私は貴方だけしか見えないの
嗚呼、なんだ。
貴方様は私の事なんて、やっぱり好きじゃないですよね。
目の前で騎士隊の隊長服を纏うその人と、最近騎士隊の世話係として雇われたと聞く儚げな女性と言うよりは少女に近い娘が抱き合い見つめあっていた。
開け放たれていた扉から離れた時に隊長服のその人とほんの一瞬、目が合った気もしたが、そんなものは気のせいか錯覚だろう。だって、あの人と目が合う事など出逢ってから一度たりとも無いのだから。
歪む視界に泣くのは家に帰ってからだと踵を返し、渡しそびれた昼食の入ったバスケットを強く握り締めて詰所を後にした。
私の名はリルス・クロイム。この春、十九歳になったばかり。
この帝国一の都市フィンバルにて、治安維持を勤める騎士隊の隊長夫人とは何を隠そう私の事だ。
お互いの両親が親友同士で、幼い頃より互いの家に遊びに行く事も多かった。
まあ私の方が頻度は多かったけれど‥‥。
五つ歳上のあの人は、また来たのかと顔をしかめて言うけれど、それでも共に居る事を拒みはしないし本を読んでとねだれば私を膝に乗せ、少し低い落ち着いた声で物語を読んでくれた。
時折、優しく頭を撫でて広い庭へ散歩に行こうと手を引いてくれもした、隣を歩くあの人の銀色の髪が風に靡く度にキラキラとしてとても幻想的で、見とれる私を横目に見てほんの少し口角を上げて目尻を下げて微笑む貴方様に何度胸をときめかせたでしょうか‥‥。
幼い私にとって貴方様との時間はなによりも楽しみで大切で、だけどこの懐かしい記憶も、未だ貴方様に目すら合わせてもらえもしない私には鋭い刃物と同じだけれど。
イスール・クロイム様。
彼の名前だ。胸辺りまで伸びる癖のない綺麗な銀色の髪、切れ長の蒼い瞳、無駄の無い引き締まっている体、齢二十四にして隊長職に就くだけの実力と実績、剣を持たせてもペンを持たせても彼は優秀であり有能らしい。
らしいと言うのは人伝に聞く彼の評価だから、決まって最後は「イスール様が夫で、お幸せでしょう」と締められる、それに私は、にこりと微笑むのだ。
十六になると同時に私はこのクロイム家へ嫁いだけれど、結婚式の時すら私と目を合わせてはくれなかった。向かい合う時は私の額を見ていらしたもの、こんな時でさえ合わない視線に泣き出さなかった自分を褒めてやりたい。
昔は‥‥‥‥いや、今思い返しても優しくはしてもらえど面と向かって目を合わせて話す事なんて無かった、そう無かったの。詰所とは反対側の小高い丘の上にある二人にしては少し大きい我が家へ足早に入り、玄関の扉を閉めてそのままズルズルと座り込んでしまう。
そうだ、そうよね。五歳も下のそれも親の親友の娘、優しくはすれど邪険には扱えないわよね‥‥。今まで何度も何度も考えて違う筈だと言い聞かせてきたこの事も認めざるを得ないのか。嫁いで四年、二人でこの家に住みはじめて三年、増えない会話に素っ気ない態度そして合わない視線、初夜ですら別々の寝室だった、今だって別々の寝室のまま。いい加減離れるべきなのだ、見知らぬ女性に幾度言われただろうか?あの人を縛り付けないで解放しろと。たまに騎士隊の女性騎士が同じ事を言いに来る、自分なら公私共に支えられると貴女のようにあんな顔をさせはしないとも。それを何も言わず聞いていればいつの間にか居なくなるのだ。私の頬は真っ赤になるけど。
それでも、この目で見た事などなかったから‥‥他の女性とは目を合わせて微笑むのに私にはどうしてと叫び出しそうな自分を必死に隠した。でも今日、見つめ合い抱き合う姿など見てしまえばもう駄目だ。イスール様にとって私など親の決めた妻なだけ、幼い頃から周りをまとわりついていただけ恋情など無い、ただの同居人。
そう、子供さえ欲しくも作る気もしないお飾りにすらなれない本当に名だけの妻なのだ。
「‥‥‥‥イスール様、どうかお幸せに。」
さようならと一言綴った手紙を机に置き、私はそっと家を出た。
今宵も帰るか分からない貴方様がこの手紙を読むのは一体いつになるのでしょうか。