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数十分後、早渡にある命が下るのと、一人の青年が現場に到着したのはほぼ同時だった。
「うちの帝王院が! すいません!!」
長身の青年は、巻刑事の前に来るなり平身低頭した。持ち上げた顔を見て「これは幸が薄そうだ」と巻刑事が思うぐらいには、なんとも冴えない雰囲気の男。細面で、眉尻は気弱な八の字に下がっている。終始落ち着かなさそうにキョロキョロとしており、とてもじゃないが名探偵と呼ばれる貫禄では無かった。
「名探偵さん、お仕事だぜ!」ところが帝王院はというと、そんな彼の気苦労などどこ吹く風である。
「この僕が仕事を取ってきてやったんだ! ありがたく思い丁重に解決するといい!」
「どうも姿が見えないと思ったら、また余計なことに首を突っ込んでたのか……」
「余計だなんてとんでもない。僕は刑事さん達を助けてあげてたんだよ。さあ初仕事だ、張り切っていこうぜ!」
「え、なんて? 初仕事?」
思いも寄らぬ言葉に驚く巻刑事だったが、上司との電話から戻ってきた早渡に配慮し口をつぐむ。早渡は苦虫を噛み潰したような顔をして、ガリガリと頭をかいた。
「困ったもんだ。アイツら本当に上層部を黙らせてきたぞ」
「え、じゃあ……」
「上から直接指示が出たよ。まず自殺で間違いないだろうから、即刻引き上げてあとは別の警察に任せろだとさ」
「うわあ、マジっすか」
「マジマジ。もっとも、ざっと遺体を見たところで首以外に外傷は無い。首を吊って死んだことには間違いないだろう。事件に巻き込まれた可能性は少ない以上、俺らも粘れないな」
「でも、なんかあの夫婦怪しくないっすか?」
「思ったとしても、絶対口には出すなよ。どんなに怪しかろうが、あの人達は事実として娘を亡くしてるんだ。巻の今の態度じゃ、後で思い違いだったと知れば後悔する。配慮を忘れるんじゃない」
「わ、わかりました」
「さて……あなたが、帝王院さんの仰っていた探偵ですね」
早渡の凛とした目が、貧相な男に向けられる。寒咲はビクッと身を震わせた。
「夜分のご協力感謝します。聞きましたが、なんでも名探偵だそうで」
「え? ……あ、はい。開業したばかりで恐縮ですが」
「開業したばかり?」
「はい。あの、こちら名刺です」
丁寧に差し出された小さな用紙を受け取る。そこには、『寒咲名探偵事務所 所長 寒咲名』とスッキリとした明朝体で書かれてあった。
「……」
その名前を見て。
早渡刑事は、とても嫌な予感がした。
「……あなたは、寒咲名という名前なのですか?」
「はい。寒咲が苗字、名が名前です。ややこしいでしょう」
「……そう……ですね……」
「お陰でこれまで何度も面倒を被ってきました。女性だと思われるならまだしも、妙な勘違いをされたり……」
ここで、はたと寒咲は早渡刑事の顔色に気づく。それから、自分の渡した名刺と刑事の顔を交互に見比べ……。
「もしかして、あなたもですか」
「……」
「スバルー! だからあれほど俺を紹介する時は、名前のイントネーションに気をつけろと!!」
「気をつけた。その上で名探偵って言った」
「じゃあ確信犯か! もっと悪いな!」
どうやら決定的な行き違い(恐らく恣意的)があったらしい。素晴らしい事件解決能力を持った名探偵と、かたや名前が“名”というだけの探偵。頭を抱える早渡刑事を前に、寒咲はオロオロとした。
「ど、どうもすみません、うちの帝王院が。なんとお詫びすればいいか……」
「いや……お気になさらず……」
「どっちでも一緒だろう? メイが片付ければ済む話なんだし」
「黙っててくれ、スバル。……あ、すいません。帝王院スバルは弊事務所の社員なんです。なんでも今回発見者だったそうで……うちとしては全面的に協力させていただく所存です」
「いえ、もう帰っていただいて結構ですよ。先ほど自殺として決着させろとのお達しがあったので」
「……決着させろ? どういう意味です?」
早渡刑事は、少し遠くでこちらの様子を窺っている中年夫婦の姿を顧みた。そして口に手を当て、小声でここまでの状況を端的に説明する。
「……そうですか。娘さんの検視を免れるため、ご両親が刑事さんの上司まで説得されたと」
事情を知った寒咲は、眉間に皺を寄せて腕組みをした。前髪の長い陰気な顔に、より深い影が落ちる。
「普通に考えれば違和感がありますよね。なのに不当なやり口で見逃さざるを得ないとは……ご苦労様です」
「まあ不本意ではありますが、これも仕事のうちですよ。わざわざ御足労いただいたことを、お詫び申し上げます」
「いえいえ、こちらこそ帝王院がお騒がせしまして……」
「おい、何終わろうとしてるんだよ! だからメイがスパーッとあの夫婦の犯罪を証明すりゃ、一発解決だろうが!」
「スバル、声が大きい!」
嗜めておいて、寒咲は隣に立つ小柄な青年を見下ろした。臆病そうな彼だが、流石に部下相手なら多少は態度も大きくなるらしい。
「そもそも、どうして君はご両親を怪しいなんて言うんだ? 何か根拠でもあるのか?」
「あるとも! 首を吊った娘を下ろそうとする二人を目撃した時、僕は彼らに普通じゃない動揺を感じたんだ!」
「普通じゃない動揺……?」
「またそれですか。だから娘が自殺して動揺しない人はいないんですって」
やれやれと首を振る巻刑事だが、意外にも寒咲は真面目な顔で考え込んでいた。
「……じゃあ、スバルがこの高校に侵入した理由は?」
「散歩してて気になったから」
「気になった……とは、何? 声が聞こえたとか?」
「いや、見た目だな」
スバルは桜の向こうを指差した。そこにあったのは、ツツジの植え込み。
「うまく言えないけど、あの辺が変だと思ったんだ。連れて行ってやるから見てみるといい」
「えええ、俺らもう帰っていいって言われてるんだけど……」
「お前だって少しは気になってんだろ? それに寒咲名探偵事務所の初仕事だ。錦を飾るぞ!」
「どこに? 玄関?」
「あ、ちょっと!」
巻刑事の制止を完全無視し、帝王院は寒咲を植え込みに引っ張っていく。連れてこられては仕方なくて、寒咲も八の字眉を更に情けなくしながら、長身を折り曲げてツツジを観察し始めた。
「……あれ」
それから、ふと不思議そうな声を上げた。
「確かに、これは少し妙だな」
「妙とは?」
「うわ、刑事さんも来てたんですか。あ、あちらのご夫婦は放置でいいんです?」
「今彼らは手配した医師の到着を待っていますからね。一応は部下に見張らせていますし、問題ありません」
「はあ……」
「それより、何か見つけたのですか?」
「ええと……こ、ここです」寒咲は、丸く刈られたツツジの一部を指差した。
「植樹されたツツジですが、荒らされた形跡があるんです。まるで足を引っ掛けていったみたいな……」
「はて、誰かが通ったのでしょうか」
「だと思います。ちぎれた葉の断面を見るに、ほんの少し前の出来事のようですね」
「不良学生の仕業では? フェンスも壊れてて、出入りできるみたいですし」
「不良学生って深夜学校に来るもんなんでしょうか?」
「……うーん」
「お、フェンスの向こうには車も停まっているぞ! いい車だ。高いやつだ」
「スバル!」
一喝しておいて、次に寒咲は磯端夫妻に目をやった。……否、彼らのそばに立つ桜の木に。
「……ん?」
近くまで行って、落ちた太い枝の前でしゃがみ込む。太さは、大体直径十五センチぐらいか。磯端夫婦の怪訝な視線には気付かぬふりをし、寒咲は帝王院を手招きした。
「スバル、これは?」
「あー、それ? 死んだ女の子がぶら下がってた枝だな。ご両親が下ろそうとした弾みで折れたんだ」
「にしては、えらく細くないか?」
「桜の枝なんてこんなもんだろう。むしろ桜にしては頑張ったほうだぜ」
「違う。首を吊るにしては、だ」
背後で息を飲む声があった。それでてっきり寒咲は、自分の発言に磯端夫婦のどちらかが反応したのかと思ったのだが。
夜風に、長めのスカートが揺れている。夫婦は、街頭に照らされるセーラー服姿の少女を見ていた。
「……あの……何が、あったの……?」
長髪の少女が、戸惑った様子で寒咲らの前に立っていた。