第6話 火星の赤い砂
ハンスは違和感を覚えてベッドから身を起こした。胸が苦しい。ベッドから出て、寝室の窓を開ける。息苦しさを覚えて、二重窓のガラスを開け放つ。七階の窓から眺めると、ドームの強化テクタイトガラスを通して、フォボスの薄茶けた姿が見えた。その下では砂嵐が起きているのか、赤い砂塵が空までも立ち昇っていた。
おととい、ライルに久しぶりに会った。彼はもうルナステーションに着いたろうか。夜の空は、あいにくと砂嵐で星も隠れてしまっている。
基地を出る時に会ったLICチームの友人を思い出す。いい男達に見えた。きっと、レオンと自分のような、ライルの良い友になってくれるだろう。
勇という日本人は真っすぐな気性のようだった。バリヌール人のライルをしっかりと守ってくれるに違いない。
チャーリィと名乗った男は……、彼は、きっとライルの特別な友になるだろう。そんな予感がした。あの青年がライルを見る視線には、特別な想いが含まれていた。本人はまだ自覚してはいないだろうが、ハンスには解った。彼がレオンを想う気持ちに近いものがあると。
ライルは大丈夫だ。あんな素晴らしい友に出会えたのだから。これからは、彼らがライルを守っていくだろう。
息がさらに苦しくなってきた。心臓の発作だろうか。以前、軽い心筋梗塞を起こした時にはライルがいて、手当てをしてくれた。何か血液製剤のようなものを注射してくれた覚えがある。もう、これで、大丈夫、二度と起こす心配はないと言っていたのだが……、寄る年波にはかなわないものだ。
胃や腸なども固まっているような緊張感が続く。これまでの経験にはない異常だ。何か病気にかかったのだろうか? それとも、新たな発作なのだろうか? 肺の動きが重い。目がかすんでくる。これは、真剣にやばいらしい。間もなく息も継げなくなるだろう。心臓も動きを止めるに違いない。
だが、不思議に、ハンスの心は穏やかだった。自分の果たすべき役目は終わったのだ。
手が窓から離れ、ハンスは床に倒れた。仰向けになった眼に、火星の夜の空が見えた。赤茶けた砂煙が一瞬晴れて、星々が見える。
ハンスはその星に両手を上げた。
――レオン。君はそこにいるのだろう? 待っていてくれ。今、私も行くよ。
ハンスの手が床に落ちた。星々は再び、赤い砂塵の中に消えた。
――完――