり先生は恋について何も言いはしなかった。
※※※
あるとき、ねこはひとりぼっちのおばあさんのねこでした。
ねこはおばあさんなんかだいきらいでした。
おばあさんは、毎日ねこを抱いて、小さな窓から外を見ていました。
ねこは一日中おばあさんのひざの上で眠っていました。
やがてねこは歳をとって死んでしまいました。
よぼよぼのおばあさんは、よぼよぼの死んだねこを抱いて一日中泣きました。
おばあさんは庭の木の下にねこを埋めました。
短い言葉を添えて。
三日三晩響き続けていた泣き声は突然聞こえなくなります。
空には星がかがやきました。
そして、ねこは、もう一度、生きるのです。