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三、暮れぬヒノモト。

「ところで、その“バイト”とはなんだね?」


 はあ、と息を吐きながら頭を抱える私を胡乱な目つきで捉えながら、灯千さんは首を傾げた。


「あっ……、バイト。アルバイトです。仕事です。えっと、仕事といっても私の本業は学生なのですが……あーなんて説明すれば良いんだろ、学業の合間に働く感じの、正規雇用じゃない労働です。短期間に賃金を得たい場合とかに働く感じです?」


 アルバイトって言葉は多分、異世界にはないよなあと考えながら、どのように説明すれば理解してもらえるだろうかと思案する。説明しているはずなのに、自分の発言に自信がなくて疑問符をつけてしまったことが少々情けない。

 しかし、それだけの説明で灯千さんは私の言いたいことを察してくれたようだった。


「君は学生か。……なるほど、正規の雇用形態ではない仕事に就ているということか。こちらにバイトという名称はないが、似たような雇用形態があるので言いたいことは概ねわかった。ところでそのバイトは急を要するものなのか?」


 そこで再び首を捻った灯千さんに、私は胸の内にある焦りを打ち明ける。


「要するといえば要するのですが、どちらかといえば私の信用が地に落ちることを懸念している感じといいますか……。今日が初出勤だったので、せめて休むという連絡を入れたいなと思ったんです。でもここ、異世界ですもんね」


 そこでなぜか彼は、憮然とした表情を浮かべる。


「……君がなにをどう悩もうと君の勝手だが、他になにか言うことはないのかね」

「なにかとは?」


 漠然とした問いかけに、私ははて、と天井を見上げた。どことなく呆れたような視線が突き刺さっているのは気のせいではないだろう。


「……僕は元の世界に戻るのは難しいと言ったのだが?」


 そこでようやく言わんとすることを察した私は、ああ、と相槌をうって彼に視線を戻した。


「それはもう、困ってますよ」


 痒いわけでもないのに、私は自分の後頭部を指で撫でる。

 なるほど。自分の置かれた状況を自覚して、焦るなり慌てるなりの反応をみせろと彼は言いたいのだろう。

 薄っぺらい反応に見えるのかもしれないが、一応これでも自分の身に起こったことを悲観しているのだ。しかも異世界だなんてなんの冗談だ。どうしてこんなことになったのか説明がほしい。

 しかし先ほども言葉にしたが、慌てふためいたところで自分の状態が好転するわけではないのもわかっていた。ここは流るる川のように、成り行きに身を任せようと思っていたのである。ようはなるようになれの精神だ。やぶれかぶれともいう。

 大学は夏休みに突入したばかりだし、一人暮らしの学生が数日アパートを空けたところで、そうそう心配はされないだろう。実家に帰ったとでも思われるはずだ。

 となれば私にとっての差し迫った危機というのは、悲しいかな、バイトだけなのだ。

 もはや睨みつける勢いでこちらを見つめている灯千さんに気付いて、私は身を竦ませた。


「……君は人の話を聞いているのか?」


 重く吐き出された台詞がやけにこわい。

 いや、だって。困ります以外になにを語れというのか。私にどんな反応を求めているのか。

 そりゃあバイトを無断欠勤してしまうのは正直避けたい。さっさと元の世界に帰りたい。

 しかしここが異世界で、挙げ句のはてに戻るのが難しいというのなら、ここは素直に状況を受け入れるのが得策ではないのだろうか。自分の身を守るために受け入れているのだ。

 幸か不幸か、私はバイト以外に急いで戻る理由がない。前述したとおり、居なくなったからといってすぐに大騒ぎになる心配はないと思うし、捜索願も出されないだろう、多分。少なくとも一、二ヶ月はもつはずだ。そこを過ぎたら打つ手なしだが、そもそも異世界に迷い込んだ時点で打つ手がない。

 大学ではぼっち気味ゆえに友人が騒ぐ心配もない。いや、自分の名誉のために付け加えておくと、地元に戻れば友人の一人や二人はいますよ本当ですよ。

 ――とまあそんなわけで、困ってはいるけどそこまで投げやりになってはいませんよ? という心境をまるっと吐露してみたら当然のようにため息を吐き出された。ため息を吐きすぎて酸欠になるんじゃないかな。

 難題に立ち向かうように眉を顰めた灯千さんは、難しそうな顔をしたまま口を開いた。


「……適応力が高いのは結構だが、もう少し危機感をもってみてはどうかね。僕は元の世界に戻るのが不可能というわけではない、という意味で“ないこともないが”と言ったのだ。普通の神経をしていればそこに食いつくはずだろう」

「おお」


 言外というよりむしろストレートにまともな神経じゃないと言われた気がしたが、そのあたりは軽く受け流して感嘆の声をもらした。

 希望の光が差し込んでいる。とはいえ光っているのは金魚だけなのだが。うん、発光する金魚を見てると異世界感が増すな。いっそ現実逃避したくなる。


「君が元の世界、つまり日本に無事帰れるかどうかは残念ながら現段階ではわからない。もっとも、ここを去った者たちが無事に日本に帰れたのか……僕たちには確認のしようがないので想像でしかないのだが」

「……怖いこと言いますね」

「残念ながら現実だ。ここを去った――つまり、日本に帰ったと“思われる”人々の共通点が何なのか、我々ヒノモトの人間もいまだ解明する段階に至っていない。去る時期も人それぞれ、僕たちからみれば唐突に現れて唐突に居なくなる迷い人――それがこちらでの君たちに対する認識だ」

「ヒノモト?」


 唐突に現われた単語に首を傾げると、灯千さんは「ああ」と思い出したように付け加えた。


「ヒノモト。こちらの世界の名称だ。君たちでいうところの“日本”と同じ、国の名前だ」


 なるほど、ここはヒノモトという所らしい。

 この世界にヒノモトという国があるのか、あるいはこの世界がヒノモトという国なのか。ひとつひとつの事柄や事象に対して興味は尽きなかったが、ここは話を先に進めるのが優先だろうと判断して質問を続ける。


「唐突に現れて唐突に居なくなる……。あの、さっき日本人が空飛ぶ汽車に乗って訪れるって言ってましたけど、その汽車で帰ることはできないんですか?」

「不可能だろうな。少なくとも実例はない。そもそもあの汽車は地上に停車しない」

「汽車が空を飛ぶのが普通という認識ではないのですか?」

「そんなわけないだろう。あれは特別だ、普通の汽車は地面を走る。君たちのような迷い人を乗せてきた時だけ猫柳駅に寄っていく。もっとも君たちはあの汽車に乗ってきた自覚すらないらしいがな」


 そこで灯千さんは、馬鹿馬鹿しいとでも言いたげな表情を浮かべる。


「君たちの世界にもあるだろう。未だに解明されていない不可思議な現象のひとつやふたつが。こちらの世界ではあの汽車がそうだ。いま僕が話した内容も、あくまで憶測でしかない。日本に戻ったという話が想像でしかないようにな」

「じゃあ、私はいつになったら帰れるんでしょう?」

「明日かもしれないし、一○年先かもしれない。あるいは、死ぬまでこのままか。いま君がすべきことは、こちらの世界でどう生き抜くか考えることだ」

「やっぱり帰れる見込み、限りなくゼロじゃないですか」


 上擦った声が口の中から漏れ出した。現実が質量を伴って身体にのしかかり、胸をやんわりと締め上げてくる。


「ことの重要性を説明しているというのに、呑気に構えていたのは君だろう。ようやく自分の置かれた状況を理解したのか?」


 灯千さんの言葉は私の耳の横を通り過ぎていった。

 異世界ヒノモトの人すら理解できていない事柄だというのなら、これ以上聞き出しても実のある話は返ってこないだろう。

 見知らぬ世界で知識もスキルもない私は、いつになるかわからない“日本に戻れる日”までどうやって生きていけば良いのだろうか。

 元の世界に帰れるのは明日かもしれないし、一○年先かもしれない。あるいは、死ぬまでこのままか――彼の言葉どおり、まずはここで生きる術を見つけるのが先かもしれない。

 頭から、血の気がひいていく気がした。


「……誤解があるみたいですが、これでもいちおう動揺しているんですよ。でも同時に運が良かったんだなとも思っています。異世界に迷い込んで、こうして話ができて身の上を理解してもらえてるって、かなり稀有なことだと思いますし。いやまあ、異世界に迷い込むこと自体がだいぶ稀有なんですけど……」


 私の発言、あるいは表情をみて何かを思ったのか、氷のように冷え切っていた灯千さんの顔が若干やわらいだように見えた。灯千さんなりの困惑顔かもしれない。いや、この金魚の灯火がみせた錯覚かもしれないが。

 台詞を吐き出すたび、私の視線が木の床に向かって沈んでいく。


「……僕は君たちのような迷い人を世話する役を押し付けられていてね。とても迷惑なのだが、僕が君の面倒をみることになるだろう」


 非常に面倒臭そうに、でもどこか取り繕うように吐き出された言葉に、私は下に縫い付けていた面をあげた。

 彼はため息を吐き出しながら肩を竦める。


「君たちが迷い込んでくる度に僕の店に行けとまわされる。ここの表札を見ただろう、ここは甘味屋だ。君たちのような迷子が集う保護施設ではない。僕が有能なのは認めるが、厄介事は御免だと常日頃から言っている」


 黙って彼の発言に耳を傾けていると、彼は更に憎々しそうに続けた。

 自分が有能だって自ら言っちゃうタイプの人なんだ、この人。なにやら鬱憤が溜まっているらしい。あらぬ方向をみて憤っているので、いまの発言を浴びせてやりたい人物でもいるのかもしれない。

 触らぬ神に祟りなし。ここは黙っておくのが賢明だろうと考えたが、口はすべるものだった。


「迷惑なら放り出したら良いじゃないですか」


 墓穴とは自分で掘るものらしい。うっかり口をついてでた言葉に、灯千さんは目を丸くした。


「……実に魅力的な提案だが、放り出された君はどうするのだ。ふらふらといつ帰れるともわからない日まで放浪するのか? どうせ行き詰まったところで泣きわめいて誰かに保護されてここに連れ込まれるのがオチだろう。二度手間になって迷惑だ。そんなことをするくらいなら、その辺にでも埋まっていてくれ」

「いや、埋まるのはちょっと」

「言っただろう、僕は有能な人間なのだ。有能ゆえに様々な迷惑を被っているが、有能な人間は人の役に立たねばならぬという宿命を背負っているらしい。だから最低限の迷惑をかける程度にとどめる努力をしたまえ」


 有能と聞きすぎてゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。

 有能だ迷惑だと連呼されているが、これはもしかして私を気遣っての発言なのだろうか。

 灯千さんは顔を逸らしている。表情からはなにも窺えない。この、いまいち素直じゃないお言葉に甘えても良いのだろうか。

『きっとあなたを助けてくれる』――あの時、あの女の子がかけてくれた言葉が、私の頭の中を駆け巡っている。


「……あの、甘味屋さんって本当はなにを目的としたお店なんですか?」


 いまの台詞に返答するのも無粋な気がして、私はむりやり話題の矛先をかえた。


「見てわからないのか?」


 彼は残念な子を見るような目つきでこちらを見てくる。

 なんとなく周囲に視線をさまよわせてみれば、ほんのりと灯る金魚ランプの他に、水槽に入った色とりどりの金魚――これは光らない――と、よくわからない不気味なオブジェ数点――どこかの民族が信仰してそう――が目に入った。

 控え目に感想を述べてみても、気持ち悪いの一言に尽きた。


「すみません、見てわかりませんでした」


 正直に述べてみると、灯千さんは非常に残念そうに顔をしかめてこう続ける。


「甘味を仕入れて提供する店だ」


 またまたご冗談を、とウッカリ笑い飛ばしてしまいそうになったが、灯千さんの突き刺すような視線が私の身体を硬直させた。

 どうやら、冗談ではないらしい。



 私は灯千さんのご厚意により、【甘味屋】に身柄をおかせてもらうこととなった。

 とはいえずっとお世話になるわけではない。私がこちらの世界での居場所――ようは住居と仕事を見つけるまでの間、この甘味屋においてくれるということらしかった。

 数日中に元の世界に帰れれば儲けもの、そうでなければ自分で自分の身を立てろ、つまり自立しろということだ。

 仕事は灯千さんのつてを辿って探すことになったのだが、急に居なくなるかもしれない迷い人を仕事につかせるのはだいぶリスキーな気がする。

 まあ、いつ居なくなってもいいような仕事をさせるのだろうけど。そもそも、私自身が元の世界でバイトを無断欠勤している。働くことについてとやかく言える立場ではない。


「君たちの世界との齟齬は多少あるかもしれないが、生活する上でそれほどの支障はないはずだ。言語、文字、身体的特徴に大きな差はないし、我々も君たちの境遇について理解がある」


 私は灯千さんに言われた言葉を思い出す。


「と言っても慣れるまでは不便だろう。明日、君たち迷い人の事情に詳しい者を呼んでおく。わからないことがあればそいつに聞くといい。……間違っても僕には聞かないでくれ。面倒なのでな」


 どれだけ面倒臭がっているのだろうと思ったが、先の話を聞く限り、同情の余地があったので黙って従うことにした。私は今、彼の厚意に助けられているのだ。



 現在、私は甘味屋の屋根裏部屋にいる。

 外からみた三角屋根の内部を、自分の部屋として使えと用意されていた。

 斜めになった壁というよりは屋根か。その側面には縦長の出窓が備え付けられていて、手前に素朴な色合いのシングルベッドが置かれている。客間として使っていた部屋らしい。必要最低限の家具が置かれた殺風景な場所だった。

 ちなみに甘味屋の構造は、一階が店舗、二階が灯千さんの部屋、屋根裏が私のいる客間といった感じのようだ。


「……異世界、かあ」


 私はベッドに腰を下ろしながら、尖った天井に向かって小さく呟く。お尻に押しつぶされた布団から、新品のにおいがした。私のためにわざわざ用意してくれたのだろうか。迷惑だと言いながら世話をやいてくれるあたり、実はかなりいい人なのではと仏頂面の店の主人を思い浮かべて独りごちた。

 カーテンのない出窓からは、紫色に染まった空が見える。

 ここに来た時と同じ色合いの空。あれからそれなりの時間が経ったはずだが、風に運ばれる雲以外――空の色に変化はない。時間の経過も元の世界とは違うのだろうか。

 あまり深く考えたくなくて、私はベッドに背中をあずけた。

 背中から意識が抜けていくような感覚が気持ちよくて、私はゆっくりと瞼をおろした。


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