第3話 今日の次の日
ライル少年とじっくり話し合ったハンスは、地球の流儀をだいぶ理解したろうと、彼をまず行きつけの理髪店に連れて行った。ライルの素晴らしいところは、理解力の速さと一度記憶したことは二度と忘れないことだった。
理髪店に入ると、ライルは丁寧に『こんにちは」と挨拶し中に入る。物怖じはしない。全くしない。長い髪を後ろに一本に束ねた少年を、店内の全員が振り返って注視しているにもかかわらず。
客も店員も動きを止めて少年の美貌に見惚れていた。ハンスのほうが逃げ出したくなるほどだった。だが、ライルはまるで気にしていない。いつも注視されることに馴染んでいるかのように。
店長がにやっと愛想よく笑った。
「お嬢ちゃん、今日はお爺さんのお供なのかな?」
そしてハンスに向かって驚いたように訊ねて来た。
「ハンスさん、びっくりしましたよ。こんな美人な姪っ子さんがいたんですね」
「いえ、僕は……」
生真面目に訂正しようとしたライルをさえぎって、ハンスが急いで答えた。
「甥っ子じゃよ。ちょっと事情で、しばらく預かることになったんじゃ。髪を短くカットしてほしい」
「男の子なんですか?」
店長が目を見張り、店内がざわついた。ますますハンスは逃げ出したくなった。
「僕はあなたの甥っ子ではありません」
家に帰ってライルは訂正してきた。それへ苦笑を浮かべる。
「もちろんだとも。だが、これで、この辺りでは、君は私の甥っ子だということで噂が広まることじゃろう。そのほうが何かと便利じゃ。訂正する必要はないよ」
「僕には虚偽を述べる習慣はありません」
大真面目に言う異星人に、ハンスはにやっと笑って答えた。
「もちろん虚偽じゃないさ。向こうが勝手に思い込んでいるだけじゃよ。それをわざわざ訂正して回る必要もないじゃろ?」
ウインクして見せる老人を、ライルはなんだか腑に落ちないという顔をして見つめていた。
***
「あの子の髪はお前似じゃな」
ライルが二階の部屋に上がって行ってから、ハンスは写真のレオンハルトに話しかけた。
「お前の子供が異星人とは。まったく、長生きすると思いがけないことに出会うものじゃな」
レオンとはウイーン工科大学で出会った。もともと人付き合いが苦手な不器用な性格だったものが、早くの両親の死でますます偏屈に磨きがかかり、皮肉や嫌味で応酬するもので誰も寄ってこない。そのほうが気楽でいいと自分も孤独を楽しんでさえいた。
地質学を専攻しようと思ったのも、岩や土が相手なら会話も要らないと思ったからだった。自然の姿は嘘をつかない。岩も地層もそこにあるままの姿が真実だった。専攻の地質学講義の終了に教室を出ようとしたところを、一人の学生に呼び止められた。
びっくりして立ち止まったのを覚えている。振り向くと、長身のちょっと気弱そうな青年が遠慮深げな感じで立っていた。
「シャフトナーさん。突然すみません。レオンハルト・フォンベルトといいます。物理数学を専攻しています。地層構造と岩石について、お話を伺いたくて。お時間とれませんか?」
どうして自分なんかに、と不思議に思って見つめていると、青年がにっこりと笑った。とても人懐っこい温かい笑顔で、なぜかほっとしたことを覚えている。それが彼との初めての出会いだった。
地学は苦手だと言う彼と物理が苦手な自分と、お互い得意な分野を教え合いながら、いつしか意気投合していた。レオンは誰とでも親しく話せる気さくな性格に見えるのに親しい友達はいなかった。彼も二親をなくし、かなり苦学してきたらしい。
「昔はいじめにあってね」
一緒に家をシェアするようになってしばらくして、レオンが打ち明けてきた。大人しい優しい性格だったために標的にされたらしい。その後、両親を相次いでなくし、親戚の家に引き取られていじめからは逃れたが、今度は貧しい生活に苦しんだという。大学へ出してもらうお金ももちろんなく、彼は家を出てアルバイトしながら奨学金で大学に入った。ウイーン工科大学は国立大学で、学費も安かったからだと笑っていた。
「こんなこと言うと変に思われるかもしれないけど、調子のいい奴は苦手なんだ。ハンスを一目見た時から思ってたんだ。信頼できる男だって。ずっと友達になりたいって思っていたんだよ」
顔を赤く染めて照れくさそうにレオンがにっこりと告げた。ハンスは鷲鼻の先まで真っ赤になってしまい、なんと返事をしたらいいかわからずにうろたえていた。自分のような変わり者と友達になろうなんて、レオンも変わった奴だと思っていた。
***
ライルは自室として与えたハンスの寝室の隣でPCに向かって過ごすことが多い。そこで、地球のあらゆることを吸収しようとしているのだろう。まさしく、あらゆることだったと知るのは、翌日の午後だった。
ハンスはそろそろライルの履歴や戸籍関係を作らねばなるまいと準備を始めていたので、書斎を兼ねる『仕事部屋』――雑然と本や資料が散らかっている昼寝場所とも言う――の机のPCで作業に追われていた。昼飯はうっかり食べ損なっていたが、朝がゆっくりだったのでハンス自身も忘れていた。
そこへ、ひょっこりライルが現れた。脚の踏み場もないような床を注意深く本や資料の石ころなどを避けながらハンスのそばまでやってくる。PCから顔を上げたハンスは、仰天して言葉を失った。
「地球には、既に異星人が多く暮らしているのですね。それとも、同じ地球人の亜種なのでしょうか? 発生的によくわからないのですが」
「いや、私には、君のほうがわからないぞ」
ようようと、ハンスは呟くように声を出した。
少年の栗色の髪の頭には、栗色の大きな獣耳がついていた。髪を変形させて造形したらしい。
異常に可愛い。反則的に可愛すぎる。抱きしめたい気持ちを抑えるのに大きなエネルギーを費やす。
「どうして、また、そういう形になったんだね?」
バリヌール人がある程度自分の意思で、一時的に自分の形態を変えることができるという話は聞いていたが、これは全くの予想外のメタモルフォーゼだった。降りてこないと思ったら、二階でこんなことをやっていたのか!
「ネットをみていたらこういう形態をした生物がとても多く出てくるんです。なので、普遍的に多数派なのかと……。ガルド人のようなこういう耳を一度持ってみたいと思っていたので形成してみたのですが、違っていたのでしょうか?」
どんなサイトを見ていたんだ? きっと日本サイトだな。そのうち、ポケ○ンにも変身するんじゃないかと心配になった。架空(妄想)てんこもりサイトと現実サイトの区別を教えてやる必要があると、ハンスは頭が痛くなった。
とりあえず、無駄に可愛いので今日一日耳の生えたライルを鑑賞して楽しんだことは言うまでもなかった。