02:追放された少女
きっと王子は、ダームに飽きてしまったのだろう。
ダームは容姿には自信があったが、王子はいつもあまり振り向いてくれなかったから。
ダーム自身はそのことを大して気にしていなかった。第一婚約があったし、それにダームの方はプリンツを悪く思っていなかったからだ。
が、裏切られた。
きっと下男には金でも払っていたのであろうし、他の従者たちにも根回ししていたはずである。
そうして外堀を埋め、何も知らないダームに婚約破棄宣言をした。
「そんなに嫌なんだったら、普通に言ってくれればいいのに。……王子様」
ダームは一度公爵邸へ立ち寄ったが、衛兵たちが話をすると、屋敷の一同から白い目で見られた。
父や母にまで、「そんな娘だったなんて……。信じられない」と言われたのが悲しい。
そしてまもなく屋敷を追い出され、衛兵に連れられて小さな馬車に押し込められる。
貴族が乗るような豪華なものではなく、荷物運びに使われる窮屈な馬車。
揺れが激しい中なんとか耐え、馬車は進む。そして丸一日ほど経って出されたのは、広大な森林地帯だった。
「わぷっ」
馬車のドアから転げ落ち、地面に四肢を広げて倒れ込む。下草がちくちくした。
「ここが国境だ。国境付近には多くの衛兵がおる。故に、国へ戻ることはできぬ。そうそうに国境付近から立ち去れ。さもないと」
そう言って衛兵は、ダームに鋭い剣を見せつけた。
いくら脅しでも、それで刺されてはたまらない。
彼女は身を起こし、慌ててその場を走り去るのだった。
* * * * * * * * * * * * * * *
「どうしようどうしようどうしようどうしよう」
ここは慣れ親しんだ王国ではなく、その隣国のいずれか。
そしてダームは一人ぼっち。誰も味方はいなく、この広い広い森の中をあてもなく彷徨うしかできない。
どこか町に出られないかと思ったが、いけどもいけども緑の樹木が難み、一向に人の気配は感じられなかった。
「王子様……」
頭の中に、王子の姿を思い浮かべる。
昨日まで好ましく思っていたその姿が、ダームの中でどす黒く塗り潰されていった。
――許さない。
だがしかし、今は恨み言を言って何になるのだろう。
歩き疲れ、空腹が限界を迎えていた。もう一歩も進めない。
「誰か、誰かいないの?」
叫ぶが、ダームの声は森に虚しく響き渡るだけ。
「誰か、お腹空いた。助けてよ」
寂しい。これほどの虚無感を抱えるのは初めてだ。
怒りと、やるせなさと、憎しみと、空腹と。
そんな色々なものがないまぜになって、ダームの焦茶色の瞳からポロポロと涙が溢れ出した。
泣くのなんてみっともない。そう思ったが、もう泣かずにはおれなかったのだ。
「なんでっ。あたしは、悪くない、のに。ひどいっ、ひどいよひどいよひどいよ……。死にたく、ないよ」
幸せな生活が全て、あの彼の一言で掻き消えてしまった。公爵令嬢の肩書きも奪われた。
当たり前のようだった日々が、今や懐かしい。
ツインテールの長い金髪を振り乱し、ダームは泣きじゃくる。
もう自分はこのまま野垂れ死ぬしかないのだろうか。
そんなことを考えていた――その時。
「シャーッ」
背後から、嫌な気配を感じた。
パッと振り向いたダームは、涙で潤む視界の向こうにあるそれを見て、驚愕する。
漆黒の鱗を纏い、体をくねらせる巨大な大蛇が牙を光らせていたのである。
その姿は言葉では言い表せないほど悍ましいかった。
「きゃっ」
叫び、ダームは慌てて逃げようとする。が、恐怖に硬直してしまい動けない。
この森には害獣がいたのか。だからこそ、ダームをここへ置き去りにしたのだろうとすぐに納得がいった。
大蛇が赤いべろをチラチラさせながら、どんどん距離を詰めてくる。
絶体絶命。そう思われた時だった。
……何もかも失った哀れな少女に、天から救いの手が差し伸べられたのは。
「何か聞こえると思ってきてみりゃ、女と旨そうな蛇が一匹。……面白えな」
そう笑う、青年が立っていた。