第62話 欲しい人
「ココア、ちょっと待って」
呼び止められて振り返ると、リリアがすぐ近くまで来ていた。
「なに?」
「動かないで」
「?」
言われた通りにすると、リリアが私の髪に顔を近づけた。
「……やっぱり」
「なにが?」
「いい匂いがする」
「ああ」
それか。
「髪を洗ったあとに使うやつ」
「髪を洗ったあと?」
「うん。作ったの」
リリアが黙った。
私の髪を見る。
「石鹸じゃなくて?」
「石鹸も使ってるよ。でも、それだけだと髪がきしむ感じがして好きじゃなかったから、洗ったあとに使うものも作ったの」
「……触っていい?」
「いいよ」
リリアが髪を一房すくった。
指を通す。
もう一度。
「いつもより指が通る」
「ヒルダもそう言ってた」
「ヒルダも使ったの?」
「うん」
少し離れたところにいたヒルダが、なぜか目を逸らした。
リリアの視線が移る。
私を見る。
ヒルダを見る。
そして、ヒルダのところへ行った。
「ちょっと触っていい?」
「なぜ私まで」
「使ったんでしょ?」
「……どうぞ」
リリアがヒルダの髪にも指を通した。
「同じ匂い」
「左様でございますね」
「私も使いたい」
早かった。
「まだ完成してないよ?」
「完成したら」
「うん」
「絶対よ」
「分かったってば」
そこへ、畑から戻ってきたノエルがやってきた。
「何してるの?」
「ココアが髪に使うものを作ったの」
「ふうん」
それだけだった。
リリアが振り返る。
「それだけ?」
「だって髪でしょ?」
「髪よ」
「洗えればいいじゃない」
「ノエル」
「なに?」
「あなた、そういうところよ」
「どういうところ?」
何かが始まりそうだったので、私は二人の間に入った。
「もう一個あるよ」
「もう一個?」
「身体に使う方」
リリアが私を見る。
「それも欲しい」
「まだ説明してないよ?」
「身体を洗うんでしょ?」
「そうだけど」
「じゃあ欲しい」
「なんで?」
思わず聞くと、リリアの方が不思議そうな顔をした。
「だって、髪の方がこんなにいいんだもの」
「まだ使ってないよ?」
「ヒルダの髪を見れば分かるわ」
「……左様でございますか」
ヒルダが少し嬉しそうだった。
◇
身体用は、まだ試している途中だった。
お返し用の石鹸を作ったとき、自分で使う分として条件を少しずつ変えていたものの一つだ。
普通の石鹸でも身体は洗える。
でも、毎日使うなら、私はもう少し欲しい。
使ったあとに嫌な感じがしないこと。
使いやすいこと。
それから、ほんの少しだけ香りが残ること。
この土地で手に入る油脂や、マーサに分けてもらった香りのある草を使って、少しずつ条件を変えている。
もちろん、危ない途中のものを直接肌につけたりはしない。
作業そのものも、今では石鹸を作っている人たちに手伝ってもらっている。
私は条件を決めて、記録する。
作ってもらって、確かめる。
それから直す。
髪に使うものも同じだった。
洗うだけなら、もうできる。
でも、私が欲しいのはそれだけじゃない。
洗ったあと、髪に触れたときに少し嬉しくなるもの。
近づいたときに、ほんの少しいい匂いがするもの。
前の世界では、そういうものを当たり前に使っていた。
使う側だったときは、どうしてそんなものが何種類も売られているのかなんて、考えたこともなかった。
今は、自分で作る側にいる。
だから、もう少しだけ欲張ってみることにした。
◇
「できた?」
翌日。
「まだ」
「できた?」
三日後。
「まだ」
「できた?」
五日後。
「リリア」
「なに?」
「毎日聞かないで」
「だって欲しいんだもの」
その横でノエルが呆れていた。
「そんなに?」
「あなたには分からないわよ」
「分からなくていい」
「だから、そういうところよ」
「何がよ」
結局、最初に渡したのはリリアだった。
髪に使うものと、身体用。
「まだ少しずつ変えるかもしれないからね」
「分かった」
「変だと思ったら使うのやめてね」
「分かったってば」
「あと、髪の方は使う量も――」
「紙に書いてあるんでしょ?」
「……うん」
「読むわ」
リリアは二つの容器を大事そうに抱えて帰った。
翌日。
「ココア」
「どうだった?」
「これ、売らないの?」
感想より先に、それだった。
「売る?」
「うん」
「なんで?」
「お母様も欲しいって」
「……リリアのを使ったの?」
「使ってないわよ。匂いで気づいたの」
また匂いだった。
「それに身体用もよかった。洗ったあとも少し香りが残るでしょ?」
「残りすぎないようにしたんだけど」
「それがいいの」
リリアは自分の腕を鼻へ近づけた。
「ずっと強い匂いがするんじゃなくて、近づいたら分かるくらい」
「それがいいの?」
「いいの」
知らなかった。
前の世界では、香りの違うものが店にいくつも並んでいた。
好きなものを選ぶのも普通だった。
でも、自分で作る側になると、それがどうして欲しくなるのかなんて考えたことがなかった。
「じゃあ、香りも選べた方がいいのかな」
口にすると、リリアの目が変わった。
「選べるの?」
「まだ分からないけど、使えるものがあれば」
「花の香り」
「どの花?」
「え?」
「花っていっぱいあるよ?」
「……そうね」
二人で黙った。
「今度、探す?」
「探す」
決まった。
◇
最初は、ヒルダとリリアだけだった。
次に、リリアのお母さん。
それからマーサが、ヒルダの髪の香りに気づいた。
「ヒルダさん、何を使っているんです?」
そこからは、少しずつだった。
マーサが身体用を試したがった。
宿に泊まっていた女性が、マーサに聞いた。
店で働いている女性が、その人に聞いた。
誰かが誰かの髪に気づく。
誰かが近くを通ったときの香りに気づく。
そのたびに、
「どこで売ってるの?」
と聞かれるようになった。
「……売ってないよ?」
最初はそう答えていた。
すると今度は、
「じゃあ、いつ売るの?」
と聞かれた。
困った。
私は自分のために作っただけだ。
ヒルダが使いたいと言ったから分けた。
リリアも欲しいと言ったから渡した。
それだけだったはずなのに。
気づけば、私の知らない人まで欲しいと言っている。
◇
「先生」
「はい」
「欲しい人が増えた」
「左様でございますか」
先生は驚かなかった。
「知ってた?」
「ある程度は」
「なんで教えてくれなかったの?」
「ココア様がいつ気づかれるかと思いまして」
「教えてよ!」
先生が眼鏡を押し上げる。
「以前、申し上げませんでしたかな。欲しい者がいるということだけは覚えておくように、と」
「言った」
「では、覚えておられたのでしょう?」
「覚えてたけど!」
なんだか悔しい。
先生は笑いを隠している。
「それで、どうなさいます?」
「……作る」
「ココア様が?」
「違うよ」
そこは、もう間違えない。
「石鹸を作ってる人たちに、作れるようになってもらう。私が毎日作ってたら、また同じになるから」
先生の表情が少し変わった。
「左様でございますな」
「でも、いきなりいっぱいは作らないよ」
「ほう」
「私が作ったのと同じものを、他の人が作っても同じようになるか確かめる。それから、欲しいって言ってる人が何人いるのかも調べる」
「よろしいでしょう」
「容器もいるし、普通の石鹸より手間もかかる。値段も同じにはできないと思う」
「その通りでございます」
「でも、石鹸は減らさないでね」
先生が私を見た。
「石鹸は、安くて、毎日使えるものだから。こっちが高く売れそうだからって、石鹸を作る人を全部こっちに回したら駄目」
「まだ高く売れるとは決まっておりませんぞ」
「……そうだった」
「ですが」
先生が少しだけ笑った。
「お考えは、承知いたしました」
「うん」
「ほかには?」
「あ」
忘れるところだった。
「香りも増やしたい」
「香り?」
「リリアが欲しいって」
「責任を転嫁してはいけませんぞ」
「でも本当だもん」
「ココア様も、先ほど選べる方がよいとお考えになったのでは?」
「……なった」
「では、ココア様のお仕事ですな」
「先生も手伝ってよ」
「わたくしは、費用を計算いたします」
「ずるい」
「役割分担でございます」
どこかで聞いた言葉だった。
先生が新しい紙を一枚出した。
「まずは、欲しいとおっしゃった方を数えましょう」
「うん」
「次に、現在の材料でどれほど作れるか」
「うん」
「それから容器、手間、価格。香りを増やすのは、そのあとでございます」
「……最後?」
「最後です」
「リリアが待ってるのに」
「待っていただきなさいませ」
「五日でも毎日聞いてきたよ?」
「では、良い練習になりますな」
「何の?」
「待つ練習でございます」
絶対、先生は楽しんでる。
でも、今度は私も分かっていた。
欲しいと言われたから、すぐ大量に作るんじゃない。
本当に同じものを作れるのか。
いくつ必要なのか。
いくらなら作り続けられるのか。
誰が作るのか。
一つずつ確かめる。
石鹸のときと同じだ。
ただ、一つだけ違う。
石鹸は、私からみんなへのお返しだった。
これは違う。
私が自分のために欲しくて作ったものを、誰かが見つけてくれた。
「先生」
「はい」
「最初、何個くらい置く?」
「それを決めるために、これから数えるのでございます」
「あ、そっか」
先生がため息をついた。
私は紙を引き寄せる。
欲しいと言ってくれた人の名前を、覚えているところから書き始めた。
ヒルダ。
リリア。
リリアのお母さん。
マーサ。
宿にいた人。
店で働いている人。
まだ、片手では足りるくらい。
でも。
私が欲しくて作ったものを、私も欲しいと言ってくれる人がいる。
それだけで、十分嬉しかった。
まずは、その人たちのぶんから始めよう。




