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二人の天下人ー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第十章・西播怪談実記草稿二【天文二十二年(1553年)~】
98/265

12・西播怪談実記草稿二1-1

 

 ―1―



 十月、播磨国置塩、赤松晴政の屋敷。

 

 屋敷の主は一人で虚空を臨む。


 なにごとにも表があれば裏がある。


 こと、天文二十二年は西国において重要な意味を持つ年となった。

 先の九月三日の播磨国菅生表の戦いから九月十日頃に起こった但馬国田路谷の戦いまで、播磨と但馬に区切ればただの地方豪族同士の殴り合いに映る。


 だが、視野を西日本全域に広げてみると、歴史的には大きな分岐点だったことが分かる。


 今回の播磨国境の闘争において、裏で糸を引いていたのは西の雄・毛利元就。

 赤松総領家は彼の共謀者となる。


 年初め、宇野氏は親赤松派の重臣を殺害して尼子氏への恭順の意思を示すことから始まり、三月に宇野一族の中から裏切り者が出たために、彼らが再度尼子氏へのご機嫌伺いをせねばならなくなったことを毛利氏と赤松総領家は利用している。


「……これも、正澄の功績よ」


 実際、高島正澄はもう少し評価されても良い。赤松家臣団の一人に数えられているが、彼の功績はほとんど正史に残されていない。


 しかし、毛利氏と赤松総領家は彼の情報を基として暗躍を始めた。


 当時の毛利家は周防長門の大内氏に従属しており、まだ国人衆の域を出ていない。


 大寧寺の変以降、大内家はしばらく当主を欠いていたため、大内家重臣・陶晴賢は天文二十一年に豊前大友氏より大友晴英(おおともはるひで)猶子(ゆうし)(他家の人間を自家の子とする契約関係。養子縁組とは異なる)として招き入れた。


 晴賢は晴英に大内姓を名乗らせ、時の将軍からの偏諱を受けさせた上で、歴代大内氏の称号である左京大夫を叙任させた。つまり新たな大内家当主の大内義長(おおうちよしなが)として傀儡の主君に仕立て上げた形になる。


 その実、実権は陶氏ら旧大内家の武断派が握り続ける。


 陶晴賢率いる新生大内家は、周防、長門、豊前、安芸、石見の五国に広く影響力を持ち、数万の兵士を動かせるのに対して、毛利家は安芸を中心に総勢四千少々。


 そんな圧倒的な軍事力を誇る陶氏とて、毛利家前当主、毛利元就個人を無視する事は出来ない。天文十八年に元就の次男吉川元春と義兄弟の契りを結び毛利氏支流の取り込み、強大な軍隊を背景に毛利本家を威圧することで毛利と陶の従属関係は比較的安定するかにも思われた。


 それが、天文二十二年の春、備後西部の要衝四城(甲山、(ほうり)(高杉)、寄国(よろくに)旗返(はたがえし))が尼子方に寝返った事を受け、出雲から毛利氏居城の吉田郡山までの道が開け、急遽毛利氏は尼子氏との衝突が回避不可避な状態に陥った。


 出雲尼子氏は八ヵ国を治める大大名。


 毛利からすれば、降り掛かった火の粉どころか喉元まで迫った刃の様なもの。


 毛利氏は少ない勝機を確実なものとするために、自らは山口の大内氏に援軍を仰ぐ傍ら、周辺各国の大名とも同盟を結ぶ道を模索し始めた。


 備後に先んじて陣を張った毛利軍は、同年五月二十日の比婆郡口和泉山城(広島県庄原市口和町)近く、荻瀬橋の合戦において、遅れて到着した尼子軍主力との会戦のさなか、尼子方の勇将・米原左馬允を討ち取る事に成功し、武勇名高い新宮党の追撃も独力で凌いでいる。


 その後は参戦してきた大内氏の援軍と合流、備後西部各地を転戦し続けた。


 まさに遠交近攻。毛利氏の勝つための外交は遠く但馬まで及び、同五月二十四日には但馬山名氏に背後から尼子氏に襲い掛けさせる確約を得る。


 赤松総領家はそこに一枚嚙んでいた。


 

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