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ふたりの天下人ー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第九章・西播怪談実記草稿一【天文二十二年九月十日頃(1553年10月17日頃)~】
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11・西播怪談実記草稿(三方西荘の戦い)4-1


 ―4―



 天文二十二年、播州・但州国境。


 初日、戦況は播磨勢の優勢から始まった。


 よもや満身創痍と思い込んでいた播磨勢から先に仕掛けてくるなど思いもよらず、ゆるゆると田路城から降伏の使者を待っていた山名軍・太田垣隊は散々に蹴散らされ、()()うの(てい)で、後方の新居の本陣まで下がらざるを得なかった。


 しかしながら、播磨勢にも誤算があった。


「……予想より山名兵の数が少ない。奴らめ、完全に舐めておったな」


 少数の先陣に損害を出させたところで、本隊を叩かねば脅威は去らぬ。

 田路城周辺、再集結を果たした播磨勢は後続部隊に防衛を任せ、朝駆けに参加した部隊に順次、食事と休憩を取らせていく。

 

 玄米、味噌、塩、梅干し、あれば酒粕のかけらなども口に含む。


 高熱量、疲労回復、塩分摂取に特化した戦闘糧食。

 物見が戻るまでの間、食事を取り終わった者からごろりごろりと敷き(わら)の上に横になり束の間の睡眠時間に当てる。播州勢の誰もが、気づかぬうちに全身に無数の擦り傷が付いていた。


「泥はかならず洗い流せ。深い刀傷のある者は縫うか焼け」

「干したての布は充分ある。それも使え」


 まだこの時代、軍医の概念に乏しい。彼たの医療は過去の経験則に基づいた結果が総てであり、怪しげな民間医療、神仏の加護を願う加持祈祷までを全てひっくるめて治療行為となる。その為、当時使用されていた医学書の中には、切り傷、擦り傷、刀傷に弓傷を癒す術だけでなく、毒蛇、青蛙に噛まれた時の(すべ)などが記載されていたりする。


 多少眉唾であろうと、医療の心得のある人間の存在は、播州兵らの心も癒す。


 昼過ぎ、播州勢の防衛網に山名軍の斥候が引っかかった事から多少の戦闘が起こったが、これは直ぐに包囲殲滅され、数名の捕虜が生きたまま捕えられた。


 尋問は迅速に行われ、捕虜から集めた情報と物見が収集した見聞を統合すると、山名軍の本陣は新居(兵庫県朝来市新井)に置かれ、軍勢の規模はおおよそ今朝争った先陣の倍程度となっていることが窺い知れた。さらに捕虜の一人からは、新居の本陣にまだ山名軍主力が到着しておらず、最終的には今の四倍以上の大軍となるとの話もあり、播磨国人衆の間に少なからず動揺が広がった。


「嘘を申せ。備後方面に山名の諸将は出払っておる。何処にそんな兵がおるか」


 捕虜の言葉に虚偽は無い。しかし嘘と断じねば士気に関わる。

 播磨勢の厳しい責めに捕虜達は呪いの言葉を吐き続け、やがて沈黙すると利用価値が無いと判断され、その首は落とされた。


「……今は倍か」

「退きますか。それともこの地で戦われますか」


 どの程度の規模まで山名軍を足止めできるか。後方の三方東荘まで退けば、三方、草置、高取の三城を拠点に連携攻撃が可能となるが、言い換えればそれ以上後退できない絶対防衛線でもある。


 播磨勢からすれば、背後の笠杉山の高地を抑え、山名軍に遮蔽物のない川沿いを通過させることが可能な田路の地の利は戦略的に魅力があった。


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