59:惚れた男は殺れない
完全なる形ではないとはいえ、勇者様は本当に強い。強すぎる。
氷の壁を作り、かと思えば逃げ惑いながら、ダームはそう思った。
足がふらついて思い切り転んでしまった。すぐ後に襲い掛かる彼を、ひとまずは炎を撒いて対処。火に炙られながら突破しようとしてくるので氷壁を作り、なんとかまた立ち上がって走る。
彼女の体力はもう限界だった。足を踏み込む度に頭に痛みが走り、目の前がくらくらする。
本当なら意識を失っていてもおかしくない状態だった。
でも倒れていてはいけない。ここで倒れては負けてしまう。その気持ちだけが、今のダームを突き動かしているのだ。
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カレジャスと揉み合いになったクリーガァだが、暴れ馬のごとく暴走するカレジャスの力に負けて吹っ飛ばされ、逃げられてしまった。
それからはまたも追いかけっことなり、今、ダームが疾走中というわけだ。
なぜかカレジャスはダームばかり追ってくる。
女だからなのか、彼が助けを求めているのか、それはわからない。
でも走るのさえ辛いこの体では、どうやっても勝ち目はなかった。魔力残量がどれくらいあるのかはわからないが、Ω級魔法とΓ級魔法をたくさん使った反動は大きい。
「勇者様、もうやめて……!」
本当なら気絶する覚悟でΩ級魔法を放ち、燃やし尽くしてしまいたい。
しかし敵はカレジャスなのだ。惚れた男を殺せるはずがなかった。
クリーガァは今メンヒの治療を受けている。吹っ飛ばされた時に右肩を脱臼してしまったらしい。
一人で戦うしかない。でも相手を殺せない状況で、どうやって呪いの剣を奪えばいい?
エペの方へ目をやった。しかし当然ながら彼女が助けてくれるわけはないのだ。
思考が焼ける。何か手立ては。何か何か何か何か何か何か何か――。
その時だった。
「あぐぁっ」
頭が割れそうなほどの激痛に襲われ、なすすべなく倒れ込んだ。
金髪が地面に広がり、顔面がちくちくした草に埋まる。
「立たなきゃ」
が、足に力が入らなかった。
必死に腕で身を起こそうとするもそれも叶わず、完全に全身から力が抜け切ってしまっている。
慌てて背後を振り返ると、すぐそこにカレジャスの姿が迫っていた。
逃げなくては。そう思うのに体が言うことを聞いてくれない。そのままカレジャスが涎を垂らしながら、ダームの上に覆い被さってきた。
「あっ、ぐぅ」
重たい。
倒れ伏す少女の背に縋る勇者が、狂気に染まった目で彼女を見た。
もはや彼は飢えた獣だ。剣を片手に構え、その剣先がダームの喉を向く。
殺される。殺される殺される殺される殺される殺される。
恐怖に固まり、彼女は身じろぎ一つできない。このまま殺られてしまう運命なのか――。
「ひぃぃっ」
悲鳴と同時に剣が突き立てられる……その寸前、声がした。
「――そこまでです」
それが聞こえたと同時に、ダームの意識は暗転した。




