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二人の天下人ー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第九章・西播怪談実記草稿一【天文二十二年九月十日頃(1553年10月17日頃)~】
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11・西播怪談実記草稿(三方西荘の戦い)2-1


 ―2―



 同日。


 宍粟郡北部三方西荘、安積氏の館。安積構。


 荘内には安積瑞泉寺山城と呼ばれる比較的大きな城郭を他に存在していたが、天文年間に安積氏十代目・安積左近将監盛昌が築き上げたこの構内にある屋敷が普段の政務の際には利用されていた。


 この日、彼らがこの場所に集まったのには理由がある。


「七条殿のご子息ですか。大きくなられた」


 七条政範を迎え入れたのは、屋敷の主人・安積盛昌本人だったが安積氏は今日の軍議の長ではない。


「安積様。出迎えご苦労様です。若も、早く中へ」


 福原定尚に促されて中に入ると、屋敷の中は、宍粟郡内の播磨国人衆が顔を並べていた。


 三方東荘・田路(とうじ)氏。

 三方西荘・安積氏。

 波賀荘・中村氏。

 千草・大河原氏。

 

 そして、七条家の次、最後に屋敷に入ってきたのが宍粟郡の最大勢力、宇野氏の長、宇野政頼。

 

「……どの面を下げて、のうのうと」

「定尚、今は抑えろ」


 政範が咎めたことで、一瞬場に殺気が漏れ出したがすぐに静寂が訪れた。


 宇野政頼は七条政範に向けてわずかに会釈だけ済ませるを、すっと屋敷の奥へ入り込む。憎むべき怨敵が傍に居ながら、七条と宇野は視線を交わさず互いに刀が届く距離に留まっていた。


「さて、軍議を始めるか」


 宇野政頼の言葉で会議が開かれると、田路氏が口を開く。


「但馬国の見張りより伝令があり、既に但馬国人衆の軍勢が朝来郡南部に集結しつつあります」


 今、播磨国を揺るがせているのは、天日槍の軍勢ではない。


 但馬山名氏。但馬国八郡の盟主が赤松一党の混乱に乗じ、播磨国を掠め盗ろうと軍を動かした。


 長享二(1488)年の夏、山名氏は英賀坂本の戦いで赤松再興軍に敗北して以降、播磨国における支配域を完全に喪失しており、播磨国支配の野望は彼らの悲願ともいえる。

 

 山名家は、山名四天王の垣谷(かきや)氏を筆頭に、朝来郡生野の太田垣氏、養父郡八鹿の八木氏、城崎郡田結庄の田結庄(たいのしょう)氏の四つの血族がそれぞれ山名家当主山名祐豊と合力し、各々の思惑で但馬国の分割統治を行なっている。


「……此度(こたび)の出兵は、太田垣の軍勢が中心。旗印から垣谷氏の軍勢も少数見受けられるとの事ですが敵勢の数は数百には上るかと」


 天文年間の出雲尼子氏の台頭は、山名氏の領国支配にも確実に影響を及ぼしている。昨年になって、それまで山名氏が担ってきた因幡、伯耆、備後、但馬の四つの守護職のうち、三つまでを尼子氏に奪い取られ、彼らも彼らとて自家の凋落を身を以て知っていた。


 残る但馬国一つだけで西の大国には勝てない。


 そこで彼らは南の播磨国に目を付けた。


 先の九月三日、置塩の本拠地近くまで領国内の親尼子派閥に攻められながら、侵略者を撃退するだけの力もなく、指を咥えて眺めていただけの弱腰の守護大名が居たと聞く。今年春の尼子軍主力による被害もあるだろう、そして置塩城西の支城の守将も討ち死にしたと物見から報告が入れば今攻めずして、いつ攻めるか。

 

 千載一遇。播磨簒奪の好機来たれり。


 時節を伺っていた山名軍は、菅生表における赤松総領家の醜態を見て播磨侵攻を決意した。


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