第四話 親友
ここは、カモミールという名前の小さな島。
大国の一部だが、王都と海を隔てて距離も遠いため、わざわざ来るのは物好きな観光客や、地質などの研究者か、古代文明の遺産を調べに来た考古学者くらい。
あとは、オリーブなどを輸出していて、魚がよくとれるので、出稼ぎに来る人もいる。
中央に三角の大きな山があり、なん千年も昔に噴火したことがあるという。
今は山の主のドラゴンは、洞窟の奥深くで静かに眠りについているそうだ。
山と丘と畑が大部分で、町は川が流れ込む港の近くの僅かな土地に、遠慮がちに密集していた。
名物は、ワインなど。例外はあるが、大抵歌と踊りが好きな陽気な人たちが暮らしている。
岬の先端には灯台があり、毎日灯りが点されている。
オリビア姉さんたちのご両親は、ここで小さな雑貨屋を経営している。
家の一部が店舗になっていて、生活必需品や、珍しい小物、そして店主手作りの笛やお守りなどを売っている。
今はロバとともに、船に乗って島の外へ商品の仕入れに行っていて、オリビア姉さんが一人で店を切り盛りしていた。
チャロも時々店番を頼まれて、僅かながらお給料まで頂いていた。
皆が朝ごはんを食べ終わりチャロがお皿を洗っていると、店と居間を繋ぐ扉を開けて、三角巾を被り箒を手にした姉さんが顔を出した。
「チャロ、早く行かないと、遅れるわよー。お皿洗いありがとうね。あとはいいから、行っていらっしゃい」
「はーい! オリビア姉さん、行ってきます。レモンは大人しくしているのよ。マロンちゃん、またね」
「チャロ、いってらっしゃい」
「ちぇー、良い天気なのに外で遊べないなんてな」
その様子があんまり残念そうだったので、一つ提案する。
「今度の休みに、丘の上まで友達と行くんでしょう? その日、おやつにクッキーを焼いてあげる」
「ほんと? やった! 楽しみにしているよ。行ってらっしゃーい」
とたんに元気になったレモンに手を振り返しながら、家を出た。歩きながらぶつぶつと独り言を呟く。
「小麦粉、卵、バター、砂糖……。干し果物も入れよう」
どうやら、チャロはクッキーの作り方は憶えていたようだ。誰かが、教えてくれたのだ。
「お給料で買えるわね。放課後に買いに行こう」
道沿いの家々は、漆喰の白い塀で囲まれている所々、小窓や出っ張りが造られており、鮮やかな花の植木鉢が置かれていたり、暗くなってきたら住民が明かりを灯してくれる。使われているのは、港町らしく、大抵、魚の油だ。
昼間は、ただの柱にぽっかりと空いた半円の穴でしかない。丁度良い野良猫の秘密基地だ。
ほら、今日もしましまの猫が丸まっている。
「ニャー」
「やあ、おはよう。良い天気だね。朝寝は最高でしょう。
あれ、もしかして、君はシルフィじゃないの。ここに居るってことは、風が強くなるわけでもなく、穏やかでもないってことかしら?」
「ニャーオ」
シルフィは、はみ出した尻尾をはたり、はたりと振るばかり。
「猫の言葉が分かれば良いのに」
◇◆◇◆◇◆◇
「さて、本日の歴史の授業は、約三千年前、炎のドラゴン・イグナティウスが眠りから覚めて、大災厄をもたらす以前の島の信仰とその後の人々の移動、新王国の樹立、産業の移り変わりなどです」
歴史学の教授が眼鏡を押し上げて、チョークで黒板に大まかな年表と、絵を描き始めた。
眠気を誘う起伏の少ない低音に、授業のほとんどが耳を右から左へすり抜けていく。先生の描くドラゴンの絵は、一筆書きの胴体に蜥蜴のような細い足がおまけのように付いていた。
チャロがぼんやりそれを眺めていると、周囲からクスクスと潜めた笑い声が聞こえてくる。先生が咳払いをし、教室は再び静かになった。
「神殿は、そもそ神様の御座すところ、すなわち、神様の家なのです。しかし、件の遺跡にはアーチ状の岩がある他は、祭壇も神像もありません。なぜなのか、推測してみてください。
チャロさんは、どう思いますか?」
突然指名されて、どきりと心臓が跳びはねた。のろのろと立ち上がり、思い付いたことを述べる。
「海を、見るためだと思います」
先生は眼鏡を押し上げながら頷いた。
「興味深い答えです。確かに、山側に立てばアーチの向こうに海を望むことが出来ますね。座ってよろしい。大抵は、『祭壇が月日が経つうちに壊れてなくなった』とか、『山を見るため』と答える人が多いのです。
かつての王国では、ドラゴンを信仰しており、壁画にも多く残されています。そのドラゴンが眠る山そのものが信仰の対象になったと考えられ、静めるための祈りが捧げられていたのでしょう。はっきりとは分かっていませんが、学者たちの間では、祭壇はもともと存在せず、神殿は山を見るためだと考えられています」
チャロは、そういえばそうだったと思い出し、少し恥ずかしくなる。黒板の奇妙なドラゴンがわしわしと踊り、小さく火を吐いたような気がした。
授業終了の鐘が、カラン……カラン……と鳴り、皆はガヤガヤと騒がしく席を立つ。
チャロがぼんやり窓の外を眺めていると、
「ねえチャロさん」
と、横から話しかけられた。
びくりとして振り向くと、これまで、あまり話したことのない女の子が真っ直ぐこちらを見て立っていた。
この子に限らず、チャロは終業の鐘がなると、他の子とろくに話すこともなく、ましてや放課後に約束をして遊ぶこともなく、一目散に家に帰り妹や弟のように思っている子供達の世話をしたり、店の商品を並べたり、掃除をしたり、店番をしたりするのだ。
休み時間にたわいもない話をしたりする友達はいたが、親友と呼べるほどの人はいなかった。
そんなチャロにわざわざ話しかけるとは、何か重要な連絡事項でもあるのだろうか?
この子の名前は、確かミシャといったはず。緩くウェーヴした明るい茶色の髪を、耳の後ろで二つに結んで水色のリボンをつけている。水色の瞳でソバカスの可愛らしい子だ。
「ミシャさん、なにか、用事かしら?」
「私、海と山の両方だと思うわ」
突然何かと思ったら、先ほどの授業だ。
彼女は真剣な表情で、熱を込めて話しだす。机に、バンと両手の平を乗せ、身を乗り出すので、チャロはびくりとして少し背もたれの方へ身をずらした。
「だって、はっきりとは分かっていないのでしょう? なら、その可能性もあるわよね。だって、海も山も恵みをもたらしてくれるのだもの。なにより、海には人魚もいるわ」
人魚は、古代にはまだ北の海から泳いで来てはいないのじゃないかな、と思ったが、三千年生きているわけでもないし、本当のところは分からないので、黙っていた。
彼女はこの島の歴史について語りつづけ、次の授業が始まると、後ろ髪を引かれるようにしぶしぶ自分の席に戻って行った。そして、終わると再びやって来て、続きを嬉々として話し出すのだ。
チャロとしても、こうして同年代の子と長く話すのは新鮮で話も興味深く、いつしか、一緒になって議論をしていた。
終業の鐘がなると、なぜかミシャは申し訳なさそうに眉尻を下げてやって来た。
「私の話をずっと聞いてくれる人なんて今までいなかったから、とても楽しかったの。だけど、迷惑だったわよね? もう、あまり話しすぎないようにするわ」
チャロは、ぶんぶんと頭を左右に振る。
「迷惑じゃないわ。私だって、楽しかった。島の歴史を深く考えるのは楽しかったし、テストでは落第点ばかりだけれど、ミシャの授業なら、満点をとれそうだわ」
「まあ、ありがとう。じゃあ、これからも、話しに来ていい?」
「もちろんよ」
「嬉しい。ねえ、私たち、友達になろうよ。
チャロのこと、あまり関わりがなくて、どんな子か分からなかったけれど、これから、もっと知りたいわ。
勉強も、教えてあげる」
チャロは頬が赤くなるのを感じた。
とても、うれしい。
「私も、友達になりたい」
もしかしたら、彼女とは大親友になれるかもしれない、と、希望を抱く。
「勉強を教えてくれたら、お礼にクッキーを焼いて持ってくるわ」
その後、チャロとミシャは一緒に買い物をする約束をした。




