幕間4
―幕間4―
老人が少し大きく伸びをしたところで、彼の語りはひと段落となる。
「……結局、政範さんのお兄さんは割りと早くに亡くなってしまうんですね」
「おう、そうだとも」
古い姫路市北部の地図を何処からか取りだし、古紙独特のつんとした匂いが鼻についた。相変わらず酔っているのか酔っていないのか分からない老人は、特に足取りに変化もなく、湯呑にお冷を入れ直している。
「一応、鞍掛山の城の位置と、置塩城の位置を確認して欲しくてな」
「……本当に、本拠地のすぐそばで戦闘が起こったんですね」
「ああ。そして、七条家としては嫡男を失い、今後の総領家との付き合いを考えると城代を入れるしかない」
次いで、老人が見せてくれたのは佐用氏の家系図。
佐用氏の長・佐用則答には養子に政範の父・政元を迎えた他に複数の子がいたことが分かる。
長男、正澄(高嶋氏の名跡)。
次男、正義(早瀬氏の名跡)。
三男、義祐(横山氏の名跡)。
四男、秀仁(書写山妙覚院住持、円教寺百十一世長吏、治山二十六年)。
長女、宍粟郡塩田城主・小寺隆家室。
次女、赤松義村の子・政元の正室。
三女、宍粟郡都多城主・宇野光頼室。
「……なんか、同じような名前が多くて頭に入るような入らないような」
「そうだろう、そうだろう」
老人はからからと笑っているが、実際、赤松家の家系図が複数存在する大きな理由のひとつが似た名前の多さによるもの。当時は改名も複数回行われていた時代ということもあり、類似した名前による混同が後世の歴史学達を悩ませている。
例えば、この物語と同時期、七条政範の周辺には、正澄という名前の人物だけで少なくとも3人存在していたことが知られている。
一人目は、赤松義村の子、高島正澄。
二人目が、上記の佐用則答の子、高嶋正澄。
最後のひとりが、戦死した兄の息子・赤松正澄。
家系図的に、七条政範は同じような名前の父方の叔父と母方の叔父、それと甥っ子を持っている。私は高校時代、世界史のリチャードやルイやなんたらバッハやらで、類似した名前が覚えられないと嘆いていた同級生のことを思い出した。
「ははは……、まあまあ、分からなくなったらいつでも聞いてくれ」
青年は、俺も最初は混乱したからなあ、と小さくつぶやいた。
「さて、話を戻そう。どこまで話したかな?」
「……ええっと、政範の兄が戦死したところまでです」
「そうそう、そうだった。兄の戦死の後、七条家から鞍掛山の城に入ったのは、政範の父・七条政元だったそうだ」
順当な判断。
七条政範は当時十六。弟の七条政直はまだ十三。
母方の叔父である佐用則答の子供達は、戦乱絶えない播磨国内で、戦死したり病没した有力国人衆の後継ぎとしての役目を果たしている。
血の繋がりよる信頼感、武将としてもベテラン、厄介な隣人に臨機応変に対応できるとなれば、晴政も政元以外に適役がなかっただろう。
「自分の息子の代わりに城代に入った政元も、周辺の警戒や戦後処理に追われて、この年の終わりくらいまではあまり出番は無くなるな」
「さて、次は父親と離れた政範が二つの出会いを果たす場面になる。少しまた長くなるが、ひとつよろしく頼む」
――――チィン。
青年が鍔を鳴らし、深夜の昔語りは続く。




