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紫の瞳の人魚  作者: 羽紗子


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第五話 訪問者

 学校の近くには食品を扱う店があるので、寄り道して買い物をさっとすませる。ミシャは、一緒にクッキーのトッピングなどをえらんでくれた。

 道々、話をしながら歩いていると、漁師の奥さんに出会った。彼女はよく雑貨屋さんに来てくれて、店番をしているチャロとひとしきり噂話などをして帰っていくのだ。


「こんにちは、ナラさん。お出かけですか?」


「あら、チャロちゃんじゃないの。学校の帰り?

 良いわねえ、私も十四歳くらいのときは、こうやってお友達とお出かけしたものよ。帰りが遅くなって怒られてばかりいたけれど。

 なにしろ、あの頃はなんでも楽しくて、他の人から見たら、『どうしてこんななんの変哲もないことで笑っているんだろう?』っていうもので、笑い転げていたわ。木の葉が一枚舞い降りて、肩に乗っただけで面白かったもの。

 若い頃の親友は大事にしなさいね。一生の宝物になりうるんだから」


 チャロとミシャが頷くと、ナラおばさんは満足そうに笑った。ふっくらしたパンみたいな笑顔で、細めた目尻にはきゅっと小さなシワができる。


「そうだ、チャロちゃんに伝えてほしいことがあったのよ。レインくんだっけ? あの子に、うちの旦那が泳ぎのことや、海のことを教えたいらしいの。よっぽど、才能に惚れ込んだのね。

 もしよかったら、伝えてくれないかしら」


 チャロは、聞かない名前に首を傾げたが、はっとして思い当たる。

 泳ぎの得意な男の子。漁師さんたちに笑顔で連れていかれてしまった――。


「レインくんって、まさか、私とレモンを助けてくれた――?」


「あら、名前は知らなかったのね。てっきり、知り合いだと思っていたわ」


「あの人には、助けてもらった日に、初めて出会ったんです。私たちにコートを掛けてくれて、そのまま返せず仕舞いになってしまって。

 ナラさん、レインという人はこの島に住んでいるんですか? 勝手に住所を聞こうなんて、失礼なこととは分かっているんです。でも、コートを返さないといけないし、命の恩人ですから、お礼もしたいんです。

 もし、知っていたら、教えていただけませんか? お願いします」


 真剣に伝えて、頭をさげる。


「ああ、あの子は灯台守のクローブさんとこの孫だよ。最近、帰って来たらしいよ」


 ナラさんは、あっさりと教えてくれた。


「あの子の泳ぎ、まるで人魚のようだったっていうじゃない?

 人魚といえば、最近、沖合いで人魚を見たって噂があってね。外国から出稼ぎに来た人は怯えていたらしいけど、ここじゃあ、守り神みたいなもんだからね、地元の仲間たちは、心配ないよって慰めたのさ。

 人魚は一度、水の上まで飛び上がったって。その時はっきり姿が見えて、若い美しい女性の上半身と、桃色の鱗がキラキラ光る魚の尾の下半身だったって。私もそれを聞いたたときはびっくりしちゃってさ」


 チャロは、話を聞きたい気持ちと、早く帰りたい気持ちで板挟みになっていたが、おばさんがチャロのいつもと違う様子に気づいてくれた。


「ごめんなさいね、長々と話しちゃって。急ぎの用事があるんじゃないの? じゃあ、またね。今日は割と風が強いから帰り道は気をつけてね。

 お店に、また行くわね。それじゃチャロちゃん」


「ナラさん、ありがとうございます。ご来店、お待ちしています。

 その時は、人魚の話しの続きを教えてくださいね。さようなら、ナラさん」


 帰り道、ミシャが尋ねた。


「その、レインって人に助けてもらったの?」


 チャロは、溺れた時のことを簡単に説明した。


「まるで、ヒーローみたいな人ね。私もどんな人か会ってみたいわ。

 ところで、人魚を見たって本当かしら? 今、すごくわくわくしているわ。これは真相を確かめたくなるわね……」


 道が十字路に差し掛かり、二人は手を振って別れ、それぞれの家路をたどった。

 曲がり道、細道、階段の道を登っていくと、荷物を背の両脇にくくりつけたロバの手綱を引いて、一歩一歩慎重に石段を登る後ろ姿に出会う。


「おじさん、おばさん、おかえりなさい」


「おや! ただいま、チャロ。元気にしていたかい?」


「はい!」


「それは、良かった。家には、慣れたかい」


「はい、おかげさまで、なに不自由なく過ごさせてもらっています」


 おじさんは赤く日焼けした頬をして、目尻に皺をよせて笑った。オリビア姉さんと良く似ているおばさんは、日除けのスカーフの下から笑いかける。


「そんなに堅苦しくしなくてもいいのよ。あなたは、もう家族のようなものなんですからね」


 チャロは、日焼けではなく赤くなりながら、満面の笑顔で頷いた。


「はい」


 夕陽が空を茜色に染めていく。

 チャロはロバを励ましながら、一緒に家路を辿る。


「あ、パパとママとミント、帰って来た! チャロも。おかえり!」


「ただいま、レモン。元気そうだね」


 レモンは家を飛び出し、こちらへ駆けてきた。

 ミントはロバの名前だ。

 家からマロンを抱いたオリビア姉さんが出てきて、それから皆で荷下ろしをしたり、ロバの世話をした。

 おじさんがロバ小屋にミントを連れていき、チャロは荷物を少しずつ家の中へ運び入れるのを手伝う。


「マロンも、はこぶ」


「じゃあ、これをお願いね」


 マロンは軽くて壊れにくそうな布製の民芸品、チャロは割れ物などを無事に運び、他の荷物もとりあえず皆で家の中に入れてしまうと、一段落ついたので居間で一休みすることになった。

 テーブルについてお茶やジュースを飲み、お土産のお菓子などを摘まみながら話に花を咲かせる。夫妻の旅の様子だけでも、面白おかしいこと、ちょっとした事件、仕入れ先の値段の話、最近の王都の流行など、多岐に渡って話の種が尽きることがない。


 話は夫妻が留守の間の家の様子に移り変わった。居なかった時の店の話、レモンとマロンのこれまでの様子など話すうちに、やがてレモンとチャロが海に落ちて、レモンが風邪を引いた時の話になる。


 チャロは、雪の固まりを飲み込んだような気持ちになった。おじさんとおばさんの目がまともに見られず、握りしめた手が真冬のように震える。

 オリビア姉さんは、チャロがきちんと見ていなかったせいだとは言わなかった。ただ、親切な若者が助けてくれたことだけを伝えたのだ。

 チャロは居たたまれなくて、この場から離れたかった。

 窓がカタカタと鳴る。


「風が強くなって来たわね」


 その時、コン、とドアノッカーが鳴った。


「ごめんください」


 表の扉の向こう側から声がする。


「あら、こんな時間にお客さまかしら」


 外はもう暗くなってきて、店もとうに閉めている。


「あ、お父さんとお母さんは疲れているでしょうから、

 私が出るわ。座っていて」


 お姉さんがすっと立ち上がり、さっと長い三つ編みを払って店の扉を開けに行く。


「ちょっと待ちなさい。私が行こう。おかしな客なら、危ない」


「一緒に行くわ」


 おじさんは姉さんを制止したが、オリビア姉さんは押しきった。


「一人より、二人の方が良い時もあるわ」


 二人は店の方へ出ていき、訪問者と会話をしている様子だが、はっきりとは聞こえない。


「随分、長いわね? 一体、何を話しているのかしら。おかしなクレーマーだったら、手助けに行こうかしら」


 声を潜めておばさんが立ち上がりかける。そのとき、お姉さんが戻ってきた。


「オリビア、あなた顔色が悪いわよ。何があったの? やっぱり、クレーマーか何か?」


 先ほどの明るく自信に満ち溢れた様子とはうって変わって、顔色は青ざめ、どこか不安そうな様子で声を潜めて、居間の扉を半分開けて手招きしている。

 

「チャロ、ちょっと話があるの。こちらに、来てもらっても良いかしら」


「どうしたんですか?」


 チャロもつられて声を潜めながらそちらに向かう。連れていかれたのは、知らない女性と警備の人が立っているカウンターの前だった。

 その人はチャロの母と名乗り、警備の人も書類を見せてお墨付きを与えている。チャロは信じられない気持ちで目を見開いたまま、微動だにしなかった。


「ああ、無事で良かったわ! 私の可愛い子。さあ、帰りましょうね。思い出せなくてもいいわ。帰ったら、きっと、少しずつ思い出せるから」


 その人は強い香水をつけていて、高そうな服を着て、耳や首もとに煌めく宝石をつけていて、化粧が濃かった。

 チャロにほんの少し似ている気もするが、化粧の下の本当の顔が全く違っても驚かない。目の色も髪の色も違う。

 それでも、証明されているというのだ。ならば、チャロに選択肢はなかった。


 ――それでも、行きたくないと思ってしまった。

 帰る場所は、ここ以外に無い。やりたいことも、沢山ある。

 悪あがきのように、咄嗟に思い付いた理由を言う。


「時間をください。オリビア姉さん、おじさん、おばさん、レモン、マロン、学校の友達、町の人たちにも、お別れをしたいんです」


 その願いは、受け入れられた。


「一週間後に、迎えにくるわ」


 その人は、そう言い残して警備の人と一緒に扉から出ていく。


「チャロ……」


 オリビア姉さんの声に、チャロは震えそうになる声をぐっとこらえて、うつ向いていた顔を無理やりあげた。

 にっと笑う。


「今まで、お世話になりました。きちんと恩返し出来ませんでしたけど、いつかきっと返しに来ます。だから、だから――」


「チャロ」


 優しく呼び掛ける声に胸が苦しくなって、


「ごめんなさい!」


 と言って、自分の屋根裏部屋へ駆け込んだ。

 布団にバサリと倒れ込み、うつ伏せになって頭を枕に埋めた。


 ビュウゥ――……ガタ……ガタ……――


 冷たい風が枯れ葉を巻き込みながら窓ガラスに吹き付けてくる。

 遠く、波音は荒れているように思った。

 今頃波は高くうねり、飛沫を上げて岩に打ち付けて、この前お兄さんがいた場所などきっと近づくことすら出来ないだろう。


 うっすら顔を上げて横を見ると、あのコートが目に入る。

 泪が、頬を伝った。

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