昔話その二 魔女ジギタリスと錬金術師ノウ
ジギタリスは、古の魔力が人々と繋がっていた時代から生きていました。すでに1000年以上生きているので、不老不死には興味はありません。
ある時、箒で海を飛んでいると、美しい人魚に出会いました。彼女は人魚に魅了され、ずっと手元に置いておきたくなったのです。
それから、月の明るい晩は、人魚を探して海上を飛び回りました。
魔女が人魚を探していると聞いて、ノウという錬金術師が取引を持ち掛けました。
「人魚を捕まえる手助けをしましょう。そのかわり、目か鱗を頂きたい。
私の研究に必要なのです」
ジギタリスは断りましたが、錬金術師はしつこくて、落ち着いて昼寝も出来ない有り様です。しぶしぶ、協力を認めました。
「ただし、あの美しい葡萄色の目は二つとも私のもの。
鱗の一枚ですら、欠けるのは惜しいが、仕方がない。鱗なら欠けてもまた生えるだろう」
他者の体の一部を、本人の預かり知らぬ所で取引の品にするとは、随分と勝手なものです。しかし、魔女はあまりに長く生きるうちに大切なことをだんだんと忘れてしまい、心の道しるべを失って、考えが歪んできていました。
そして錬金術師は、黄金の錬成と、万能薬と毒薬などの研究に没頭するあまり、他人のことよりも研究が大事で、倫理観に反することをいつしか、平然とするようになっていきました。
出会ってはいけない二人が手を組んで、人魚を追いつめていきます。
そんなとき、人魚は風と波を読む力と泳ぎの上手さで辛うじて逃げ切りましたが、追っ手の姿が見えなくなり気が緩んだのか、うっかり追い込み漁の網にかかってしまいました。
人魚を引き上げたのは、近くの町に住む若い漁師でした。漁師の若者は、網を外して人魚を手当てしました。
彼は美しい人魚に一目惚れをし、人魚も、気の良い人間の若者を気に入りました。
二人は時々浜辺や海上で逢い、親交を深めたのです。
人魚は、歪な執着と気味の悪い獰猛な風を向けてくる魔女と錬金術師のことが恐ろしく、大抵は海の底に潜んでいましたが、体の半分が人間であるせいか、定期的に太陽の光と風と陸上の草花、そして人の声が恋しくなって、水上に顔を出しました。
人魚は生まれ育った北の海で仲間たちから爪弾きにされ、遠く離れた南の海へ、たった一人で泳いできたので、近くに頼れる人魚はいませんでした。
唄で誘って人間を溺れさせたり、嵐を呼んで船を転覆させたりなど、したくなかったからです。
幼い頃に人間の子供と浜辺で仲良くなったことがあり、それからずっと、人間に悪戯に危害を加えることを忌避してきました。そのせいで、仲間のはずの他の人魚たちにはけしかけられたり、嫌がらせをされたりしました。ある日、とうとう耐えきれなくなって、逃げ出したのです。
漁師の若者と仲良くするうちに、人の暮らしや文化を学んでいきました。
彼女は、怖い人もいるけれど、良い人もいることを学び、わが子の無事を願いお守りを持たせる愛情のある親のいることや、朗らかな風を持ち話をしてくれる楽しい漁師さんたちのことや、布や、さまざまな道具や美しい建物を皆で協力して造り上げる人々の忍耐強さなどを知ります。
嵐の日に海で溺れている人を助けたり、浜辺で迷子になっている子供を慰めるために唄ったりするうちに、人魚は、小さな港町で海の守り神のように思われるようになりました。
彼女は気まぐれに襲い来る悪しき風にももはや慣れ、難なく逃げおおせることが日常になっていましたが、そんなある日のことです。彼女は体調の悪さから油断して、漁師の若者を人質に取られてしまいました。
すでに、人魚の人を傷つけられない心優しさと、人と離れては暮らせない心の弱さは知られていたのです。人魚は、若者の命を救うため、この身を差し出そうとしました。
しかし、人魚を愛していた若者は、納得などしません。
何千年も生きていると言われるこの魔女は、気まぐれに人に魔法をかけて宝石に変えてしまうという伝説がありますし、王様に目をかけられているというこの錬金術師はありとあらゆるものを実験の材料にし、倫理を反する行いを平気でするとの噂がありました。
この者たちは兵士を引き連れてきており、捕らわれた人魚のその後がろくな運命を辿らないだろうことは、容易に想像出来ます。
彼は、人魚を助けるために、銛で兵士たちに立ち向かいました。不意をうち、人魚はからがら海へ逃れましたが、若者は多勢に無勢、いかに得意な船上であろうと、相手もまた、武術に優れた者達ですので、すぐに返り討ちにあい、剣で刺されてしまいます。
彼は海に落ちて、周辺は赤く染まりました。人魚は悲鳴を上げ、その声は空まで届き、とうとう嵐を呼んだのです。
その後、人魚と若者の姿を見た者はありませんでした。




