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ふたりの天下人ー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第八章・播州鬼騒動六【天文二十二年八月十二日(1553年9月19日)~】
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10・播州鬼騒動六3-1(菅生表の戦い)


―3―



 同9月3日(1553年10月10日)、鞍掛山主郭部。


 夕刻近く、弱りいく秋の日差しの中、北の方角から物々しい男達の叫び声が風に乗って轟き聞こえた。


 冷たい北からの風が吹き始めている。


 七条正満は僅かに残る夏の名残を背中で感じつつ、昼過ぎから始まった北東の置塩城方面での抗争を静かに見守っていた。


 赤松家と領地を接する恒屋氏との確執は播磨国内外の周知の事実。恒屋氏とは一触即発の状態が続いていたため、城内の誰もが驚いた様子を見せなかった。鞍掛山の守備隊は(かね)てより備えていた戦支度を整え、各部署に警戒を怠らないようを指令を飛ばす。


 昼間、忌々しいほどに感じられた秋晴れの清々しさは鳴りを潜めている。


 山頂の櫓からならば、東の置塩城下や西の菅生集落のそこかしこで束ねたばかりのイナグロが見渡せただろう。


 さらに西、菅生を越えた領境・空木城(うとろぎじょう)の守備兵らも(やぐら)に見張りを立たせ、事態の動向を探っている。空木城は鞍掛山の西に広がる菅生集落から伊勢山に向かう大堤峠途上にある小さな山城だが見晴らしが良く、高所からは麓の林田集落を越え、遠く城山(きのやま)の廃城群までが見通せた。


 かつての本拠地・城山(きのやま)城は、天文7年(1538年)の尼子軍の播磨侵攻の折、敵軍の本陣として使用されたのを最後に、そのまま遺棄されてしまった城ではあったが、緊急時には人が入ることもあり、周囲に異変を知らせる見張りの機能は残してあった。


 そして、城山の南には、同じ赤松氏一門の龍野城主・赤松下野守政秀(あかまつしもつけのもりまさひで)の勢力圏が広がっている。


 政秀は今年で四十三。赤松総領家の晴政よりも三つ年上の龍野赤松氏当主の発言力は西播磨諸侯間において、時として総領家以上に重く受け止められている。それだけに龍野と置塩のいがみ合いを振り払おうと、晴政も自分の娘を政秀の正室に入れるなど、かつての(わだかま)りを解き解さんと何かと腐心していた。


「今回は龍野方面に動きはなし、か」

 

 今年三月、美作から播磨に再度乱入した尼子の軍勢は赤松政秀の籠る龍野城にも攻め寄せ、一時は政秀含む龍野赤松一党が尼子晴久に臣従したのだとの報告があった。


 二か月ほど経ち、美作国吉野郡以西に尼子の軍勢が引き上げてからは、龍野赤松氏も赤松総領家に忠節を誓い直すと申し出ていたが、何度も尼子軍の脅威に身を曝した配下の者達を抱えてではまともに戦も出来はしまい。

 

 恐怖は時に人を狂わせるのだ。


「物見の報告では、北部の敵は恒屋の軍勢と聞いていたが……」


 無論、その背後には出雲尼子の影がちらつく。


 ならばと、正満は見張りに龍野・空木方面の監視を厳とするように告げ、自らは三人張りの強弓の準備を始めた。


「……お前さま」


 つわりの落ち着きつつある妻のしげが、正満の後ろから心配そうに声をかけるが、正満は心配いらないとばかりに大きく弓を鳴らす。


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