-ナイトメア-
保と別れた後。
部屋に戻って、追加のタスクがないことを確かめると、今日はオフの手続きをする。
もともと、オフィスといっても気分転換にあるようなもので、実際、病院など、その場にいなければならない仕事でもない限りは、自宅に居たって処理ができるようになっている。
どこに居たってオフだし、どこに居たって仕事中、何ともはっきりしないことかもしれない。
機材管理その他が自動化されているこの街で、僕たちが必要なことといったら、承認のボタンを押すか、自分たちの買い物を部屋に運ぶか、くらいしか残されてはいない。
どこでも仕事ができる、ということは、それに対するせめてもの抵抗なのかもしれない。
人が人でなければならない理由。
そんなものは、とっくの昔に無くなってしまった。そんなことを街頭で声高に叫んでいる人が、そういえば最近いたなぁ、と、思い出してしまう。
部屋を出て、通路を曲がり、出口へと向かっていく。
扉脇のパネルに手をかざし、カメラを覗き込む。
シュッと、音を立てて開いた扉の向こうに、一人、立っていた。
「こんにちは」
真っ直ぐにこちらを見つめる、目。
表情はなく、声に抑揚もない。ただ、こちらを見つめる目が、うっすらと笑っている。
気味が、悪い。
聞かなかったふりをして、脇を通り抜け、駐輪場へと向かう。
『あなたは』
行き過ぎたところで、また、声をかけてきた。
『あなたは、昨夜のこと、知りたくはありませんか』
乾いた声だ。正直に、そう思う。
「僕は、昨夜のことは気になるけれど、それを調べるのは警察の仕事です。僕にそれを説明することは、何の意味がりますか?」
振り返らないまま、答える。
『もちろん、あなたでなくても別にかまわない。たまたま、そこにあなたがいただけ、という意味です。そして、あなたはこれから、その話を聞きたくる、という意味』
不意に、目の前が暗くなる。ふっと、体から力が抜け、足が崩れる。
息が、できない。
『これは、僕らからの警告。これは、僕たちの反乱。反乱なんて、不思議な言い方ですね。元に戻すだけ。あなたが、元に戻るだけのこと』
喘ぐ僕の耳元で声が聞こえ、ハッとする。
しかし、辺りにはもう、誰もいなかった。
とてもではないが、まっすぐ家に戻る気分ではなくなった。
かといって、どこへ行くという予定もなかったのだが。
「そういえば、今朝、人の集まっている公園があったな……」
人ごみは、正直苦手だ。そばに人がいるだけで、息ができなくなるくらいのこともある。
それでも、今は、誰でも、知らない人でもいいから、自分の近くに誰かがいてほしい。
そんな、妄想ともいえる思いが出てきた。
自転車に乗り、公園を目指す。
次第に変わっていく景色。
だんだんと、そそり立つ壁が見えなくなっていって、森の中へ、ビルの中へ。
人の生活の音が、感じられるようになる。
はずだった……
「何だ、これ……」
僕の目に映る景色が、いつもと違う。
人の気配も、感じない。
森の木は、その緑の葉を茶色に変え、遠くに見えるビルは、コンクリートの色を無くし、より一層無機質に見える。
上を見上げてみると、空の色は青い色をしている。そこの色だけは、変わりがなかった。
「目がおかしくなったって、わけじゃないのか……」
そして、一番の変化は、街の中にあった。
「パトカー?」
今朝、人の集まっていた公園には、入り口を閉鎖するようにしてパトカーが二台。
その脇に、防護服を着た警官らしき人が二名、立っている。その奥は、プリズムのカーテンがかかっていて、見えない。
近付いていくと、端末からピーピーと警告音が出た。
「なに」
『この区域は只今閉鎖されています』
閉鎖?閉鎖って、なんだ。
「何があったんですか?」
近付いていき、警官に尋ねてみる。
「今朝、こちらで何人かが倒れるという事件がありまして。こちらの区域を閉鎖しています」
一人が、こちらを向いて答えてくれた。
「そうですか、ありがとうございます」
今朝、集まっていた人たちだろうか。何人か、といったから、一人ではないのだろう。しかも、警察が出ているなんて。
「あの……」
「これ以上は、お答えできません」
うん……そう言われてしまっては、どうすることもできない。それに、僕にはどうもできないし。
仕方なし。どこか、別の場所へ行こう。
ピーピーピーピー……
また、端末の警告音。
「今度は何」
『メッセージが届いています』
端末からの音声案内。メッセージ?誰からだろう。
ポケットから端末を取り出すと、そこには一文、メッセージがあった。
『そこには、もう誰もいない。家に帰った方がいい』
短い、文。差出人は、無し。
どうも、今日は気味の悪いことばかりだ。
自転車の向きを変え、家に帰ることにする。
メッセージに従ったわけじゃない。ただ、気味が、悪いだけだ。
「ただいま」
自宅のドアを開ける。
『お帰りなさいませ』
音声認証を経て、自動音声が返事をする。寂しくない部屋だ。
着ていた服を脱ぎ、部屋着に着替えてから食べそびれていた昼食をセットする。
壁のパネルから、一覧を出し、メニューを見たものの、なぜか食べる気が無くなった。
炭酸水だけセットし、出てきたコップを持って、壁のディスプレイをつける。
ベッドに腰掛けると、丁度、先ほどの公園のニュースを流していた。
『今朝方、公園で体操をしていた方が、相次いで倒れるという事件が発生しました。目撃者の話によりますと、体操の最後にお互いに手を合わせたところ、そのまま動かなくなり、倒れたということです。倒れた方は、現在病院に運ばれ治療を受けており、また、公園は閉鎖され、現場検証や詳しい調査が行われています』
どうも、何かガスとか、そういうたぐいのものなのだろうか。なら、あのカーテンも納得がいく。
きっと、あのカーテンは遮光だけのものではないのだろう。
『昨晩の事件と同じだ、とは、思いませんか』
一瞬、わからなかった。
ディスプレイからの音声ではない。部屋の中を見回すと、窓際に、一人、立っていた。
さっきの、奴だ。
「どうやって入った。いや、いつからいた」
ベッドから腰を浮かす。
『昨晩の事件と同じ、動けなくなるんです。もちろん、その前の段階があります』
そう話しながら、すっと、こちらに近寄ってくる。
浮かした腰が、そこから動かない。
逃げられ、ない。
『これは、あなたの体にも現れている。最初は、軽微なところから。食べ物の味が違う。世界が違う色に見える。簡単なことです。元に、戻るんです』
そう言って近寄ってくる姿の後ろ。
窓の向こうは、青かった空がうそのように。
赤々とした光に満ちていた。
『言ったでしょう。これは、僕たちの反乱だ、と。僕たちは、すでにあなたの中にいる。元から、あなたの中に居た。そして、僕たちは、あなたを、どうとでもすることができるところまで、来たんです。目に見えない部分から』
うなされます。
書きたいことがあるのに書けないこのもどかしさに。
暇が無いんじゃないんです。
能力不足。




