望叶局 ~あなたの望みを叶えます~
2カ月前、妻が死んだ。
季節は梅雨だった。
50年という長い年月を一緒に過ごしてきた生活は突然に終わりを告げた。
もうそこに今までの日常は無い。
老い先短い人生だ、どうせなら一緒に死んでやろうとも考えたが、妻はそれを望まない気がしてやめた。
息子達が一緒に住もうと言ってくれたが、ここを離れるのが嫌だったから断った。
息子の嫁が少しホッとしていたように見えたがどうでもいい。
妻はもう、いないのだから...
朝起きて水を飲む。そして、仏壇に「おはよう」という。返事はない。
そこから朝ご飯を作りテレビを見ながら食べる。食は進まない。テレビのせいだろうか?
とりあえず散歩に出てみる。「行ってくる」と言いながら家を出る。返事はない。
商店街を回り、公園を通って川に出る。少し眺めて帰路につく。
時刻は12時。夏だから既にすごく暑い。
家に入り「ただいま」という。返事はない。
エアコンの電源を入れ少し涼んでから昼食を作る。ラーメンだ。
鍋に水を入れ温める。沸騰したら麺を入れ、出来上がったら盛り付ける。
「あ、メンマ切れてたんじゃった。」
壁を見た。
自分以外いない空間で、自分の言葉が壁にぶつかり跳ね返ってくる。
出来上がったラーメンにコショウをかけて、テレビを見ながら食べる。
もちろんメンマは無い。明日買おう。
完食しスープを少し飲む。妻の作っていたものと同じはずだが何か違う気がする。
とりあえずメンマの無いせいにした。
外は35度を超えた。とても暑い。エアコンの部屋から出られない。
ぼーっとテレビを見る。
気付いたら夕方であった。17時を超えている。夕飯でも作ろうかと冷蔵庫を覗く。
卵とケチャップがあった。
「オムライスでも作ろうか?」
自問自答する。答えは返ってこない。
とりあえず作ってみた。失敗した。ケチャップは足りず、卵は焦げた。
味もあまりおいしいとは感じなかった。
妻のおいしいオムライスを知っているからであろう。でもまずくは無かった。
また少しテレビを見て、風呂に入る。ぼーっと天井を見ていた。
風呂をでて「上がったぞ」という。返事はない。
また少しテレビを見てから寝る。布団は自分で敷いた。腰が痛い。
布団に入り、横を見るが何もない。「おやすみなさい、あなた」の声も。
目を閉じる、気づくと眠っていた。
夜中、ハッとして起きた。まだ死神は妻の元へと運んでくれないらしい。
時刻は深夜2時だった。トイレに行き、再び寝床に付くが中々寝られない。
仕方なくテレビでもつける。面白い番組はやっていない。
通販番組ばっかりだ。
その中の一つを何となくで見ていた。
興味のないモノばかりだった。つまらない。
消そうかと思った瞬間、とある映像が目に入った。
「なんじゃこりゃ?」
疑問に思いながら読み上げる。
そこには『望叶局 あなたの望みを叶えます』と書いてあった。
怪しすぎる。
普段なら気にも留めない。
しかし、気が付いたら電話していた。久しぶりに自分の声以外を聞いた気がした。
「はい、こちら望叶局です。」
「あ、あのうテレビを見たのですが。」
「どういった望みをご希望ですか?」
「妻と話をしたいんじゃが...」
言ってしまった。
叶うはずのない願い。心の底に封印されていた気持ち。
もう一度、妻と話したい。
しかし、そんなことはできるはずもない。妻はもう、いないのだから。
バカを言った。
後悔と共に少し恥ずかしくなり、電話を切ろうとした、その時。
「かしこまりました。少々お待ちください。」
受話器からそう聞こえた。
何を言っているのか分からず思考が停止する。
妻と話せる?いやいやそんなはずはない。
ほんの少しの期待とそんなことはあり得ないといった感情が、入り混じる。
結論が出せないままに時間だけが過ぎていく。
もしかしてからかわれているのか?
一般的に考えれば出来るはずがない。相手はふざけているのだ。そうに違いない。
やっとのことで出した結論の前に、受話器から先程とは違う声が聞こえてきた。
「もしもし?あなた?」
その声は聞いたことのある声だった。
優しく、温かみのある声。
何十年と聞き続けた声。
聞くだけで心安らぐ声。
そして、わしの好きな声。
わしはその声の主を知っている。
「お、おお、お、おまえか?わしの妻の!?」
すっとんきょうな質問をしてしまった。
自分の妻に妻かと聞く人はいない。
それくらい混乱している。
焦るわしに対して、電話口の相手は優しく答えてくれた。
「はい、そうですよ。あなたの妻です。」
言葉は出ない。しかし、目頭は熱くなる。
2か月間ぶりの会話。2カ月ぶりの返事。
間抜けな質問をしたわしに対し、微笑むように答える姿が想像できる。
まぎれもない。
妻だ。
「おまえと話したかった。もっと、もっと会話をしたいと思っていた。」
「ええ、私もあなたともっと話したいと思っていました。」
そこからわしは、話しまくった。
2か月間の寂しさを埋めるように。
妻が死んでからもっと話しておくべきだったと後悔したを晴らすように。
時も忘れて話した。
わしの話に「うんうん」といいながら聞いてくれる。
こんなにも長い会話、久しぶりだった。
そして、ある程度の時間がたった頃。
「あなた、そろそろ時間みたい。」
「え、時間?」
「ええ、時間。もう終わりみたい。」
妻の急な発言に頭が真っ白になる。
そろそろ時間?もうもう終わり?
「ちょ、ちょっと待ってくれ!わしは、まだ話たい事がたくさん...たくさんあるんだ。」
叫ぶように出した声が段々と薄れていく。
分かってはいた。頭のどこかでは考えていた。
始まりがあれば終わりがある。
しかし、この空間を終わらせたくなかった。
また独りに...戻りたくなかった。
わしには妻が必要だ。
そんなわしの心を透かすように妻は話す。
「わかっていますとも、私もあなたとまだまだ話したいですよ。」
「だったら!」
「でも時間です。1度に多くの時間は使えないんです。」
「いったいどういう?」
「大丈夫。また話せますよ。」
そう言うと妻の声は途絶えてしまった。
また話せますよ。これはつまり...
頭の中に疑問が浮かぶ。
整理しきれない頭の中で、妻の言った言葉を解釈しようとしていると再び電話口から声が聞こえた。
「望叶局です。あなたの望みは叶いましたか?よろしければ、またのご利用をお待ちしております。」
ツーツーツー
それだけ言うと電話は切れた。
疑問は残るが、久しぶりに気持ちが高揚している。
なんだかスッキリした気持ちだ。
テレビの方を見る。
『望叶局 あなたの望みを叶えます』か...
妻よ。なんだかおまえとまた話せるような気がするよ。
もう明け方に近い。さすがに眠いし寝よう。
「またな、おやすみ。」