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魔力0の伯爵令嬢、すいへーりーべーで領地開拓!〜研究費を稼いでいたら領地が発展しました〜  作者: 大福


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第60話 渡す

石鹸を作り始めてから、十日ほどが経った。


 最初に作ったものだけじゃない。


 同じ条件で作ったものも、時間を置いて状態を確かめた。


 布を洗う。


 汚れの落ち方を見る。


 同じように作れば、同じようなものになることも確認した。


 そして今日。


 ようやく、人に渡す分が揃った。


「……いっぱいある」


 机の上に並べた石鹸を見る。


 形は揃えてあるけれど、店で売っているものほどきれいじゃない。


 色も少しくすんでいる。


 でも、一つずつ作った。


 誕生日に私のことを考えてくれた人たちへ返すために。


「ヒルダ」


「はい」


「これ、ヒルダの」


 最初の一つを差し出す。


 ヒルダが少し驚いた。


「わたくしにも、でございますか?」


「一番最初にあげたかったの」


「……左様でございますか」


 ヒルダが両手で受け取った。


「ありがとうございます。大切にいたします」


「使って」


「……はい」


「石鹸だからね?」


「承知しております」


「箱にしまったりしないでね?」


「努力いたします」


「使って!」


 ヒルダが笑った。


 その手を見る。


 七年前。


 私がこの世界で最初に触ったもの。


 今は、その手に私が作ったものを渡している。


 なんだか、それだけで嬉しくなった。


「どうかなさいましたか?」


「なんでもない」


 これは言わなくていい。


 たぶん、ヒルダなら分かっている。


     ◇


「え、これ私の?」


「うん」


 ノエルは受け取った石鹸を、裏返した。


 さらにもう一度、裏返す。


「石鹸?」


「石鹸」


「なんで?」


「種もらったから」


「誕生日だったんだから、返さなくていいじゃん」


「でも、私が返したいの」


「……変なの」


 そう言いながら、ノエルは笑っている。


「家で使って」


「うん。お母さん喜ぶと思う」


「ほんと?」


「石鹸、高いもん」


 その言葉に、少しだけ反応してしまった。


 高い。


 先生なら絶対に拾う言葉だ。


 でも、今日は拾わない。


 これはお返しだ。


「どうしたの?」


「なんでもない」


「変なココア」


「ノエルに言われたくない」


「なんでよ!」


 その横で、リリアが渡した石鹸をじっと見ていた。


「こちらは、どちらでお求めになったのですか?」


「作ったよ」


「……作った?」


「うん」


「ココアが?」


「うん」


 リリアが私を見る。


 石鹸を見る。


 また私を見る。


「どうして石鹸を作ろうと思われたのですか?」


「みんなに使ってもらえるかなって」


「そうではなく、作り方をなぜ――」


「リリア」


 ノエルが肩をつついた。


「なによ」


「始まるよ」


「何がです?」


「ココアの長いやつ」


「長くないよ!」


「長いじゃん」


「説明してって言われたら説明するだけだよ!」


「それが長いんだって」


 リリアが少し考えてから、石鹸を胸元へ寄せた。


「では、今日は聞かないことにいたします」


「なんで!?」


「でも、父にも見せてよろしいですか?」


「もちろん」


「ありがとうございます。大切に――」


「使って」


「……はい」


「リリアもなの?」


「せっかくいただいたものですから」


「石鹸だよ?」


「分かっております!」


 ヒルダと同じだった。


     ◇


 全員に一人ずつ渡して回ったわけじゃない。


 会えた人には自分で渡して、仕事でいない人の分は家族に預けた。


 温床を見てくれている人たち。


 雪を片づけてくれている人たち。


 畑のことを教えてくれた人たち。


 私が名前を覚えたばかりの人もいる。


 まだ、ちゃんと話したことがない人もいる。


 それでも渡したかった。


 この土地で暮らしている人たちが、少しずつ増えている。


 その人たちが働いて、食べて、道を歩いて、雪を片づけて、また次の日もここにいる。


 その中に、私もいる。


 マーサに渡すと、すぐ厨房へ持っていった。


「まあ。本当に石鹸ですね」


「みんな同じこと言う」


「だって、ココア様がお作りになったのでしょう?」


「石鹸を作ったら石鹸になるよ?」


「それはそうなのですけれど」


 マーサが笑う。


 ちょうど油のついた布があったので、少し使ってみることになった。


 泡立ちは、店で売っているものと少し違う。


 見た目だってきれいじゃない。


 それでも洗って、すすぐ。


 マーサが布を広げた。


「あら」


「どう?」


「よく落ちていますよ」


「ほんと?」


「ええ。厨房では助かります」


 その一言で、胸の奥が少し軽くなった。


 試験したときに落ちることは分かっている。


 それでも違った。


 私が使えると思うことと、渡した人が使えると思ってくれることは、同じじゃない。


「よかった」


 その言葉が自然に出た。


 作れてよかった、ではない。


 渡してよかった。


 たぶん、そういう意味だった。


     ◇


「石鹸?」


「うん」


 ガレスさんに渡す。


 受け取ったガレスさんは、表と裏を見た。


 そして鼻へ近づけた。


「やっぱり」


「何がだ?」


「絶対、最初に匂い嗅ぐと思ってた」


「なんでだよ」


「ガレスさんだから」


「どういう意味だ、それ」


 隣でヒルダが笑っている。


「お嬢、これ買ったやつじゃないだろ」


「分かる?」


「形が違う。それに匂いも違う」


「作った」


「お嬢が?」


「うん」


 ガレスさんはもう一度石鹸を見る。


「工房で使っていいのか?」


「そのために持ってきたんだよ」


「じゃあ遠慮なく使う」


 よかった。


 ちゃんと使ってくれる。


「次はグレタさん」


「いらっしゃればよろしいのですが」


「いると思う。朝、資材置き場の方に行ったって聞いた」


 歩きながら、少しだけ考える。


「ヒルダ」


「はい」


「グレタさん、喜ぶかな」


「なぜご心配を?」


「だって、石鹸だよ?」


「石鹸でございますね」


「もっと別のものがよかったって思わないかな」


「では、別のものを差し上げますか?」


「それは嫌」


「でしたら、お渡しくださいませ」


「うん」


 資材置き場に着くと、グレタさんは本当にいた。


 しかも泥だらけだった。


「ちょうどいい」


「何がだ?」


「これ」


 石鹸を差し出す。


 グレタさんが受け取った。


「なんだ、これ」


「石鹸」


「石鹸?」


「うん。お返し」


「ああ、誕生日の」


「そう」


 グレタさんが自分の手を見る。


 泥と黒い汚れがついている。


「そりゃ助かるな」


「ほんと?」


「見りゃ分かるだろ。毎日こんな手だぞ」


「……うん」


「なんでお嬢様が嬉しそうなんだ」


「別に」


「顔が笑ってるぞ」


「笑ってない」


「笑ってる」


「ヒルダ」


「笑っておられます」


「味方がいない!」


 グレタさんが笑った。


 私も笑った。


 お酒の方がいいなんて、言われなかった。


     ◇


 それから数日が経った。


 石鹸を渡したことは、だんだん私の中で普通のことになっていった。


 マーサは厨房で使っている。


 ガレスさんも工房で使ったらしい。


 ノエルの家では、お母さんが喜んでくれたと聞いた。


 リリアは本当に父親に見せたらしく、今度作り方について聞きたいと言われた。


 それだけで十分だった。


 返したかった。


 渡せた。


 使ってもらえた。


 それで終わるはずだった。


 市場を歩いていたときだった。


「あの、お嬢様」


「はい?」


 声をかけてきたのは、何度か市場で見たことのある女性だった。


「先日いただいた石鹸なのですが」


 一瞬、不安になった。


「何かあった?」


「いえ、逆です」


「逆?」


「もう少しいただくことはできますか?」


「……もう少し?」


「娘の家にも持たせてやりたくて」


「あ」


「もちろん、お金は払います」


 今度は、私が黙った。


「……買うの?」


「ええ」


「これを?」


「はい」


 女性が不思議そうな顔をする。


「使いやすかったですから」


 石鹸は店にもある。


 私が作ったものより、きれいなものもある。


「店の石鹸じゃなくて?」


「お安く買えるのでしたら、こちらで十分です」


 安く。


 買う。


 先生が言っていた言葉を思い出した。


 ――この土地の産業になります。


「まだ売ってないの」


「そうなのですか」


「でも……」


 そこで言葉が止まった。


 私が作ればいい?


 違う。


 何個作るつもりなんだろう。


 一人が買いたいと言った。


 もし十人なら?


 二十人なら?


 もっと増えたら?


 私は石鹸屋さんになるために、この土地へ来たわけじゃない。


 それに。


 前にも、同じことを考えた。


 私がいないと作れないものでは困る。


「ちょっと待ってて」


「はい?」


「先生に聞いてくる」


     ◇


「先生」


「はい」


「欲しいって」


 書類を読んでいた先生が顔を上げた。


「何がでございますか?」


「石鹸」


 先生の手が止まった。


「誰が?」


「市場にいた人。娘さんにも渡したいって。お金を払うって」


「左様でございますか」


 それだけ。


「……それだけ?」


「何か?」


「ほら、言ったでしょ、とか言わないの?」


「申し上げた方がよろしいですか?」


「言わなくていい」


「では、申し上げません」


 先生が書類へ視線を戻した。


 なんだか悔しい。


「先生」


「はい」


「石鹸、売るならどうするの?」


 今度は先生が書類を置いた。


「ココア様がお作りになりますか?」


「作らない」


 すぐに答えた。


 自分でも少し驚いた。


「私が作ったら駄目だと思う」


「なぜでございますか?」


「だって、たくさん欲しいって言われるたびに私が作ってたら、ずっと私が作らなきゃいけなくなるでしょ?」


「はい」


「作り方は決められる。灰も脂もある。私の力も使ってない」


「はい」


「だったら――」


 そこで一度、考えた。


 誰かに任せる。


 それだけじゃない。


 その人が作れて。


 その人が仕事にできて。


 私がいなくても続くようにする。


 温床もそうだった。


 道も。


 雪かきも。


 市場も。


 私が全部やらなくても、ここは動いている。


「先生」


「はい」


「私が作るんじゃなくて、作る人を探そう」


 先生が、少しだけ笑った。


「ようやく、その言葉が出ましたな」


「……やっぱり待ってた?」


「さて」


「待ってたでしょ」


「何のことでございましょう」


「先生!」


 先生は答えなかった。


 でも、もう書類には戻らなかった。


 新しい紙を一枚、机の上に置く。


「では、考えましょうか」


「何を?」


「誰に作っていただくのか。どこで作るのか。いくらで作り、いくらで売るのか」


「いっぱいある」


「産業にするのでございましょう?」


 その言葉を聞いて、少しだけ分かった。


 私が作った石鹸を、みんなに渡したかった。


 それだけだった。


 でも、渡したものが使われて。


 使った人が、もう一つ欲しいと言った。


 だったら次は、私が作るんじゃない。


 作れる人を増やせばいい。


 机の上の新しい紙を見る。


「先生」


「はい」


「最初は、作る人から決めよう」


「承知いたしました」


 お返しは、もう渡した。


 今度は、それを誰かの仕事にする番だった。

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