31 高徳応報編2話:苦労と犠牲の結果・2章終了
――エバーガルは私が殺すわけにはいかない。君が殺してくれ
――めんどくさ
――私がフローディスを殺そう
――別に殺す気無いんだけど
――凱旋式でフローディスが君をくれと知神に言ったのは知っているな、見当外れのあれだよ。有形無形の手口で君を手に入れようと彼は執着している。エリクディス殿を殺して、見習い学習係の代わりを務めよう、などとね。君はまだ生身の、完全な戦神の使徒ではないから思ったより他の神の呪いに影響されるし、代役が必要と戦神が判断したらフローディスを指名するかもしれない。時に君、あのフローディスのことは好きかな?
――ひぎょえ野郎が好きかって? んなわけないでしょ
――そんな感じで、君が彼を殺す理由は既にあってね、今なら君が殺さなくても犯人だと疑われるくらいだ。そんな状況でフローディスが暗殺されたら威信を懸けた国家規模の報復が待ち受ける。君一人ならどのようにも捌けるだろうが、エリクディス殿とチビちゃんはそうもいかない。単純な襲撃は一端良しとしようか。これから全ての食事に毒が盛られていないだろうかと疑うような生活は野戦と違う苦しみがある。賞金首となれば色んな者が色んな手段で狙い始める。これも苦しい、気が狂う程に。予防措置も必要じゃないか? これを避けるためには君の手が届かない、疑われない距離感で仕留める必要がある。それも原因が分からないような不思議な手口でね。私の力が必要になる。さあ、手を取り合おうじゃないか
――はあ?
――全て任せなさい。君にして貰いたいのは交換殺人
■■■
エバーガル七世一人の為の旅は大仕度となる。
近衛隊。ダンピールの騎士にその従士達。人間の槍兵、弩兵、弓兵。魔法使い。斥候伝令の軽騎兵。旗手。
軍楽隊と宮廷音楽隊の両方。道化師。
侍従官、召使い。サルツァン施政は名代に任せているが相談役に連絡係、会計だけに限ってもそのまた補佐役がつく。宮中に就職したメルフラウが見られる。
神官と神学者、在内在外の学者。今や知神の神官が筆頭の顔をしている。
料理人、お茶係、鷹匠、馬丁、装蹄師、内科医、外科医、獣医師、鍛冶師、靴職人その他多数。
御者に馬車多数。物品によっては品質管理担当が付く。
道中、地元商人が随行しては売り買いをして離れていく。物乞いが寄って来ては追い払われる。農民が見物。
道の先、閣下の目に触れない内に、牧童と羊や旅人には、脇へ退けろ、と騎兵が警告。譲らない場合は騒動前に無礼討ち。
これにエリクディス一行も加わった。
サルツァン宮中伯領そのものを知神に奉納し、万全の高徳で挑むのは試練の迷宮である。
洗練された無駄の無い円柱状の白亜の巨大建造物。その入り口の石碑にこう刻まれている。
”三つの試練を突破せし者に知神は無償で知識を一つ授ける”
”この試練の迷宮には一人ずつしか入ってはいけない”
”過去この試練で知識を授かった者は二度目の挑戦は出来ない”
”暴力に頼ってはならない”
以上四項。
挑むに当たってエバーガル七世の勉強会に付き合った一人、エリクディスの感想としては、閣下には誰も敵わぬ博学ぶり。流石、四桁年を勉学に傾けて来た者は格が違う、と。
エバーガル一世の博物誌、その原著と思われる本は地底人語で記述されている。挿絵も詳細不明。地上と共通していそうな物もあるが微妙に違う。
七世閣下は幼少の頃、高祖父の書斎にて原著より翻訳途中の本を見せられ、畏れ多き高みに至るに足る物、と言われた記憶があるという。惜しむべきは当時、本に興味が無かったこと。後に成人し、何版も重ねた後の博物誌を読めば、地上にて当たり前に知られる物事が正確に記述されているだけという、優れているが”高みに至る”は大言壮語の内容であった。
この違い、違和感を抱えたまま一〇〇〇歳を過ぎ、念願の原著を手にしてもまるで読めない。知識の探求者にとって、読むためなら国を捧げるなど安かった。己を犠牲にすることすら安い。遥か未来より優れたる古代の知識、知らず後悔したまま死んでなるものか。
エバーガル七世一行、試練の迷宮近くに野営地を築く。佇まいは移動宮廷。
国家一つ捧げた者に対しては流石の迷宮管理の神官達も賓客扱い。威圧的に、時に順番を守らない挑戦者を棍棒で殴り倒す彼等でさえ腰が低い。
ちなみにサルツァン政府がまるごと放浪人になったわけではない。施政には人員が必要で、最適な人事として配置も肩書も据え置きである。神官の席が増設される程度。そして税収が国ではなく神のために使われるようになり、国家祭祀では知神のみを称えるようになる。役人の一部は神官と呼ばれるようになる。旧帝国国璽尚書という特権も否定されるものではなく、何なら宮中伯号も廃止する必要が無い。選ばぬ俗人国家から、一二柱の中から特別一柱を選ぶ神権国家となったのだ。
依然として閣下のままであるエバーガル七世は、先駆者に倣って携帯食料と飲料水袋を背負い鞄に詰めて迷宮の門を潜って行った。居並ぶ臣下達の、いってらっしゃいませ、の言葉も聞き終わらぬ前に。
後は戻るまで待つだけ。荷物を盗まれないよう、非戦闘員が襲われぬように警備しながら食事と洗濯を行い、物資を切らさぬように調達。それ以外は暇なので雑談や遊びに費やされる。札や駒遊び、ピン倒し、相撲、打毬、終わりなき神学論議。
髪と髭の根本に白髪が目立ち始めたエリクディス、その一行に神官鍛冶志望のゲルギルが合流してきた。同道の予定は無かった。
「手土産だ」
形状だけを言うなら剣鉈や包丁に近い、そんな両手剣がチビに手渡される。以前に作ったゴーレム狩り、滅多打ちと違い形状は洗練されている。ゴーレム剣のような異形さは無い。
チビが早速土産物で素振りを始めると、得物の重さと大きさを感じさせない回転率の高さで連撃が容易である。
「良い」
「だろ。オークならまだデカくなんだろうから、そん時にまた一回り上げてけば丁度いいだろ」
ある集団にとけ込む最善の方法は、女将や子供と仲良くなることである。責任者として頭を多少固くしておかなければいけない親分はその次でいい。
「ゲルギルよ、チビに土産をくれるのはありがたいが、サルツァンを離れたくなったのか? ワシ等もその心算だが、憧れの神官鍛冶の徒弟になっておっただろ」
親分が来訪者に、来歴に不審点があるお前は信用出来るのか? と問う。
「やっちまった。親方と喧嘩して殴り返したら死んじまった」
「頭の二発目は死んじゃうよねぇ」
女将ではないもう一人の子供、スカーリーフが賛同する言動。
「なん……じゃと?」
「私がこの前一発殴って」
「次に俺。頭の二発目は危ねぇって言うからな。でもやっぱ弱ぇ奴は駄目だな、下につく気になんねぇ」
「ねー」
「共犯……ぬぐぐ」
サルツァン市内での殺人、当たり前だが重罪である。どのように調べられているかは想像するしかないが、良い事など一つとしてない。スカーリーフを無罪のように仕立てることは勿論可能だろうがこの野蛮人、私やってない、なんてことを言うはずがない。人殺し自慢を始めるに決まっている。
罪が有っても罰は避ける、放浪人はそういうものである。その分信用され難い。
「おっさん、何時まで待つの? また糞つまんないんだけど」
エリクディスは黙考の後、新調した杖で地面を二度、音を鳴らして突く。覚悟を決めた。
「試練を見届ける前に抜け出す。閣下も宿願を達すればワシなぞ眼中に無かろう」
「そりゃいい」
チビは素振りを止める。一行にゲルギルが加わった。
どのような逃げ算段をしようか、夜陰に紛れて抜け出すのが定番か? と閣下の一行全体で群島のように形成されている仲良し組の一つになって話し始めた。
逃げた後から追手が来るかもしれないとスカーリーフが新調した板金帷子一式を着込んで、身体を冷やすまいとチビとゲルギルと慣らし運動をゆっくり始めてからもう少し。
やつれた試練達成者、狂った失敗者が出入口に現れては付き添いが一喜一憂していく。
そして一日も経たずにゆらりとエバーガル七世が出て来た。
この試練を知る者にとって一日も経たず出て来るというのは紛れもない失敗の証。しかしあの博学閣下、ヴァンピールの鋭敏さに身体能力が重なって正答を繰り返せばこのぐらいの時間でもおかしくないとも言えた。実際、獣のように呻いて狂乱の叫び声も上げずに静かなものだった。
「いかがでしたでしょうか?」
筆頭侍従官が近寄り、成果の程を訪ねようとするとエバーガル七世の目が吊り上がって牙を剥いた。
ヴァンピールの激情。神経鋭敏が過ぎる故、他種族には理解し難い程の低刺激で激昂する特長は、旧帝国にて独特な宮中文化を生まざるを得なかった程。
熊のような引っ掻き一打、筆頭侍従官の顔が剥がれ飛んだ。
気紛れか呪いの発狂か? 静脈浮き立たせ、唸り声を堪えるように口角から涎が噴き出る姿は狂人。
筆頭侍従官に次ぐ者が叫ぶ。本来、純血種相手に大声を出すなどとは無作法。
「お気を確かに!」
返答無し。聞こえているかどうかも分からないが、興奮していることだけは確か。
「流石は一〇〇〇歳越えのヴァンピール、白痴の呪いを受けても意識の欠片があるとは」
エリクディス評のところ、これは半狂。エバーガル七世、荒く息を吐きながら地面を見つめ、目的地があるか分からぬ足取りで身体を揺すって進み始めた。
高徳は成功の保証にならない。言われれば神学を齧った者なら全員が納得することだが、今は非現実味ばかり。
筆頭侍従代理、手を上げて指揮の構え。
「近衛隊!」
その号令で武装する歩騎兵連合が動き、隊長が部下を整列させて臨戦態勢を取らせた。
「君主は生きている限り君主です。お部屋に居続けても変わりはありません。一時、閣下には不自由をして頂きます」
「総員捕縛せよ!」
近衛隊隊長号令、エバーガル七世を取り囲むように展開。
「手出し無用、手出し無用!」
筆頭侍従代理、随行員の中でも部外者に当たる者達へ、特にエリクディス一行へ指差し警告。
包囲された老人、その動きの始めが常人には見えない。兜に指を引っかけた一捻りで装甲兵士の首が何時の間にか折れる。
達人が動きに反応出来ても組み技で剣を奪われ、兜の隙間から首、口内奥の脳を刺されて倒れる。
全狂いではなく半狂いの証としては、武術を忘れず獣のような戦いをしていないことにあろうか。噛み付きなど下賤の振る舞いが無い。
馬上から騎兵達が飛び掛かって体重で潰そうとしてもあっさりと避ける。
盾の壁で囲んで潰そうにも軽々と盾と肩を乗り越えて背面取り。
かつての旧帝国をこの純血種がなぜ作り上げたのかを証明する。武力で勝れば支配者になれるのだ。この場では活かされていないが、夜襲闇討ちで失敗することなど稀。当時、夜とは人間の首が狩られる時間だった。
老いたるも純血種の力、感覚と反射、神経の鋭敏さは極致の感。魔法使いの視界の外へと動く。同士討ちしてしまう立ち位置を選んで行動させない。精霊術で捉えられない。
近衛兵達も傷つけないようにと掛かっているので一方的。
「手足の欠損は構わん!」
筆頭侍従代理が捕縛条件を緩和して戦いやすくしたが状況は変わらない。死体が増える。
エリクディスは遠くに響かぬように声を潜めて一行に言う。
「見捨てるのは人情に悖るかもしれんが、今逃げるぞ。触れられたくない内輪の問題に関わっても良い事は無いわい」
足音を忍ばせ、試練の迷宮界隈から脱出を始める。三人が背を向けて歩き出す中、スカーリーフは投石器を手にし、構えを取るか一考。先にヴァシライエから提案があったことを。
おっさん、とスカーリーフが声を出そうとした時の事。思いもよらぬ閃光と何か焼け弾けた音、痛みを告げる近衛兵達の声。
一瞬以上に長く景色が白一色になって、動揺の声がし始めた次の場面。静かに機会を窺っていた禿鷹、翼広げて横飛びする戦乙女が戦鎚の鉤部でエバーガル七世の頭に穴を開け、引っかけながら宙へ持ち上げて吊るした。
翼ある人型に注目が集まる中、エバーガル七世、最後の純血種が極光のもやになり、吸い込まれるように魂として回収された。そして余韻も無く、
「ヴァンピールのエバーガル」
即時召喚、地上に立つ。我が乙女、などというお伺いの口上さえせず、頭を抱えて唸り出した。知神による白痴の呪い、魂にまで刻まれている。
「これならいっそ獣人にしてあげましょう。戦神よ、御慈悲を」
エバーガルの苦悶、唸りが獣の咆哮へ転じると同時、霊体の衣服が裂けて落ちて消え、肉が盛り上がって白毛が伸びて人型の獣に変形していった。
「手加減無用!」
筆頭侍従代理が、もう座敷牢にも置けぬと判断して殺害令を出す。だが近衛兵達、焼けた焦げた肌に布地を防具の隙間から見せながら白毛の獣人を捉えられずに右往左往。馬が暴走。湯気が少しと鉄板焼きの陽炎も少し。
先の少し長い閃光、全体に目眩ましをしただけではなく、指向範囲を軽く焼いたのだ。直視すれば眼球火傷、失明。
ほぼ無力化された近衛隊が獣人に虐殺される中、そんなことはどうでも良さそうに戦乙女がエリクディス一行の元へ飛来する。その顔、メルフラウ。官服のまま甲冑装備ではないが、極光漏れる鳥のような翼で空を飛ぶ姿は紛れもない。
「まさか戦乙女だったとは! 可愛い顔によらんものだ」
「おじ様に言った不幸な過去は、年代以外は大体本当です。後は、血を見ても実は平気です」
戦乙女は普段、市井に紛れて戦乱の機運を窺い、己に相応しい魂を見定めていると言われる。どう行動するかは個人による。
「それで、用件があるのか?」
「海神本殿のエリクディス、私の英霊になりなさい。一〇〇人斬りの腕より万軍を支える参謀が欲しいのです」
「ワシが?」
特に、華々しい勇士より裏方で働く者の優劣などは良く良く見定めなければ分からない。
「何時でも殺せましたが、私は基本的に同意を取ります」
「なんと」
「そして妹スカーリーフ、あなたはフローディスの下で旧帝国統一戦争を成し遂げて幾万と殺戮して英霊の魂を奉納すれば良いのです。昇天して本物になるにはそれが最短です。チビちゃんはそれについて行きなさい。ゲルギルもそうした方が神官鍛冶への修練になるでしょう。これで全て上手く行きます」
「ワシは上手く行っとらんようだが」
「あなたの体力はこれから落ちる一方。今が一番若いのです。腐れる前に摘み取って保存します」
「なるほど、しかも砂糖漬けか? しかしお受けした神命がある。また誰かにスカーリーフを預ける気も無い」
「では一度死になさい」
「同意しておらんぞ!」
「断られたので」
戦乙女には色々いる。
「魔法は無粋」
スカーリーフ、魔法封じと同時に尖頭弾投擲。
「知った……」
メルフラウの周囲に局所烈風の外套、ゴーレム穿ちの弾丸すら逸らす。
「……ことではありません」
魔法封じ、封じ。
「語らん精霊術だ!」
そして無言の、何かあるまで分からない精霊術。一流の使い手はわざわざ精霊に語りかけることなどないと言われる。エリクディスが皆にその手口を警告。
一行は宙に浮くメルフラウに対して距離があるまま。スカーリーフの投擲しか攻撃手段が無く、連投を試みるも通用せず。しかしこの攻撃は他の精霊術を使わせないという牽制の役割がある。烈風の外套を解けば直撃あるのみ、維持を強要。
「大陸と地下、土を司る地神よ。かの飛ぶ戦乙女を敵を大地に沈め給え!」
ゲルギル五体投地。メルフラウ、翼も手足も下に垂らして戦鎚も取り落として墜落、目方より重く激突。地神は道理に逆らって飛ぶ者には中々手厳しく、ゴーレム相手より敵意を示した。
烈風はそのまま、地面を抉って土砂を撒き散らし、ある種の弾幕を形成。肌を裂いて肉を刺すに十分。エリクディスは木陰へ、チビは両手剣を盾に隙窺い。
スカーリーフは防具頼りに土砂を受けながらとにかく投石連投。精霊術使いにはこれが一番の嫌がらせ。尖頭弾はやや保存するために、基本は爪先で地面から掘り上げた石を投げる。
「鋼鉄」
砂利で血塗れになりつつあるゲルギルは、スカーリーフの荷物である儀礼用戦乙女甲冑に手を出して匠神に捧げ、己の身体を鋼鉄化。土砂弾幕を物ともせず潜って這いつくばるメルフラウに近寄って拳を構える。
「魔法を禁じます」
烈風の外套、墜落、鋼鉄化、解除。拳が当たる前に軽業でメルフラウはゲルギルの背後を取り、短剣の切っ先を首に当てつつ人質にする。更に投石からの盾にする。指先一つたりともスカーリーフの見せない姿勢で狙撃防止。
そして遠くで近衛隊に続いて逃げ惑う非戦闘員を虐殺していた白毛の獣人も消え去った。精霊術だけではなく奇跡までも禁止した。英霊召喚には頼れない、頼らない。
「私はランズヘルお姉様のように甘くありませんよ」
「けっ、そんな便箋切で死なねぇよ」
「毒を塗っています」
短剣をゲルギルが掴もうとするが刃は脇腹に向く。振り返ったり走ったりしてもメルフラウは影のように追従。戦乙女の体術は未熟な若造の遥か上を行く。
「ドワーフに効くかよ」
「南洋のヒュドラ毒です」
「マジかよ」
「刺すと適量注入する細工ですが……エリクディス選びなさい!」
スカーリーフは投石を当てる位置へ移動する試みをするが、小娘の体格に比べてデカドワーフは壁のよう、樽のよう。チビも打ち込む機会を窺うが、人質に躊躇して意志は曖昧。
「待った! 待った待った、降参じゃ」
エリクディス、待ったをかけた上に降参。
「助かったぜ」
ゲルギルは一息つく。
「は? おっさん?」
スカーリーフ、見せたことのない呆気に取られた顔。
「メルフラウが道理じゃ。ワシも中々、限界があってのう。丁度良いわい。友達を死なせてまで意地張ることもなかったわ」
「……私の英霊達」
メルフラウは短剣を懐に収め、周囲を極光のもやから召喚される英霊達で囲む。白毛の獣人もいる。その身体の壁で二人の間に道が出来る。
「覚悟が決まりましたか」
「その前に煙草を吸わせてくれ。こうなった後には吸えんのだろ」
「まあ、どうぞ」
「おっさんこらぶち殺すぞてめぇ!」
停戦令を無視し、両手に剣を持って突っ込むスカーリーフは白毛の獣人が相手をする。刃が毛に通らない。
ゲルギルは手に付いたかもしれない毒を土に擦り付けたり、水筒の水で洗ったりする。嗅いでみて異臭無し。
チビはエリクディスの命令に従うか、スカーリーフの助けに入るか判断できないでいる。
「おじ様、私、本当に嬉しいんですよ」
「若い子にモテたことが無いから分からんのう」
エリクディスは腋に杖を挟んでから煙管に煙草を詰める。
「愛していますよ」
「む……ちょ、ちょっと待っとくれ、手元が狂う」
「ふふ」
微笑むメルフラウに対し、年上に見える年下は崩れそうになる顔を動かして、表情を誤魔化した心算。
スカーリーフが戦いの合間を縫い、ならばいっそ自分のものにしようと、エリクディスの頭に尖頭弾を投擲。武器庫の奇跡、メルフラウの手に極光と共に小盾が現れてその弾丸を弾いた。
「ぬお?」
「ごゆっくり」
「むう、おっと、火種……火種」
エリクディスは一度咳払い。服の上から叩いて手探りし、杖を傾けた。
『杖の筒の中をほんの少し燃やせ』
火の精霊術、雷声、発火発煙、杖が反動で地面を突く。鉛弾がメルフラウの顎下を捉え、喉から脳へ入って砕け、空洞を一瞬作ってかき混ぜる。可愛い顔の七穴から血と脳漿が噴き出した。霊体である本物の使徒でも基本構造は同じであった。
この暗器、名付けて”雷の杖”。地底の錬金術の再現は弱者でも強者を屠る。
大将討ち取ったり。形勢が変わる。
白毛の獣人の背後をチビが取る。両手剣で大上段の一撃、二撃、三撃、叩き潰しにかかり、姿勢が崩れてからもひたすら滅多打ち。刃が毛を断てずとも骨を砕きにいく。
チビと対戦相手を入れ替えたスカーリーフはメルフラウの英霊達の中に飛び込み、両手両足を使う得意の混戦に持ち込みながら己の英霊五人を召喚。獣人フルンツ、執事ルディナスが戦乙女見習いを支える。盾を持つメクシアン、達人ギーデルを弱いエリクディスの護衛に付けた。喧嘩が精々のフェリコスは、遠くから石でも投げて嫌がらせ。
ゲルギルはチビの背後を守るように敵の英霊達と対峙。鉄より手軽な岩石化でしぶとく、重く戦う。
煙草が詰まった煙管へ火打石で点火し、エリクディスは参加したら即死する戦いを眺めて一服。変わり果てたメルフラウの顔にハンカチを被せて隠す。
次第に、倒れたメルフラウは次第に強い極光となって消えてゆき、召喚された英霊達も霊体を失って天へと昇っていった。
精霊術、錬金術、奇跡を願う祈祷術に加えて交渉術も使うのが一流の魔法使いと世に言われる。
■■■
フローディス軍はサルツァン宮中伯領国境付近に集結。その歴戦の軍を前にして、地底人との争いのどさくさに紛れて略奪占領を目論んでいた隣領軍を撤退に追い込む。
まだ威容を見せて引き下がらせただけ。フローディス公はこれを追撃してその領国を血祭りにあげようと考えていた。
戦乙女は血の臭いを嗅ぎつける。一般常識である。
戦乙女その見習いスカーリーフより、試練の迷宮の案件が片付いたら共に戦争を、絶え間ない統一戦争に参加して血を浸かる程浴びたいという趣旨の、誘いの手紙を受け取っていた。文字は荒く、文章も拙い上に出身地の方言めいた表現が重なり、しかも落書き混じり、書き損じにバツをつけてそのままという大層読み辛い文面だったが意志は伝わっている。
夜明けと共に越境しようと目論む。まだ月が夜の月に見えている時刻に総員起こしが掛けられ、松明と篝火を頼りに装具点検開始。
各隊点検が終わってから野営具を梱包、行軍隊形へ移っていざ、いつも通りの人対人の戦乱の世へと漕ぎ出した。
しかし奇妙なことが起こった。夜が明けない。
「あれはなんだ!?」
誰かが空を指差したらしい。
何か音がしているわけではないが異常。夜空の星と月を隠すように大きな何かが歩いて回り、新月以上の暗闇が、まるで蓋がゆっくり閉じられるように訪れる。
空と地上の境が無くなったように見えて、足元の地面も暗闇一面。松明を足元に突き立てるようにしてすら何も見えない。兵に馬も恐慌状態。
「神官、これは何事か? 神の奇跡か、呪いか?」
「何も分かりません。だからきっと……」
そして音も聞こえなくなった。寒くも暑くもない。死んだにしては頭だけは明瞭。自分以外が見えなくなる。明らかに祝福されていない異常があればそれは呪いであろう。
闇と沈黙が続く。頭の具合も何か、刺激が無さ過ぎて曖昧。
肌と時間の感覚も曖昧になった。立っているかも不明。閉じた世界に己が身一つのみとしか思えなくなってくる。まるで安楽な生き埋め。
「我々が何時、神に害を為した? 貢献しかしていないじゃないか! 徳を積んだ挙句、呪われなければならないのか!? 何が神だ、お前等が呪われろ! 苦労と犠牲の結果がこんなことであってたまるか!」
フローディスが失われつつある感覚を取り戻さんと発奮し、激情を掘り起こして叫び、そして応えるように闇が一瞬で晴れた。
「え?」
まるで気合の勝利かのようだった。
そして急に感じた地面という違和感に人型どころか馬さえ転倒、フローディス軍が丸ごとこけるという大珍事。そして目に飛び込む朝焼けがやけに眩しかった。
奇声の合唱、遥か遠方まで届いたと言われる。
■■■
「結局あれじゃのう、ワシを誑かそうなどと、乳の寸法が足りんかったわけだな」
「何だエリクディスおめぇ、巨乳好きかよ」
「誤解があるのう。唯一愛した人が豊満だったから巨乳好きということになっているだけだ」
「かっ、面倒臭ぇ」
「じゃあゲルギル、お前さんは何が好みじゃい」
「……優しい子」
「はあ!? はー! 何じゃそれ!? 何じゃーそれ! 優しいも気立てもあるか、そりゃお前さんの器量と態度次第じゃろがい! 髭剃って出直せい!」
「うるせぇ糞野郎」
四人になったエリクディス一行、旧帝国諸邦域を脱するために南を目指して進んでいた。
混乱の最中であるが、追手が付くということを前提に、海路を取って手が届かぬところへ行こうという算段である。この唯一世界大陸、この界隈だけが文明の地ではない。
一行の紅一点、スカーリーフは不機嫌が続いている。飯、と言ってもつーんとしたまま。
「スカちゃんや、この前はすまんなぁ。吃驚させてしまったのう」
下手に出るエリクディス。ご機嫌伺いの声は何度か出している。
「お小遣い」
「九九を暗記してからまた考えよう」
「ハゲ」
「俺はもう言える」
「ほう、チビは賢いのう」
「うっせぇハゲ!」
これで大体元通り。
スカーリーフは、エリクディスが詐術を行った件はさて置いて懸念がまだあった。ヴァシライエから提案された交換殺人についてである。
結局エバーガル七世は死んだのだが直接手を下したわけではなかった。エリクディスを英霊にしたいと考えたメルフラウの行動の一環で殺されたわけだが、手柄と呼ぶには間接的が過ぎる。意図的に誘導すらしていない。もしかしたらあの姉戦乙女の心情を揺さぶってこの結果が導き出されたのかもしれないが。
戦士としての手応えが足りない。遊びで池へ投げた石に驚いた魚が跳ね、その水の煌めきに驚いた馬が走り出し、たまたまその先にいた誰かに衝突し、その怪我が元で貧乏になって死んだ、くらいの手応え。
半ば無理矢理書かされた手紙をヴァシライエに託してあるが、こう、あらゆる因果が結びついていない曖昧模糊とした気持ち悪さだけが残っている。
夜神の呪い、仮に降りかかるとしたら何時?
旅中に取った宿、一階の食事処で酒と一緒に安いシチューを皆でつついていた。
エリクディスがいつもの調子で宿の主人の機嫌を取って、雑談から周辺情報を引き出した。
一番の特報はフローディス軍が壊滅したらしいこと。知神に呪われ、全員が野盗ですらない野獣になってとにかく食べ物だけを狙って行動するようになったとも。更に人も食うらしいとも。全狂とはそれ程。そしてネタ元は月光商会とのこと。
話を聞いてゲルギルは合掌。
「一二の神々よ、俺達は不敬はしないで真面目に神命に従ってますよ……っと、で、あいつら呪われるようなことしてたか?」
「うむむ、全く分からん。とにかく、サルツァンを離れて正解じゃな。巻き込まれたら後悔する暇も無かったわ」
エリクディスの神学によれば、触れねば直接呪いは無く、巻き添えはただの不運。
一方、子供達は九九の練習。
「スカー」
「ほいよ」
「一、二が」
「二」
「一、三が」
「三」
「一、四が」
「四」
「九、九」
「八八」




