75:王子と最後の舞踏
「ダーム殿、大丈夫なのですか?」
心配するメンヒに「あたしにしかできないお仕事だから」と笑いかけて、ダームはプリンツ元王子の方へ向き直った。
よく見れば、彼はすっかりかつての優美さなど失っている。今は野良犬のように目を光らせ、今にも吠えかかってきそうな勢いだ。
この哀れな野獣を、この手で終わらせなければならない。
彼女はローブの裾を持ち、軽く頭を下げる。そして可愛く小首を傾げて見せた。
「王子様、最後の舞踏願えるかな?」
王城の舞踏会、夜も更けてあと一曲という時のように言ってみる。
王子と踊ったことは今まで数度あった。だから今この瞬間、最後――いや、最期の舞踏をしよう。
王子は「そうだな」と頷いた。
両者は手を取る代わりに、それぞれ己の中で魔力を走らせる。
公爵令嬢と王子、かつては婚約者だった二人の鮮やかなダンスが幕を開けた。
* * * * * * * * * * * * * * *
「私が魔王様からお譲り頂いた力を受けてみろ!」
プリンツの手から、無数の黒い球が飛び出す。
あれは魔法とは違うとダームは直感した。化け物の力だ。
「『アイスΓ 氷壁』!」
叫び氷の壁を展開する。
勢いは弱まったものの貫通してくる闇の球を避け、今度はダームが攻撃を放った。
「『ファイアーβ』っ」
炎がプリンツを襲い、彼は避けきれずに足を焼かれた。「あちちっ」と悲鳴を上げる姿がなんとも滑稽。
しかし油断してもいられない。
「許さんっ。君だけは、君だけは殺してやる。絶対にだ!」
「あたしの方こそ」
互いに殺意を込めて睨み合い、相手に隙あらば死を与えようとする。
戦いは次第に激しさを増していった。しかしそれに対して、ダームの心は落ち着いている。
「ねえ王子様、覚えてる? 初めて出会った日のこと」
目の前で火花が散るような戦闘が起きているのに、魔法使いの少女はまるでベッドの上で話をするかのように喋り出した。
「なんだ今さら。これでも食らって砕けろ」
また黒い球が飛んできた。それを寸手でかわし、なおも話し続ける。
「十三歳のあの日、あなたと初めて踊った時。あたしね、あなたを運命の人だってそう思ったの。そしてそれは、間違ってなかったんだなって思うよ。『ウインドΓ』」
身を切るような強風を巻き起こす。王子の白髪がちぎれ飛んだ。
「何を。君と私は最初から運命などでは結ばれていない。悍ましいことを言うな」
「ううん、考えてもみてよ。婚約破棄されてなお顔を合わせて、こうやって喋ってる。これが運命じゃなくて何? 悍ましいのは同意だけどね」
もうできれば顔すら見たくないが、これが定めなのだろうとダームは思う。
この手で王子と決着をつける。王城の時は手ぬるかったのだ、もっと激しく、死の踊りを捧げよう。
途中、プリンツが魔王に助けを求めた。しかし魔王はクリーガァに完全に足止めされているので加われない。
このダンスを誰にも邪魔されないのは、ダームにとっては幸いなことだった。
「君の、貴様の顔を見るだけで吐き気がする。大人しく冥界へ赴け」
「嫌だね」ダームは次々と迫り来る黒い塊を魔法で撃ち落とした。
ダームには好きな人がいる。愛している人がいる。
だからこんなところでは死んでやれないのだ。
そろそろフィナーレといこう。
「王子様、あたしね、実は感謝してるの。あなたに追放されなかったらあたし、勇者様にも僧侶くんにも戦士さんにも、それに他の多くの人たちとも会えなかった。だから、」
そう言いながら彼女は、手の中で強大な魔力を紡ぎ始めた。
これほど大きい魔法を放つのは初めてだ。火と氷と風、それを全て練り合わせて作り上げていく。
「――ありがとう」
直後、『氷炎の風』が吹き荒れた。




