30 高徳応報編1話:不穏な戦後
”戦乙女、フミルのスカーリーフ殿。
神話の一節のような春も過ぎて夏が訪れようとしています。スカーリーフ殿の益々のご健闘と神懸かりを一人の戦う者としてお祈り申し上げます。
さて、神に奉仕せんがため暇さえ次の試練のためとする使徒の多忙、俗人の私には想像つきかねます。無駄なお時間を取らせるということは罪ですらあります。
かねてよりスカーリーフ殿とは互いに有益なご懇談が出来ないかと願っておりました。
このザステンのフローディス、貴女に恐怖を植え付けられ、片目を潰したとも唯一尊敬する亡き我が陛下の後継を諦めた心算はありません。
つきましては……”
このスカーリーフ宛ての手紙、勿論のこと本人は読んでいない。読んでいるのはチビ。理由は他人の手紙を使って大陸共通文章のお勉強中だからである。えらい。尚、この蛮族二人には他人の手紙を覗いてはいけないというような認識は無い。
一行が旅に出ようとした矢先に、先導者たるエリクディスは宮中伯閣下とお勉強会を始めることになった。中間報告としては、大層な蔵書で眼福じゃい、とのこと。
スカーリーフとチビは予定を全く失い、日課の修練以外の時間は暇になった。野山なら石を投げたり山菜を採ったり獣を追いかけたり、法外環境から戦神の理に反しない程度に流血沙汰を起こしたりするものだが、サルツァン市内ではそんなわけにもいかない。壁の内側では糞の一つにすら権益が存在する。
「チビすけ、飯行くよ飯」
「うん。肉食いたい」
「何の?」
「何かここの……」
チビは手紙を突き出し、文章の一節を指差す。スカーリーフの視線はそこしか捉えない。
「水銀の晩鐘亭って店が、噛まなくても融ける豚出すって」
「は!? 何それ!」
「たぶん高い店だ」
「でも高いもん食いたいよね」
「うん」
一行の滞在費は全て宮中から出ることになっているので財布要らず。エリクディスも、殺人や放火のような金で済まないことをしなければ、換金目的で宝飾品を買い漁ったりしなければ贅沢ぐらいはしてもいい、と言っていたので問題無い。
「我が乙女よ」
戦乙女から漏れた極光のもやから、尖り無し三角帽被りのダンピール剣士、サルツァンのルディナスが現れる。
「おわっ、あんた勝手に出て来れるの?」
「機械杖で瀕死になって以来、出入りの制限が緩んでおられるようです」
戦乙女が直接保有する英霊達は必要な記憶も共有する。召喚直後、状況が理解出来ず慌てふためく等という間抜けな姿は似合わないもの。似合わないからそのようにされている。戦神の計らいである。
「え、何それ」
「制御の方は力加減次第かと。しかし中々取り返しのつかない生身であれば緩いぐらいの方が、先の件のように緊急事態に対処出来ますので一先ずこれでよろしいかと考えます」
「うん、そうかも。で、何か用?」
「水銀の晩鐘亭を知っています。紹介制で完全予約制の高級店で服装規定もあります」
「えー?」
スカ―リーフの普段着は袖裾足らずの人間の男物。他には使い古しでボロになった戦乙女衣装と、新しい地底人軍撃破の凱旋行進用の華美な戦乙女衣装があって、それは遠目から観衆にも見えるように飾ってあり、とても店屋に入る服装ではない。このエルフにすら分かる程。
チビは腰巻兼ねる褌一丁のみ。しかも裸足。
「主は一度服を洗濯して皺を伸ばし……染み抜きもして、いえ、新たに一式用意した方が良いですね。入浴もして下さい。爪は汚れを取りましょう」
「めんどくさ」
「チビ殿はオークの腰巻き一枚姿では凱旋の英雄と言えど入れる店に限りがあります。正装の一着があって今後に困りませんので用意しましょう。それで、オークの正装というのが分かりませんが、そうですね、お父上の服装で一番立派だったお召し物はどのような物でしたか?」
「武器と防具」
「それ以外で」
「毛皮の外套と……」
胴体に斜め左右に指切り。
「こんなベルトと鉄板? テュガオズゴンって彫ってあって、ドラゴンの顎と剣の氏族のあれ」
「毛皮の外套は買えます。氏族の印章は特注しなければいけません。印象留めではないベルトなら外套留め、外套下の肩当留めになると思いますが。構造は覚えてますか?」
「印象? にベルト四つ? 二本の端っこ二つずつだった」
「どうしても特注ですね。胸を単純にさらけ出すのはいけません。胴着があればいいですが、大きさから特注です。それから裸足がいけませんので足に合う靴も要りますが、これも特注でしょう」
「脅せばいいんじゃないの?」
「食材は厳選、定食屋のように作り置きなどしません。ふらっと立ち寄っても困らせるだけです。無い物は出せません」
「尚更脅したら? 他の客の」
「下町の食堂ではありません。誇りにかけて屈しはしないでしょう。それに不法はご法度ですが、破られますか?」
「そっかー。似たようなの無いの?」
「ありますが味と触感は決定的に違います」
「うーん」
「解決案があります。この宿を通して水銀の晩鐘亭に注文して取り寄せをしましょう。おそらく届くのは明日以降になると思いますが面倒事は全て避けられます。そして今からその似た料理を出す店へ行きましょう。こちらは服装規定などありませんので気軽に行けます。食べ比べは楽しいものですよ」
「よし、じゃあ案内して」
「お任せを」
「腹へったー。あ、あれあれ、何て言ったっけ、ルディナスくん、あれみたい、あれ、ほらっ、ほれっ! チビ、あれ!」
「人間の方言で執事ってやつか?」
「それ! ルディナスくん執事みたい」
「光栄です」
二人と英霊は宿を出て目的地へ向かう前に、窯焚きの煤煙が臭う職人街へ向かった。
そして目当ての、都一番の鍛冶工房の前に到着。
「ドー! ワー! フ! ごー! はー! ん!」
女の高い声、恵まれた体格、遠慮の無さ、鉄を叩く喧騒に勝る。
「うるせえおめぇら、俺になんだってんだ」
工房からゲルギルが顔を覗かせた。前掛け、手袋、汗、しかめた赤ら面、屋内から漏れる熱。
「めしー」
「エルフおめぇ、仕事って知ってるか?」
「はあ?」
他人の事を慮らないことこそ戦士の才能。
「てめえ何さぼってやがる」
ドワーフの背後に大柄な人間、仕事着なのに格調高い。金鎚で遠慮無くゲルギルの頭を叩く動作は慣れ切ったもので親方であろう。つまり神官鍛冶。
ゲルギルの頭越し、スカーリーフの拳が親方の眉間に直撃、転倒。当たり所は明らかに死ぬ程悪い。
「よし」
「やれやれ。腹減ったな。小便してくら、待ってろ」
■■■
とある後日。
”……連戦で装備を多く欠損したと聞きました。装備と衣装を新調しませんか? お代は勿論こちらが出します。美しくて強い貴女に似合う物をさがしましょう。衣装の方も詳しい者が……”
「スカー、会わないのか?」
「誰と」
「フローディス」
チビはスカーリーフより物事を考えている。毎度手紙を読み込んで感化はされているが、他人の金で装備を新調するのは良策ではなかろうか? 恩を売られるということは考えず。
「めんどくさ」
「悪い奴じゃないと思う」
「はぁ? あんた何食ったの? 花食ってないでしょうね」
「こんなの食わない」
一行の宿には彩りが加わっている。フローディスが送った部屋一面の花。チビが拙い腕で飾ったり、宿から借りた瓶に生けたり、編んで花輪にしたりと、とりあえずその辺に、雑に放置はされていない。
「花くせー」
「そうか?」
部屋の扉が二度叩かれる。
「くせぇって。後で捨ててよ」
「何か、すぐ捨てるの変な感じ」
「誰かにやったら」
「誰って誰?」
部屋の扉が三度叩かれる。
「花って誰にやるんだっけ? 葬式と結婚式?」
「墓なら全部配って余るぞ」
「墓に配って回るのいいかもね。兵隊の墓ってどこ?」
「知らん。執事は?」
部屋の扉が六度叩かれる。あのー、と声もする。
「知ってたら案内に出てくんじゃない」
「そうなのか」
部屋の扉が強く叩かれる。
「あのー!」
「何!?」
ようやく会話。
「エリクディスおじ様の荷物取りに来たんですが!」
「持ってけばー!」
入室して来たのは、今や魔法使いもやっているメルフラウ。
「あ、事務屋だ」
「用事が済んだらすぐ出て行きます」
メルフラウ、高級宿の一室に泊るべきではない客の悪臭、いい加減な花の飾り、布団の皺、開いた酒瓶、食いカス、置いた荷物の乱雑さに顔をしかめそうになる。エリクディスの鞄から、色違いの新旧の紙が括ってまとめられた自作の帳面、煙草と煙観の袋を取り出す。これもだったかと固まった繊維風の指輪も取り出そうとして鞄の中を探し出す。中々見つからないので一旦中の物を広げる。
「あなたはフローディス公の下へ行けばいいのです」
「あん?」
「おじさまはサルツァンにいるべきなんです」
「おっさんに言えばいいじゃん」
「子供には分からないでしょうね!」
目当ての物が手に揃い、物を鞄に入れ直してメルフラウは部屋を、ふん、と鼻を鳴らしてから出て行こうとして向き直る。
「こんな飾り方では花が可哀想です!」
メルフラウが指差したのは、寝転がって、伸びた巻き毛を弄っては抜け毛があれば引っ張って千切って手遊びをするスカーリーフ。鼻はほじってもまるで花など活けそうにない。
「何か変か?」
近くにあった花輪を手に、首を傾げるのはチビ。身体は大きく、年相応に童顔の、無垢なるオークの瞳と言葉は無視しえない。
「う……そうです。貰った花はですね、部屋を明るく美しく飾るものです。こんなあちこち無思慮に散らかしては折角咲き誇った姿を台無しにしています」
「どうすればいいんだ?」
「えーと……基本は左右対称です。非対称のまま良く見せる、そのように見せて全体で調和する、というのは素人には早いでしょう。絶対に忘れてはいけないことはお客様が運ぶ視線を意識することです」
「うん」
チビが”散らかして”と言われた花を集め出し、メルフラウ先生に教えを乞う構え。スカーリーフは花が動いたことで、花くせぇ、と一言。
それからお花教室が始まり、部屋の飾りつけが修正された。照明の明暗に拘わらず、彩度と明度が向上した雰囲気が受けられるようになった。隙間や角が生み出す殺風景を消し去った。
「もう分からないならいっそ宿の人に頼みなさい。高級宿の人なら分かっているはずです」
「おお、メルフラウ、凄いな」
「これくらい淑女の嗜みです」
「これって捨てていいのか?」
「色が悪くなったり首が曲がってきたら捨てればいいのです。黒くなったり腐ったり虫が湧くまで放置してはいけません。手折ってしまった以上は美しい内に花の一生を終わらせてあげるのが美学です」
「うん」
「分かって頂けたかしら? ごめんあそばせ」
そしてメルフラウは扉を静かに閉めて去って行った。
「……あれ、あいつ喧嘩売ってなかった?」
スカーリーフ、ふと思いつく。
「執事に聞いてみたらいい」
「あっ、そうかも」
召喚、サルツァンのルディナス。膝を突いての慇懃な態度が手持ちの英霊中、一番様になっている。
「で、あれ何?」
「エリクディス殿の庇護を奪いたいという宣言に近いでしょうか」
「庇護ぉ?」
「詳しい経緯は知りませんが、没落貴族の小娘となれば大層苦労したことでしょう、それこそ親の庇護無く。それが今になってにわかに得られたので手放したくないのでしょう。父知らずの娘は年上好みになり易いですので、第二の父になってくれと縋るのも無理はありません。小娘は戦乙女の血塗れの旅についてこられる性分ではないでしょうから同道は有り得ません。己の傍に居させ続けるには我が乙女とエリクディス殿とを別離させるのが第一条件、神命を放棄させるところから始めなければいけません。そのように動けば十中八九、呪われるでしょう」
「間抜けが謀略仕掛けて来てるってこと?」
「あの口振りでは何とも、可愛い嫉妬の範疇でしょうか。我等は勿論のこと殺害せよと命じられれば異存はありませんが、それではエリクディス殿との関係が破綻しますので、当人に直接今の出来事を告げるのが良いでしょう。フェリコスを伝令に飛ばしてあちらで解決、諦めさせましょう。こちらからの解決方法は全て穏便ではありません。私が主の記憶から考えますに、小娘一人のためにエリクディス殿は神命を放棄するような方ではありません。情に流されて愚かな選択を取ることはないでしょう。それに唯一愛する者としてセイレーンがいると発言しておりましたのであの程度の色香で堕ちるとは思えません」
「そうだっけ?」
「間違いありません。私の記憶ではないので」
「そうなんだ」
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”大王を弑逆した貴女がいれば、これは逆に諸邦統一の鍵になるでしょう”
これでは駄目と文章に線引き。
”サルツァン国境付近に手軽な相手がいるので一緒に殺しましょう”
悪戯に減った兵力を更にこの場で、ご機嫌取りのために? 丸で囲ってこの文章は保留。
”戦神の神学について語り合いませんか”
あまり理屈を捏ねる話は聞いてすら貰えないという情報もあった。これも駄目と文章に線引き。
フローディスは毎日、返信の無い手紙をスカーリーフへ送り続けている。代筆屋などに頼らず、一生懸命考えている。本国、隣国、友好国、有象無象の関係者各位に送りまくっている中で。
そしてあの姿が頭に浮かぶ度に具合が悪くなる。
主力軍が敵主力を牽制している間、大王と盟友に精鋭一〇〇〇を集めて迂回奇襲を試みていたあの時、草叢から獣が行軍に驚いて起き上がったと思い込んだ。一番先にその影を見たのはフローディス。奇襲成功確実だと鼻息荒く興奮していた大王の代わりに、せめて自分が周囲を警戒しなければと思っていたあの時。
最近、手紙を書く時には供になっている桶に嘔吐。医者の指導で喉が荒れるとか胃が悪くなるとかで白湯を飲んで再嘔吐。
戦乙女ではなく特別な狂戦士なのかと毎日疑うあの金エルフ、説得出来る相手だとは思っていない。力でも敵わない。ならば知恵で屈服させるしかない。
かつて負けた相手を屈服させ己のものにしようという貪欲さは征服者に必要な資質。大王がそうで、フローディスはそうされた。
多大な犠牲に見合うものを本国に持って帰らなければ、コルドンの代わりになるような、せめて先陣で勝利を呼び込む戦乙女の一人でも連れて行かなければ犠牲に対して割に合わない。
一番の策は? スカーリーフの教育係エリクディスの暗殺? しかし露見すれば敵対あるのみ。
一館丸ごと借り上げた宿で、フローディスが執務室に使っている部屋の扉が強く早く叩かれる。秘書官が、一大事です! と声を上げる。
「どうした、入れ」
「エバーガルのっ閣下から、これより、サルツァン奉納の儀式を執り行うとのことで、ご、ご出席なさいますか?」
「何を何の神に?」
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一行の泊る部屋に今度は手紙が二通。
一通目はエリクディスから。
”多忙で顔を出せんのはすまんと思っている。フェリコスから伝言を受け取った。この前はメルフラウが迷惑を掛けたようだ。彼女には定職を紹介するということで一先ず話の決着はついている。足場が安定すればおかしな事は言わなくなるだろう。
何か困ったことがあってワシに相談できないようであれば月光商会のヴァシライエ殿を――くだらんことはいかんぞ――頼るといい。商人だから対価は要求されるだろうが、理不尽は言わない方だ。逆も然り、相談されたら検討してみるのも良いだろう。上手く利用すると言うと言葉は悪いが、互いにその心算でいれば困難も幾分か容易くなるのではないかな。
最後に試練の迷宮を訪問する予定が次にあるから、その時お前達も旅支度をして同行しなさい。それから旅程のすり合わせが上手く出来なかった場合は……”
それから図形と文字を合わせた合流予備案の構文が続いて、最終的には海神本殿地上部のエリクディスの家に到達する。それからまだ生きていれば、との但し書きがついた上で頼れそうな友人知人の名前と住所の羅列。まるで大それた計画の一端であった。
二通目はヴァシライエから。封筒にも手紙にも、スカーリーフに必ず見せるか読み聞かせるようにと念押しの一文。手ずから読まないだろう、という前提。
”夜の辻にて、こちらが見つける”
良く知っている友人同士だろうとも気が引ける不穏な内容。サルツァンのルディナス曰く、あのお方は凡俗より超越されております、とのことで誘いに乗る。我が子のような英霊の言葉は信用足り得る。またエリクディスが相談に乗れなどと言及している。
スカーリーフ、武器を吊り下げて夜道をほっつき歩く。何となく人目の無いところへ行った方が良いかと思っていると、まるで別の世界へずれこんだように遠くからの喧騒も消え失せた。人通りが消え、猫やカラスさえもいなくなってから四頭立ての馬車が道路の交差点中央で停車。乗って来いと扉が開く。
「何か用?」
沈黙。御者は前を向いたまま、横から口を出す雰囲気も無い。
「帰る」
スカーリーフが振り返った先、あの地下大空洞にあった暗闇の壁。蹴りを入れても抵抗無し、膝も伸び切らない。
「何?」
「路上で密談なんて格好が付かないじゃないか。走る車内なら盗聴も難しい、尾行からも逃げられる。色々と都合が良いのだよ」
「知らない。何?」
馬車の方に向けば下車したヴァシライエ。昼間に着ると気取り過ぎな男装。銀の髪、白い顔、赤い目が夜陰に浮かんでいる。杖を突いているが体重が掛かっていない。
「馬車の中にお菓子があるよ」
「ホント何?」




